お天気雨









「やーーーっ!!」

「キラ、そう言わないで…………」

「やーなの〜〜〜!!」

「…………キーラぁ……」


足下に纏わりついて離れない幼子を前に、アスランはほとほとまいっていた。
もうかれこれ20分はこんなやりとりをしているけれど、ちっとも進展する気配はないし。


「なるべくすぐに戻ってくるから。ね?」

「………………」


ひしっとしがみついてくる腕は、絶対に離さないっ!とばかりに力強い。
けれども、そうは云ってもそれはやはり5才の幼い子供の力なわけで。
年齢差もさることながら、まだまだ若輩とはいえ軍人であるアスランにとってみれば、なんとも可愛らしいもの。
かといって、無理矢理振り切って行くなんてそれこそ論外、もってのほか。


手元にある大判の封筒を見下ろして、アスランは深く溜息をついた。

中身は、つい先程受けた通信にて今日中に軍本部に届けろと急遽指示された書類が入っている。
誰が好き好んでやっと得た休日にこんなものを届けに行きたいと思うものか。
しかも可愛い可愛いキラとゆっくり過ごす予定の休日に、だ。
こんなことなら居留守でもなんでも使っておけば良かった………と、軍人にあるまじきことを思ったりもする。


「きょうはいちにちあそんでくれるって、あすらんゆったもん!やくそくしたもん!」


ええその通りです、返す言葉もございません………。


大きな瞳でキッと睨まれて、アスランはしょんぼりと肩を落とした。
近頃滅多に休暇を取る事ができなかっただけに、一日中一緒に過ごせる今日この日をキラはとてもとても楽しみにしてくれていた。
それだけに、その期待を裏切ってしまう形になるのが辛い。

いつもはそれはもう大層愛らしい微笑みを向けてくれるキラだけど、今はもうずっと機嫌を損ねたままで、柔らかそうなほっぺたをぷくりと膨らましている。

それはそれでものすごく可愛い─────……じゃなくて。

確かにどんな顔をしていてもキラはものすごく可愛いけれど、出来ることならやっぱり一瞬でも多く笑顔を見ていたい。
だから少しでも機嫌を直してくれればと、さらさらの髪の毛に手を伸ばしたけれど、すっかり拗ねモードに入ってしまったキラにその手をぱしっと振り払われた。


「……………ッ?!」

「………もういいもん」


弾かれた手を引き寄せて呆然とするアスランに、キラの押し殺した声が届く。
俯いているためにその表情は確認できない。


「キラ?」


アスランの呼びかけにゆっくりと顔を上げたキラ。
それを見て、アスランはうっと詰まる。

眉をぎゅうっと寄せて、大きな瞳をうるうると潤ませて─────。

はっきりと分かる、"泣き出す一歩手前"の顔だった。
キラに泣かれることが大の苦手のアスランは、なんとかキラを宥めようとあーとかうーとか唸りながらも声をかけようとするけれど─────。


「あすらんのうそつきっ!あすらんなんてどこにでもいっちゃえばいいんだーーっ!!」


ガァァァァァァァン!!!


痛恨の一撃。
アスランはショックのあまり意識が遠のくのを感じた。
(─────キラに嫌われた………っ?!

はっとしてキラの顔を覗き込むと、先程よりもさらにきつく睨み付けられた、
そして─────。


「あすらんなんてだいっきらい〜〜〜〜っ!!」

「!!!!」


トドメを刺された。
(だいっきらいだいっきらいだいっきらいだいっきらい……………
以下エンドレス
ぐるぐるとキラの言葉が巡ってゆく。
そのせいで不意に自分の元から駆け出したキラにもすぐに反応できなかった。


─────結果。


どげしっ。


「あ、キ、キラ…………!!」


キラはリビングにあるソファに正面衝突し、見事にコケた。
ただでさえおっちょこちょいでよく転んだりするキラの事。
それが俯いたままろくに前方も足下も見ないで部屋の中を全力失踪すれば、そりゃソファにだってぶつかるわけで。

ぱたりと仰向けに倒れたキラに、アスランが慌てて駆け寄って抱き起こす。
先程手を振り払われたショックも、また振り払われたら……という恐れも、その時ばかりはすっぱりと忘れていた。


「大丈夫かキラ?!痛い所は?!!」


ぶつかって少し赤くなったおでこを優しくさすりながらそう問えば、キラはアスランをゆっくりと見上げて……………。
その大きな瞳からぼろぼろと大粒の涙を零しはじめた。


「キ、キラ?!どこが痛いの?おでこ?背中?それとも他に………」


痛みのあまり泣き出したのだと思って途端に青ざめるアスランに、キラはその小さな手をいっぱいに伸ばしてぎゅうっとしがみついた。
ダークレッドの軍服をたぐり寄せて、胸元に顔を埋めて泣きじゃくる。


