「戦争」とは
平和主義を声高に唱える人は、「戦争反対」「軍備反対」をスローガンにします。
しかし、その本質たるや、お寒い物があります。
戦争の悲惨さは、まず生命財産を踏みにじる所にあります。しかし、ふと視点を変えると、年末になると、テレビでは、「赤穂四十七志」「戦国時代」「源平合戦」その他闘いに明け暮れる毎日です。そして、片方の勝利に酔い知れています。各局合計の戦死者の合計は何百万人にも上るでしょう。それも毎年。
むろん、過去の物と割り切る事も出来ますが、戊辰戦争以前は笑って見るが、日中戦争以後は瞼を覆うと言う論理は、どうも釈然としません。
ここでは、「戦争」の言葉の意味を見詰め直してみたいと思います。
「戦争」は、要は、国家間のぶつかり合いです。その原因は、侵略や防衛、宗教主義主張の相違など、さまざまです。しかし、当事者にはそれなりの主張もあります。
古来から、人類の歴史もすなわち、闘いの歴史でもあります。
「戦.いくさ」「戦争」「世界大戦」「事変」など、呼び方は色々ありますが、当事者、攻撃側、防御側、など、それぞれの立場により、呼び方は変わったりします。
「戦.いくさ」
古来より、闘いをこう呼んでいます。特に戦国時代。
「乱.らん」
古来より、規模の小さい闘いをこう呼んでいます。
「内乱」
古来より、内輪の闘いをこう呼んでいます。
「役.えき」
古来より、闘いの規模の大きい物をこう呼んでいます。
「局地戦争」
地域を限定しての闘いです。当事国があらかじめ、限定しているわけではありませんが、問題の地域のみで戦っている場合は、こういう状態です。が、負けかかったほうが、別の地域で戦闘を開始し、局面打開を図ろうとすると、全面戦争に発展します。
「限定戦争」
手段を限定しての闘いです。当事国があらかじめ、限定しているわけではありませんが、投入戦力を限定して戦っている場合は、こういう状態です。が、負けかかったほうが、別の手段(生物化学兵器の投入、核戦争など)で戦闘を開始し、局面打開を図ろうとすると、全面戦争に発展します。
「全面戦争」
当事国が、地域手段の制限をせず、ぶつかり合う物です。
「宣戦布告」をもって、開始される近代戦争で、とにかく戦略的勝利を追求されます。
「世界大戦」
世界中を巻き込んでの闘いです。第一次、第二次世界大戦が有名です。
「事変」
本来、戦争なのですが、規模を小さく見せる為に、称した物です。
「国境紛争」
隣接する国家間では、必ず発生する要素です。少しでも自分の領土は広くしたい物ですが、この線引きがうまく行かない事が往々にしてあります。
例えば、川を国境に定めたとします。が、その後何十年か経って、川の流れが変わった場合、昔の川の位地を国境にするか、今の川の位置を国境とするか、災いの種は尽きません。
通常、国境警備に両方の軍隊が展開している場合が多いですが、ここで、どちらかが発砲すると、応戦という形で、簡単に戦闘が始まります。このとき、明確なジャッジの立会いのもとで、最初の一発が放たれれば簡単ですが、物音を銃声と勘違いして発砲、という、偶発的な要素もあります。
表面上、「戦争状態」となっていない国々でも、あちこちで、国境紛争は耐えません
。
「侵略戦争」
世界征服を含め、他国を、自国の支配下におくべく展開する戦争です。ローマ、元、ナチス、などなど、覇を唱えたものすなわち近代の歴史です。
スペイン、ポルトガル、イギリス、などなど、結局は侵略により、世界地図を書き換えた国々です。
この場合、必ずしも、戦火を交えずも、圧倒的軍事力を背景に、屈服させる事も、同様です。
「防衛戦争」
他国から、自らを守る闘いです。狭義には、攻め込んでくる敵を打ち払う物ですが、「攻撃は最大の防御」と言う観点から、要所を攻め落とす場合もあります。これを拡大解釈し始めると、何でもありの闘いになります。ただ、イスラエルのように、国境から戦車で一気に攻め込まれたら、数時間で国土を横断されてしまうような地理的条件では、守りきる為には、国境の外側で戦う必要もあります。
