清水晃 - モニュメントデザイン




作家は過去2つのモニュメントデザインを手がけている。惜しくも両プロジェクトは実行には移っていないが、自然の中に作品を配置するという両プロジェクト構想は、作家の新境地への開拓であり、もくろみであった。

天草プロジェクト


1984年、熊本県により、「天草地域観光レクリエーション基地建設構想」が発表され、その調査報告書がまとめられた。
天草は、上島、下島を中心に大小の百を越える島からなる。阿蘇と並ぶ熊本県を代表する観光地であるが、構想は、天草諸島の中で最も大きい下島の北部の五和町海岸エリアを主な舞台とし、そこに、海上アトリエや、海の中道、海釣り公園、人工ビーチのほか、博物館、文化会館などの施設を配し、同町を観光の開発拠点とするものであった。その中で、「未来を照らす新生天草の顔づくり−芸術」の具体的計画が清水が提案した巨大なモニュメントの建設である。

<天草プロジェクト>と呼ばれているこの構想の内容は、有明海に面した五和町鬼池港の海岸沿い南北約4キロメートルに及ぶ海上に、5基のモニュメントを設置するものである。報告書では、「有明の海を自然が生み出した芸術のカンバスにみたて、洋上に浮かぶモニュメント群から成る海上アトリエを創造する」とあり、モニュメントを「海上アトリエ」と呼んでいる。そして、「海上アトリエの作品群はモニュメントであると同時に機能的な構造物であり、作品のいくつかは洋上展望台であり、また灯台、橋梁、航路標識、美術館など」である。
5基のモニュメントには、「昴」「亀島大橋(龍宮橋)」「流星受けを持つ天馬」「満月捕獲機」「海椿」というネーミングが施されている。


天草プロジェクト《昴》

1984
木, 竹ひご, 漂流物、ガラス、ワイヤー、黒のラッカー
142.0 X 101.0 x 48.5 cm (H X W X L)

《昴》は全高50メートルの「洋上展望台、灯台、美術館の合体として」陸から約500メートル離れた洋上に立つモニュメントとして設計されている。海からは灯台として、陸からは橋でつながれ、人が歩いて渡ると中段の第一展望台に入り、会場からの展望を楽しむことができる。下部8本の支柱に掛かるアーチの梁は教会を表し、塔頂部の放射形は南国の植物フェニックスと噴水、最下部にある8つの球とやや上の球の組み合わせは細川藩の家紋である「九曜の紋」を意識している。

天草プロジェクト《亀島大橋(竜宮橋)》

1984
木, 竹ひご, 漂流物、ガラス、ワイヤー、黒のラッカー
70.0 X 142.0 x 52.0 cm (H X W X L)

《亀島大橋 (龍宮橋)》は、鬼池港のそばにある小さな島、亀島への橋梁として設計されている。約350メートルの橋梁全長のうち約100メートルがモニュメント部分で、彫刻の橋の中を人が通り抜ける構造となっている。全体は横長で、歩道を境に上下二層に分かれる。上部は琴の弦受け型の2本の支柱に水平に付けられた舞錐、その上に13弦の鼓、糸車、水車または風車などが一体となった彫刻が置かれている。この部分は「すべてが動き出す、回転するイメージ」で音が彫刻としてある。

天草プロジェクト《流星受けを持つ天馬》

1984
木, 竹ひご, 漂流物、ガラス、ワイヤー、黒のラッカー
86.0 X 63.0 x 79.0 cm (H X W X L)

《流星を受け持つ天馬》は「海水浴場のモニュメント」として海上に設置される。全高30メートルで3本の柱と帆が林立し、船をイメージさせるものである。それぞれの柱に切り口が正面を向いた半球形が付いている。それが流星のキャッチャーミットとなる。3本のマストの船は「遠来の南蛮船」の姿であり、それぞれ舵、鴎の尾、馬蹄が付いている。鋏と舵が取りついた柱が水柱(水=女)であり、海も意味している。真中の舞錐、鴎の尾が付いている柱は火柱(火=男)で、空も表現している。最後の柱の上部には、永遠性を表す魚の鱗、糸巻、心臓(扇型の交差)が施されており、馬蹄と併せて天馬を意味している。

天草プロジェクト《満月捕獲機》

1984
木, 竹ひご, 漂流物、ガラス、ワイヤー、黒のラッカー
52.0 X 102.0 x 51.0 cm (H X W X L)

《満月捕獲機》も《流星を受け持つ天馬》と同様に海水浴場のモニュメントとして海上に設置される。全高20メートルで全体が斜め上方を向いており、満月に矢を放つ捕獲機をイメージしている。細部をみると扇形の重なり部分は心臓を表し、心臓を貫く柱は心臓に海水を送るポンプをイメージしている。機体には引き絞られた弓(舞錐の変形)が取り付けられ、このモニュメントも、男女、火と水、永遠性の象徴として存在する。

天草プロジェクト《海椿》

1984
木, 竹ひご, 漂流物、ガラス、ワイヤー、黒のラッカー
101.5 X 93.0 x 56.0 cm (H X W X L)

《海椿》も海水浴場のモニュメントとして設計されており、全長は30メートル。上空から見るとわかる椿の花形が基底部にあり、そこから2本の柱が立っている。下の方にある背鰭は鮫であり、椿の花を狙っている。中心の柱には鋏が切り抜かれた長方形が施されているが、これは『本体がどこかに出向いており、ここは住家として戻ってくる場所」を表している。

以上の5機が天草プロジェクトのモニュメントの概略である。細部に独自のイコノグラフィーを散りばめながらも、全体の構想は天草の風土に調和しながらも世界に発信する空間軸、そして悠久の美という時間軸を狙っている。

