前攻艦と側攻艦
「前攻艦と側攻艦」と言う表現は、戦前船舶研究会のオリジナルだが、ここではそのまま拝借する。
前攻艦とは、すなわち、前方に向けて攻撃を行うことを前提とした艦であり、側攻艦とは、すなわち、舷側方向に向けて攻撃を行うことを前提とした艦である。
海洋で戦闘を行う場合、基本的に遠方置いて発見して双方向かい合うことから、敵は前方にあり、前方に向けて攻撃を行うことを前提とする発想はここに生まれる。
が、艦隊は一対一ではなく、複数の艦が合同で戦い、その規模が大きくなってくると話が複雑になる。
横一列に並ぶと都合がよさそうだが、こうすると、左右の間隔に神経を尖らせる必要がでてくる。
そしてまた、相手の変進や、こちらの艦隊運動に、極めて制限が多くなる。
ここで、艦隊運動を考えた場合、縦一列に並び、順番についてゆく単縦陣が、きわめて明快である。
そしてこの場合、艦隊を敵に向けて横に並べることによって、攻撃を行うためには、、舷側方向に向けて攻撃を行うことを前提とした艦が有利となる。
会敵当初は前攻艦の単横陣が有利に見えても、距離があれば命中率は悪い。
これに対して、単縦陣は、艦隊運動の自由度は多く、かつ、砲力を活用できる。
近代戦闘において、最初に証明されたのは、日清戦争の黄海海戦である。
前攻艦を揃え、単横陣で攻めてくる清国艦隊と、側攻艦で単縦陣で動き回る日本艦隊の戦いは、日本艦隊に軍配が上がった。
もっとも、日本海軍においても、艦艇の建造思想は試行錯誤の最中であり、前攻艦思想の艦艇を作らなかったわけでも無いし、単縦陣の艦隊運動も、試行錯誤の結果である。
歴史は繰り返すというが、帆船時代の戦列艦は、側攻艦そのものである。
この後、高性能な射程の長い大砲が生まれると、艦首に装備し、前攻艦の思想となる。
その後、帆船から汽船となり、艦隊運動の自由度が模索され、日清戦争黄海海戦にいたる。
前攻艦
正面に全砲力を向けることができるが、側方や斜め方向には制約が多い。
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清国北洋水師 装甲艦 定遠
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清国北洋水師 装甲巡洋艦 經遠
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側攻艦
真横に全砲力を向けることができるが、前方や斜め方向には制約が多い。
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単縦陣
艦隊運動として最も基本のもの。
旗艦を先頭に、後続艦が一列に続くもの。
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単横陣
横一列に並ぶもので、帆船時代の海戦などで、使われていた。
速力も遅く、また、射程も短い時代、全艦隊が一斉に会敵し、攻撃を加えるための最良の陣形であった。
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参考
⇒ 艦艇の変遷
⇒ 艦隊陣形
⇒ 日清戦争
⇒ 戦艦の変遷
⇒ 20世紀初頭の艦載兵器
⇒ 日清戦争の日本の軍艦
⇒ 清国北洋水師
⇒ 日露戦争の日本の軍艦
⇒ 日露戦争のロシア艦隊
⇒ 帝政ロシア海軍の軍艦
⇒ 会報「戦前船舶」第103号 創業から日清戦争まで(世界軍艦史上最強の前攻艦艦隊の誕生から滅亡まで)
新規作成日:2006年12月25日/最終更新日:2006年12月25日