【01:君のとなりで  .....『ほのぼの10title』より



【3】





いってきますという言葉と共に向けられた笑顔。

それをいってらっしゃいとこちらも笑顔で見送る。
背中が視界から消えるまで見届けていたふたりは、暫くその場を動かなかった。



ラクスは、正面を見つめたまま黙り込む幼子を優しく見下ろす。

沈黙を守るその様を暫し見守り、そして自らも再び視線を戻してみるけれど、そこにはあの奇麗な微笑みを持つ人の姿はどこにもない。
もう、あの曲がり角を曲がって行ってしまったのだから。
それでもこの幼子の瞳にだけは、彼の人の後ろ姿が今でも見えているのかもしれない。


「言わなくてよろしかったのですか?」
「え………?」
ひたりと正面を見据えていたアスランの視線が、ようやく動く。
「早く帰ってきてと。本当は、そうキラに言いたかったのでしょう?」
「…………」

問いかけに、鮮やかな緑の瞳が戸惑うように揺れた。


「………………いえません」

暫しの沈黙の後、ぽつりと零された言葉。
消えゆきそうな程に微かな…。


「何故と、お聞きしても?」
「…………キラは、ぼくだけのキラじゃないですから……」


アスランは言う。
キラにはキラの仕事があって、自分と違って大人だから、やらなくちゃいけないことが沢山あるからと。
そして、その後に続く言葉はそっと胸の中に。


(それに……、それに向こうにはキラの友達だって………)


久しぶりに会えるかもしれないその人たちとの楽しいひと時を、自分の我が侭で潰したりなんてしたくない。
………そんなことをして、キラに面倒な子だって思われたくない。

だから…────。


「……いえないです」


ラクスは何も言わなかった。
ただ、変わらずに優しい瞳で見守っている。
細い指先で、慰めるようにアスランの髪を撫でながら。


触れては離れてを繰り返すそれを感じながら、アスランはそっと瞳を閉じてゆく。



────ラクス・クライン。

アスランと同じくプラント評議会議員を父に持ち、そして自らもプラントでは知らない人がいないと云われるほどに有名な歌姫。
そして、キラが云う『特に親しい友人』のひとり。


アスランが彼女と初めて会ったのは、きっと記憶にもない程に小さな頃。
覚えている中での一番最初の記憶は、彼女の誕生日に催されたパーティーでのことだった。
覚えて来た少し難しいお祝いの言葉をなんとか無事に言い終えたアスランに、彼女はありがとうございますと嬉しそうに笑ってくれた。


ラクスの父親とアスランの父親は昔から付き合いのある友人同士だし、現在では同じプラント評議会にて肩を並べて仕事をしている。
そういった繋がりもあり、その後も幾度か会ったことはあったけれど、彼女という存在を強く意識するようになったのは、本当にごく最近のこと。

顔見知り、父親の親友の子女、そしてプラント中から愛される歌姫というくらいの認識しかなかったけれど、キラを通じてより身近に知ったラクス・クラインという女性は、アスランからしてもとても好感を持てる人だった。

優しくて、温かくて、穏やかで……澄んだ空気を纏ったひと。


どこか────キラに似てる気がする。



アスランは、ぼんやりと目の前のラクスの微笑みにキラの微笑みを重ねた。
顔の作りは全然違うけれど、それでもやっぱりどこか似てるなと思う。
今こうして触れて来る指先とか、柔らかく響く声とか、色は違うけれど見惚れるほどに奇麗な瞳とか………なんとなく、重なる。

だからなのだろうか。
キラがいないのに、こんなに安心できてしまうのは。





「アスランは、本当にキラの事がお好きなのですね」


暫しの沈黙を経て、アスランの表情が落ち着いてきたことを見て取ったラクスは、そう言ってふわりと笑った。


「……はい」

隠すのも変な気がして、アスランは素直に頷く。
面と向かって答えるのはなんだか少し恥ずかしかったけれど、それでも誤摩化してしまうことは恥ずかしいよりももっとずっと嫌だったから。

「では、私と一緒ですわね。私もキラのことが好きですから」

どこまでも耳に優しく響く、歌姫の声。
だけど今だけは、どこか悪戯っぽく。

「あら……でもそうすると、私達はライバルということになるのでしょうか?」


え……?と意味が分からず思わず聞き返した幼子に、プラントの誇るピンクの妖精は変わらずふわりとした微笑みを向けていた。


「アスラン、そろそろお家の中に戻りましょう。アリスさんがサンルームに美味しいお菓子を用意してくれていますから、ご一緒にいかがですか?」
「え……?あ…」
「駄目ですか?」

アスランは突然切り替わった話題についていけず、目を白黒させる。
けれど、少し悲し気なラクスの言葉に、慌ててぶんぶんと首を横に振った。

「あ、いえ、そんなことは……っ」
「本当ですか?嬉しいですわ。アスランのお好きなものを沢山用意してありますから、遠慮せずに沢山食べてくださいね」
「ぼくの、好きなもの……?」


何が用意してあるのかよりも、何故それをラクスが知っているのかが気になって、アスランは小首をかしげた。
するとラクスはそんなアスランの様子にすぐに気付いて、軽く種明かしをしてくれる。

「はい。事前にキラに聞いておきましたから。私も、少しでも我が家での滞在をアスランに楽しく過ごしていただけたなら嬉しいですし」
「あ……。ありがとう…ございます」


嬉しい気遣いに、アスランは少し恥ずかしそうに会釈をする。
どうしたしましてと微笑みながら返したラクスは、アスランの背中にそっと手を添えて家の中に戻るように促した。
まだ少し外を気にしながらも大人しくそれに従って歩き出したアスランに、ラクスは思い出したように付け足した。


「大丈夫、きっとキラは早く戻って来て下さいますわ」
「………そうでしょうか…?」
「はい。きっと」

その言葉には、願いや期待というものとは違う、ある種の確信めいた響きが満ちていた。
本当に云う通りになりそうな気がして来る。


────そうだと、いいな…と。

アスランは、最後にもう一度だけ後ろを振り返ると、ラクスと共に正面玄関の扉の向こうへと消えて行った。





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