+++ブラッドフォード大学平和学科留学体験記+++

不定期な日記
(意外と毎日書いてます)

2003年12月分
*がんばって毎日書きました*

2003/12/31(水) ベルギーから年末の移動。帰国@ブラッドフォード

正午にホテルをチェックアウト。12時50分のバスで空港へ向かう。45分で到着。その後、午後3時20分発の格安航空便でロンドンへ。1時間で到着。イギリス時間は、出発時間の午後3時20分。到着した空港はヒースローではなく、Stanstedと言うローカル空港。ローカル空港と言っても、かなり大きく、国際空港だった。グラスゴーの空港よりは規模がはるかに大きかった。

その後、ブラッドフォードまでのチケットを購入。てっきり、London Kings Cross経由だと思ったら、違った。別のCambridge・Leicester経由、Leeds乗り換えブラッドフォード行きの列車に乗ることになった。

26歳までの人間なら安くなるYoungPersonsRailcardでブラッドフォードまでのチケットを窓口で頼んだら、このルートが早くて安いと言う。片道£36.15。旅行に出発するときには、ブラッドフォードからグラスゴーまで£50近かったのに。帰りの方が距離が短いのか。。

で、友達とは突然の別れ。とりあえず、立て替えてもらっていたホテル代を渡す。大金を引き出して、現金が行き交う。結構スリリングだった。

イギリスに着いて、なんとなくホッとした。ちょっとイギリスに馴染んできたのかな。

列車が遅れに遅れて、今年中にブラッドフォードに着くか心配だった。Leedsに着くと、雪が降っていた。駅で、ブラッドフォードのMAで勉強しているKyoさんに会う。で、あと一本電車に乗れば20分でブラッドフォードに着くというときになって、“現在、運転手を探しています”というアナウンスが・・・。中々電車が出発せず、白い息を吐きながら、真っ暗で車内で待つ。

やっとのことで電車が出発して、ブラッドフォードの駅に到着。タクシーで寮に行こうとしたら、ドライバーに近すぎてダメ、と乗車拒否される・・・。次に来たタクシーに£5で連れてってと交渉。雪で道路が悪く、中々車が進まないが、なんとこさ到着した。£5はちょっと高かったかも。きっと£3くらいの距離だったのに。

自分の部屋に着いて、パソコンをネットに繋ぐ。メールが沢山。

日本は既に年を越した。こっちはまだ。初めて一人で年を越した。ブラッドフォードはとっても静かだった。

ダラダラとイギリスの年末テレビ番組を観てみる。つまらない。というか、普段と変わらない。歌番組が多いような気がした。

明日は、なぜか親がブラッドフォードに遊びに来る。おせち料理でも持ってくるのかな。

と、そんなことを思いながら、2003年の終わり。年明けには試験・・・。年始からがんばらないと。。

2003/12/30(火) ぼったくられた?

今日は、ベルギー名物の小便小僧を見た。大したこと無かった。ショボイ。

小さな通りの街角にある小さな像でした世界中から・・・ちなみに、高校、大学とJR山手線浜松町駅を毎日通学で使っている僕としては、浜松町駅の小便小僧と何も変わらないことに少しガッカリ。ベルギーにあんなものをわざわざ日本から見に行ったら、どれだけショックが多いことだろうか。イギリスから行って良かった、と思った。

夕飯は、友達とレストランで食事。これが最悪だった。(料理は美味しかった)

友達は最初から€40のパエリアを1人前頼もうとしたのに、強引な店員がパエリアに似た別の料理を勧める。でも、友達を自分たちのパエリアを頼んだ。

会計の時になって、請求されたのが店員が勧めていたパエリアだった。値段が全然違う。それで、猛抗議。店員は、僕たちがそれを頼んだと言い切る。終いには、“間違ったものを出されて食べたのは君たちだ”と言い出す。そういうのを詐欺と言うんだ!とさらに抗議。で、請求金額から€20ほど差し引いた、合計€100払えばいいと言う。でも、計算したら、値引きしたパエリア代とその他の正しい注文の値段の合計金額が違う。それにも猛抗議。“あんたの計算間違ってる!”と言うと、“サービスチャージがかかっているんだよ。ここの文章を見な”とレシートのフランス語を見せる。・・・。それは“ご来店ありがとうございました”と書いてるだけ。一応、こちらもそれなりにフランス語が分かるので、その手には乗らない。“チップと言うなら、それは僕たちが判断して払うものだ!”とさらに抗議。大声を出したら、他のお客さんの迷惑になるから云々と言う。迷惑を掛けてるのはそっちだろっ!と思う。散々抗議して、結局正規料金より少し高めを払うことになった。でも、何とか抗議はした。日本人はナメられている。これホント。“イギリスから来た”とか言えば、態度が変わったのだろう。店を出るときに、あんたのIDを見せろ、と要求。名前を控える。写真をちゃんと見せなかったので、もう一度要求すると、“あなたは警察なのか?”とさえ言う。そんなことは無視しして、ちゃんと確認。一応、ベルギー国籍を持っている人間だった。店の名前も控える。要注意レストラン:La Moule Provencale (Rue des Biuchers. 23-1000 Bruxelles)

ちなみに、このブリュッセルの中心にあるレストラン街では日本語で客引きをする店が多いらしい。で、ボッタくる店も多いので、気をつけましょう。食べたいモノの名前と値段をちゃんと確認して、声に出して注文しよう。

2003/12/29(月) ブリュッセルのロマ人の子供たち

午前6時に列車がブリュッセルへ到着。

街中のマクドナルドで休憩していると、ロマ人の子供たちが物乞いをしていた。店内のお客さんに手を出して、物乞いをする。当然、僕のところにも来た。彼らはセルボ・クロアチア語を話していた。だから、彼らの言葉が少しわかった。きっと、親がバルカン半島から来たのかもしれない。

彼らを見ていて、クロアチアのロマ人の子供たちのことを思い出した。

“物乞いをされても、僕は何もあげない。それは正しいお金の稼ぎ方じゃないないから。それが当然だと彼らが思って、仕事をしないのは、彼らの未来にとって良くないこと”。そんな風に言っていたエルビン(クロアチアのNGOのスタッフ)の言葉を思い出した。

今日僕の目の前に現れたロマ人の子供たちは、本当に物乞いをしないと生きていけないのだろうか。それとも、エルビンの言うとおり、物乞いが当然の行為として、お金を稼ぐ方法だと思っている子たちなのだろうか。

自らの国や国籍を持たない「放浪の民族、ロマ」というような本を読んだことがある。長い歴史の中で差別され続けてきたロマの人たちだが、見方を変えると、彼らなりの生活様式と特定の社会へ同化しないその姿勢が原因でもあると考える人もいる。

一見、“貧しい人たち”・“被差別者”と見えるが、問題の根本には複雑な背景があるそうだ。

あえて解決すべきものを挙げるなら、彼らに「教育」を受けさせることだと思う。エルビンの言葉が正しいなら、彼らが「社会の仕組み」を学ぶことは必要だ。

数十分毎に現れるロマの子供たちを見ていて、ふと手元にあったノートとペンをあげようと思った。お金をあげる気にはならなかったから。そう思って、次に彼らが来たらすぐに渡せるようにテーブルの上に乗せておいたが、その後彼らが来ることはなかった。どこか他の場所へ行ってしまったようだ。気がつくのが遅すぎた・・・。たとえ渡せたとしても、学校に通わないと意味がないかもしれないけど。

