伊福部昭氏の音楽の感想


伊福部昭氏の代表曲はいろいろある。
しかし私はそんなに知らない。ゴジラのテーマソングでさえ、きちんと聴いたことはない。
そんなヤツが書くので、ひどい感想文になると思うが、あえて書かせてもらう。

伊福部氏のことを簡単に紹介すると、彼は1932年から作曲を始め、以降毎年のように作品を発表している。作曲者の道を選択する前は、森林官として北海道の厚岸で勤務していた。勤務先は山の中。そんな日常であった。
また、幼少の頃から、アイヌ音楽との交わりがあった。作曲方法はまったくの独学である。
これらの環境のもとに育まれた音楽なので、誰の影響を受けたものではなく、彼自身のオリジナリティに溢れている。


交響譚詩とシンフォニアタプカーラは、それぞれ1943年(29歳)と1954年(40歳)の作品である。
聴くたびに感想が変わってしまう。これは、その音楽があまりにも深すぎて、数回聴いただけじゃ到底理解できないからである。聴きこむほどに新たな発見がある。

それでは、私が断片的に理解したことを書かせていただく。
まずざっと聴いて感じたのは、他に比類すべき曲がないことである。
オーケストラを使用しているのでクラシックだと思う。けれどクラシックでくくれない。
それは、クラシックは西洋の古典だと思うのだが、伊福部氏のそれは、日本古来の音楽。。。人から人へ、耳を通して伝わった祭りなどで使われる伝承曲が使われているからだ。祭のお囃子、地域性があるという太鼓の独特なリズムである。

うちは、東京の下町と言っていい生活環境にあり、かつては漁師町だったこともあって、お祭りにかける人々のパワーと熱意を常日頃感じている。お祭りが始まると、商店街はお祭り一色になる。古来から伝わる太鼓のリズムを覚えるために、子供達は大人から講習を受ける。その昔は太鼓のリズムきちんと覚えて一人前と認められたことだろう。
大漁を祈願して、男たちは夜を徹して宮出しをし、町内を神輿を担いで回る。
そんな神聖な儀式を大切にするので、神輿よりも高い場所で眺めていた人は、怒られるだけでなく、水も掛けられたというエピソードが残る。

そういう古き良き時代、海の神とか山の神とかを信仰して大切にし、自分たちの生活を守るために、男たちが神への感謝と畏敬を表し、自分の力の限り祭りで力を注ぐ。まるでこの世に生誕した喜びを全身で表現するかのように。
伊福部氏の音楽を聴くと、そんな日本人が本来持っていたパワーを感じてしまうのだ。
力強い! 伊福部氏の音楽を一言で表すと、これに行き当たる。


曲は、静と動のパートに分かれると思う。
変リズム多用で、場面により、リズム自体さえないのではないかとも思える。
クラシカルな西洋音楽をやっていたかと思っていると、尺八のような音色、ピアノで琴で奏でてもいいのではという旋律を弾く。
よくわからないが、雅楽を感じる。
これらが自然に無理なく調和している。
水のように自然な流れだ。
これが本当に50年も前に書かれた曲なんだろうか?斬新さと独自性に驚嘆する。

静のパートでは、ゆるやかにやさしくしかも上品に曲が流れていく。
旋律から旋律へ、違った曲が繋がっていくのだが、その繋がり方があまりにも自然で心地いいため、そんなにすごいことをやっているような気は感じさせない。
だが、これがポイントなのである。よく聴いてみると、違うと思った旋律のそれぞれの根底に統一性のある節回しがある。
そんな繊細さと叙情性を持ち合わせている。

動のパートは、のっけからハイテンションで始まる凄まじいほどの凝縮された音の洪水である。
これでもかと、弦楽器、金管楽器、打楽器が連携して攻め入ってくる。
時折、ゆるやかなメロディも混じるので、その攻撃から手を緩めることもあるが、その後の鋭い斬りつけるような音空間に圧倒される。
私は今まで攻撃的な音楽はヘヴィメタだと思っていた。あの大音量と密度の濃い派手なギターサウンド、低音をきかせた脳天を突き抜くようなベース、バスドラをたんまりと入れた、スピードこそ命と言うべきドラムス、濁音たっぷりの、ヘッドホンで聴くとまるで顔にしぶきが飛んでくるようなデス声のボーカル、そんなのが攻撃的な音楽だと思っていた。
けれど、ロックでなくてもリズムとメロディと音の積み重ねでその攻撃的なサウンドを産み出すことができるのだ!いや、それと比較しては伊福部氏に失礼であろう。また別の次元の攻撃性である。
それが何よりも素晴らしいのである!!

攻撃的なサウンドに、なにも他で聴くような理解不能なでたらめなリズムと耳障りな不協和音はいらない。
そして伊福部氏の攻撃的なサウンドには普遍性を感じる。



私の原点がここにある(massh2号)