琉球が琉球王国として統一されたのは1429年。それまでは山北、中山、山南の3つの勢力に分かれて争っていたが、山南の尚巴志が王国を樹立し、首里が都となった。1609年に薩摩藩に攻められて実態的にはその支配下に入るが、王国の形態は明治まで続き、本土とは別の歴史を歩んでいる。 |
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特別名勝 | |
識名園 | |
王国の別荘だった所で、太平洋戦争でほとんど破壊されたが沖縄返還後に修復されている。訪れた時は大雨で風景を楽しむどころではなかった。 | |
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2007.1 六角堂と御殿 | |
ようやく晴れた日にめぐりあって、15年ぶりの訪問。晴れていると、どこを見ても絵になる風景だった。 | |
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2022.7 心字池 | 2022.7 御殿 |
史跡 | |
首里城跡 | |
琉球王国の都で、戦後、多くの建物が復元された。中城城や今帰仁城などとともに、世界遺産に登録されている。 →世界遺産 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」 参照 |
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1999.10 首里城正殿 | 2015.6 守礼門 |
中城城(日本百名城) | |
最も保存状態がいい城の1つ。海を見下ろす山の上にあり、バスは麓までしか行かないので登るのが大変であったが、立派な石垣とそこからの風景を見たら疲れも吹き飛んだ。カーブした石垣がいい雰囲気である。 →世界遺産 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」 参照 |
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2022.7 二の郭 | 2006.11 城壁 |
勝連城 | |
有力者の1人、阿麻和利の居城で、一時は大きく勢力を拡大したが首里に敗れて滅んだ。ここも海を見下ろす高台で、半島の両側や海中道路なども見えて景色はいちばんいい。また城も下から見上げると空に浮かんでいるようで絵になる風景だった。 | |
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2006.11 | 2006.11 |
今帰仁城(日本百名城) | |
名護の北にあるかつての山北の拠点で、高台なので登るのに一苦労だった。かなり規模が大きく、あちこちに石積みが残る風景は、マヤの遺跡を歩いているような感覚になった。首里以外では最初に行った城だったので、強く印象に残っている。 | |
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2006.8 | 2006.8 |
座喜味城 | |
残波岬に近い城跡で、沖縄最古のアーチ門が残る。しかしさっぱりした造りで、中城や勝連を見た後では物足りない感じだった。 | |
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2007.3 | |
浦添城 | |
那覇市の北側、山の上にあり、ここも太平洋戦争で破壊されたが一部が修復されている。山の上なので眺めがいいかと思ったが、それほどでもなかった。 |
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2007.3 浦添ようどれ | |
2021年に、二度目の訪問。モノレールがてだこ浦西まで延伸し、駅から歩いて行かれるようになった。 | |
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2021.7 浦添ようどれ | 2021.7 王陵 |
玉城城 | 糸数城 |
沖縄本島南部にはいくつも城跡が残っており、とくに糸数はかなり規模が大きいが、世界遺産にならなかったためか全く人影がなかった。玉城も半分森に埋もれたような遺跡で、探検気分が味わえた。 | |
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2007.3 | 2007.3 |
斎場御嶽 | 円覚寺跡 |
斎場御嶽は、那覇市からまっすぐ東に行った太平洋岸にあり、聖なる儀式が行われる聖地。「せいふぁーうたき」と読む。深い森の中、そして海を望む雰囲気はいいところだった。 | |
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2007.3 三庫理 | 2006.9 円覚寺跡 |
重要伝統的建造物群保存地区 | |
竹富島 | |
八重山諸島の石垣島と西表島の中間にある、歩いて回れるような小さな島。南国的な屋根と石垣の続く小路は沖縄のイメージぴったりで、気持ちのいいサイクリングができた。島の中心付近には全体が見渡せるよう展望台がつくってあり、なかなか親切なことである。 | |
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2005.6 | 2005.6 |
渡名喜島 | |
その他 | |
金城町 | |
首里城の裏側、山を下る道が石畳になっていて雰囲気がいい。しかしかなりの急坂で、モノレールの駅から距離があるので戻るのにかなり疲れた。 | |
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2006.9 | 1999.10 |
史跡・名勝・重伝建 -琉球