神風号

「神風号」
昭和11年(1936年)にフランスでパリ−東京間1O0時間飛行に懸賞金がかけられた。これに呼応して、フランスの名飛行家アンドレージャピーとかマルセルードレーが次々と日本を目指して飛んで来たが、ジヤピーは北九州まで75時間で飛んて来ていながら濃霧のため背振山に不時着し重傷を負ってしまい、ドレーも四国の高知海岸に不時着してしまうなど、いずれも欧亜連絡10O時間飛行は達成することが出来なかった。
そんな時代背景の中で朝日新聞社は、昭和12年5月に行われるイギソス国王ジョージ6世の戴冠式を記念して、東京−ロンドン間の親善飛行を企画した。このような計画の成否は、まず使用する機体によってほとんどが決まってしまう。
そこで朝日新聞社では、陸軍が遠距離高速偵察幾として三菱重工に試作させたぱかりの三菱雁型という二人乗りの飛行機に目をつけ、これの放出を陸軍に願い出て許可された。そしてその搭乗員としては、朝日新聞社航空部員の飯沼正明操縦士と塚越賢爾機関士が選ぱれた。
昭和12年4月1日羽田飛行場(東京)において命名式と出発式が行われたが、命名された神風という名前は、全国から募集した名前から選ばれたものであった。翌2日は悪天侯のため九州南方で引き返したが、4日後の4月6日午前2時12分に再び立川飛行場(東京都)を出発し、台北・ハノイを経由してビェンチャンで1泊し、翌日はかカルカッ夕・ジョドプルを経由してカラチて1泊し、8日はバスラ経由バクダッドで1泊、9日はアテネ・ローマ・パリ経由で目的地ロンドンに現地時間午後3時30分に着陸、欧亜連絡飛行94時間17分57秒の国際記録をうちたてた。
この「神風号」の成功は、それまで日本の航空機技術をあまり知らなかった世界中の人々に、大き衝撃きを与えた。


参考
航研機
ニッポン号
A-26


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新規作成日:2003年1月17日/最終更新日:2003年1月17日