男尊女卑のはなし
差別なき平等は、近代社会の根幹。
しかしながら、過去の物事には、何がしかの理由と経緯が有るものです。
明治以降の男尊女卑の背景には、富国強兵があります。
そもそも、女性は生む性。立派な子孫を生み育てる事が役割とされます。
男子はその家庭を守って立派に働き、軍隊に入っては、命を張って、国を国民を守ります。
命は尊いもの。それを捨てても、と言う事ですから、偉いとされる訳です。
戦場で命を捨てられる、そう、逃げずに最後まで戦ってくれる事が貴ばれています。
負けそうなら降参⇒誰が的確な判断を・・・、と言う事で、全員死んでも戦っていただきたいのです。
死んでくれる人を尊び、生き残るものが相対的に卑下される訳です。
従って、ただ、男なら、みな偉いと言う訳では有りません。
徴兵検査で、不合格となる事、これすなわち、男として扱われなくなるばかりではなく、子供も産めない以上、人ではなく単なる厄介物と扱われます。
甲種合格、これが当然なのですが、乙種合格と言うのも有ります。兵隊は通常、甲種合格から採用されますから、乙種合格は、記録上不合格者の扱いをしない為のものでもあります。
明治以後、皇位継承権が、男子に限られたのは、こうして構成された軍隊の、最高指揮官が女性では、士気に影響してははまずかろうと言う論理です。
⇒ 皇位継承権問題
江戸時代、侍が幅を利かせていた理由の一つには、闘いで死ぬと言う事に有ります。
そういう意味で、明治当初の徴兵には、相当の抵抗も有ったようです。
「戦は侍がするもの、農民がなんで死ななければならないのか」と。
事実 西南戦争では、(刀で切り込んでくる)薩摩抜刀隊の前に、徴兵陸軍の軍隊が、小銃を投げ捨てて敗走したと言う事実が有ります。
これに対抗して、警視庁巡査抜刀隊が組織され、鹿児島で、刀で切りあって、薩摩を制圧しています。警視庁巡査抜刀隊は会津出身者も多かったとされ、戊辰戦争の敵とばかり士気も上がったようです。
余談ですが、この時の件で、行進曲「抜刀隊」が作られ、陸軍、そして他の曲と編曲され陸上自衛隊で行進曲となっています。学徒出陣の壮行会で流れているのがそうです。
また、軍隊の中でも、正面で戦うものが貴ばれ、陸軍では「輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョトンボも鳥のうち」と蔑んで言われたものです。
輜重兵は、主に戦場への弾薬補給、輸卒は物資輸送隊。
海軍でも、兵科が最高位で、機関科など2の次、艦上で上級士官に事故ある時、機関長の大佐を差し置いてさえ、兵科の少尉が指揮権を持つ制度でした。
しかし、艦が沈没する場合、兵科も機関科も同じ(むしろ艦内深いところに居る機関科の犠牲が大きい)と言う事で、太平洋戦争後半、ようやく、平等の扱いに改正されています。
そういう意味では、戦争の無い現代日本では、男女同権は当然かも知れません。
新規作成日:1999年8月19日/最終更新日:1999年8月19日