クロアチアの首都ザグレブの中央広場にて撮影
物乞いをするクロアチアのロマ人の子供

2003/12/28(日) ポツダム

今日は午前中にホテルをチェックアウトして、ポツダムへ向かった。ベルリンから快速列車で15分。意外と近い。

サンスーシ宮殿などを見る。ウィーンのシェーンブルン宮殿やパリのベルサイユ宮殿と比べると、とってもショボク感じた。

ポツダムはとてもキレイな町だった。サンスーシ宮殿内は広くて、とっても疲れた。時折、休憩をとりながら歩く。

夜の9時半の深夜特急でベルリンを発ち、ベルギーのブリュッセルへ向かう。

2003/12/27(土) 書く。

今日はベルリンの街中にある喫茶店でずっと短編小説を書いていた。

年末に、んな場所で、そんなことをしてるのはヘンなのは自分では分かってるけど、昨日の気分がまだ残っている。書けば気が安らぐような気もしてる。

小説を書くのは趣味ではない。8月に友人に勧められて初めて小説を書いた。読んだ人が涙を流してくれたことが少し嬉しかったから、人に何か影響を与えられることの有意義さを知った。それに、自分の思いを表現できたら、とても気持ちが楽になることもある。色々と効用のある行為なのだ、執筆活動は。

普段は何も書きたいとは思わない。でも、何か普段とは違う気持ちの時に、無性に書きたいと思うことがある。そんな自分の気持ちを大切にしたいから。

2003/12/26(金) ベルリン。歩きたくなった。

正午の列車でライプチヒを出発。1時間半ほどで、ベルリンに着く。

まだ、時間は午後1時過ぎ。外も明るい。

泊まるホテルにネットカフェがあった。日本語が表示できたので、溜まっていたメールを読む。

メールを読んでいると、なぜか気がめいってきた…。悪いニュースではなかってけど、自分はこのままでいいのだろうか、と少し思うようになった。

日本にいればできることが、海外にいるとできない。そんな当たり前のことをひしひしと感じた。歯がゆい気持ちだ。日本の友人たちの生活には色々と変化があるらしい。自分はどうなんだろうか・・・。手に入れたいものすべてを手に入れることは無理なのかな・・・。たった一年の留学と思ったけど、一年って結構長い。人が変わるには十分な時間なんだと思った。来年、自分も何か変わっているのかな・・・。

で、そんなことを考えると、無性に一人で外を歩き回りたくなった。悲しいときとか、寂しいときとか、そうゆうネガティブな感情の時には、なぜかいつも歩きたくなる。

ブランデンブルグ門@ベルリンだから、ベルリンの市内まで電車を乗り継いで行ってみた。で、ただひたすら歩く。有名なブランデンブルグ門や連邦議会なども見る。それから思うままに歩いた。1時間くらい歩いた。迷子になることなど全然気にしなかった。ただ歩きたかった。

ベルリンに来てこんなことをするとは思わなかった。でも、少し気持ちが楽になったような気がした。

どうしてこんな気持ちになったんだろう…。こんなときは、小説でも書いてみるのがいいかも。こんな変な気持ちを話にしたら面白いかも。大学の同人誌にでも投稿してみようかな。。

2003/12/25(木) バレイ(Ballet)

今日は午後3時からバレイを観る。一緒に旅行をしている人の友人がライプチヒでプロのバレリーナとして踊っているという。

バレイは観たことがなかったので、とても楽しみにしていた。

演目は「白鳥の湖(Schwanensee)」。

名前は知っていたけど、内容は知らなかった。

実際見てみると、話のあらすじは分かりやすかった。音楽も踊りも優雅。

オーケストラを聞いたり、ミュージカルを観るので、歌がないだけで、どちらも同時に楽しめる感じ。

で、意外と悲しい結末でした。話によれば、ハッピーエンドもあるらしい。

良い思い出になった。

ちなみに、今日になって、日本語では「バレイ」が「Ballet」で、「バレー」が「Volleyball」だと知った。今まで区別してなかった・・・。へぇー。

2003/12/24(水) 閉まってる…。

お昼から町に出てみる。ライプチヒはバッハで有名だそうで、バッハ博物館や学期博物館がある。小さな町なので、それくらいしか見るものがない。なので、それを目当てに行ってみるが、クリスマスイブなので、どこも閉まっている。

仕方ないので、絵ハガキを買ってカフェで友人に書きながら時間をつぶす。気がつくと、2時過ぎからお店が次々と閉店していく。

学生証などのIDを入れるケースが欲しかったので、急いで探す。すると、文房具屋さんでナイスなケースを発見。さすがドイツ。文房具はイイ。購入する。

ライプチヒはとても小さな町。中心街を歩いていたら、直ぐに全てを歩き回ってしまった。メールが見たいので、ネットカフェを探すがなかなかない。駅の鉄道会社が経営しているカフェでネットが使えたが、日本語の表示・入力ができなかった。16通ほどメールが来ているのは確認できたけど。

夕方頃、携帯に電話が…。日本から親が掛けてきた。元旦にブラッドフォードに来るとか。来るより、渡航費をくれた方が本が買えるのに…。

そんなことで、一日が終わってしまった。

2003/12/23(火) ライプチヒ

12時過ぎにニュルンベルグを出発。3時間でライプチヒに到着。

4時過ぎにホテルに着く。ライプチヒは寒い!

で、旅の疲れが出てきたので、どこにも出掛けず就寝…。

明日はゆっくり起きて、観光しようと思う。

2003/12/22(月) クリスマスマーケット@ニュルンベルグ

今日は、ニュルンベルグの城壁に囲まれたOld Town内だけで観光。ホテルもこの地域にあるので、パリのように沢山歩かなくてよかった。

ニュルンベルグのクリスマスマーケット夕方頃から、ドイツ最古のクリスマスマーケットに行く。クリスマスツリーの飾りやキリストの誕生を再現するジオラマのパーツなどが売っていた。途中から雪が降り始めて、とても寒かった。ヨーロッパに来て初めての雪はニュルンベルグでした。

夕飯は、近所のスーパーで買って食べる。

明日は、ライプチヒへ出発です。

2003/12/21(日) ドイツへ入国@ニュルングベルグ&突然の再会

今日は、午前8時にパリ西駅からドイツへ出発。6時間かけてフランクフルトへ。それから乗り換えてニュルンベルグへ移動した。

EU国内なので、フランスからドイツへ入るときにパスポートチェックがなかった。だから、スタンプを押してもらえなかった。僕の趣味のひとつであるパスポートのスタンプ増やしが出来ない…。

フランクフルトへ到着し、次の列車を待っているときに、なんとブラッドフォードの同じIVSPの留学生で平和学科で勉強している日本人とドイツ人のAliceに出会う。日本人の友達がドイツに旅行してAliceに会う話は聞いていたけど、まさか出会うとは…。お互いビックリして、またねーとサヨナラ。世界は狭い。

午後6時半にニュルンベルグに到着。タクシーでホテルへ向かう。今日は移動だけ。そんなに疲れなかった。ヨーロッパの鉄道は快適だ。。

2003/12/20(土) 最高裁、ノートルダム、ルーブル美術館、etc.

今日は雨だった。

明日パリを出発するので、観光は今日で最後。 ホテルのあるモンマルトルにあるサクレ・クールに行ったり、最高裁判所やノートルダム寺院を行ったり。

今日の目玉はルーブル美術館。夜7時まで開館しているという情報で、時間はないけど、午後4時に向かえばそれなりに見られると思った。しかし、なぜか今日は5時半で終了。結局、モナリザとドラクロワの絵しか見られなかった。3つある建物のうちの1つの建物で、さらにその建物の一フロアーしか見られなかった…。

夜はマックでハンバーガーを食べる。パリに来てから、毎日レストランで食べているので、少しお金を使い過ぎた…。

「民衆を導く自由の女神」ドラクロワ 「モナリザ」レオナルド・ダビンチ

2003/12/19(金) ベルサイユ宮殿

今日はベルサイユ宮殿に行った。パリ市内から電車で30分の場所にある。宮殿と広い庭があるので、半日掛かりの予定。

朝は寝坊して、結局ベルサイユに着いたのは午後2時頃。日が暮れると閉館なので、見学に時間がなくなってしまった。

ベルサイユ宮殿の内部さすがベルサイユだけあって、沢山の観光客がいた。高校か専門学校の修学旅行なのか、日本人の若者の一行が沢山いた。パリでは日本人を見かけることはよくあるけど、あれだけの日本人と遭ったのは久しぶりだった。どれだけイングランドのヨークシャー地方が田舎かが分かった。

