紀元前1782年に中王国時代が終わり、第2中間期に突入する。第13王朝は概ね統一を保っていたようだが、紀元前1720年頃にヒクソスが下エジプトに侵入し、後に第15王朝を樹立。一方、上エジプトには第17王朝が成立した。紀元前1570年、イアフメス1世がヒクソスを追放してエジプトを再統一したことで、エジプトの最盛期、新王国時代が始まる。 新王国時代は、第18王朝から第20王朝にかけて。ナイル川下流域ではなく中流のテーベ(現在のルクソール)が国の中心となる。ハトシェプスト女王、ツタンカーメン、ラムセス2世など、名の知られたファラオも数多い時代である。 |
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○第18王朝のおもなファラオ イアフメス1世 BC1570〜1546 ヒクソスを追放しエジプトを再統一 トトメス1世 BC1524〜1518 カルナック神殿を大規模拡張 ハトシェプスト BC1498〜1483 女王、貿易と建築で18王朝最盛期を築く トトメス3世 BC1504〜1450 エジプトの領土を最大にする アメンヘテプ3世 BC1386〜1349 メムノンの巨像を建設 アクエアテン BC1350〜1334 アテン神の1神教を導入、アマルナ遷都 ツタンカーメン BC1334〜1325 ツタンカーメンの墓を残す |
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2025.5 ハトシェプスト女王のスフィンクス (エジプト考古学博物館) |
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2025.5 アメンヘテプ3世像 (大エジプト博物館) |
2025.5 アクエアテン立像 (エジプト考古学博物館) |
〇第19王朝のおもなファラオ セティ1世 BC1291〜1278 カルナック神殿の列柱室建設 ラムセス2世 BC1279〜1212 アブシンベル神殿などを建設した建築王 〇第20王朝のおもなファラオ ラムセス3世 BC1182〜1151 海の民と戦う ラムセス6世 BC1141〜1133 |
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2025.5 ラムセス2世立像 (大エジプト博物館) |
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ルクソール県・テーベ(世界遺産) | |
古代エジプトでは、ナイル川の東岸が生者の世界、西岸が死者の世界と考えられた。新王国時代の中心地テーベ(現在のルクソール)も、街や神殿は東岸、墓が集まる王家の谷は西岸にあり、考え方がよくわかる。その両方を合わせて、「古代都市テーベとその墓地遺跡」として世界遺産に登録されている。 | |
カルナック神殿 | |
紀元前1520年頃、第18王朝トトメス1世の時代に大規模な建造が始まり、その後1000年にわたって増改築が繰り返されたアメン神の聖地。神殿、柱、オベリスクなどが複雑に入り組んで圧倒されるような雰囲気があるが、見通しがきかないのとコントラストが強くて写真が撮りにくかった。 |
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1995.12 大列柱室 | 1995.12 トトメス1世とハトシェプスト女王のオベリスク |
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1995.12 聖なる池と第8塔門 | |
2025年に2度目の訪問。入口のスフィンクス参道は一方通行になっていた。最初に見える第1塔門は、新王国時代より1000年近く後の第30王朝に建設されたもので、しかも未完成である。第1塔門の奥には、セティ2世神殿やラムセス3世神殿など新王国時代の建物が並んでいる。 |
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2025.4 スフィンクス参道と第1塔門 | 2025.4 スフィンクス参道のスフィンクス |
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2025.4 セティ2世神殿 | 2025.4 ラムセス3世神殿 |
第2塔門は、第19王朝セティ1世の建設。その前にあるラムセス2世の像も第19王朝である。第2塔門の奥が大列柱室で、この日は曇っていたので逆に柱のレリーフがよく見えた。 |
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2025.4 第2塔門とラムセス2世の像 | |
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2025.4 大列柱室 | 2025.4 大列柱室北壁のレリーフ |
大列柱室を抜けると、アメンヘテプ3世の第3塔門、トトメス1世の第4塔門、トトメス3世の第6塔門などがあるが、かなり崩れていてわかりにくい。その中に、トトメス1世のオベリスクとハトシェプスト女王のオベリスクが立つ。さらに奥へ行くと至聖所があり、カルナック神殿の心臓部のように思ってしまうが、ここはプトレマイオス朝時代に建設されている。 |
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2025.4 トトメス1世とハトシェプスト女王のオベリスク | 2025.4 至聖所 |
