夢幻泡影[1]









やはり来なければ良かったのかもしれない……と。
行き交う人の流れに沿って歩きながら、アスランは少しだけ目を眇めた。



彼は今、オーブの資源衛星に降り立っていた。

ただ何気なく歩いている風を装いながらも、意識は常に別の方向に向いている。
視線も周囲に不審に思われない程度に巡らせ辺りを探っていた。
それは、アスランの隣を歩くニコルも同じ事。

街の大通りを連れ立って歩く二人は、いつものダークレッドの軍服を纏ってはいない。
周囲に溶け込むようにごく普通の私服を着用していた。

近くに在るカレッジの学生達が多く通るこの道では、特に少年少女の姿が目に付く。
場所が場所だということもにあり、街の日常的な光景にアスラン達の姿はごく自然に馴染み溶け込んでいた。


笑い合い、時にふざけ合いながら横をすり抜け帰途につく学生達。

そんな光景を視界に入れる度に、無表情を保っていたアスランの表情に微かな感情の色が見えかくれする。
ともすれば込み上げてきそうなそれを押し殺す為に、アスランはきつく目を閉じた。



「…………アスラン?」



控え目に名を呼ばれ、アスランはゆっくりと目を開ける。
現れた深緑の双眸に、先程までの揺らぎは見えない。

「どうかしたんですか、アスラン?」

ニコルがどこか心配そうに顔を覗き込んでいた。
いつもと様子の違うアスランを気遣っての事だろう。


アスランは内心で自嘲した。
この年下の同僚に要らぬ心配をかけてしまう程に平静を保てない自分に。
重要な任務中にも関わらず、過去を思い感情を乱す自分に。


「いや、なんでもない」

「………そうですか?それなら良いんですけど」


口ではそういいつつも、ニコルが納得はしていない事は明白だった。
けれどアスラン自身が大丈夫だと言った以上、深く追求するような無神経な真似ができるニコルではない。
きっと避けたい話題なのだと感じる事ができたから、余計に。

兄とも慕う人の事だ、何かあったのなら気にならないわけではない。
しかしニコルはその思いを押し込めて、本来の目的についての話題をそっと口にした。


「やはりこの街は良い隠れ蓑になるみたいですね」

「ああ、特に此処のカレッジの大部分は工業専科らしいからな……」

「ええ………近くには工場もありますしね。この辺で機材の類いが頻繁に搬入されていても誰も怪しまないでしょう」


ちらほらと人影が散らばる広場の片隅で足を止め、言葉を交わす。
隠密行動故になるべく目立たないよう普通の会話を装いながら、知り得た情報と実際に見た情報とを交差させ結論を導き出した。


「多分、間違いないでしょう」

「見つかったのか?」

「………確証はまだありませんけれど」

「そうか。ならそちらの捜査はニコルにまかせる」

「アスランはどうするんですか?」

「工場区の方に行く。部品を製造している大本を見つけなければならないしな」

「そうですね…………分かりました。連絡は?」

「そちらの成功時に一回、これより4時間後にもう一回、俺の方にコールを」

「了解しました」


最低限の会話で終わらせると、アスランは木に寄りかかっていた身体を起こした。
ニコルもそれにならって腰を上げる。
大通りに出てふたりはお互いに各々の目的の為に背を向けた。
アスランはそのまま前方へと歩みを進め、ニコルは降り注ぐ光に目を細めながらカレッジの方を見遣る。



「…………なんだか、ヘリオポリスを思い出しますね」



アスランの肩が震え、歩みが止まった。

背を向けていた為にニコルはそんな彼の様子に気付かない。
他意のない、何気なく漏れた呟きなのだろう。
独り言だったのか、特に返答を待つ事も無くニコルはそのまま歩き出したけれど。


アスランは…………まだ動けずにいた。





『ヘリオポリス』


地球軍による秘密裏の新型機動兵器が製作されていた場所。
先のザフトによるG奪取作戦の折に沈んだ、此処と同じ中立国家オーブのコロニー。
そして…………。

最も会いたかった人と最も望まぬ形で再会を果たした、決して忘れられぬ場所。



「……考えない様に、していたのにな」



掠れた呟きは、誰にも聞き止められぬままアスランの胸にだけ響いた。

本当は、潜入捜査の任務が言い渡された時点で気付いてしまっていた。
オーブ、コロニー、工業カレッジ、地球軍の影。
紙面に表記されたキーワード。
あまりにも…………似ていたから。
類似点が多すぎて、思い出さずにはいられなかった


そして実際に降りてみれば、行き交う学生達の姿に己の過去すらを重ね。
知らない誰かの笑顔に、いつでもすぐ傍らにあった穏やかな微笑みを重ねた。



思い出すな。



振り返るな。



現実を見ろ。



何度自分にそう言い聞かせたか知れない。
けれどその抑止の声はいつでも素通りし、心はいつだって彼を求めた。
彼だけを求めていた。


もう手を触れる事すら叶わない今に、胸の灼けるような焦燥を感じながらも。










「────キラ」










お前は今、何処で何を想っている…………?











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