【 天の祈り、明日への翼 ---パラレル//アス×天使キラ 】
【3】
不思議な感覚だった。
常に身体を支配していた倦怠感がなくなり、驚く程に身体が軽く感じる。
いつも氷を押し込まれたように冷たかった心の奥が、今では仄かな灯りがともっているように温かい。
全身を突き抜けた光が収まって、あの時感じた母の優しい気配の全てが消えてしまっても、その感覚は続いている。
何故だろうと思って尋ねると、彼は当然だよと笑った。
「レノアの想いを君がちゃんと受け止めた証だよ」
ひどく抽象的な言い方のようにも思えたけれど、何故かそれだけで全てが納得できた
母の想い。
そして……母の願い。
それを、理屈ではなく、確かにこの身体全体で感じたから。
声なき声、姿なき姿、全てが曖昧で確かな形など持たないものだったけれど………それでもはっきりと。
色々な想いが渦巻く中ただ言葉もなく見つめていると、目の前の優しい顔立ちをした純白の天使は、ひとつだけこくりと頷いてくれた。
どうしてか、たったそれだけのことでざわめく心がすっと落ち着くのが分かる。
言葉にしなくても、彼は全てを分かってくれていると感じるからだろうか。
不思議な安心感が心を満たしている。
ただ、大きな瞳を少しだけ細めたその表情は、柔らかな微笑をたたえたままのはずなのに、どこか哀し気にも見えた。
何故だろう……という疑問は、その後に続いた言葉でなんとなく理解できた気がする。
「………本当はね、彼女の意志はずっと君の傍にあったんだ。でも、君は気付かなかった。傷つくことに疲れて自分から望んで心を凍らせて、ついにはそれにさえも疲れ果てて、終わりを望んだ。死を解放だと位置づけた君には、必死で生を望む彼女のカタチを持たない願いは届かなかった」
「死は…解放………。確かに、そう思っていたのかもしれない。間違って生き残ってしまったこの命を母上に返せば、楽になれると思ったんだ……」
「……君は、レノアの死からずっと自分自身を否定し続けてきたよね?自分自身を否定しながら生きるというのは、緩やかな自殺と変わらない。ヒトは心と体のふたつが揃わなければ生きてゆけない。心が病めば、いずれ体も蝕まれる。そういう意味では、君は刻一刻と死に近づく病気を煩った状態と変わらなかった。────でも」
彼の指先が、頬を撫でていく。
涙を拭ってくれているのだと気付いたのは、少ししてからだった。
先ほどまでは、この手に確かに母の存在を感じた。
もしかしたら、彼を通して本当に母がそこに居たのかもしれない。
今はもうその気配は微塵もなくなっていたけれど、それでもひんやりと冷たいはずのその手は、あの温もりに劣らずひどく優しく、そして温かかった。
何度も何度もゆっくりと頬を辿る指先。
子供をあやすような手つきに少し恥ずかしさを感じたけれど、何故だか抵抗する気は少しも起こらなかった。
「その病気の原因となる要素を、君は今自分で吹き飛ばした。レノアの残した祈りと願いそのままに。………本当なら、どんなに難しくても君が自分自身で気づかなきゃいけないことだったんだけどね。今回は……まぁ、特別ということで」
ぺろっと舌を出して笑う姿は、どう見ても同い年程の少年にしか見えない。
実際、会った時はそう思ったし、今でも気を抜けばそう思いそうになる。
けれど、彼がきっと見た目通りの年齢ではないだろうことはもう十分に察することができた。
諭すように穏やかに紡がれる言葉も。
印象的な大きい紫色の瞳に宿る、深い慈愛と英知の光も。
決して十数年しか生きていない少年が持ち得るはずがないものだと知れた。
それにある意味決定打とでもいうか、視線を少し背後に移せば、その背には疑う余地もない程にはっきりと見える純白の翼が広がっている。
自分と同じ存在だと思い込める要素の方が、もう欠片も残っていない。
「君は、その……。天使、なんだよな?」
「まぁ一応、君たちヒトが昔から"天使"と呼んでいる存在であることは確かかな」
「そうか……天使、か…」
「君、あんまり驚かないね?もうちょっと大きいリアクション取れるかと思ったのに」
「いや、十分すぎるくらい驚いたよ。ただ……あまりにも常識外の事が立て続けに起こりすぎて、感覚が麻痺してるっぽい……」
「ははは…っ!そっか、そうだよね。君からすれば、世界の色が変わっちゃうくらいのことがあったんだしね」
"世界の色"────それが何を指しての言葉なのか、すぐに理解した。
目の前で楽しそうに笑い声をたてる天使の顔を、じっと見つめる。
分からない沢山の事が、知りたい事実が、今ならば聞けると思った。
「…………君は、母上の知り合いなんだよな?いつ会ったんだ?」
「彼女が生を終えたその日に、だよ。彼女の魂を天[そら]に導いて、その後転生の扉まで連れて行ったのは僕だから」
「転生の…扉……?転生って、生まれ変わりとか輪廻とかの、あの?」
「そう。本当はこの辺のことも詳しく教えたらいけないんだけど……なんか全てがもう今更って感じだし、別にいいよね」
…本当にそれでいいのか……?
無邪気に違反行為を宣言してみせる天使に、思わず突っ込み入れそうになる。
勿論、話してくれるならこちらとしてはとても有り難いのだけれど………。
「それに君、このままだと今までと別の悩みで夜も眠れなくなりそうだもの」
まるでその未来が見えたかのように苦笑する彼。
そんなこと、と言おうとして、ぐっと詰まる。
多分……というか確実に彼の言う通りになりそうな気がするから。
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