旧ユーゴスラビア(FYR)

 僕がブラッドフォードに来るきっかけのひとつは、旧ユーゴスラビアでの学生ボランティア活動。何の専門能力もない学生には、何も出来ない。そんなことを痛感した。今の自分に出来ることは何か?その答えは、「勉強」すること。

 戦争から10年以上が経過した今でも、人々の中ではその影響が残っている。「終戦」なんて無い。戦争は、それを経験した人の中では、一生続くのかもしれない。

 “ユーゴスラビア”や“バルカン半島”と聞くと、すぐに“戦争”などと想像してしまう。でも、日本人の僕たちを笑顔で優しく迎えてくれる人たちが沢山いる。そんな旧ユーゴが僕は好き。

 ここでは、僕の旧ユーゴでの体験をレポートします。掲載内容は、当時の情報です。作成したのも当時です。今とは状況が異なるかもしれません。「旧ユーゴを知って欲しい」。それがこのページの目的。観光情報では得られないような内容かも。

■カメニャック難民キャンプ
(2002年8‐9月)
■2002年夏・プーラの風景
■2003年冬・ザグレブの風景
■2004年冬・ベオグラードの風景


■ザグレブの現地NGOの活動
(2003年2‐3月)
■2003年冬・サラエボの風景

Last Update: 2004-03-19

“互いに殺し合うためにお金を使うなら、
芸術のためにお金を使った方が意味があるよ ”


イストリア半島で偶然出会ったヒッピーな感じのクロアチア人芸術家Robiの言葉。

輝くアドリア海とは対照的に、人々の現状はとても悲しかった。

この絵は、お別れするときにRobiからもらったもの。
難民施設の近くのアドリア海沿いの海岸の風景。
Robiと出会ったのもこの海岸だった。
旧ユーゴで活動する日本のNGO:
http://member.nifty.ne.jp/jniv/
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