ローマ帝国の東西分裂後、西ローマは間もなく滅んだのに対し、東ローマはイスラム帝国やオスマン帝国の圧力を受けながらも、1000年以上にわたって存続する。そして、ローマ・カトリックとは異なる正教会の文化が花開いている。 395年 ローマ帝国、東西に分裂 534年 北アフリカ回復 554年 イタリア回復 655年 イスラム帝国に敗れ東地中海を失う 1204年 第4回十字軍によりコンスタンチノーブル陥落、亡命政権となる 1261年 コンスタンチノーブル奪還 1453年 オスマン帝国により滅亡 |
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トルコ | |
イスタンブール(世界遺産) | |
ギリシャの都市ビザンティウムが起源といわれ、330年、ローマ帝国のコンスタンティヌス1世がここに都を遷してコンスタンチノーブルと改名した。ローマが東西に分裂した後も、東ローマ帝国、ビザンチン帝国の都として発展するが、1453年、オスマン帝国に攻略されている。ここでは、ビザンチン時代の建物を紹介する。 まずは旧市街にあるアヤ・ソフィア。2度の焼失のあと、537年に再建された、ギリシャ正教の本山である。オスマン帝国時代にはモスクに転用されていたが、最小限の改造しか行われていなかったためビザンチン時代の雰囲気を残している。1934年からは、無宗教の博物館とされたため、漆喰の裏に隠れていたキリスト教のモザイクを見ることができる。 |
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1997.7 アヤソフィア | 1997.7 アヤソフィアのモザイク |
2020年、エルドアン大統領は、アヤソフィアを再びモスクとすることに方針転換した。モスクなので入場料不要となる代わりに、モザイクがどの程度見られるかわからなかったが、行ってみるとまた方針が変わっていた。1階はモスクとして観光客入場禁止とし、2階だけ入場料をとって見学できるようになっていて、一応モザイクは見られたが、行かれないところが多く残念である。さらに、入場券を買って入場するのに、大雨の中で約1時間並ばなければならなかった。 |
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2024.4 アヤソフィア内部 | 2024.4 目隠しの隙間から見えるモザイク |
アヤソフィアの近くに、地下宮殿と呼ばれる所がある。本当はビザンチン時代の地下貯水池なのだが、なぜかメドゥーサの首が逆さになって柱についている。知っていても見ると異様な感じがする。ここは1997年は薄暗い雰囲気だったが、2024年に再訪するととても明るく整備されていた。 |
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2024.4 地下宮殿 | 2024.4 逆さメドゥーサの首 |
新ガラタ橋を渡って、金角湾の対岸へ。ここはガラタ地区で、ビザンチン時代にジェノヴァ人が居住していた所である。ガラタ塔に登るとアヤソフィアやブルーモスクなどの旧市街がよく見えた。この時は体調が悪くあまり歩き回れなかったが、イスタンブールは狭い範囲に見所が集まっているので十分に堪能できた。 |
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1997.7 ガラタ塔 | 1997.7 ガラタ塔より アヤソフィアとブルーモスク |
2024年は、前回見られなかったヴァレンス水道橋も訪れた。コンスタンチノーブル遷都後まもない378年に建設されたもので、オスマン帝国時代まで現役で使われていた。橋の下は、片側3車線もある幹線道路になっている。 |
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2024.4 ヴァレンス水道橋 | |
☆世界遺産「イスタンブールの歴史地区」 1985年登録 →オスマン帝国時代は、こちら |
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ギリシャ | |
テッサロニキ(世界遺産) | |
テッサロニキは、ローマ帝国におけるマケドニア地方の中心都市で、ビザンチン帝国となった後もコンスタンチノーブルに次ぐ都市だった。ビザンチン帝国滅亡後も商業都市として発展し、今ではギリシャ第2の都市となっている。2回目のギリシャ訪問の際、テッサロニキは観光の予定に入っていなかったが、朝の散歩で一周した。 アギオス・ディミトリオス教会は、5世紀に創建された、ビザンチン初期の教会の1つ。ただ、1917年の火災でほとんど焼け落ちて再建されたので、あまり古さは感じない。パナギア・ハルケオン教会は1028年に創建されたもので、こじんまりとした雰囲気がよかった。 |
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2019.4 アギオス・ディミトリオス教会 | 2019.4 パナギア・ハルケオン教会 |
☆世界遺産「テッサロニキの初期キリスト教とビザンチン様式の建造物群」 1988年登録 | |
メテオラ(世界遺産) | |
