【5】故郷への帰還 第6話 船で移動を始めて三日目の朝には予定通りにリマイラの海域に入っていた。 明朝早くには港に到着できるということもあって、各所では騎士達や船員達が下船へ向けての準備を着々と進め始めている。 結果的に夜遅くまで起きている形になってしまったキラは今日もすこし寝坊ぎみで。 けれど、ようやくイザークとも昨夜の一件で少し歩み寄ることができたキラはいつも以上に晴れやかな顔だった。 まだまだふたりきりで話をしたり多くの会話を交わすことは出来ずにいるが、それでも会話の数は少しずつだけれども明らかに増えていっている。 アスランやディアッカはもちろん、今までキラとイザークのぎくしゃくとした雰囲気を察していた他の騎士達も───ふたりが話をする場面を見た最初こそ驚きの表情を浮かべるけれど───微笑ましげにその光景を見つめていた。 今もディアッカを交えて話をしているキラとイザークを、アスランはひとり離れた場所で見つめていた。 キラは最初そっと輪から離れて行くアスランに縋るような視線を向けていたけれど、すぐに自分で振り切って今では少しずつでも自分からも話をしようとしている。 姿を見ていれば、彼女の一生懸命さがよく分かる。 なんとか自分で克服しようと頑張っているキラ。 何がきっかけでそこまで一人で立とうとしているかは分からない。 けれどもそれが分かるから、アスランは今ではイザークとのことに関しては最低限の助けしか出さないようにしている。 本当にキラが助けを求めていれば別だけれど、今のところそんな事態は起こっていないように思う。 キラはきっと、この問題を自分の力で乗り切るだろう。 そう確信に近い思いを抱ける程、順調に関係は改善されているように見えた。 そのことを心から喜ぶ自分は決して嘘ではない。 キラの表情が明るさを増していることは、アスランにとって喜び以外の何ものでもないのだから。 けれど……どこかで寂しく思っている自分がいるのも確かだった。 アスランにとってキラは、自分の手で守らなければならない存在。 あの子はとても儚くてか弱い花のようであるから、いつ誰かによって容易く手折られてしまうかわからない。 何がきっかけで突然萎れてしまうかわからない。 とても小さくて可憐だけれど、今まで人によって散々に踏みしだかれて生きてきた花……。 だからこそ、もう二度と何かに脅かされないようにと細心の注意をはらって守ってきたのだ。 いつだって自分の傍から離れたがらなかったキラ。 自分の見せる安全な世界しか見ようとしなかったキラ。 けれど今では、キラは自らその世界を広げようとしている。 そんな彼女の逞しさと強さが嬉しくて、けれどもそれと同時に………。 相反する己の心を抱えて、アスランは自嘲した。 分かっている、これは今までキラを庇護してきた自分だから抱くもの。 子供の成長を喜びつつも寂しがる親と同じだ。 迷わないようにとずっと繋いでいた手が離れてしまうことへの寂しさ、守るために囲っていた腕の中から守る人が飛び出して行くことへの喪失感。 キラの心から恐れや怯えの根本を取り除けるのは、植え付けた本人以外あり得ない。 そしてそれを乗り越える為にはキラが頑張るしかない。 それは分かっている、分かっていたのだけれど…………。 キラの成長を心から喜ぶ自分と、複雑に思ってしまう自分がいる。 その現実が少しだけ苦しくて、アスランはキラを見ていられなくなってそっと視線を反らした。 彼自身は深く思いもしないだろうが、きっとそれは初めてのことだっただろう。 アスランは小さくかぶりを振って様々な考えごと振り払った。 そして話し込む三人を置いてその場を後にした。 今のまま戻れば、きっとキラに心配されてしまう。 詳しい心情を察することは流石にできないけれどキラはいつだってアスランの心の機微に敏感だったから、普段との少しの違いに気付いてしまうだろう。 それにしても……と。 こんなことでここまで揺れ動いてしまう自分に、アスランは苦笑を禁じ得なかった。 それ程に自分はキラの保護者としての意識が強かったのかと驚きもした。 いつかは慣れて当然のように思える日が来るのだろうか……? 今のアスランには、その日の想像はつかなかった。 そして訪れた四日目の早朝に、船は無事港へと到着した。 船内からの荷下ろし作業が端で未だに行われている中で、キラ達は船から朝靄に霞んだ港へと降り立った。 港から街へ続く道には既に連絡を受けたリマイラ地方に駐屯している騎士達が待っており、彼等が手配してくれた馬と馬車がある場所へと案内してくれた。 イザークを先頭にして歩きながら、キラは今まで自分が乗っていた船を振り返る。 あそこで過ごした数日間は本当に色々なことがあった気がする。 初めてのことだらけでどうしたら良いか分からないことも多かったけれど、それと同じくらいに楽しかったり嬉しかったりすることもあった。 