ベルサイユを見終わったのが5時過ぎ。そのままホテル近くまで帰ってきて、レストランで食事をした。オイスターにエスカルゴなどを食べる。美味しかった。。

2003/12/18(木) パスポート発見&美術館回り

昨日なくしたパスポートを再申請するために日本大使館へ行く。すると、なんと落し物で警察に届出があったと言う。なんという奇跡でしょうか!絶対に出てこないと思ってた。で、それも自分たちが泊まっているホテルの近くのユースにあるとか。誰かが拾って警察に伝えたらしい。しかし、いくつかのIDなどがなくなっていた。

「地獄の門」@ロダン美術館列車のチケットと一緒に買ったディスカウントカードもなくなっていたので、それを買いに行く。

色々とやっているうちに、時間が過ぎてしまった。午後になったが、その後美術館回りをする。

今日も歩き疲れた…。

2003/12/17(水) パリ&トラブル

今日は、朝からパリの市内観光。昨日のフランス人の女の子が色々と案内してくれた。

まず初めに駅へ行って、ドイツ、ベルギーへの列車のチケットを買う。非常に仕事が遅くて、チケットを買うために1時間半もかかった。でも、フランス人の女の子のおかげで、安いプランでチケットを買えた。

観光は午後から。シャンゼリゼー通りなど、主要なところを回る。フランスはイギリスよりキレイだ。。

夜は適当にイタリアンレストランで食事。歩き回ったからお腹が空いた。

夜の9時半過ぎにホテルに戻ろうとしたとき、友達がカメラとパスポートを電車に忘れたと言う。それから地下鉄の駅で探してもらったりとするが、見つからず…。明日、日本大使館に行くことにする。

2003/12/16(火) 出発!

午前4時に起床。最終的な荷詰めをする。

6時に寮を出て徒歩でBradford Interchange駅に行く。15分ほどで到着。

6時半の電車に乗って、1時間半でPrestonという駅に到着。30分ほど待ってからGlasgow行きの列車に乗る。それからさらに2時間半かけてGlasgowに到着。またまた30分ほど待ってから、空港行きの列車に乗る。で、40分でGlasgow Prestiwck空港に到着。目の前が大西洋のかなりのローカル空港だった。

友達と合流する。Glasgowに来るだけですでに結構疲れた…。さらに飛行機でパリに飛ぶ。午後3時半にGlasgowを出発。パリには2時間で到着。Paris Beauvais空港から1時間半かけてバスでパリ市内へ移動。それから地下鉄を乗り換えてホテルのある地区へ。到着は9時過ぎだった。

友達の友達の友達のフランス人の女の子がホテルに来ていて、その子と一緒に夕飯を食べる。色々とレストランを紹介してくれた。僕は、サラダ、ビーフシチュー、レモンタルトのメニューを食べる。€14.50。フランス料理のレストランで、とても美味しかった。

その後、ホテルへ戻る。今日は疲れたぁーー。眠い!

2003/12/15(月) 出発前日

明日、旅行に出発。午前6時半の列車でブラッドフォードを出発。6時間かけてグラスゴーまで行き、そこからフランスへ飛行機で移動。

今日は、午後からThomasCookの時刻表を買いに行く。本を頼んだ旅行会社のThomasCookから連絡がなかったので、自分から赴く。で、店に行くと、僕の顔を見るなり、今朝電話したけど、電話の調子が悪かったようですね、と言われる。僕の携帯がつながらなかったらしい。何しろ、最新版のヨーロッパの鉄道時刻表を手に入れた。やったー!これで、安心して旅行が出来る。値段は£10.50なり。

その後、向かいのマックで朝食兼昼食を食べる。食べながら時刻表を見てみると、ちゃんと載ってる、僕たちが乗ろうとしてる列車が。よしよし。

食べた後は、街中で少し買い物。イギリスのコンセントのプラグを大陸タイプにする変換コネクターを買う。£1.50なり。コンセントひとつで、イギリスの大陸と「違い」をつけようとする特徴が出る。ホントに面倒臭い。大陸のコンセントのプラグはどの国も同じ形状だ。それに合わせろ!

帰宅後、荷詰めの続き。コートはダッフルを持っていくことに決定。あと、パソコンも持って行く。日記を書いたり、デジカメの写真を取り込んだりしよう。そんなに重くないかも。ThinkPad x30。

明日は、4時半に起きる予定。なので、早めに寝る。

16日から31日まで、このサイト(日記も含めて)の更新はありません。
みなさん、メリークリスマス&良いお年を。。(^_^)/~

2003/12/14(日) 何もしない一日Part2

今日も何もしなかった。昼まで寝ていた。

朝食と夕食が一緒。昨日の残りのミートソース。昨日はパスタをゆでるのに、小さな鍋で困った。で、今日は頭を使った。こっちで買った炊飯器でお湯を沸かしてみた。大きさも十分あり、沸騰した。それでパスタをゆでる。

午後はダラダラ。ネットでニュースを見ていると、Yahoo!JAPANでサダム・フセイン拘束の速報。テレビでBBCを付けてみるとBreakingNewsがやっていた。ふーん。なんだ、生きてたんだ。と思う。アメリカがその場で殺さなかったのが不思議。適当な理由をつけて撃ち殺すかと思っていた。別にそれを望んでいるわけではない。でも、もし戦犯法廷を国連の下で行ったら、「死刑」には出来ない。アメリカがそれを受け入れるのかが疑問だ。これまた適当に理由をつけて、アメリカの国内法で裁判をやって、死刑にするというシナリオもありうる。実際、イギリスのメディアではフセインの「処遇」について、既に議論になっている。さぁ、どうなるのだろうか。「大量破壊兵器」の存在があったのか、どうか。それが判明すれば、今回の戦争がなんだったのか?という議論がまた出てくるのではないだろうか。で、イラク復興に何か影響があるかというと、治安という側面からはあまり大きなインパクトはないと分析。理由は、フセイン拘束の状況から、外部との連絡は殆どしていない模様。故に、現在行われている反米勢力の抵抗は、フセインの残党勢力の仕業と見せかけたイスラム原理主義の活動である。と、簡単に推測。今必要なのは、徹底した「武装解除」である。特に市民の間で広まっている「小型武器」の回収は絶対に必要だ。不安定要因のひとつである、実際、テレビではフセイン拘束を祝って市民がAK47を撃ち喜んでいる。それが危険なのだ。武器所持が文化となっている。それは「暴力の文化」の象徴でもある。ただ、フセインの抑圧からの精神的開放は、イラク市民の中にはあるだろう。イラクの民主化という観点では、進歩があったかも。それでも楽観的になれる状況ではないと思う。「人間の安全保障なくして、発展なし。発展なくして、人間の安全保障なし」。Mark Duffieldの言葉である。「人道に対する罪」。ユーゴ紛争以来の言葉である。所詮、勝者の言葉である。原爆、クラスター爆弾、軍事侵攻、要人暗殺…。どれもアメリカの行為である。加えて「正義と民主主義、そして法の支配」。ブレアが言っていた。説得力が無い。(この場で政治的な話はあまりしたくないけど…)

ちなみに、僕は反米家ではありません。アメリカの中学校を卒業させてもらって、アメリカの寛大さというもを身に沁みて知っている。だから、今のアメリカがアメリカの本当の姿ではないと思っている。ナントカも使いよう、という言葉がある通り、どうにかこの大国を上手く操縦する術が国際社会にあれば良いのだが・・・。

一応、旅行の準備も進める。明日になったら、ちゃんとバックパックに詰めよう。

夜は、旅行に一緒に行く友達と電話でぺちゃくちゃ。すると、日本からも電話が。また、ぺちゃくちゃ。久しぶりに日本語を長く話した。最近、全然日本語を話さないから、しゃべるときに口が上手く動かない。これホント。そういうものらしい。こっちに来る前に、留学していたオーストラリア育ちの友達に“日本語忘れるよ”と言われた。信じてなかったけど、結構ホントだった。昨日の電話もちょっと不自由だったのだ。でも、書く分には不自由はない。言葉って不思議だ。

