遣明船 勘合貿易

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遣明船(1987.7.24 船の科学館)

1368年に元(げん)に代わって明(みん)が中国を支配すると足利義満は明と交易をはじめました。1400年頃に日本は明と和解して、遣明船が開始された。応永11年(1404)から天文16年(1547)までのおよそ1世紀半の間に明に派遣された船は17次84隻にも及びました。この遣明船は、日本型のオモキ型船という船底の両角にオモキというL型の丈夫な部材を使った、日本の大型船のはしりになったもの。この技術が出来たために、遣明使が可能となった。

遣明船は使節船であると同時に貿易船であったため、使節一行と船頭以下の乗組員の他に多数の商人を乗せていました。150〜200人に及ぶ乗員に加えて、水、食料、貿易品などを積み込むには、当然、大型船が必要でした。けれども、遣明船は遣唐使船のように特別な船を新造したわけではなく、国内にあった大型船を借り入れて、居室用の屋形を増設したり、艤装品を補充するなど大がかりな改修を施して用いました。

遣明船は、季節風を利用することが出来、春と秋に吹く東北の風に乗って大陸へ行く。そして、5月過ぎの夏の風(これは南西風)に乗って帰って来るという航海技術が開発され、非常に安全に航行が出来るようになっていた。

遅くとも15世紀には、準構造船の船底部の刳船部材を板材に置き換えた棚板造りの船が出現します。棚板造りとは、航(かわら)と呼ぶ船底材に数枚の棚板を重ね継ぎして多数の船梁(ふなばり)で補強した船体構造のことです。棚板構成は、根棚・中棚・上棚の三階造りと中棚を欠く二階造りが基本です。船首の形状はさまざまで、伊勢船(いせぶね)の戸立(とだて)造り、弁才船の水押(みよし)造り、上部を箱造り下部を水押造りとする二形(ふたなり)船の折衷(せっちゅう)形式があります。

棚板造りの船が準構造船と大きく異なるのは、船底材の形状だけですが、大型船では中棚を二段にした四階造りも使われました。しかし、刳船部材と違って板の航(かわら)はクスという特定の材を必要としないため、船材の選択範囲が広がり、造船が容易になったはずです。これは重要な進歩と言っていいでしょう。

入明年 渡航船
1401 幕府船
1403 幕府船
1404 幕府船
1405 幕府船
1407 幕府船
1408 幕府船
1410 幕府船
1433 幕府船・相国寺船・山名船・大名寺社十三家船・三十三間堂船
1435 幕府船・相国寺船・大乗院船・山名船・三十三間堂船
1453 天竜寺船・伊勢法楽舎船・九州探題船(聖福寺造営船)・大友船・大内船・大和多武峯船
1468 幕府船・細川船・大内船
1477 幕府船・相国寺勝鬘院船
1484 幕府船・内裏船
1495 幕府船・細川船
1511 大内船・細川船
1523 大内船・細川船
1540 大内船
1549 大内船

勘合貿易

中国大陸に明が建国されると、太祖は室町幕府に使節を送って倭寇の禁止を求めた。これに対して足利義満は、1401年(応永8)財政が窮乏していた幕府を救うため、朝貢(ちょうこう)の形式で対明貿易を開始した。
勘合船は1404年(応永11)から1547年(天文16)のあいだに17回にわたり84隻が渡航した。乗組員は1隻150人から200人くらいであったが、使節団員、水夫のほかは大部分が商人であった。応仁の乱以後には10年に一回、船数3、人員300人に限定された。勘合船の名義は足利将軍であったが、実際の経営者は有力守護大名や大寺院で、博多や堺の商人がそれらと結びついて活躍した。また、次第に細川・大内両氏のあいだで勘合の争奪が始まると、1523年(大永3)には両者の使節が寧波(ニンポー)で衝突するという「寧波の乱」がおき、その結果、勘合貿易は大内氏の独占となり、同氏が滅亡するまでつづいた。
輸出品は刀剣・槍・鎧・扇・屏風などの工芸品、硫黄・銅などの鉱産物で、輸入品は宋・元・明などの銅銭をはじめ、絹・羅・紗などの高級織物、生糸、薬材、書画、工芸品などであった。なお、銅銭は日本の貨幣経済に大きな影響を与えた。
勘合貿易は主として日本からの一方的な派遣であったが、16世紀には明船も来航するようになった。遣明船では多くの禅僧が行き来し、宋学の移入、医術、印刷術、陶芸、水墨画など、明の文化の受用に大きな役割を果たした。
なお、勘合貿易という言葉は俗称で、勘合(勘合符)を用いて行なわれた日明間の貿易と解されるが、勘合は船舶の渡航証明書ではあるが貿易の許可証ではなく、従ってかならずしも勘合貿易=日明貿易ではない。当時の日明間では、倭寇などによる密貿易も多く行なわれたからである。


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新規作成日:2002年2月1日/最終更新日:2002年2月13日