至聖所のさらに奥、中王国時代の神殿跡を過ぎるとトトメス3世の祝祭殿がある。ここは、赤や青の色がよく残っていた。 |
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2025.4 トトメス3世祝祭殿 | 2025.4 トトメス3世祝祭殿内部 |
カルナック神殿は。大列柱室から南に曲がった方向にも続いている。第7塔門の前にあるのはトトメス3世の立像。近くにはスカラベの石像があって、まわりを3周すると願いが叶うといわれる。 |
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2025.4 第7塔門(奥は第8塔門) | 2025.4 スカラベの石像 |
カルナック神殿の少し北側に、トトメス3世のプタハ神殿がある。ここは。セクメト女神像がある神殿内部が古代の雰囲気のまま残っている。また、カルナック神殿の東にはラムセス2世の神殿がある。どちらも観光客はほとんどいなかったが、見応えはある。 |
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2025.4 プタハ神殿 | 2025.4 セクメト女神像 |
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2025.4 ラムセス2世の神殿 | |
ルクソール神殿 | |
紀元前1400年頃、第18王朝アメンヘテプ3世の時代に建造が始まった神殿。ラムセス2世が第1塔門などを追加している。入口は北側にあるので、第1塔門やその前のラムセス2世座像は日陰になってしまっていた。 中に入ると、中庭を通って大列柱廊になるが、ここはカルナック神殿に比べて大人しい。遺跡全体のカルナック神殿より小ぶりで、後に訪れるとやや物足りない気分である。開花式パピルス柱が並ぶアメンヘテプ3世の中庭は見応えがあった。 |
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1995.12 第1塔門のラムセス2世座像 | 1995.12 ツタンカーメンの座像 |
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1995.12 アメンヘテプ3世の中庭 | |
2回目の訪問は、夜のライトアップに合わせて見学。第1塔門の前は、初回訪問時は2体のラムセス2世座像だけだったが、4体の立像も復元されていた。オベリスクもラムセス2世の建設で、対になっていたもう1本はパリのコンコルド広場に立っている。 大列柱廊やアメンヘテプ3世の中庭のライトアップは、確かに美しいが、暗くて石像やレリーフをよく見られない。明るい時間に行く方がいいと思う。 |
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2025.4 第1塔門 | 2025.4 第2塔門と大列柱廊 |
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2025.4 アメンヘテプ3世の中庭 | 2025.4 皇帝崇拝の場 |
王家の谷 | |
ナイル川を渡った西岸、死者の世界にある。第18王朝トトメス1世以後の新王国時代の王墓が集まっている場所。下の写真の中央にある山がピラミッドに似ていることから、ここが墓所に選ばれたとも言われている。多くは盗掘されていたが、1922年にハワード・カーターが未盗掘だったツタンカーメンの墓を発見。一躍ここが有名になった。 2025年の訪問時は、早起きして朝7時前からの観光で、爽やかだった。 |
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2025.4 王家の谷 手前がツタンカーメンの墓 | |
ツタンカーメンの墓から発掘されたものは、カイロのエジプト考古学博物館で保管されており、墓に残るのは装飾のない石棺のみ。それでも、石棺を取り囲む壁画は色彩豊かで素晴らしい。1995年の訪問時は撮影禁止だったが、2025年は自由に撮影できた。一方、考古学博物館にある黄金のマスクや棺は、1995年は撮影できたが、2025年は逆に撮影禁止となっていた。 |
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2025.4 ツタンカーメンの口開けの儀式 | 2025.4 夜を表す12匹のマントヒヒ |
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1995.12 ツタンカーメンのマスク (カイロの考古学博物館) |
1995.12 ツタンカーメンの棺 (カイロの考古学博物館) |
セティ1世の墓は、王家の谷の中でも最大級で、保存状態もすばらしい。また、ラムセス6世の墓はツタンカーメンの墓のすぐ隣で、天井に描かれたヌート神の壁画が印象的。1995年の訪問時も2つの墓を見学しているが、どこだかわからなくなってしまった。 |
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2025.4 セティ1世の墓 | 2025.4 セティ1世の墓 |
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2025.4 ラムセス6世の墓 | 2025.4 ラムセス6世の墓 |
王妃の谷 | |
王妃の谷があるのは、王家の谷の奥にある山の裏側。ここは何と言ってもツタンカーメンの妻であるネフェルタリの墓で知られる。見学は10分間のみで、撮影も禁止されていたが、美しさは群を抜いていて印象に残っている。 |