2003/12/13(土) 何もしない一日

今日は何もしなかった。ボーっとしてたら一日が終わった。外にも出なかった。

学生は、大学が休みに入るなり早々と帰郷している。なので、寮は静か。時折、カタカタと荷物を引きずる音がする。あっ、今帰るんだな、と思う。

午前中に日本の大学の親友に電話する。携帯に掛けると直ぐにつながるけど、通話料が高い。ちゃんと固定電話の番号を聞いておけばよかった。で、短く話そうと思ったけど、やっぱり話は長くなっちゃう。メールでは頻繁に話をしていたけど、声を聞けて良かった。

ちなみに、電話をするときはいつも携帯から掛けている。室内の電話では外線が掛けられないから(内線のみの契約にしてるから)。だからちょっと通話料が高い。格安国際電話のサービスを利用しているので、日本の固定電話へ掛ける料金は、イギリス国内へ掛けるのと大して変わらない。でも、相手が携帯だと結構高い・・・。

みーとそーすお昼からスパゲッティミートソースを作る。旅行に行く前に食料品を使いきりたいと思った。なので、ひき肉をたっぷりと入れる。ネットでレシピを探して作った。美味しく出来た。

荷詰め午後はダラダラ。時折、旅行の準備もしてみる。意外と荷物が少なくて、軽かった。ノートパソコンを持っていこうか悩む。あと、ゴアテックスの防寒コートとバーバリーのダッフルコートのどちらを旅行に着ていこうかも迷う。前者は防寒抜群。でも、丈が短いので、足が寒い。ダッフルコートは、暖かさはそこそこで丈が長いので、足は冷えない。でも、少し重くて、かさばる。どうしようかな。

夕方5時から3時間ほどうたた寝してしまった。夕飯にミートソースをパンと一緒に食べてから、またダラダラ。

そう言えば、時刻表入庫の電話がなかった。月曜日にThomasCookに行くか。。

結局、今日は勉強しなかった。

2003/12/12(金) 旅行の準備+やっぱり勉強

昨晩(午前1時くらい)、ふと日本の大学の留学担当部署に電話してみた。色々とお世話になって、仲良くしている大学職員の人に連絡。“こっちは、休みに入ったよー”と伝える。15分ほど話す。それから就寝。

今朝は、授業が終わったことで、なんとなく爽やかだった。外は雨だったけど。

午前中に部屋のライトを修理するために、業者らしき人が来た。昨日の夕方に頼んで、今日の午前中に来たのだから、まぁまぁ早い仕事だ。ライトが直って、部屋が明るくなる。めでたしめでたし。あっ!壊れた卓上ランプを直してもらうの忘れた・・・。

お昼から町へ行く。旅行関係の準備。旅行の予定は以下の通り。

イギリス−>パリ−>ニュルンベルグ−>ライプチヒ−>ベルリン−>ブリュッセル->イギリス

16日から31日までの2週間。クリスマスはドイツのニュルンベルグで過ごします。

で、イギリス−パリ間は格安航空会社を利用。なんと、片道£1。ホントです。イギリスには安い航空会社がいくつかある。今回はRyanairを利用。でも、実際は、税金を入れて総額£13くらい。それでも安い。しかし、安いからにはウラがある。問題は、この航空会社が使う空港がローカルなのである。で、今回はスコットランドのグラスゴーにあるPrestwick空港からパリのParis Beauvais空港までの移動。グラスゴーまで6時間掛かります。ブラッドフォードからグラスゴーまでの移動費は、学割でも£40かかります。パリまで£13で、グラスゴーまで£40って、どういう経済だ?って思う。でも、これが現実。ちなみに、FREEのチケットもある(どうやって利益を得ているんだ?£0でも課税出来るのか??)。行き先によって、イギリス国内の空港が違うので、上手く利用すれば、安くて、早くヨーロッパ旅行が出来ます。ロンドンからユーロスターでパリに行く方法もあるけど、やっぱり飛行機の方が安い。

今日は、とりあえずグラスゴーまでの電車のチケットを買いに行った。

その後、ヨーロッパ大陸内は列車で移動するので、その時刻表を探しに行く。昨日、列車のチケットを取れなかったので、現地で必要になる。ヨーロッパの鉄道の時刻表を網羅した有名な「Thomas Cook」という出版社はイギリスの会社。で、これは、ヨーロッパではイギリスでしか買えないらしい。ネットなら帰るが、書店ではなかなかないらしい(地球の歩き方情報)。

しかし、これがクセモノなのだ。なぜなら、この時刻表は毎年4回ほど改訂版が出される。で、12月14日からダイアが変わるので、それに対応したエディションが欲しいと思う。でも、その改訂版は15日発売なのだ。ということは、14日に旅行する人は、これを買えないのだ。変な話だ。そういうものは、ダイアが変わる前に発売されるべきだ。しかし、イギリスは違う。

で、町でこの本が15日に買えるのかをいくつかの本屋を回って確認する。どこも、取り寄せで1週間かかるというので、16日出発の僕には間に合わない。仕方なく16日に空港の旅行グッズの店でも探すかと思っていると、なんと街中に「Thomas Cook」という名の旅行代理店を発見!もしや時刻表と関係があるのかと思って、入ってみると、やっぱりそうだった。同じ会社だった。で、最新版の時刻表は買えるのかを聞くと、今日出版が発送したところだという。明日には到着するらしい。15日(月)には必ずあると言う。で、入庫したら連絡をくれると言われたので、携帯の番号を教える。なんだ、親切じゃん、イギリス人。ちなみに、11月に出されたエディションでも大して変わらないんです、と言われる。もし最新版が間に合わなければ、古いのを買うか。。

その後、マックでビッグマックとミルクシェイクとポテトを食べる。セットメニュー(Mealと言う)。美味しかった。£3.75なり。

帰宅後、旅行の準備を少しする。出発前日にならないと、荷物を詰められないので、カメラや変換プラグなどを準備する。

その後、試験勉強を少し。とりあえず、毎日続けることに意味があるので、ちょっとでも取り組む。

夕飯は10時頃。日本から送ってもらったサッポロ塩ラーメンに増えるワカメを入れ、こちら買った長ネギ(どこでも売ってる)を入れて食べる。

2003/12/11(木) 授業終了!

今日で前期の授業は終わり。

GNSSとIPSを受ける。GNSSは、最初の講義ではレジュメに沢山情報が載っていたのに、最近になって極端に減った。先週は、たった6行だった。それも単語が並べてあるだけ。文字も大きい。今日もそんな感じだったので、ドイツ人留学生のAliceがまたまた怒っていた。“ちゃんと、授業評価に書いたのに。全然変わってないわ”と言う。一応、僕も書いたよ。

お昼休みの間に、STAtarvelへ行き、列車のチケットを予約・・・するはずだったが、結局予約できなかった。外部の会社にドイツ内の列車の予約が出来ないとかなんとか。理由を聞いても、わけの分からないことをいわれそうなので、聞かなかった。結局、チケットは現地調達ということになる。

次のIPSの講義が始まる前に、とりあえず一緒に旅行に行く友達にメールで連絡。

2時から2時間のIPSの講義。前半は核兵器開発の変遷について。後半は、アメリカの軍事政策の変遷について。どれも大雑把な内容だった。もうエッセーを出したので、気楽に聞く。でも、前半は難しかった。。

と、こんな感じで、前期の授業はこれで終了。明日から1ヶ月の冬休み。めでたしめでたし。というわけにはいかない。1月に試験があるのだ。帰宅後も勉強。授業が終わったせいなのか、なぜか気持ちが楽で、勉強がはかどった。。授業が無い方が好きに時間を使えていいのかも。

授業が始まって3ヶ月間を振り返ると、当初は勉強の仕方の手探り、その後余裕が出てきて、自分なりのリズムが出来た。講義の内容が理解できないということはなかった。セミナーも楽しみに思えたし、講義の理解度も平均75%くらいだったかな。意外と無理なく、自分の学習計画を実行出来たかも。普段から色々と資料を読んで、予備知識を蓄えておいたのが役に立ったかも。でも、ちょっと読みすぎな気もして、全部は記憶に残ってない…。意味あったのかな?とちょっと疑問。でも、いいや。読むの楽しかったし。知らないことが沢山出てきて、色々と刺激になった。あとは、試験でちゃんと知識を体系的に「表現」できるか、なのかな。それが一番ムズイ…。でも、なんとかやる。

