日本のセキュリティ感覚

2003.12.18京都府宇治市の小学校に男が侵入し児童2名に刃物で怪我を負わせる事件が起った。
男は「怖いぞー」と叫びながら教室に侵入し、児童に切りつけたと言う。
幸い、怪我も軽く、早期に鎮圧されたことは、不幸中の幸いだ。

大阪池田の小学校の事件を教訓に、さまざまな対応が取られてるはずだった。
防犯カメラを備え…。

事件後、規定では閉じられているはずの校門が開きっぱなしで、防犯カメラのアラームも切られていたということがわかった。

防犯カメラは、そもそも監視用てある。
常時監視できていなければ、意味を持たない。
録画してあればその後の検挙には役立つかもしれないが、被害を未然に防ぐことには寄与しない。
一部には、警備体制を示す事により抑止力とする意味も持っている。
しかし、抑止力は、実力を背景としていない場合、張子の虎と同じである。

防犯カメラを教頭先生が常時監視してというのは、実際は意味を持っていない。
教頭先生は、教務の頭であり、教員を指導すべきであって、警備のおじさんではないのだ。
専任の警備担当が置かれるべきなのである。

アラームのスイッチを切っていた。
以前「セコムしてますか」と警備会社のコマーシャルに出ていた長島監督宅が侵入されたが「人の出入りが多いのでアラームがやましいから切っていた」と言う。
全く意味の無いことだ。

今回も、工事業者の出入りの都合で切っていたと言う。

また、仮に切っていなくても、そもそも防犯カメラで出入りするものの確認を行う発想は正しいのだろうか。

警察官が警察手帳を提示しない理由として「警察官の制服を着ているから信用しろ」とのたまう「頭の悪い」警察官がいまだに多い。
例えば、アメリカ海軍厚木基地へ出入りする神奈川県警の警察官は、警察手帳を提示しないと米軍の警備は認知しないし入れてくれない。
警察官の制服はいくらでも偽装できるし、奪い取ることも不可能ではない。署内のロッカーから「女性警察官」の制服が失われたという事件もあった。
そう、見かけはいくらでも繕い騙せるのだ。

怪しい人影が通りがりに思いつきで行う犯罪には効果があるかもしれない。
が、周到な準備をした犯人に対しては、全くの無力としか言い様が無い。


間抜けなのは、事件が起きて始めて、その欠点をほじくりだし、鬼の首を取ったような言動をする社会の構造だ。
マスコミ、大衆、学校の場合は父母だ。
教育委員会なども「指導を徹底する」というだけで、実際の解決方法は思いもついていない。


2003.12.19にも兵庫県の小学校に男が侵入し児童1名を棒で殴って怪我を負わせる事件が起った。
ある学校で事件が起きた翌日のことである。
たまたま保護者会で人の出入りがあって紛れ込んだ可能性を言う。
周りにいた保護者は、まったく気がつかなかったのだろうか。
そもそも保護者と称して、離婚係争中の両名が現れることも、実は問題でもあるのだ。
片方が親権放棄をさせられたにもかかわらず、子供への面会を強要する場合もあるからだ。
学校内には、教職員、生徒児童以外の立ち入りを禁止することも暴論ではあるまい。


校門を閉ざし「無断立入り禁止・御用の方は事務室へお寄りください」との看板。
一見問題がないようだが、実は矛盾だらけだ。 事務室へ寄るためには、その門を「無断」で通過侵入する必要があるからだ。
しかも事務室へ寄らなくてもわからない場合が多い。


そもそも警備体制の万全は不可能だ。
どこまで制限するのか、リスクを掌握するのかが問題だ。

アメリカでは、身分証明の提示が出来ないものの入場を禁止したコンサートで、出演者自身が入れてもらえなかった事件も有ったほどだ。
杓子定規と言えばそれまでだが、徹底とはそう言うものだ。

私は必要上、基地や大使館にも多く出入りする。
そのいくつかでは、門は二重構造となっていて、中間の部屋で確認する間、同時に両側の扉は開かず、すなわち、ドサクサにまぎれた突破はできないようになっている。
また、あるところでは、金属探知機が鳴り止むまで、すべての荷物を確認する所もあるほどだ。

日本警備は、善意に基づいている。
挙動不信を持って、怪しいとする。
すなわち、肝の据わった確信犯に対しては、無力なのだ。

金属探知機でアラームが出たとき、「この鍵ですね」で終わるのが、御粗末な日本の事情だ。
カモフラージュにはもってこいである。

警備体制は、実行することが目的ではなく、安全を確保することが目的だ。
その目的の為にどうあるべきかを考えることが重要であろう。



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新規作成日:2003年12月19日/最終更新日:2003年12月20日