エジプト古王国時代は紀元前2181年に終わりを迎え、140年程の混乱の後、中王国時代が始まる。中王国時代はファイユームの干拓事業が有名だが、建造物として残されたものはあまり無い。この時代も紀元前1782年に終わり、異民族ヒクソスの侵入などもあった第2中間期に突入した。1570年にヒクソスを追放してエジプトが再統一されたことで、エジプトの最盛期、新王国時代が始まる。 新王国時代は、ナイル川下流域ではなく中流のルクソールが国の中心となる。ハトシェプスト女王、ツタンカーメン、ラムセス2世など、名の知られたファラオも数多い時代である。 ○新王国時代のおもなファラオ イアフメス1世 BC1570〜1546 トトメス1世 BC1524〜1518 トトメス2世 BC1518〜1504 ハトシェプスト BC1498〜1483 トトメス3世 BC1504〜1450 アメンヘテプ2世 BC1453〜1419 トトメス4世 BC1419〜1386 アメンヘテプ3世 BC1386〜1349 アクエアテン BC1350〜1334 ツタンカーメン BC1334〜1325 ホルエムヘブ BC1321〜1293 セティ1世 BC1291〜1278 ラムセス2世 BC1279〜1212 ラムセス3世 BC1182〜1151 |
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ルクソール県・ルクソール(世界遺産) | |||||||
古代エジプトでは、ナイル川の東岸が生者の世界、西岸が死者の世界と考えられた。新王国時代の中心地テーベ(ルクソール)も、街や神殿は東岸、墓が集まる王家の谷は西岸にあり、考え方がよくわかる。その両方を合わせて、「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産に登録されている。 | |||||||
カルナック神殿 | |||||||
紀元前1520年頃、第18王朝トトメス1世の時代に大規模な建造が始まり、その後1000年にわたって増改築が繰り返されたアメン神の聖地。神殿、柱、オベリスクなどが複雑に入り組んで圧倒されるような雰囲気があるが、見通しがきかないので写真が撮りにくかった。大列柱室の巨大な柱は開花式パピルス柱で、右のロータス柱との違いがよくわかる。 | |||||||
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1995.12 大列柱室 | 1995.12 ロータス柱の列柱 | ||||||
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1995.12 トトメス3世とハトシェプスト女王のオベリスク |
1995.12 トトメス3世の祝祭殿 | ||||||
奥に進むと、崩れている建物が多くなり、その脇に聖なる池が広がる。池に映る神殿が美しかった。 | |||||||
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1995.12 | 1995.12 聖なる池 | ||||||
ルクソール神殿 | |||||||
紀元前1400年頃、第18王朝アメンヘテプ3世の時代に建造が始まった神殿。入り口にあたる第一塔門は第19王朝ラムセス2世の建造で、前にラムセス2世坐像とオベリスクもあってエジプトらしい風景る。ちなみにこのオベリスクは本来2本が対になっていて、もう1本はパリのコンコルド広場に建っている。 中に入ると、中庭を通って大列柱廊になるが、ここはカルナック神殿に比べて大人しい。遺跡全体のカルナック神殿より小ぶりで、後に訪れえるとやや物足りない気分である。 |
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1995.12 第一塔門 | 1995.12 ラムセス2世坐像 | ||||||
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1995.12 大列柱廊 | 1995.12 | ||||||
王家の谷 | |||||||
ナイル川を渡った西岸、死者の世界にある。第18王朝トトメス1世以後の新王国時代の王墓が集まっている場所で、多くは盗掘されていたが、未盗掘だったツタンカーメンの墓の発見はあまりに有名である。下の2枚は王墓の内部だが、誰の墓の写真かわからなくなってしまった。ツタンカーメンの墓や王妃の谷になるネフェルトイリの墓は、美しさでは群を抜いていたが、写真を撮ることができなかった。 | |||||||
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1995.12 手前がツタンカーメンの王墓入口。 |
1995.12 ツタンカーメンのマスク (カイロの考古学博物館) |
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1995.12 | 1995.12 ヒエログリフ | ||||||
ハトシェプスト女王の葬祭殿 | メムノンの巨像 | ||||||
紀元前1500年頃王位についた、トトメス1世の娘ハトシェプストの建造。大人数のツアーだったため直前に寄った土産物屋で時間がかかり、到着したときは夕暮れ時でかなり不満であった。 | 第18王朝アメンヘテプ3世の坐像。道端に何気なくあった。 | ||||||
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1995.12 | 1995.12 | ||||||
☆世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡」 1979年登録 | |||||||
アスワン県 | |||||||
アブシンベル神殿(世界遺産) | |||||||
紀元前1280年頃から60年以上統治した、第19王朝ラムセス2世の建造。アスワン・ハイダムの建設によって水没する所であったが、ユネスコの一大事業となって湖畔に移築された。世界遺産という制度が誕生した象徴的な遺跡でもある。 ここは街から遠く離れているので、遺跡観光だけのためのような空港があり、飛行機で訪れた。大神殿の巨大な像は、ラムセス2世の強烈な個性が感じられておもしろい。ハトホル神殿は大神殿の隣にあり、ラムセス2世の王妃ネフェルトイリのために建造されたもので、対照的に優しい印象がある。 |
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1995.12 大神殿 | |||||||
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☆世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」 1979年登録 →プトレマイオス朝時代は、こちら |
エジプト文明−新王国時代