帰宅後、部屋の電球が切れたことを管理人のポーターの所へ知らせに行く。すると、部屋番号を教えろと言う。で、教える。担当者に連絡するよ、と言われる。“いつ来るの?”と聞くと、“そんなの知るか”と言われる。・・・。部屋が真っ暗で、微細なランプで過ごしているというのに・・・。いつくるか分からない人を待ってるより、電球くれたら自分で取り替えるよ、と思う。そっちの方が早そうだし。

夕飯は、昨日のカレーの残り。最近、毎日カレーだ。美味しいし、作るのが楽だからいいけど。

キッチンでドイツ人のフラットメイトに会う。今晩からドイツに戻るそうだ。なんで?って聞いたら、“クリスマスだから。当たり前じゃん”と言われた。で、隣りの部屋のイギリス人の同じく平和学科の一年生Aiden君にも会い、“明日から実家に帰るので、とりあえず挨拶を”と言われる。彼は頭も良く、礼儀正しい。“はっぴーくりすまーす!”と答えておいた。みんな、帰っちゃうんだね。

夕飯後も勉強。ダラダラとしてしまった。16日は旅行に出てしまうので、出発までに出来るところまで進めたい。

ちょっと旅行の準備もして、今日は寝る。午前1時過ぎに就寝。

2003/12/10(水) 早起き、ちょっと勉強、授業、勉強

今日はいつもより早く起きた。で、11時に図書館に行って、講義が始まるまで試験勉強。

12時からPCDの授業に出る。今日が最後の講義。いつもは1時間のところ、今日は2時間。最初にグアテマラの戦後復興、後半にアンゴラの戦後復興。

その後、また図書館で勉強。2時間近く勉強すると、お腹がとても空いた。朝ごはん食べるの忘れてた。

寮に帰って、今日もまたカレーを作った。おしいんだもん。ご飯を炊いて、缶詰を温めるだけ。

お米を炊いている間に、洗濯を済ませる。

カレーを食べてから、また勉強。すると、昨日メールで試験について相談を送った人から返信が来た。早い!で、それによると、“何文字書くかは、あなたの書くスピード次第(当たり前だ!)”・“エッセーとは違うから、そんなに沢山書けない。自分の知識の範囲で、ちゃんと構成された文章だったらいいんじゃない”などと書いてある。ちょっとは役に立つ情報だったかな。でも、微妙に期待していたものとは違う。まぁいい。これ以上は気にしないことにする。

で、勉強を再開。すると、部屋の電気が切れた。蛍光灯を換えないといけない。シャワールームの電気と卓上ライトをつけて、薄暗いなかで勉強。

明日で、講義は最後だ。

2003/12/9(火) 授業、ダラダラ、相談、セミナー、勉強・・・。

今日は、昨日と違い、暖かかった。昨日の寒さがずっと続くのかと思った。

12時から1時間の講義(人権)に出る。試験準備をし始めたので、新しいトピックを勉強するよりかは、これまでのおさらいをしていたいので、気楽に聞き流すことにする。でも、今日のトピックは、人権の将来について、という漠然として、一般的な話だった。ちょっと目新しいことも学べたので、それをメモに取る。講義は好きなんだけどな、人権は。

授業後は、2時まで図書館で過ごす。勉強をしようと思ったが、高校の後輩からメールが来ていたのに気づかなかったことを知る。1週間ほど返信していなかった。ごめんねー。第一志望の大学に公募推薦で受かったんだって。彼は大学でちゃんと勉強したいらしい。そういう意思が大切だ。がんばれー!

で、結局、なんとなくダラダラと時間を過ごしてしまった。勉強はできないまま・・・。一体何をしていたんだろうか・・・。一度、寮に戻り、遅いお昼を食べる。

その後、3時にチューターのところへ行って、“試験について相談したい”と言うと、“○○に連絡取って。メアドは・・・”と、他の人に聞けと言う。そういう相談にもチューターが乗ってくれると思っていたけど、専門に担当している人がいるらしい。またまた、イギリス人お得意の「たらいまわし」戦法である。いい加減そういうの止めて欲しいな・・・。だって、個人的にちょっとアドバイスくれたっていいじゃん。ただ単に試験ってどんな感じなのかを知りたかっただけなのに…。そのことすら伝える間もなく、担当者の連絡先を教えられる。不親切だぞ!単なる縦割りな役割分担なのか、それとも自分の仕事を減らしたいと言うことなのか・・・。で、今週で休みに入るから、早い方がいいので、その担当者にメールで相談内容を送る。直ぐに返事が来るかな・・・。試験が終わった頃に返事が来ても、不思議ではない。それがイギリスだ。

その後、5時からの人権のセミナーが始まるまで、自室で勉強する。あんまり進まないまま、タイムオーバー。

セミナーへ向かう。正直、人権のセミナーは苦手だ。今日で最後だからいいけど、他の授業のセミナーと違って、人権のセミナーはあんまり好きじゃない…。理由は2つ。1つは、内容が内容だけに、議論が抽象過ぎること。言葉はちょっと難しいし、自分のアイデアも定まっていない。で、もうひとつの理由は、社会人入学(mature student)のオバサンが苦手。というか、あんまり好きじゃない。40代後半くらいの人だけど、いつも人をバカにしたような口調なので、キライ。人の話を聞かないし、なんでも決まりきった言い方をする。前回(2週間前)のセミナーでも、FGMについて、僕が医学的側面について発言したら、問答無用に“それは関係ない”と言った。でも、先生が医学的側面も検討しなさい、と言ったら、直ぐに意見を変えるし…。大した話はしてないし、なんでも受け売りの意見だから、本人の考えが感じられない。“だから何?”っていうカンジ。

ギャラリーへやっとのことで、不快なセミナーを終わって外に出ると、霧で街中が覆われていた。はじめて見るブラッドフォードの光景だった。幻想的。

夜はずっと勉強。試験問題を何度も書いてみるが、全然進まない。というか、満足がいかない。旅行まで時間がない・・・。とりあえず、出来るところまでやり遂げようと思う。明日は、ちゃんと「図書館で」勉強することに決める。自分の部屋にいると、やっぱりダメだ。

あっ、夕飯食べ忘れた・・・。

2003/12/8(月) 旅行会社、勉強、授業評価、勉強、セミナー、勉強。

今日は寒かった。これまでも一応「冬の季節」だったけど、今日はかなり寒い。こっちに来て初めて“寒い”と思った。実際、霜が降りていた。多分、ブラッドフォードでも今年初めてではないかな。

12時にSTAtravelへ行く。これで3度目。今日こそは旅行のヨーロッパの鉄道チケットを手に入れるつもりだった。それに、今日ならチケットが予約できると言われたから。

しかし、そんなに上手く行くはずがない、このイギリスでは。結局、11日(木)に来て、と言われる。外部の会社に電話したら、鉄道の料金情報が無いと言う。何故無いのかが理解不能だが、そういうことらしい。で、16日にイギリスを出発することを伝えた上で、もし11日にチケットが予約できなかったらどうなるのかを聞いてみた。答えは、“現地で買って”。・・・。“じゃあ、また来るよ、11日に”と言って出る。

その後、図書館のパソコンで1時間半ほど勉強する。人間の集中力は90分が限度で、それが証明される。隣りのパソコンで宿題をやっていたフランス人の女の子に色々とちょっかいを出したり、からかいながら、暇をつぶす(ゴメンね、邪魔して)。で、これまた近くのパソコンで宿題をやっていたドイツ人の友達と少し話す。なにやら、彼は課題のエッセーをまずドイツ語で書いてから、それを英語に訳しているらしい。で、フランス人の女の子が、“それって時間のムダじゃない?”と聞くと、彼は“そう?別にそんなことないけど”と言う。で、彼女が僕に聞く。“○○○(僕の名前)は、どうやってる?”。僕は、“もちろん、英語で最初から書くよ。日本語を英語に訳したら不自然になるし。それに、英語を書くとき、話すときは、頭が英語モードになるから、そっちの方が楽だよ”と答える。