「キ─────」

「やだやだぁ………っ。あすらんいっちゃやーーーー!」

「あ…………」

「やだぁぁぁぁぁぁぁ!!」


わんわんと大声で泣き続けるキラ。
こんな風に激しく駄々をこねられるのなんて、いったいいつぶりだろうか。

キラの頭を何度も何度も繰り返し撫でながら、アスランはそっと瞳を閉じた。
なんて愛おしい存在なのだろう。
キラがその小さな胸を痛めて泣いている時に不謹慎かもしれないけれど、いかないでと縋られることがこんなにも嬉しいだなんて─────。


「……………大丈夫、一緒にいるよ。だからそんなに泣かないで」

「う……ひっく………ほ…んと?」

「うん、本当」

「おしごと………いっちゃわない?いっしょいてくれるの……?」

「行かない。キラがこんなに泣いてるのに、置いてなんて行けないよ。今日は最初の予定通り、ずっと一緒にいよう」


ごしごしと乱暴に目許を擦るのをやめさせて、アスランは赤くなってしまったそこにそっと唇を落とした。
慰めるように、何度も。

その優しい仕草に、キラはようやく止まりそうだった涙を再び溢れさせる。
アスランはぼろぼろと頬を伝いはじめた涙に気付くと、仕方ないなぁと小さく苦笑して、その涙を優しく拭っていった。


「………いっちゃえなんて…ほんとは……おもってないの………っ」

「うん」

「だいっきらい……なんて、うそ……だからぁ……〜〜〜〜っ」

「うん、わかった」


アスランの首にかじりつくようにしがみついたまま、キラは嗚咽する。
キラの小さな背中をよしよしと撫でながら、アスランは気付かれない様にほっと安堵の溜息を零した。
どうやらさっきの言葉は、苛立ちのあまりつい弾みで出てしまっただけのようだ。
本当に嫌われてしまっていたらどうしようかと……─────。
そんな時のことなんて、1ミリだって考えたくもない。
自分が泣いてしまいそうだし。

少し不安そうに見上げてくるキラに微笑みを返しながら、アスランはその思考を胸の奥底に沈めた。

ずっと泣いていたせいでキラの瞼はぽってりと腫れ上がり、澄んだバイオレットの瞳はもうすっかり赤く充血してしまている。
その痛々しい瞼に触れるだけのささやかなキスを繰り返していると、くすぐったいのか、キラが小さく身を捩りはじめた。
そして、終いにくすくすと笑い出した。


「キラ、今日は外に行こうか」

「おそと?」

「前に話しただろう?この間新しく出来たビルにプラネタリウムが入ってるって。キラ、見に行きたいって言ってたから連れていってあげようと思って」

「ほんと?!いきたいいきたいっ!!」

「よし。じゃあまず着替えをしないとな。そのパジャマのままじゃ行けないから」

「うんっ!……あ。ねぇあすらんは?おようふくそのまま?」

「あはは、さすがに軍服は目立つからちゃんと着替えるよ。ただその前にちょっとやっておかなくちゃいけない事があるから、それが終わったらね」

「う?そーなの?」

「そうなの。だからキラは先に部屋に行っていてね。あ、その前に歯磨き。俺が部屋に行くまでにちゃんと終わらせておくんだよ?」

「わかった〜。きらはやくはぁみがくから、あすらんもはやくね?」

「はいはい」


とてとてと機嫌良さげな音を立てて遠ざかっていく足音に、アスランはくすっと微笑みを零す。
さっきの大泣きがまるで嘘のよう。
感情の起伏の大きい子だから、辛くて悲しくて泣いた後でも、嬉しい事楽しい事が少しあればいつもすぐに笑って。
一過性のどしゃぶりの後、すぐに雲間から顔を出す夏の太陽みたいだなんて思ったこともある。


いつもすぐ傍にある、小さな小さな太陽。
晴れ晴れと照るならば、こちらまでつられて明るくなれる。
時に曇ることがあるなら、こちらまで影の中に沈んでしまいそうになって。
完全に隠されてしまえば、その姿を見いだす時まできっと闇の中で身動きが取れない。

思い当たる事が多すぎて、アスランは思わず苦笑した。

今の自分の全ては、キラ次第。
キラの幸せが、自分の幸せ。
明日の自分が笑っているとしたら、それはきっとキラが笑っているからだろう。


─────自分の感情のバロメーターは、他ならぬあの愛し子なのだと。


廊下の半ばほどでちらりとこちらを振り返り、笑顔で手を振るキラに手を振り返しながら。
温かい感情を胸に抱え込みつつ、改めてそう思った。













++END++





++後書き++

休止中、日記にて書いた小話その5。
これまた一度はやってみたい憧れのちったいたんv初めて知った時は死ぬ程ときめきました。いいですよね〜ちびキラとメロメロなアスラン……(惚)
ちなみにこの話にはおまけがあったりします。果てしなくくっだらない系ですが、よろしければどうぞ!

written by  深織

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