1299年に建国されたオスマン帝国は、14世紀に入ると急速に拡大し、アナトリアからバルカン半島の大半を支配する。1453年にはコンスタンチノーブルを攻略し、16世紀にはエジプト、北アフリカ、ハンガリーまでを支配下におさめる大帝国となった。しかし18世紀後半からは衰え始め、19世紀にロシアに敗れたことでほぼ現在の領土まで縮小した。第1次世界大戦を機にトルコ革命がおこり、帝国は滅亡している。 1299年 オスマン帝国成立 1326年頃 ブルサ占領、首都とする 1389年 コソヴォの戦い、セルビア王国・バルカン諸国連合軍を破る 1402年 アンカラの戦い、ティムールに敗れる 1453年 コンスタンチノーブル攻略、東ローマ帝国を滅ぼす 1514年 チャルディラーンの戦い、サファビー朝を破る 1517年 エジプトのマムルーク朝を滅ぼす 1526年 モハーチの戦い、ハンガリー王国を破る 1529年 第1次ウィーン包囲 1768年 露土戦争はじまる 1805年 エジプトのムハンマド・アリー朝が事実上独立 1877年 サン・ステファノ条約、バルカン半島の大半を失う 1918年 第1次世界大戦で敗戦国となる 1922年 トルコ革命、オスマン帝国滅亡 |
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トルコ | |
イスタンブール(世界遺産) | |
オスマン帝国は、長い包囲戦のうえ1453年にビザンチン帝国のコンスタンチノーブルを攻略、名をイスタンブールと改めて都とした。ここでは、オスマン帝国以降の代表的な建物のみを紹介する。 まずはブルーモスク。正式名称はスルタナーメット・ジャミイで、1616年、スルタン・アフメット1世により建てられた。6本の細いミナレットと重なるようなドームが印象的である。内部も、ブルーという感じはしなかったが凝ったつくりで素晴らしい。 |
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1997.7 ブルーモスク | 1997.7 ブルーモスク内部 |
続いてトプカプ宮殿。コンスタンチノーブルを攻略したメフメット2世が建てた宮殿で、19世紀中頃まで使用されていた。最も有名なのはハレムだが、あまりの大行列に入るのをあきらめた。ボスフォラス海峡に面していて、海峡の眺めがよかった。 | |
1997.7 トプカプ宮殿 | 1997.7 トプカプ宮殿内 バクダッド・キョシュキュ |
☆世界遺産「イスタンブールの歴史地区」 1985年登録 →ビザンチン時代は、こちら |
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ギリシャ | |
カヴァラ | |
古代名はネアポリスで、フィリピに近い港町としてローマ時代から繁栄したところ。ビザンチン時代に要塞化され、オスマン帝国時代には水道橋が築かれた。後にエジプトを支配したムハンマド・アリーが生まれた地としても知られている。旧市街には、イマレット(養老院)やモスクなど、オスマン帝国時代の建物が多く残っている。 |
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2023.8 カヴァラ旧市街 | 2023.8 オスマン帝国時代の水道橋 |
2023.8 イマレット | |
ボスニア | |
モスタル近郊 | |
ボスニアは400年にわたりオスマン帝国の支配を受けており、今でもヨーロッパでは数少ないイスラム国家である。モスタルに到着する少し手前に、名前はわからないがオスマン時代の要塞があった。ツアーでは立ち寄る場所のようで、土産売りも並んでいた。 | |
2010.5 オスマン時代の要塞 | |
リビア | |
トクラー | |
トクラーは遺跡を見に行ったのだと思うが、遺跡はほとんど見るものがない。一方で、立派なオスマン帝国時代の立派な要塞があって、しかも映画の撮影をしていたので昔にタイムスリップしたような雰囲気だった。 | |
2003.9 オスマン時代の要塞 | |
トリポリ | |
フェニキア時代から続く街であるが、旧市街の城壁など現在残る建物の多くはオスマン帝国時代に建設されている。グルジ・モスクは19世紀のオスマン帝国末期のもので、タイルや柱の美しさは見事である。 | |
2003.9 トリポリ城 | 2003.9 グルジ・モスク |
アルジェリア | |
アルジェ(世界遺産) | |
16世紀に、トルコの海賊「赤髭」がここを根城としてスペインの無敵艦隊を破ってから繁栄が始まり、最近では映画「望郷」の舞台として知られる。カスバ(旧市街)は思ったよりきれいで、迷路のような小路の散策は楽しかった。 | |
2006.5 カスバ内部 | 2006.5 カスバ |
☆世界遺産「アルジェのカスバ」 1992年登録 | |
コンスタンティーヌ | |
ローマ時代から栄えた古い街で、ルメル渓谷の断崖に囲まれた旧市街は迫力がある。渓谷には旧市街に渡る橋がいくつもかけられているが、そのうちの1つは歩道橋で、橋の袂からはエレベータで旧市街に上がるようになっていた。 | |
2006.5 ホテル脇より | 2006.5 |
2006.5 |
オスマン帝国