そんな会話をしてから、とりあえず気晴らしに図書館を出たときに、今日は授業の評価を学生が行う日で、ついでに後期の時間割ももらえることに気づく。で、会場の図書館地下のコンピューターセンターへ行く。すると、平和学科のスタッフがネット上での各授業へのコメントの送り方を教えてくれた。2学期の時間割もついでにもらう。

授業評価では、とりあえずGNSSの授業に最低ランクを付けておいた。プラス、個人的コメントもご丁寧に付けてあげました。よーく、このコメントを読め!と、問題の教授に心の中で叫びながら。。。

その後、自室に戻り、勉強の続き。文句はあるけど、このGNSSは意外と勉強し易かったりする。かなり進んだ。。

その後、5時からPDC(Peace, Conflict and Development)の最後のセミナーへ参加。「戦後復興」に必要なものは何か?という問いにみんなで考える。“経済だ!”・“ジェンダーだ!”・“エスニシティーだ!”などと、みんな次々に言う。で、僕も負けずに“武装解除だ!”と言うと、「経済復興」を強く主張する社会人入学のおじさんが“それは、戦後時間が経過してからだっ!”などと反論する。なので、“違うよ!もっと広い意味での武装解除で、小型武器の回収などを含む不安定要因の排除のことなんだ。戦後直ぐに必要!動員解除やインテグレーションだけを意味してるんじゃない!”と僕も反論する。そんなことをしながら、みんな言いたい放題。

みんな言い尽くして、一瞬沈黙があったとき、ふと、“安全(Security)じゃない?”と言ってみる。すると、“そーだねー、それだっ!”などと合意してくれる。で、調子に乗って、“安全と言っても、狭い意味ではなくて、もっと広い意味での安全。政治的、経済的、人間の安全保障とか。自由な経済活動を保障するため「安全」とかね”などと、それらしいことを言ってみる。

で、他には「NGOの戦後復興における役割は何か?」という問いにも挑戦。ある人が“NGOの草の根活動や政府からの独立性云々・・・”と言う。なので、それに反論してみる。

“NGOの政府からの独立性には賛成する。しかし、NGOはそのドナーからは完全には独立することは不可能だろう。なぜなら、ドナーの存在はNGOにとっては重要であるから。また、ドナーの関心を集めるために、NGOは目立った活動をしようとする。かならずしも「草の根レベル」での活動をNGOが行うとは限らない。それについてどう思う?”と言ってみる。で、答えは、“うーん、そこまで深くは議論していない”だった。NGO経験のあるチューターもドナーの影響力は知っているようで、フォローしてくれる。

一応、NGOを少しかじっている自分には、NGOについてのキレイ事は不自然に聞こえる。NGOの弱点をもっと知る必要があることを僕は知っているから。

好物その1と、セミナーで自分の意見が認められたことで少しハッピーな気分。そのまま帰宅して、夕飯にカレーを作る(またレトルトのチキンカレー!美味しい!)。日本から送ってもらったインスタントマツタケおい吸い物も作る。

夕飯後も勉強を少し続ける。でも、旅行までには終わらないかも…。

2003/12/7(日) 天気が良かった。。

今日はお昼から図書館へ向かう。

今日は天気が良かった。思わず写真を撮る。パシャッ!ギャラリーに掲載することを決める。

図書館について、まずは本の返却。今日から本を借りると普段は1週間のところが、1ヶ月借りられるらしい。休みに入るから、必要な人は今のうちに借りておけ!ということらしい。

パソコンルームに行くも、パソコンの調子悪し。何台か試してみて、やっと正常に動くパソコンを発見。そのパソコンで3時間ほど試験問題を解いてみる。解いてみると言っても、ただ文章を書いてるだけ。こんんなんでホントに大丈夫かな?と不安になるくらい。。でも、やらないよりマシだろう。

集中力も3時間で切れてしまい、帰宅へ。早めに夕飯を食べる。頭を使うとお腹が空くのだ。

夕飯はこちら好きになったラム肉の冷凍ステーキ。オーブンで焼いて、ゆでたポテトと一緒に食べる。

夕食後は、明日のセミナーのために指示されている資料を読む。PCDの授業ではお馴染みとなったCollierさんの主張。ワンパターンだから、ちょっと飽きてきた…。それに、内戦を内的要因のみで分析して、外的要因を無視ししているので、問題大有り。多分、それを分かってて先生はこの資料を選んでるんだな。それで議論しろ、と。

その後、ネットサーフィン(ちょっと古い表現だな…)。このサイトにBBSを付けてみました。みんな書き込んでね。URL:BBS&GUESTBOOK

2003/12/6(土) ひきこもり中(ノスタルジー、勉強、映画鑑賞@テレビ)

今日は、一歩も寮から出なかった。部屋とキッチンを往復しただけ。

朝起きてから、キッチンで昨日の味噌汁を暖めていると、同じフラットに住んでいるドイツ人が友達のドイツ人と一緒に朝食を食べていた。で、その友達が鼻歌を時々歌う。どこかで聞いたことがある曲だなーと思って、よく耳を凝らすと、ドイツのミュージカル“エリザベート”の曲だった。確かに間違いなかった。

高校生の時に仲の良かった女の子がミュージカルが大好きで、宝塚版のエリザベートのビデオを見ていた。僕もビデオを見たことがあり、ドイツ語のオリジナルのCDも持っている。

“あぁー、懐かしい。”と思う。でも、鼻歌を歌うドイツ人には直接確認できなかった。

朝食後は、とりあえず試験勉強をする。昨日とは違い、一応目標設定をしたので、昨日よりかははかどったかも。でも、あんまり進歩はない…。

夕方までダラダラと勉強をしているとお腹が空いたので、夕飯を作る。今日は「作る」のが面倒だったので、缶詰のビーフカレーを食べることにする。ご飯を炊いて、カレーを温めるだけ。簡単。

夕食後も勉強を続ける。Yahoo!UK&Irelandのテレビガイドを見ると、夜9時からマイケル・ムーアの映画「Bowling for Columbine」を放送すると言う。一度は観たいと思っていたので、今晩は映画鑑賞をすることにする。

2003/12/5(金) セミナー、旅行会社、べんきょー

今日は12時から1時間のセミナー。GNSSのセミナーで、今日が最後。で、教室に行くも、誰もいない。現れたのは、同じIVSPの留学生の日本人とドイツ人の女の子。結局、僕たちIVSPの3人しか来なかった。理由は簡単。今日は2年生が昨日と引き続き、グループワークによるプレゼンを行ってるから。時間が被ったようだ。

家庭の事情で1ヶ月ほどご無沙汰だったチューターのSolomonが来る。“3人しかいなから、セミナーのトピックじゃなくて、何か一般的な話題とか、質問の時間にしましょう”と言う。なので、まずは3人でGNSSを担当する教授について色々と苦情を言う。指定図書が図書館にない!とか、セミナーが2週間に1回しかないのに、1週間に1回の予定で計画を立ててるから、いつも混乱してる!とか“参考文献が30年前のモノで、古過ぎる!!などなど。

チューターは、ヒシヒシとメモを取り、“アノ人、何度言っても理解しないよね・・”みたいなことを言う。話によると、教授の彼は今年からブラッドフォードに来たらしい。以前教えていた大学のシステムからまだ脱却できていないらしい。

で、一通り文句を言った後は、ドイツ人のAliceが質問したSecuritySectorReformについての話になる。一応、チューター(Ph.D課程の人)の専門に近いので、色々と教えてもらう。他には、チューターについての個人的な質問など。シエラレオネ出身で、ドイツの大学のBAで勉強して、ブラッドフォードで紛争解決学のMAを取って、今はPh.Dにいるとか。いつも自分のことを自分で“アタシ、シニカルだから・・”と呼んで、ちょっと冷たそうな人だったけど、個人的に話したら、とっても面白そうな人だった。“アタシ、「平和学」は好きじゃない。ちょっと妄想的ね。だから、MAでは紛争解決学を専攻したわ。だって「交渉」とか「解決」とかの方が、なんか良くない?”と言う。大いに賛成。

