埼玉県立近代美術館 MOMASコレクション第1期(2018年4月21日(土)〜7月8日(日)展
<漆黒から>
1990
木、竹ひご、漁火の電球、釣針、黒のラッカー他
<漆黒から>
1983
木、竹ひご、鈴、黒のラッカー他
焔・胸
1970
焦げ跡、トレーシングペーパー
焔・理髪店
1969
焦げ跡、トレーシングペーパー
焔・ホテル
1970
焦げ跡、トレーシングペーパー
インスピレーションは創造行為に欠かせないが、清水晃にとって、それは単なるひらめきや着想というものをどこか超越した、とても重要な事柄のようだ。巨大なインスピレーションに出会った時、清水はそれを「得体の知れないもの」としばしば形容する。例えば、最も重要なシリーズである<漆黒から>が生まれた経緯を語る時、こんな台詞が登場する。
『漆黒のオブジェ」のシリーズは、自分の頭をひねって制作したものではありません。どこからか得体の知れないものが寄り添ってきて、自然に作品ができあがったのです。その得体のしれないものたちが、作品にしてもらいたいと、僕の背後にずっと列を作って並んでいる。そういう特別な感覚があったのです。
中略
インスピレーションの到来を尊重し、それを受動的に受けとめる姿勢は、清水も(アンドレ・)ブルトンもたいへん似ているように見える。また清水の作品が、シュルレアリスムとの関連をしばしば指摘されてきたのも、デペイズマンやコラージュといったシュルレアリスム的な手法を用いていたことだけでなく、インスピレーションを重視した表現だという点にも関わりがあるのかもしれない。しかしインタビューで語られた清水の述懐からは、ブルトンやシュルレアリスムとはある点で決定的といえる相違が示されている。それは端的に言えば、インスピレーションが生まれるプロセスが違うのである。
周知のとおり、シュルレアリスムにおいて主要な原理となるのが、自動記述の考えをもとにしたオートマティスムである。オートマティスムは、表現者の主観や主体そのものを消し去り、意識に左右されない純粋な世界、即ち客体の世界を表現に呼び込むことに主眼を置く。だから、シュルレアリスムの場合、作者の主観的な領域から離れた場所でインスピレーションが生まれないと、表現は意味をなさないのである。
それに対し、清水の場合はどうであろうか。もちろんインスピレーションが何処からともなく到来するのは同じでも、清水には主体である自分自身の世界をいったん消し去ろうとするシュルレアリスム的な姿勢は一切ない。だから、清水にとってのインスピレーションは、自分の意識と隔てた世界から到来するというより、むしろ自らの経験した世界から地続きに訪れるのである。
中略
例えばコラージュの代表作で、生まれ育った故郷、富山での体験を基調にした作品集<目沼>がある。富山の風景などが登場する12点のコラージュは、子供の頃の清水が特定の場所で実際に目にしたモチーフが、制作の出発点になっている。これらのコラージュは私たちにとっては奇妙なイメージの集積に見えるかもしれない。だが清水にとっては「ごく自然にあったイメージ」であり、「まさしく自分がそういう世界の中にいた」という実感とともに制作されているのである。
得体のしれないものーインタビューを終えて 埼玉県立近代美術館主任学芸員 平野 到氏 出典「清水 晃 漆黒の彼方」 埼玉県立近代美術館出版 (2012)
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