エジプトの全盛期となった新王国時代は紀元前1069年に終わり、アッシリア、ペルシャ、ヌビアなどの異民族が次々と侵攻する混沌とした時代が続く。そのエジプトに再び平穏をもたらしたのは、エジプト人のファラオではなく、アレキサンダー大王の後継者の1人であるマケドニア人のプトレマイオスだった。プトレマイオスはファラオを名乗ってエジプトの文化を引継ぎ、神殿も多く建てられた。しかしローマ帝国の勢力拡大の中で、紀元前30年のクレオパトラの死をもって、エジプト王国は完全に消滅した。 |
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○プトレマイオス朝のおもなファラオ プトレマイオス1世 BC305〜282 プトレマイオス6世 BC180〜145 クレオパトラ7世 BC51〜30 |
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2025.5 クレオパトラ7世 (グレコ・ローマン博物館) |
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アスワン県 | |
フィラエ島のイシス神殿(世界遺産) | |
紀元前380年頃の第30王朝ネクタネボ1世の時代からプトレマイオス朝時代にかけて建造されたため、エジプトとローマが混ざったような遺跡。フィラエ島というのはもとの遺跡があった島で、アスワン・ハイダム建造の際に水没しそうになり、現在のアギルキア島に移築された。「アブシンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」という名で世界遺産に登録されている。 ここはツアーに組み込まれていなかったが、湖の畔の遺跡をひと目見たく、アスワンの自由時間を利用して車と船をチャーターし、ようやく行くことができた。遺跡は夕陽を浴びて印象的な美しさで、この旅の中で一番記憶に残っている。 |
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1995.12 船の上より | 1995.12 トラヤヌス帝のキオスク |
2回目の訪問では、ガイドの説明を聞きながらじっくり見学しようと思っていたのだが、到着が遅れて後の予定もあるということで、40分ほどで慌ただしく見学することになってしまった。印象的な神殿だけに、雰囲気を静かに味わえなかったのは心残りである。 |
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2025.4 船の上より | 2025.4 列柱廊と第1塔門 |
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2025.4 第2塔門 | 2025.4 至聖所のレリーフ |
☆世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」 1979年登録 →新王国時代は、こちら |
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コムオンボ神殿 | |
プトレマイオス朝時代に建てられたもので、最大の特徴は、ワニの神とハヤブサの神に捧げられた2重構造になっていることである。第1列柱室の入口から至聖所まで、通路が2つに分かれている。また、ここからはワニのミイラが多数見つかっていて、博物館で見ることができる。 |
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2025.4 第1列柱室 | 2025.4 至聖所 |
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2025.4 トト神、ホルス神によるプトレマイオス13世の清めの儀式 | 2025.4 ワニのミイラ |
エドフ | |
ホルス神殿は、紀元前237年、プトレマイオス3世の時代に建造が始まった。塔門のレリーフはホルス神とハトホル神の前で敵を打ち据えるプトレマイオス12世である。 |
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1995.12 ホルス神殿 | 1995.12 神殿内部 |
エスナ | |
クヌム神殿は、プトレマイオス朝時代からローマ時代にかけて建造されたもの。エジプト国内は飛行機の移動が多かったが、アスワンからルクソールまではバス移動で、警察の先導がついた。このとき訪れた3つの遺跡はどれも地味だったが、特にここは、この壁画しか記憶に残っていない。 |
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1995.12 クヌム神殿 | |
アレキサンドリア県 | |
アレキサンドリア | |
アレキサンダー大王によって紀元前332年に建設され、大王の死後はプトレマイオス朝の首都となった街。世界七不思議の1つであるファロスの灯台や、古代世界最大のアレキサンドリア図書館があったところである。紀元前30年、クレオパトラ7世が自殺し、アレキサンドリアがローマ帝国に落ちたことで古代エジプトは滅亡した。 世界七不思議の1つであるファロスの灯台は、紀元前300年頃に建てられたもので、高さ134mあったとされる。796年の地震で半壊し、1323年の地震で完全に崩れている。1480年頃、灯台の跡地に残骸を利用してカイトベイ要塞が建てられている。 |
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2025.5 カイトベイ要塞(ファロスの灯台跡) | |
古代アレキサンドリアの中心には、広大なセラピス神殿があり、400本の柱があったと言われるが、そのうちの1本だけが残っている。ポンペイの柱と呼ばれているが、後の時代にポンペイウスの墓と間違えられたためである。近くではセラピス神殿の至聖所も発掘されていて、セラピス神像のレプリカが置かれていた。 |
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2025.5 ポンペイの柱 | 2025.5 セラピス神像のレプリカ |
アレキサンダー大王の死後、遺骸はプトレマイオスがアレキサンドリアに埋葬したと言われているが、墓は見つかっていない。有力な候補の1つがダニエル・モスクで、7世紀に立派な棺が発見され、それを預言者ダニエルのものと考えてモスクが建てられたところである。預言者ダニエルとアレキサンドリアは結び付かないので、立派な棺はアレキサンダー大王と考えても不思議はない。 下の写真はダニエル・モスクの地下の部屋で、奥の額を動かすと背後の穴からローマ時代の遺構が見える。通常見られる所ではないが、添乗員さんがかつてエジプトに住んでいたこともあって、特別に見学できた。 |
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2025.5 ダニエル・モスクの地下 |
エジプト文明−プトレマイオス朝時代