と、ディスカッションではなく、「会話」になっていたけど、それでセミナー終了。GNSS最後のセミナーだったので、記念に4人で写真を撮る。ホントは10人くらい生徒がいるはずなんだけど…。

セミナーの後、キャンパス近くのSTAtravelで旅行用のヨーロッパの鉄道のチケットを予約に行く。でも、料金を確認しようとすると、月曜日でないと分からない、と言う。なぜだ?!なぜ月曜日でないと料金が分からないのだっ?!ヨーロッパの鉄道料金は変動相場制なのかっ!推測するに、担当者が不在だから、調べたくないのだろう。そうことを推測するに難くない。日本ならありえない…。どうしようもないので、月曜日に参上することにする。(別に、イギリス人に敵意があるわけではありません。。)

その後、寮に戻り、お昼を作って食べる。食べた後に勉強を続けるが、中々進まない。そこに、本屋から注文したという電話が携帯に入るので、それをきっかけに図書館へ移動することにする。

行儀悪くてスイマセン本屋で本をピックアップしてから、図書館へ直行。パソコン室で勉強を続ける。2時間ほどして疲れたので、寮へ戻る。部屋に戻ってからも、なんとか勉強を続けた。明日は、ちゃんと目標を立てて取り組もうと思う。

ちなみに夕飯は、お昼と同じで、お味噌汁と白米を一緒にした「にゃんこメシ」。これ美味しい。

2003/12/4(木) 授業、旅行会社、授業、希望の光?

今日は授業が2つ。GNSS(Global&North-South Security Studies)とIPS(Introduction to Peace Studies)。

12時から1時間のGNSSには、全然生徒が来なかった。2年生と3年生混合の授業だが、今日は2年生が必修科目の授業にある「Project」というプレゼンの日らしく、みんな欠席。で、先生が“今日は授業したい?それとも、来週やる?”などと聞く。結局、授業はすることになる。テーマは、Regional Security Regime。そんなに面白くなかった…。というか、この先生の授業に少し不満。リーディングリストにある本は図書館に無いし、文献の数も少ないし、講義も少し簡単というか、説明が浅い。多分、この先生は「教える」のには向いてない人なんだと思う。

お昼時間にキャンパス近くのSTAtravelに行く。昨日友達(別のイギリスの大学に留学中)と話した通り、ヨーロッパの列車のチケットが予約できるかの確認。受付で聞くと、“もちろんできるよ”とのこと。“予約するか?”と聞かれたので、“友達ともう一回話をしてから来る”と答える。

2時からはIPSの講義が2時間。今日から来週(最後の講義)までは、平和学科の顔、ポール・ロジャーズ教授が担当。イギリスでは、テレビとかラジオに頻繁に出ているらしく、この人目当てにブラッドフォードに来る人もいるらしい。学生向けのメーリングリストには、“ポールが大学を辞めると言う噂があるようですが、そんなことはありません。安心して下さい”などという告知が来るほどだ。

で、授業は、初めは平和学の発展について。後半は、彼の持論を基にしたグローバルな世界の今後について。彼の言葉の“Global Elite"というのが印象的だった。世界を規定するのは、第一世界と第三世界という関係だけではない。第一世界の中でも格差があるように、Global Eliteが富の大半を占有することになる、という。で、世界でもっとも豊かで国内格差が少ないのが日本で、世界でもっとも豊かで国内格差が大きいのはアメリカ、ということらしい。納得。

彼の専門は、軍縮や紛争関係。後期は、彼の担当する軍縮の授業を取るつもり。このIPSの課題であるエッセーでは、「小型武器取引」について書いた。元々武器取引などの軍縮や武装解除関係に興味があるので、ポールでなくても、是非受けたい授業だ。

お米、お吸い物、佃煮、牛肉しぐれ帰宅後、少し早めに夕飯を食べる。今日は、日本から送ってもらった佃井を白米と一緒に食べる。それと、これまた日本から送ってもらったお吸い物を作る。毎日は、日本食は食べないけど、久々に食べるとやっぱり美味しい。好物の“牛肉しぐれ”は美味い!

夕食後、試験の過去問に挑戦。昼間のうちに色々と構想を練ったマインドマップを参考にパソコンで文章を書いてみる。一応、800単語はクリアーした。よし、これで明日も勉強を続けよう!

2003/12/3(水) 授業、勉強、行き詰まり…

授業前にInternational Officeに行く。用件は、明日の授業に必要な資料を専用のインターネットサイトからダウンロードしないといけないが、それにアクセスが出来ないのでどうにかしてもらうため。登録した人しかアクセスできないので、ちゃんと自分が登録されてるのかを確認しに行く。すると、オフィスの人が担当者に連絡してくれる。明日確認するとのこと・・・。それじゃ間に合いません!どうしようもないので、とりあえず礼を言ってオフィスを出る。しょうがない。なんとかなるか。。

今日は、ブラッドフォード大学と隣りにあるブラッドフォードカレッジの合同卒業式らしい。黒いマントと帽子を被った人たちが沢山。おめでとー。

12時からPCD(平和、紛争、開発)の授業に出る。今日はいつもと教室が違い、平和学科の建物(Ashfield Building)ではなく、大学本部ビル(Richmond Building)の教室だった。授業はなく、ビデオを見るだけ。BBC製作のシエラレオネにおけるダイアモンドを巡る問題について。1月の試験ではケーススタディを使わないといけないので、みんな真剣にメモを取るかと思っていたら、全然誰もそんなことはしていなかった。自分もしなかったけど。

試験日程発表授業後に平和学科の建物へ行き、1月の試験の日程が発表されているかを確認する。すると、思ったとおり掲示板に張り出されていた。HRが12日、GNSSが19日、PCDが23日。うーん、試験日初日と最終日か。HR以外は準備の期間が増えた。喜ぶべきかな…。

2時過ぎに自室に戻り、昨日の続きで過去問に挑戦。

あぁーーーー、上手くいかない!まず、800単語が無理だ。知識はある。それなりに文章構造もある。でも、書くと短い。というか、十分そうに見えるが、800単語もない。なぜだぁー?!ノートに4ページも書いてるのに。これでは、一つ一つの例をかなり細かく説明していかないと800単語にはならない。いや、800単語以上書くことが目標なので、最低条件を満たしていない!なんかウツになってきた…。まだ本格的に取り組み始めて2日目だけど、ちょっと挫折気味。

ホントに800単語なのか?実際は、与えられた解答用紙に書くのではないのか?それが埋められればいいのではないか?などと考える。考えていても、所詮推測なので意味がない。もう少し試験についての情報を収集しようと思う。まずは、チューターに会いに行こう。そういう時のチューターだ。そういう時に利用しなくて、いつ利用するというのだっ!明日、チューターのDavinaはいるかな…。休み前に会わなければっ。でも、いつもそんなに愛想が良くないので、本心は留学生のことを面倒臭がっているのではないかと少し疑う…。この前のエッセーのフィードバックも、ものすごくあっさりしてたしなぁー。オリバーがチューターならいいのに、と思う今日この頃。でも、ワガママは言っていられない。

その後、メールで一緒に旅行に行く友達と旅程の相談。列車のチケットをイギリスで手配できるのかを確認を取る必要が出てきた。向こうでも買えると思うんだけどね…。明日、旅行会社に行くことに決める。

夕食は5時に食べる。昨日のカレーの残り。一日眠っていたので、さらに美味しくなった。僕も寝たらウマクなるかな?

