【 天の祈り、明日への翼 ---パラレル//アス×天使キラ



【4】






「人間はね、死ぬと魂だけの存在になって天に昇る。そして次の生を受けるまで癒しの夢に抱かれて眠るんだ。生きる上で負ってきた様々な傷を癒す為に眠って眠って……そして再び生の力が満ちたあかつきに転生の扉を潜り、リセットされる」
「リセット?」
思わず聞き返す。
それ自体は耳慣れた言葉だ。
だけど、今彼の口から紡がれたそれ耳慣れているはずなのにひどく異質なものに聞こえた。
「そう、リセット。言葉の通り、もう一度初めの真っ白な状態に戻るっていうこと。生まれる前の、ヒトが個人としてこの世界に形を成し存在するようになる、その前に。そうしてそこから再び、別の人格としての生を始めるんだ。レノアもそう」

天使はふと空を見上げ、目を眇めた。
そしてそのまま瞳に空を写し込みながら、再び静かに語り出す。

レノア・ザラとして在った魂は、そうであった証を全て天に還した。
そして、転生の扉をくぐり抜け、再び生まれ変わる。
再び誰かの子として母の胎内に宿り、この世界に生まれいずる為に。
今までとは全く別の、新しい人格として生きる為に────。



告げる天使の大きな瞳は、未だに空を捉えたままで。
そこに、彼はいったい何を見ているのだろう。
つられるように、ゆっくりと空を仰いだ。
在るのは、雲ひとつ見えない、どこまでも広がる蒼穹。
ああ、とても奇麗だ……と。
暫し言葉も無く見つめているうちに、ふと気付いた。


────こうして空を見上げたのは、いったいいつぶりだろう。


空は、こんなにも青かっただろうか。
太陽の光は、こんなにも目映いものだっただろうか。

この世界は……こんなにも…………。


「母上は………俺の母上だったひとは、もう何処にもいなくなってしまったのか……」

少し寂しい気がした。
例え別人となってしまったとしてもあの人がまた生まれ変わることができるのなら、それはとても幸せなことに思えるけれど………心のどこかではやはり寂しいと感じてしまう。
母にはいつまでも自分だけの母でいてほしいという気持ちもまた、嘘偽りない自分の本心だったから。

けれど、そうだよと頷くだろうと思っていた天使は、何故か眉を寄せて困ったような顔をしていた。


「うーん……難しい質問だね。そうだとも云えるし、そうじゃないとも云える」
「……?どういうことだ?」
「確かに転生の扉を潜った今、彼女はもう君とは何の関わりもない別の人間になる。誰か別の人の子供として生まれ、別の生を生きる。そういう意味では、君の言ってることは正しい」
「……?それじゃあ、やっぱりそうなんじゃないのか?」
「でもね、魂はひとつなんだよ。何度生まれ変わり死に変わっても、何度別の人間としての生を生きても、魂は変わらずひとつ。君のお母さんの、レノアのものでもある。だけどその反面、そのレノアもまた、遥か昔より転生を繰り返し続けて来た誰かの魂の一部でもあるんだ」

あまりに現実離れした(今までのものも十分現実離れしていたけれど)壮大な話にぽかんとしていると、天使はおかしそうにくすくす笑う。

よく笑うやつだなぁなんて全然違うことを考えていると、彼はまるでこちらの考えが分かったかのようにわるかったねと言ってよこしてきた。
それでも顔には相変わらず微笑みをたたえていて……。


「君のお母さんは凄いよ。僕も随分長く生きたけれど、彼女ほど真っすぐで心の強いひとをと出会ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。だから、僕は彼女の魂に惹かれたのかもしれないね」
天使の言葉も、瞳も、どこまでも深く、そして遥かなまでに遠い。
まるで愛しい子供を手放しで褒める親のようでいて、敬愛する親を輝く尊敬の眼差しで語る子供のようでもあって。
ああ、今でも彼の中に母は確かに居るのだなと、そう思った。
うつろう存在としてではなく、深く根付いた記憶として。


「…………母上とは、どんな話を?」

ふと聞きたくなった。
母は、この天使に何を語ったのだろう。
この天使は、母に何を与えたのだろう。
そして母は……あの最期の瞬間、いったい何を想って…………。

「色々話したよ。僕は殆ど聞き役だったけれど………幼い頃の思い出とか、初めて恋をした時の話とか、立ち上がれない程後悔した事とか、君のお父さんと初めて会った時の事とか、君が生まれた日の事とかも。嬉しかった事も悲しかった事も、本当に色々なことを聞いたよ」
「そんなに沢山のことを?」
「言い方は悪いかもしれないけど、これも僕たちの仕事のひとつなんだよ。そうすることで、僕たちは死せる者達の魂を慰めるんだ。沢山沢山もう何も残ってないっていうくらいの想いを聞いて、心に溜め込んでいた痛みも苦しみも全部を吐き出して安らかな眠りにつけるようにね」

促さなくても、自ずと語り出すのだと彼は言った。
生前には誰にも言い出せなかった苦痛や憎悪に塗れた記憶程、饒舌に。


………なんとなく、分かる気がした。
幸せな記憶だけでなく、掘り出されたくない辛い記憶ほどに本当は誰かに聞いて知っていてほしいと心のどこかで願ってしまうことがある。
傷付けられるのを恐れて、言葉や態度では触れるな近付くなとそう叫んで、それでも心の奥底では………何故誰もこの手をかいくぐってまで触れようとしてくれないのかと、そう嘆いてしまう矛盾に苛まれることがある。
誰かに話す事で自分の傷を抉ることになったとしても、だ。
少なくとも────自分はそうだったのだと、今なら分かる。

誰かに聞いてもらっても、傷ついた現実も、苦しんだ事実も、憎んだ記憶も、何も変わりはしないけれど…………それでも、心の奥底に溜まるばかりの澱みを吐き出してそれごと受け止めて欲しいのだと、ずっと願っていた。
絶対に叶わないと知りつつも、ずっと。

あの人に……────父上に。






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