君のそばに…[1] トントン。 控え目に響くノックの音に、ニコルは見ていた書類から顔を上げた。 本来この部屋の主たる人物は今席を外していてまだ帰って来てきない。 仕方なく彼がどうぞ、と声をかけると、少し間を置いてからゆっくりとドアが開かれる。 「……失礼します」 隙間から顔を覗かせた人物を見て、ニコルは柔らかく微笑んだ。 「キラさん」 「あ、ニコル」 きょろきょろと辺りを見回していたキラは、知った顔を見つけて安堵の表情を見せた。 おずおずと控え目に入室してきた彼を見て、ニコルは思わず苦笑する。 いい加減に慣れても良いのにな………と思わないでもないけれど、なかなかそう出来ない所がいかにもキラらしい気もする。 ニコルの座っている場所まで来ると、キラはすまなそうな顔で言った。 「邪魔してごめんね、仕事中だったのに……」 「いいえ、気になさらないで下さい」 「……ありがとう。それにしても、今日はなんだか慌ただしくない?」 部屋のあちこちを行ったり来たりと忙しない面々を不思議そうに見ているキラ。 いつもはごく少数のメンバーしかいない室内には、いつもの倍くらいの人がいるので余計にそう思える。 小首を傾げているキラにニコルはああ、と思い当たって説明をはじめた。 「だんだん学園祭が近くなって来ますからね。生徒会も色々と忙しくなってきたんですよ」 「あ、そっか。それじゃあニコルも大変でしょ?」 「僕の方はそうでもないですよ。イザーク達の方が駆け回っていて大変そうにしていますから」 話題に上った当人はといえば、先程放送で呼び出されて出て行ったばかりだ。 忙しさのあまり不機嫌になっていたのが少し気になるが、フォローをしてくれるディアッカも付いて行ったので大丈夫だろう。 心底面倒くさそうに舌打ちしをしていたイザークを思い出して、ついつい苦笑してしまう。 「そういえば、何かご用があったんじゃないですか?」 「あ……うん。アスラン、知らない?」 その答えを聞いて、ああやっぱり……と思う。 今までも、キラがこの場所に来る時は大概アスランが理由だった。 キラ・ヤマトとアスラン・ザラ。 学園内でも色々と有名なこの二人は、寮のルームメイト同士。 そして仲の良い親友同士でもある。 クラスこそ違うので授業中は除かれるが、他では大抵ふたりはいつも一緒にいた。 それこそ、すこし行き過ぎているんじゃ……?と一部で思われている程に。 ただ、一緒に居る時のふたりは本当に自然な柔らかな表情をするので、見ている人々もついついほのぼのとしてしまうのが現状だったりする。 (それにしても……あのアスランを最初に見た時は、本当に驚きましたけど) 目の前のキラを視界に入れつつニコルは思った。 ニコルが知っていたアスランは、あまり表情らしい表情を見せないタイプだった。 凄く優秀で真面目で人当たりも良い。 けれど、個人の私的な感情を見せることが殆どなかった。 いつでも絵に描いたように冷静沈着で、誰も彼の感情が大きく揺れ動く様を見た事が無い。 それなりに親しく、そして兄のように慕わしく思っているニコルはそれが少し寂しくもあったのだ。 でも同時に、それが彼なのだ、と思ってもいた。 しかし、目の前の少年───キラの登場で、それが間違いであったことに気付かされた。 ニコルだけではなく、彼を含む全ての人々が。 「………ニコル?」 「え?………あっ。す、すいませんキラさん」 「ううん、それは良いんだけど……やっぱり仕事で疲れてるんじゃない?大丈夫?」 「大丈夫です。ちょっとぼんやりしちゃっただけですから」 「なんだか珍しいね、ニコルがぼうっとするなんて」 「そうですか?」 「うん。ニコルはしっかりしてるもの。僕なんて、いっつもアスランに「キラはぼうっとしてるんだから」って言われてるのに………」 むぅっと頬を膨らませる姿は、とても一つ年上とは思えない。 あまりに可愛らしいその仕草に思わずうっと詰まりながらも、ニコルは内心でこっそり溜息をついた。 なんだか、少しだけ頬の辺りが熱いような気もする。 アスラン……これじゃ貴方も『虫退治』が大変ですね、なんて少し同情してもみる。 キラの場合、無意識なのである意味とてもたちが悪い。 「あ、そうだ。アスランを探しにいらたんでしたよね?伝言があったんです」 「伝言?」 「はい。もしキラさんがいらっしゃったなら、先に帰っていてと伝えて欲しいって」 「ええっ?!…………またぁ?」 「また色々と頼まれたみたいで、最近アスランも忙しいみたいですからね」 ニコルは、あからさまに落胆の色を見せるキラを宥める様に微笑んだ。 キラにこんなに悲しそうな顔をされては、慰めないでいられるわけがない。 きっとニコルでなくても、誰もがそう思ってしまうだろう。 「これだけ忙しいのも今週いっぱいだって言っていましたから……」 「………うん。ありがとうニコル」 「良いんですよ。それじゃあキラさんはもう寮に帰るんですか?」 「そうするつもり。英語の課題もあるしね」 「そうですか。それではお気をつけて……」 「うん。じゃあねニコル!」 笑顔で手を振るキラにニコルも応えて振り返す。 ドアの外に消えて行ったのを微笑みながら見送ると、ニコルは再び手にしていた書類に目を落とした。 すると、そのタイミングを待っていたかのように彼の元に人が集まって来た。 「なあ、あれだろ、キラ・ヤマトって」 突然ふられた話題に訝しむニコルに、同室内の生徒達は意気込む。 「ヤマトって……編入試験でとんでもない点取ったっていうあの?」 「確かA組に転入してきた奴だよな」 「アスラン先輩の親友って本当?」 「ああ、それは本当みたいだぞ。いつも一緒に居るからな」 「あれで本当に男か……?」 「プログラミングの天才っていう噂本当なのかな……」 突然始まった井戸端会議にニコルは心底呆れた。 表情から察するに、皆この話題がしたくてうずうずしていたらしい。 さすがに本人の居る前では出来なかったのだろうけど……。 ずっと気になってた視線はこれか……と、ニコルは溜息を付く。 キラと話をしている最中、ずっと見られているような感覚がしていたから。 しかし気になってはいたのだけど、キラの手前気付かぬふりをしていた。 キラがこの学園に転入して来てもうすぐ2ヶ月が経つ。 "噂の転校生"と、来る前から騒がれていた割にキラ自身の周囲がさほど慌ただしくならなかったのは、ひとえにアスランの力があった為である。 ───ついでに言えば、イザークやディアッカやニコルら生徒会トリオの圧力もあったのだが。 そのせいで今なお謎多き存在として語られている節があるが、誰も真相を知ろうと近付く勇敢な者はいない。 何故なら、友人になろうという以外の思惑や他意を持って近付けば即座に排除されるから。 排除係のひとりでもあるニコルは、未だ熱心に語り合う面々を前にヤレヤレと肩を竦める。 彼が呆れてこの場の収拾をつける事を放棄した為に、生徒会室の集団仕事サボリの様子は3分後に帰ってきたイザークの目に触れ大騒ぎになったらしい。 彼の代わりに荷物を持ったディアッカが帰って来た時には、「キサマらさっさと仕事しろぉぉぉぉ!!!」とブチ切れ寸前の生徒会長の姿があった。 >> Next |
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