「島国である日本の海の景観は、日本三景的見方でしか代表されていないことから考え、新しい日本の風景作りには、人間の根源から湧き出る精神性が張りつめている風景作りが必要であり、又、それが天草に最もふさわしい。一つの流れが生れ、そして消えてゆく、文明的ファッションではなく、時代を超えた壮大な「生」の神髄、その意味、本質をギュッと握りしめた姿勢を海の華とみたてて、今回の作品に祈りを込めて作ってみた。
 芸術は生産性が無いと言われて久しいが、それに真向から挑戦するのが芸術家であり、自分も含め、人間にとって最も必要なもの、美しいものを人の心の中に、咲かせることが出来たらと願ってやまない。
 ”絵に描いた牡丹餅は食えるのだ。”という芸術と人間の関わりに、自分なりに天草のプロジェクトで実践し、挑戦して行きたいと考えている。」

清水が<天草プロジェクト>構想時にしたためた文章より(1984年)


新宿プロジェクト



1988年、東京都より「新宿副都心道路景観整備計画調査報告書」がまとめられた。具体的には、当時建設中であった東京都庁の周辺街路(現在の議事通りと都庁通り)と新宿駅とのアプローチ街路(現在の中央通りとふれあい通り)をそれぞれ「ゲートウェイ」と「シンボル道路」とし、歩行者中心の街路空間に整備するというものであった。新宿駅から都庁に至る街路や連続する歩行者空間は建築家の高崎正治氏が「シテイ・ウォール」の設置を提案。新庁舎周辺の4つの交差点には清水が「シンボルブリッジ」のモニュメントを提案した。

この4つの「シンボルブリッジ」に、清水はそれぞれ次の四季のイメージを与えており、それぞれを<春(萌葱)の広場>、<夏(瑠璃)の広場>、<秋(紅)の広場>、<冬(白妙)の広場>とネーミングしている。
それぞれのモニュメントデザインには、清水独特のシンボルが配されている。春と夏には「海洋・川・大地より立ち上がったもの」として生の象徴である舞錘と燕、秋と冬には「天より送られたもの、置かれたもの」としてポンプが配されている。


新宿プロジェクト《春(萌葱)》

1988
木、竹ひご、プラスティック、ワイヤー、錘
66.0 X 128.5 X 45.5 cm (H X W X L)

 《春の広場》《夏の広場》のシンボルブリッジは、議事堂通りに面した交差点でほぼ同じ条件の場所に設置され、基本的形状は同じである。どちらも都庁正面に向かって横長に構え四つ脚で通りを跨いで立ち、新宿駅方向からのランドマークにもなる。
 《春の広場》には、地上4.5メートルの高さに亀の甲型ステージの展望広場があり、四隅の柱からその上に覆い被さるように二段の彫刻がある。下段には水平に据えられた舞錐とそれを切る鋏があり、全体として楽器の琴を示す。上段には風車が回転し、鋏にも連動する。季節の花として水仙、梅、竹葉が散らばっている。

新宿プロジェクト《夏(瑠璃)》

1988
木、竹ひご、プラスティック、ワイヤー、錘
61.5 X 124.0 X 47.0 cm (H X W X L)

 《夏の広場》は、貝殻型ステージの展望広場である。水平に据えられた舞錐の芯は横笛でもある。その上に水車(円錐形2つ)が回転する。季節の花として菖蒲、朝顔、松葉が散らばっている。

新宿プロジェクト《秋(紅璃)》

1988
木、竹ひご、プラスティック、ワイヤー、錘
72.0 X 70.0 X 50.0 cm (H X W X L)

《秋の広場》《冬の広場》は都庁通りに面したほぼ同じ形式のシンボルブリッジである。《秋の広場》には下部に兎型(楕円の変形)ステージの展望広場があり、その両脇に水車が回る。広場の中心から柱が立ち上がり、中間の高さには鼓、その上に鎌、その上にポンプの取っ手があり、水を汲み上げようとする一方で、鎌はポンプの弁を切ろうとしている。季節の花は紅葉である。

 

新宿プロジェクト《冬(白砂)》

1988
木、竹ひご、プラスティック、ワイヤー、錘
77.0 X 70.0 X 48.0 cm (H X W X L)

 《冬の広場》には、雪(の結晶)型ステージの展望広場があり、その両脇には水門のハンドルが付いている。広場の中心から柱が立ち上がり、中間に小太鼓、その上に井戸掘削機、その上に弓が取り付く。矢は下向きに井戸掘削機の管を狙う。季節の花は椿である。

全景図面(新宿プロジェクト)

1988
鉛筆、トレーシングペーパー
59.0 X 84.0 cm (H X W X L)


モニュメントデザイン (新宿プロジェクト)

右手前から時計回りに, 春、夏、秋、冬
1988
木、竹ひご、プラスティック、ワイヤー、錘

春 - 66.0 X 128.5 X 45.5 cm (H X W X L)
夏 - 61.5 X 124.0 X 47.0 cm (H X W X L)
秋 - 72.0 X 70.0 X 50.0 cm (H X W X L)
冬 - 77.0 X 70.0 X 48.0 cm (H X W X L)

作品群をみてくると解るように、4つのシンボルブリッジのコンセプトは、「誕生と昇天」と四季への愛しみである。「誕生と昇天」については、「舞錐(男)」と「水車(女性)」「ポンプ」で象徴される「生命」と鋏、鎌など「切る、絶つもの」の鬩ぎ合いで表現されている。この「誕生と昇天」については、天草プロジェクトの基本コンセプトでもある。



参考: 天草プロジェクト・新宿プロジェクト(清水晃カタログ 2000)大森哲也氏(足利市立美術館学芸員)

© 2018 Akira Shimizu. All rights reserved. このページに記載してある記事及び写真の無断転載及び使用はお断りします。