「写真で見るクロアチアの難民施設」
2002年8-9月 |
クロアチア共和国にある 現在、160人のボスニア難民が生活している。 |
![]() 軍事施設だった建物を利用している。 周囲は住宅街で、 難民施設であることを知らない人もいるほど、 地域に溶け込んである。 |
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Kamenjakの入り口。 入り口のすぐ外では、 |
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Kamenjakの中庭。かなり広い空間である。
各建物の前で、おじいちゃん・おばあちゃんがベンチに座りながら一日を過ごす。 |
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Kamenjakの受付で毎日働いているオジサン。 いつもこの椅子に座っている。 |
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Kamenjakの食堂。朝昼晩、食事が配給される。
基本的に朝と夜は食パンだけ。 昼食には比較的ちゃんとした料理が出される。 |
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食堂の風景
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ある日の昼食。
ポテトシチュー、スープ、キャベツサラダ。 料理は薄味で、高齢者が多いためか 柔らかいものが多い。 |
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Kamenjakの人々
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Kamenjakの廊下。
ベンチに座りながら、一日を過ごす。 毎日がこの繰り返し。 |
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ベンチに座っている4人は仲良し。 立っているおばあちゃんは、 |
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すれ違うといつも笑顔で挨拶
をしてくれるおばあちゃん。 寝たきりではない人は自分で 身の回りのことはできる。 |
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通称“ボンジョールノ爺さん”。 ちなみに、クロアチア語では |
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ピンクのトレーナーを着ているおじさん 父親と兄弟2人を戦争で亡くしたことを |
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おじさん4人集。
一人で町の中心街に出掛ける事も ある人たち。 |
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中庭に面する建物前のスペース。 話をするよりは、一人で座っている |
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みんな、こんな風に一日を過ごす。
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縄跳びをしているのは、Kamenjakの ちなみに、写真は僕たちが中庭で |
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Kamenjakの住人は高齢者が殆どだが、 彼の名前は「ゴラン(Goran)」。 |
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食堂の入口。 おばあちゃん、おじいちゃんは |
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Kamenjakの入口の外でいつも 僕たちが出入りをすると、笑顔で |
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300km離れたクロアチアの首都ザグレブから来たクロアチア人の
高校生や大学生たち。毎月一度、難民施設などで歌を歌いながら “励ましている”そうだ。 しかし、難民のある一人のおじさんは“うるさい”と言っていた。 決して、良いと思って行うボランティア活動を誰もが快く受け止めるとは 限らないことを実感した。 |
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