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1995.12 王妃の谷 | |
ハトシェプスト女王の葬祭殿 | |
紀元前1500年頃王位についた、トトメス1世の娘ハトシェプストの建造。断崖を背景にして、3段のテラスからなる姿は、古代エジプトの中でも最高傑作の1つと言われる。1995年の訪問時は大人数のツアーだったため直前に寄った土産物屋で時間がかかり、到着したときは夕暮れ時でかなり不満であった。2025年は最上段までゆっくり見学して、ようやく満足した。 |
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2025.4 全景 | 2025.4 第2テラスのレリーフ |
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2025.4 第3テラスの北柱廊 | 2025.4 第3テラスの至聖所 |
ラムセウム | |
第19王朝ラムセス2世の葬祭殿。第2塔門前には、エジプト各地に神殿を建てた建築王らしく、創建時に高さ17mあったといわれる巨像が横たわっている。全体的に保存状態はあまりよくないが、列柱室の雰囲気は残っている。 |
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2025.4 第2塔門 | 2025.4 倒壊したラムセス2世の巨像 |
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2025.4 列柱室の外観 ラムセス2世のオシリス柱が並ぶ |
2025.4 列柱室 |
メディネット・ハブ | |
第20王朝ラムセス3世の葬祭殿。現存する葬祭殿の中では保存状態がいい。とくに第2中庭のレリーフは、色がよく残っていて見応えがある。最奥にある列柱室の柱は、ほとんど下部だけになっていた。 |
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2025.4 第1塔門 | 2025.4 第2塔門 |
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2025.4 第2中庭のレリーフ | 2025.4 列柱室 |
メムノンの巨像 | |
第18王朝アメンヘテプ3世の坐像。アメンヘテプ3世の葬祭殿の前にあったものだが、葬祭殿は失われて巨像だけが残っている。道端に何気なくあった。 |
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1995.12 | |
☆世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡」 1979年登録 | |
アスワン県 | |
アブシンベル神殿(世界遺産) | |
紀元前1280年頃から60年以上統治した、第19王朝ラムセス2世の建造。アスワン・ハイダムの建設によって水没する所であったが、ユネスコの一大事業となって湖畔に移築された。世界遺産という制度が誕生した象徴的な遺跡でもある。 ここは街から遠く離れているので、遺跡観光だけのためのような空港があり、飛行機で訪れた。大神殿の巨大な像は、ラムセス2世の強烈な個性が感じられておもしろい |
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1995.12 大神殿 | |
2025年の再訪時は、遺跡の近くに宿泊し、日の出前に訪れた。朝陽で赤く輝く大神殿は、この度でいちばん印象に残った。 |
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2025.4 大神殿 | |
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2025.4 ホルス神の像 | 2025.4 ハピ神のレリーフ |
大神殿の内部は、列柱室にラムセス2世の像が並び、壁はレリーフで埋め尽くされている。早朝だったので観光客が少なく、ゆっくり見学できた。 |
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2025.4 列柱室 | 2025.4 太陽の船のレリーフ |
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2025.4 前室(奥は至聖所) | 2025.4 至聖所の4体の神 (右から2番目はラムセス2世自身) |
大神殿の横にある小神殿は、王妃ネフェルタリとハトホル神に捧げられたもの。とはいっても、正面にある6体の像のうち4体はラムセス2世で、ネフェルタリは2体しかない。内部はハトホル柱が並ぶ列柱室があり、ここもレリーフで埋め尽くされている。 |
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2025.4 小神殿(ハトホル神殿) | 2025.4 列柱室 |
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2025.4 列柱室のハトホル柱 | 2025.4 至聖所 |
☆世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」 1979年登録 →プトレマイオス朝時代は、こちら |
エジプト文明−新王国時代