「核戦争」
文字どおり、核兵器の使用を伴う戦争です。が、その威力を知る核保有国は、先制使用による効果よりも、反撃使用による損害を恐れ、太平洋戦争以後使用されてはいません。このような状態を、「相互確証破壊の法側による平和」とも言います。
被爆国の日本は、広島長崎の経験から、都市部での被害をまず考えますが、
超大国による核戦争のシナリオは、先制核攻撃の目標は、対戦国の核戦力であり、その撃ち漏らしが、すなわち反撃となって、都市を襲う物です。
従って、何度か、核戦争の危機を乗り越えたのも、この「相手の核戦力を100%破壊する事」が不可能であった為でもあります。
しかし、最近、核保有国の拡大により、核戦力を頼りにし、先制使用による打撃により屈服させる展開も予想され、恐ろしい時代になっています。
また、実際に使用せずも、使用を脅しに使う外交も考えられ、広義核戦争の時代に居るわけです。
「戦争」と「戦闘」
「戦争」は、戦略的意味を持ち、「戦闘」は、戦争の中で発生する、戦術的闘いです。
太古の昔は、1つの闘い=戦争で、その勝敗がすべてでしたが、近代戦争では、トータル的戦略が求められます。
「テロ」(テロリズム/terrorism)
政治的目的を実現するためとられる殺人などの恐怖手段、またはそれを基礎とする立場。単なる暗殺とは違い、無差別な殺人や傷害も辞さない。ロシアの社会革命党や日本の血盟団などのように左翼・右翼ともにこの手段を用い、それぞれ赤色テロ、白色テロなどという。
国家間の争いを「戦争」と言うのに対して、国家に対する挑戦的立場の場合を意味する場合もある。
ざっと、言葉としての考え方は以上ですが、同じ闘いでも、それぞれ、主義主張により、呼び方は変わります。
近い所では、フォークランド紛争。
アルゼンチンは、占領されているマルビナス諸島を、奪還する為の、戦争ですが、
イギリスは、侵略者からの防衛戦争を主張しました。
ノモンハン事変
満州での、日本とソ連の国境紛争です。が、両軍、大量の戦力を動員し、相当な戦闘が行われ、日本も、1兵団が壊滅するほどの損害を出しましたが、国境に限定された戦闘で、「皇軍が戦争に負ける」訳にも行かず、政府発表も「事変」扱いされました。
大東亜戦争
日本の大陸政策に圧力をかけた、アメリカなどの連合国に対し、大東亜地域からの白人の追放をスローガンに始めた戦いです。
短絡的には、日中戦争自体が侵略戦争で、その打開の為の戦争拡大とされていますが、連合国すべてが海外領土をもち、また、戦後、太平洋地域に生まれた数多くの国家独立を見ると、簡単には結論付けられない要素はあります。
また「日本は敗戦国」と言う見方は、ある意味疑いありませんが、連合国が太平洋地域の植民地を、独立と言う形で失い、軍事力(人員・予算)を押さえられた日本がその力を産業に集中させ、世界経済に影響力を持つ今日、果たして戦略的勝利とは何なのか、考える要素ではあります。
戦闘の勝利条件
10隻の船団を艦艇が護衛し、輸送する場合、攻撃側が、船団を全滅させれば「船団の敗北」、守り切れば「船団護衛の勝利」は、簡単な話です。
が、船団の半数が沈んだ場合はどうなのか。船団に被害が出ただけで、勝敗を論ずるのは、ナンセンスです。戦果としては、攻撃側の「5隻撃沈」で、船団側の「半数を失った」被害ではあります。当然、ついた港で、損害を追求される要素ではあります。しかし、戦略的要素としては、その積み荷の内容、到着した残りの価値によります。失われた物で価値を失うに十分な場合は、船団護衛の敗北ですが、到着したもので十分な価値がある場合、船団護衛の勝利です。ゲームでは、1つの戦果がポイントですが、戦略とは、通算での推移が物を言います。
⇒勝利条件
新規作成日:1998年11月22日/最終更新日:2001年9月13日