船の甲板の先の方を見ると、何人か手を振っている船員達が居る。 その中には、下船する前にわざわざ呼びにきてくれて舵を触らせてくれた操舵手や、色々と海についての話や今までの航海の話をしてくれた船員達の姿もあった。 キラはそれが嬉しくて、思わず立ち止まって大き手を振り替えすと、自分を少し先で待ってくれているアスランの元へと駆けていった。 優しく微笑みを浮かべているアスランに笑い返すと、キラは少し躊躇う素振りを見せた後に彼の右手を握った。 アスランは少し驚いた顔をしたけれど、すぐに微笑みに戻って小さな手をぎゅっと握り返す。 暫く大空を飛び回っていたトリィもふわりとキラの肩へと戻ってきたのを見届けると、ふたりは連れ立ってゆっくりと歩き始めた。 そうしてこの港町から、ついに王都への最後の旅路が始まった。 馬車は慣れないと馬に跨がったのはイザークとディアッカで、アスランとキラは以前と同じようにふたりで馬車へと乗り込んだ。 アスランも馬車での移動より馬での移動の方が格段に慣れているし気楽ではあったけれど、キラに付き合って馬車へと乗り込んだ。 ひとりであの小さな箱の中に押し込められるのはキラも嫌だろう思うし、何よりキラが寄りかかれるクッションが必要だ。 レイゼルからの馬車移動でもずっとキラのクッション代わりをしていたアスランは、眠たくなったり気持ち悪くなったらいつでもどうぞと膝のあたりを叩いて笑った。 途中に二回程休憩を取りながら、一行は快調なペースでリマイラを北西へと進んで行く。 アスランが考えたルートはほぼ完璧に近いと言って良い程のものだった。 高低差の少ない道ばかり、しかも中には付近に住む民しか知らないような抜け道に近い所までを通って王都へ向かうそのルートの正確さに、リマイラ駐屯の騎士達も驚いていた。 アスランにしてみれば何年か昔の知識を主に元として練り出したルートだったので少し心配な部分もあったのだけれど、それは取越し苦労に終わったらしい。 休憩の時にその話を聞いて「アスランすごいね」と感嘆したキラに、アスランは「リマイラには友人に会いによく行き来していたから」と懐かしむような表情を浮かべた後小さく笑った。 船から下り、馬で移動すること一日弱。 ある地点に差し掛かると、騎士達の乗る馬もキラ達が乗る馬車もその歩みを止めた。 アスランに揺り動かされて起きたキラが朝焼けの光と共に見たのは、岩壁と岩壁の間に建てられている石造りの建物と巨大な門だった。 外に出て見るそれのあまりの大きさに圧倒されるキラ。 アスランもキラに続いて外に出て門を見上げると、感慨深げにふ…と瞳を眇めた。 「アスラン………これ………?」 立派すぎるそれにどこか恐れすら感じながらキラが隣に立つアスランを見上げた。 「……これが王都へ続く領境の門だよ。ここはリマイラと王都を繋ぐ唯一の道で、この扉が開かれない限り向こうに渡ることは出来ない」 すると、その声が合図になったかのように扉が重々しい音をたてて開き始めた。 ゴゴゴという地鳴りのような音と共に、ゆっくりゆっくりと………。 そして時間をかけて全てが開ききると、扉の向こうの世界が視界一杯に広がった。 少し高い地形のこの場所からやや見下ろすようにして広がる都。 整備された広い道と、そしてその先にあるのは城下町。 ここからではまだ少し遠いが、見事に連なる建物の数々がこの街の発展具合を遠目にも示している。 周りを豊かな自然に囲まれた街。 街の周囲には緑なす森が広がり、そのすぐ近くに穏やかに水を運ぶ川が流れていた。 そして何よりも目を引くのは、街やその周囲に広がる自然すらも従えるようにして中央にそびえる真白な城。 雄々しくも繊細にも見えるその白亜の城が、この王都の中心。 クライン王国の国王シーゲル・クラインが住まう、この国で最も輝かしく最も高貴なる場所。 「美しい城と都だろう?」 キラとアスランの横にいつの間に来ていたのか、イザークが呟いた。 その横にはディアッカもいる。 キラは無意識のうちに小さく頷いていた。 「このクライン王国が『緑の楽園』と謳われるきっかけとなったのがこの王都だ」 次に口を開いたのはディアッカ。 楽しそうに、そして誇らしげにそう語る。 美しい城と、美しい街並。 そして国で最も栄えている場所でありながら、その回りには未だに緑で満ちあふれている。 昔は今よりももっと自然が美しかったのだろう。 初めてこの国を訪れ王都を見た者たちには、ここが人と自然がどこまでも共存し調和する地上の楽園に見えたのだ。 イザークとディアッカはキラとアスランの前に進むと、開かれた門とその先に広がる王都を背にして振り返った。 紅い王宮騎士の軍服と風に靡く漆黒のマントが、その背景によく映えていた。 ふたりは僅かに互いの顔を見合わせてふと笑みを浮かべると、道を指し示すよう王都と王城への道を開けてキラとアスランへと向けて言った。 「「王都メイフォリアへようこそ」」 |