メテオラには、9世紀頃から修道士が住み始めるが、修道院が多く建てられるのは14世紀、アトス山から修道士が移動してきた後である。オスマン帝国時代も修道院の活動は続けられ、現在も6つの修道院が現役である。巨大な岩の上に小さな修道院が建つ異次元のような風景で、自然と文化の複合遺産に指定されている。20世紀初めまで縄梯子と滑車でしか登れなかったというのが驚きである。 最初の訪問時は、ツアーでなく自由に回りたかったので、カランバカの街からバスで一番奥のメガロ・メテオロンまで行き、そこから車道を歩きながら修道院をまわった。修道院の中の素朴な雰囲気もいいが、何といっても車道から見る景色が素晴らしいところである。とくに、岩にはりつくようなルサノウ修道院は、絵葉書でよくみるアングルだが一番メテオラらしくて迫力がある。 |
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1997.7 ルサノウ修道院 | |
アギア・トリアダ修道院からカランバカの街へ下る道があると聞いていたので探してみると、岩の間を通るハイキングコースのような道を見つけた。この日はバスでアテネに戻らなければならないので時間が心配だったが、30分程で街に到着。14時10分のバスには余裕で間に合った。自分の足でまわる観光は、バスに乗ってしまうより楽しいものである。 | |
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1997.7 アギア・トリアダ修道院 | 1997.7 カランバカより |
2度目の訪問は個人ツアー。メーデーの祝日だったので、メガロ・メテオロン修道院は営業開始30分前から大行列ができていた。静かに信仰を守り続けていた場所だと思って行くとギャップに驚いてしまう。 | |
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2019.5 メガロ・メテオロン修道院 | 2019.5 ヴァルラーム修道院 |
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2019.5 アギオス・ステファノス修道院 | 2019.5 アギア・トリアダ修道院 |
道路も大渋滞だったが、何とか車を止めて、前回とは別のビューポイントへ。ここは、アギオス・ステファノス修道院を除く主要な修道院がすべて見える場所である。人や車がほとんど見えないのもいい。 | |
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2019.5 左:アギオス・ニコラオス修道院、中央:ルサノウ修道院、右上:メガロ・メテオロン修道院 | |
☆世界遺産「メテオラ」 1988年登録 | |
ミストラ(世界遺産) | |
13世紀初め、第4回十字軍はビザンチン帝国の領土の大半を占領した。そして、残存勢力に対抗するため、13世紀半ばに城塞を築いたのがミストラの始まりである。しかし10年ほどでビザンチン帝国がミストラを奪還、14世紀にはコンスタンチノーブルを凌ぐほど発展した。1453年にオスマン帝国によりコンスタンチノーブルが陥落した後、ミストラがビザンチン帝国最後の拠点となるが、7年後の1460年にミストラも陥落し、ビザンチン帝国は完全に消滅している。なお、オスマン帝国時代もミストラは重要な都市の1つであったが、19世紀のギリシャ独立戦争の中で、アルバニア軍に破壊されて廃墟となってしまった。 ミストラは、標高620mの山の斜面にあって、上の町と下の町に分かれる。上の町から入ると、下の町は驚くほど低いところに見えていた。上の町の教会はどこも廃墟になっているが、壁や天井に壁画が残っている。 |
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2019.5 アギア・ソフィア教会 | 2019.5 聖ニコラオス教会 |
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2019.5 アギア・ソフィア教会の壁画 | 2019.5 聖ニコラオス教会内部 |
上の町の一番低い所に、王宮がある。ここは建物が修復されていて、内部を公開する予定とのことだった。ここから上の町を見上げると、山の上の城塞がよく見えた。 | |
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2019.5 王宮 | 2019.5 王宮付近より 上の町と城塞 |
モネンヴァシア門から上の町を出て、下る途中にあるのが尼僧院のパンタナサ教会。ミストラでは唯一現役で、姿も美しい。このあたりまで降りると、ようやく下の町が目の前に見えてくる。 | |
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2019.5 パンタナサ教会 | 2019.5 下の町の廃墟 |
下の町にも、いくつもの教会があるのだが、すでに観光を初めて2時間半。予定時間をかなりオーバーしていたので、聖ディミトリオス教会のみの見学となった。せめてミストラ最古のアギオス・テオドロス教会は見たいと、走って遠くから写真を1枚だけ撮った。 | |
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2019.5 聖ディミトリオス教会 | 2019.5 アギオス・テオドロス教会 |
☆世界遺産「ミストラスの考古遺跡」 1989年登録 |
ビザンチン帝国