皇位継承権問題

平成13年12月1日 皇太子ご夫妻に、内親王殿下が、御生誕あそばされました。

さて、ここで、男子でなかった事により、皇位継承問題が再燃する。
皇位継承は、明治に制定された「皇室典範」の規程により、男子にかぎられるとされているからである。
皇室典範第1条「皇位は皇統に属する男系の男子が継承する」
また、女子は、結婚時、皇籍を失う事となっている。

日本には、かつて、女性の天皇の実績がある。
神武天皇から現在の(明仁)天皇まで125代中、女性天皇は推古、皇極、斉明、持統、元明、元正、孝謙、称徳、明正、後桜町の、10代・8人が即位している。
皇極天皇と斉明天皇、孝謙天皇と称徳天皇は、同一人物が、それぞれ重祚(ちょうそ=重複して即位)している。
なぜ、現在の皇室典範は、女帝を認めていないのだろうか。

明治維新において、富国強兵政策が推進された。
明治以後、皇位継承権が、男子に限られたのは、こうして構成された軍隊の、最高指揮官が女性では、士気に影響してははまずかろうと言う論理である。

その意味では、男女同権や、平和憲法だなんだと議論し、米軍や、自衛隊など、反戦のターゲットにされている割には、この皇位継承権が、男子に限られる規程がそのままなのは、奇異で仕方が無い。
皇室問題は「聖域」という部分も有るようだが。

また、実際、大英帝国など、エリザベス女王を始め、多くの女帝が存在し、かつまた、当時の国軍は、立派に戦っている。
「女王陛下の007」など、なんの問題も無く機能している。
欧州諸国の王室では女帝は今や常識で、欧州には10の王室があるが、女王の国はイギリスのほか、デンマーク、オランダであり、他の国も女王の即位は制度上認められている。

ひとつ問題なのは、皇室典範を改正し、女子を男子と同じく扱う事により、皇族が増加するという事だろう。
宮家の存在には、多額の税金を必要とする。
これは、単に、皇室典範の権利問題ではなく、国家経済の問題では有る。

男尊女卑のはなし

代位 天皇名 生没 没年齢 在位期間
33代 推古(すいこ)天皇 554〜628 75歳 592〜628
35代 皇極(こうぎょく)天皇 594〜661 68歳 642〜645
37代 斉明(さいめい)天皇 594〜661 68歳 655〜661
41代 持統(じとう)天皇 645〜702 58歳 690〜697
43代 元明(げんめい)天皇 661〜721 61歳 707〜715
44代 元正(げんしょう)天皇 680〜748 69歳 715〜724
46代 孝謙(こうけん)天皇 718〜770 53歳 749〜758
48代 称徳(しょうとく)天皇 718〜770 53歳 764〜770
109代 明正(めいしょう)天皇 1623〜1696 74歳 1630〜1643
117代 後桜町(ごさくらまち)天皇 1740〜1813 74歳 1763〜1770


さて、最近、この問題が更に深刻さを増している。
一部の学者は、女性天皇について否定的だ。
万世一系、すなわち、男系であり、女性天皇による継承は、前例がないという。
あたかももっともだ。
しかし、学説のみしか見ようとしていない、愚かなものだ。
過去の女性天皇が、皇位継承後に生んだ子供が天皇になっていないという。
だからどうした。
昔は単なる直系相続ではなく、時の有能なものが代替わりするのも通例ではなかろうか。
そもそも、万世一系といいつつも、120代の天皇家が、単純な親子関係であって、120世代を意味してはいない。
男系を重んじるばかりに、皇籍離脱した宮家から、もって来る案もあるという。
また、過去をいうなら、大量に側室を持ち、重婚を重ねてみてはどうだろうか。
過去の例に照らして何ら恥じることはない。
しかし、21世紀の近代国家日本において、そのようなことが諸外国の笑いものになることは言うまでも無い。
過去の伝統とは何なのか。
たまたまそういう事象が続いたものと、保つべきものとは区別するべきである。
そもそも、天皇は神であった。
本来は、これが日本の伝統であり、これこそ守るべきものであろう。
戦争に負けただけで、戦勝国の指示に従い、神様から人間となっているのである。
それが出来て、男系にこだわる必要は更々ない。



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新規作成日:2001年12月2日/最終更新日:2005年1月23日