「向かいに住む鶏は朝を狩るとみせて、こともあろうに夜に入ったばかりの9時には両羽を烈しく打ち振って時を告げてしまうのです。そして僕の仕事もそのようにして始まるのです。
日暮れと一緒に夜をふかし、ふかしながら己の叫び声に闇に目が起きるのです。この寝ぼけまなこが放った海月と夜光虫に刺されて月を見舞った一瞬に、一気に己の骨格に肉付けをしてしまおう。
何故、一番鶏がなくとき羽ばたくのであろうか。叫び声を産声の晴れ着でまぶせてしまおうというのか。それは闇に首ごと突っ込んでせっせとついばんでいた獲物の動脈に鋭いくちばしが触れたとき、いきなりコケッコーと歌い出すのであろう。まぎれもなくその時、鶏は誕生しつづけていたのだ。鶏よ、おまえの産声はおまえが身をもって聴くためのものなのだ。朝に洗顔する汽車の、その窓を流れてゆく風景にくれてやることはさらさらないのだ。。。」
「展評 時差の鶏<狩人の発電所>展」「美術手帳」1972年12月号