試験勉強がはかどらないので、今日は肉体的にも精神的にも疲れた…。この日記を書くのも面倒臭い…。でも、書いた。何事も「継続は力なり」。これ大切。これホント。これモットー。辛くても、とりあえず取り組むことが大切。結果は後から着いてくる。

明日もがんばろうっと。イギリスに来てから4ヶ月目。まだ半分も終わっていない。諦めるにはまだ早い。まだまだ道は長いのだっ!ティラミ〜ス!!(イタリア語で“元気出せ!”の意味。70へぇー。)

2003/12/2(火) 火災警報、授業、試験情報、日本へ電話、洗濯決行、NGOの仕事、過去問へ挑戦

今日は午前3時に起された。火災警報が鳴ったのだ。これで5−6回目である。今回は真夜中の3時だ。これは辛い・・・。当初、無視して寝ようとしたが、うるさすぎて無理。ホントに火事だったら、やっぱり怖いので、服に着替えて外に出る。10分ほどで警報は止まり、部屋に戻れた。そのまま寝ようと思うが、なかなか眠れない。でも、知らないうちに眠っていた。

気が付いたら午前9時。今日は授業があるので、朝食を食べて12時からの「人権」の授業を受ける。60分。トピックはGross Violation of Human Rights。ジェノサイドなどについて。なぜか出席している生徒の数が異様に少なかった。先生も(・・?という顔。ちょっと怒ってたっぽい。

その後、2時から2年生向けの1月の試験に関する説明会に参加する。試験の受け方や心構え、準備の仕方などなど、異常に細かいことまで説明を受ける。色々と話を聞いているうちに試験の実感が湧いてきて、ちょっと緊張してきた。で、説明会が終わった後に個人的に質問したら、3つほど答える設問には、“各設問には最低でも800単語は書かないとダメ。1000単語くらいが良い答案”と言われた。えぇーーーー!はっぴゃくたんごぉー!!と少し動揺。500単語くらいかな、と勝手に想像していた自分には結構衝撃でした。試験時間は2時間だから、問題3問だとして、ひとつに40分か・・・。無理ではなさそうだけど、訓練が必要だ・・・。第一、ネイティブでもそんなに書けるのかな?なんてちょっと思った。友達に800単語が長いのか短いのかについて聞いてみようっと。

で、特定の学年に所属しないVisiting Studentである僕は2年生の試験を受けるのか、それとも3年生の試験を受けるのかが気になった。説明会の人に聞いても“知らない”と言われたので、チューターのところに行くが、あいにく不在。で、学科のオフィスに行くと、International Officeがあなたの相当学年は判断しています、と言われる。いつも親切なEmmaがその場でInternational Officeに電話をして確認してくれた。“あなたは2年生”。断言されました。内心、“よかった・・・”と思う。なぜなら、2年生の問題の方が3年生より比較的簡単だから。とは言うものの、日本の大学では2年生なので当たり前と言えば当たり前だけどね。

帰宅後、ふと日本の大学の友達に電話したくなった。相手は携帯電話なので、長く掛けると通話料が高い。固定電話なら結構安く掛けられるのに。で、掛けてみる。相手が出ても、僕が誰だか分からない様子。音声の品質が悪いらしく、僕の声が分からないらしい。で、僕だと分かると驚いていた。やった!驚かしたぞっ!と、思う。長話は出来ないので、”じゃーねー”と言って通話終了。いたずら電話みたいだった。その後、同じ相手とメールでちょっと会話をする。相手はケータイ。便利な世の中だ。これこそボーダーレスかも?!

クルクル回る洗濯物その後、昨日できなかった洗濯をする。1時間で終了。

すると、日本のNGOの人から8MBものメールが届く。何だと思ってみてみると、現地での活動の報告書をチェックして欲しいとのこと。Wordのファイルが添付してあった。で、ファイルを開いてみると、クロアチアの現地NGOのことやらが書いてある。一応、3度ほど現地へ行ったので、クロアチアというと何かしら僕のところに連絡が来たりする。今回もその類。8月に付き添いでクロアチアに行ったときの報告書である。ファイルの内容を確認し、色々と赤ペンを入れて、返信メールに添付。すると、直ぐ返事が返ってきて、また新たなファイルが・・・。これもチェックしろとのこと。人が良い僕は、その場でチェック。また返信。すると、同時に催促した1ヶ月間の現地でのボランティア活動の感想文が送られてきた。読んでみると、現地で目の当たりにしたクロアチアの社会問題やマイノリティー問題への感想が書いてあった。日本では考えることのできなことや経験を現地ではしてきたようだ。僕も初めて現地で活動したときのことを思い出す。やはり同じように考え、感じたことがあった。それが理由で現在はイギリスにいる。自分と同じような経験をもっと多くの日本の学生に経験して欲しい。そう思って、このNGOとは今でも関わりを持っている。感想文を読んで、少しでも彼ら・彼女らの人生に何かしら影響を与えることが出来て本当に良かったと、つくづく思った。

ちきんかれー夕飯は、チキンカレー。缶詰のレトルトです。具も入っているので、お米を炊くだけ。味付けに日本から送ってもらったブルドックソースを入れる。美味い!

夕食後は、試験勉強をしてみる。試しに過去問をひとつ解いてみる。単語数は685語。うーん、最低条件の800単語まではあと少し。最低でもノート6ページは書かないといけないことを実証。今日からはこのトレーニングに専念することに決定。内容の方は後から着いて来るだろうと期待。断片的に得た知識をどのように、答案に表すかという、今は「テクニック」と「慣れ」の段階かも。がんばるぞぉーーーーーー!!!!(2週間の旅行に行っちゃうし…。これが判断の誤りだったかも…)

2003/12/1(月) 買出し→オーダー→図書館→買い物→人助け→洗濯断念

朝の9時半に起きる。目覚ましを8時にセットしたような気がしたんだけどな…。と、毎日同じことを繰り返している…。

今日は授業がないので、身の回りの整理をしようと決意した。

まずは洗濯。午前10時から12時の間は、コインランドリーの料金が安くなる。なので、12時前に行ってみるが、考えることは皆同じなので、混んでいた。結局、午前中に洗濯することを諦める。

次にすることは、食料品の買出し。チョコレートクリーム、ハム、ひき肉、長ネギ、お菓子たくさん。。

で、今日中に本を返さないと罰金刑に処せられるので、図書館へ向かう。図書館に着く前に、キャンパス内にある本屋で本をオーダー。1週間で届くという。それを信じよう。その後図書館で難なく図書の返却。

図書館を出ると、大学院の日本人に会う。夏の英語コースで一緒だったMBAの台湾人のおじさんが“授業が簡単”と言って帰ったらしい。英語が一番下手だった人だから、“ドロップアウトしたんだね”と二人で結論を出す。

その後、街中のショッピングモールで時計屋さんを探す。直ぐに見つかったので、修理を頼む。値段は£1.5。良心的だ。数分で直る。“ありがとー。おじさん!”

で、そのあとは、これまた1週間近く壊れたままのスタンドランプの電球を買う。フィラメントが切れたので、新しい物を他の店で買ったのだが、これが点かない。なので、今日はデパートでまた電球を買ってみた。

電球購入後、デパートのエレベータを上がろうとすると、前に立っていた70歳くらいのおじいちゃんがいきなり後ろに倒れてきた!僕が受け止めるが、おじいちゃんだけど、体格が良くて、重い!!!!“きゃー!僕も倒れるぅーーー!”というところで、“Someone Help!”と叫んでみる。おじいちゃんが僕の片足を踏んでるから重いよぉー!と思っていると、スポっと僕の靴が脱げた。。誰か来てよ!って叫んでるのに、店員はトロトロしてる・・・。僕が手を離したら、このおじいちゃんは真逆さまに転げ落ちちゃうんだよ・・・。

なんとか、店員がおじいちゃんを起す。ふー。危機を脱した。“このジェントルマントとご一緒ですか?”などと店員が僕に聞く。“いいえ。無関係です。”と答える。それで終わり。

そのまま帰宅して、パソコンをカチカチいじっている間に夜の8時になってしまった。結局、洗濯をし忘れた・・・。明日に洗濯を延期することを決定。

2つの電球と壊れたスタンド結局、電球は点かなかった…。スタンド自体が壊れたのかも。電球だけが増えていく…。

夕飯は昨日のピザの残り。今日は、3食ピザだった。