エジプトの全盛期となった新王国時代は紀元前1069年に終わり、アッシリア、ペルシャ、ヌビアなどの異民族が次々と侵攻する混沌とした時代が続く。そのエジプトに再び平穏をもたらしたのは、エジプト人のファラオではなく、アレキサンダー大王の後継者の1人であるマケドニア人のプトレマイオスだった。プトレマイオスはファラオを名乗ってエジプトの文化を引継ぎ、神殿も多く建てられた。しかしローマ帝国の勢力拡大の中で、紀元前30年のクレオパトラの死をもって、エジプト王国は完全に消滅した。 ○プトレマイオス朝のおもなファラオ プトレマイオス1世 BC305〜282 プトレマイオス6世 BC180〜145 クレオパトラ7世 BC51〜30 |
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アスワン県 | |
フィラエ島のイシス神殿(世界遺産) | |
紀元前380年頃の第30王朝ネクタネボ1世の時代からプトレマイオス朝時代にかけて建造されたため、エジプトとローマが混ざったような遺跡。フィラエ島というのはもとの遺跡があった島で、アスワン・ハイダム建造の際に水没しそうになり、現在のアギルキア島に移築された。「アブシンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」という名で世界遺産に登録されている。 ここはツアーに組み込まれていなかったが、湖の畔の遺跡をひと目見たく、アスワンの自由時間を利用して車と船をチャーターし、ようやく行くことができた。遺跡は夕陽を浴びて印象的な美しさで、エジプトの遺跡で一番記憶に残っている。 |
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1995.12 船の上より | 1995.12 第一塔門 |
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1995.12 トラヤヌス帝のキオスク | 1995.12 |
☆世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」 1979年登録 →新王国時代は、こちら |
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コムオンボ神殿 | |
プトレマイオス朝時代に建造。2重構造の神殿である。レリーフはトト神とホルス神から清めの儀式を受けるプトレマイオス13世。エジプト国内は飛行機の移動が多かったが、アスワンからルクソールまではバス移動で、警察の先導がついた。このとき訪れた3つの遺跡はどれも地味だったが、コムオンボは少し規模が大きかった。 | |
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1995.12 | 1995.12 |
エドフ | エスナ |
紀元前237年、プトレマイオス3世の時代に建造が始まった。塔門のレリーフはホルス神とハトホル神の前で敵を打ち据えるプトレマイオス12世。 | プトレマイオス朝時代からローマ時代にかけて建造。ここは、この壁画がほとんど唯一の見所だった。 |
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1995.12 ホルス神殿 | 1995.12 クヌム神殿 |
エジプト文明−プトレマイオス朝時代