レインボーの系譜表(1975〜1984)

ここに書いてある時期はテキトーですので、ズレが多少あります。


  第1期(1975.2月〜1975.4月)

 エルフ
  

  〃
  〃









 リッチー・ブラックモア(g)
 ロニー・ジェームズ・ディオ(vo)
 ミッキー・リー・ソウル(key)          ⇒クビ
 ゲイリー・ドリスコール(dr)           ⇒クビ
 クレイグ・グルーバー(b)            ⇒クビ
   
銀嶺の覇者(Man Of A Silver Mountain) 1975.8.10
記念すべきファーストアルバム。一番中世ムードが漂い、リッチーが何をしたかったのかがよくわかる
サウンズ紙の人気投票で、ベスト・ニューバンド部門 1位
同ベスト・ギタリスト部門 1位

  リッチー、パープルの音楽的な方向性についていけず、ソロを製作。かつてツアーの前座に使ったエルフの力を借り、そのままレインボーとなった。(身近な調達^^;)
ロニー以外のメンバーを「バンドとしてやっていくには力不足」とクビに。
  第2期(1975.9月〜1977年4月)


ジェフ・ベック・G
ハーロット
ブレッシングス








 リッチー・ブラックモア(g)
 ロニー・ジェームズ・ディオ(vo)
 コージー・パウエル(dr)
 ジミー・ベイン(b)               ⇒クビ
 トニー・カレイ(key)

Rainbow Rising(虹を翔ける覇者)1976.4
中世的なサウンドの中に、パワフルなコージーのドラミングが加わり、楽曲の良さも合いまった、すべてにおいて最高なアルバム。かつてのB面の大作の2曲を必聴!!リッチーのギターが炸裂で実に小気味いい。
アルバムレビューは こちら

  リッチーはマーキー・クラブで演奏していたジミーをバンドに誘い、トニーはジミーが連れてきて、コージーにはどうしてもとお願いして加入してもらった。
ジミーはプレイが基本的過ぎる、もっと変化がほしい理由でクビに。
  第3期(1977.5月〜7月)


ナチュラル・ガス、U.ヒープ




 リッチー・ブラックモア(g)
 ロニー・ジェームズ・ディオ(vo)
 コージー・パウエル(dr)
 マーク・クラーク(b)             ⇒クビ
 トニー・カレイ(key)               ⇒クビ
 
バビロンの城門(Gates of Babylon)
レコーディングのみ

  中堅どころのバンドを渡り歩いているマーク・クラークを加入させたが、レインボーに合わないためクビ、トニーはめんどくさがりの性格が災いしてクビに。
  第4期(1977.9月〜1978.11月)





チッキン・シャック
セッションミュージシャン














リッチーブラックモア(g)
ロニー・ジェイムズ・デォオ(vo)        ⇒クビ
コージー・パウエル(dr)
ボブ・デイズリー(b)            ⇒クビ
デヴィッド・ストーン(key)          ⇒クビ

レインボー・オン・ステージ 1977.7
日本のライブの模様を収録。第2期レインボーのエネルギッシュなプレイに圧倒される。特にスティル・アイム・サッドは歌詞付きでさらにパワーアップしている。

バビロンの城門(Long Live Rockn' Roll)1978.5
激しいメンバーチェンジの最中で製作されたので、8曲中4曲でリッチーのベースが聴ける。
Kill The KingとGates Of Babylonは、これまでのレインボーの、いやリッチーの集大成と言える濃い曲である。




ブラック・サバス、ディオ

Y.マルムスティーン















ロスのパーティーで、リッチーボブに会ったのがきっかけでボブが加入。カナダ生まれのデヴィッドは「シンフォニック・スラム」をリッチーが気に入り、オーディションを経て加入。
が、二人ともレインボーの1/5となるには役&力不足で、あえなくクビ。

信じられないことに、ロニーもまたクビに。コマーシャルな曲もやりたいリッチーと中世的な音楽がやりたいロニーの間に対立があった模様。
  第5期(1978.12月〜1980.8月)



マーブルズ
D・パープル
コラシアムU









リッチー・ブラックモア(g)
コージー・パウエル(dr)            ⇒脱退
グラハム・ボネット(vo)           ⇒クビ
ロジャー・グローバー(b)
ドン・エイリー(key)

ダウン・トゥ・アース(Down To Earth)1979.9
アメリカン・マーケット進出を狙ったアルバム。
中世的サウンドは薄まり、代わりにPOPなRock、ブルースなどの組合わさったアルバムとなった。賛否両論の出た、問題作であったが、アメリカでは一応の成果があった。




MSG、ELP、etc
MSG、アルカトラス











コージーの紹介により、クラシック、ジャズ、ロックのできるドン・エイリーが参加。
ロジャーにはプロデューサーとして声をかけ、快諾。そのうちにベースも頼んだ。
グラハムの4オクタープという声域と歌唱力がリッチーを魅了し、加入。

コージーがリッチーのサウンドの変化についていけず、脱退。グラハムはやる気を失ってクビに。
  第6期(1980.10月〜1981.9月)





ファンタンゴ
サマンサ












リッチー・ブラックモア(g)
ロジャー・グローバー(b)
ドン・エイリー(key)                ⇒クビ
ジョー・リン・ターナー(vo)
ボビー・ロンディネリ(dr)

アイ・サレンダー(Difficult To Cure)1981.3
まるで、アメリカン・ハード・プログレのような、軽快なPOP寄りのRockアルバム。POPが好きなジョー・リンの個性が溢れる。従来のRockも第九をモチーフとした曲もあり、『虹を翔ける覇者』の次に好きなアルバムだ。
これにより、念願のアメリカン・マーケットを手中に収める。

インストナンバーのメイビー・ネクスト・タイムがグラミー賞にノミネートされた。




オジー・オズボーンB











ボビーのロング・アイランドでのドラミングをリッチーが気に入り加入。
ジョー・リンは、リッチーの友人の薦めで決定。
ドンは、コージーが親友だったこともあり、彼の脱退後は次第にやる気を失っていたため、結果的にクビに。
  第7期(1981.10月〜1982.12月)
 
リッチー・ブラックモア(g)
ロジャー・グローバー(b)
ジョー・リン・ターナー(vo)
ボビー・ロンディネリ(dr)             ⇒クビ
デイヴ・ローゼンサル(key)

闇からの一撃(Straight Between The Eyes)1982.4
前作の延長と言える。POP路線も大分板についてきたが、その反面中世的なサウンドは影を潜め、メリハリがなくなってしまった。
が、シングル「ストーン・コールド」はアメリカでヒットした。

  オーディションでクラシックを学んだデイヴが加入。
ボビーもついにクビに。音楽的なものなのか、リッチーのワガママぶりに嫌気がさしたものなのかは不明。
  第8期(1983.1月〜1984.3月)⇒解散
 
リッチー・ブラックモア(g)              ⇒
ロジャー・グローバー(b)              ⇒
ジョー・リン・ターナー(vo)              ⇒
デイヴ・ローゼンサル(key)             ⇒
チャック・バーギー(dr)

ストリート・オブ・ドリームス(Bent Out Of Shapes)1983.10
レインボーの再結成前のラストアルバム。POPでいてRockな珠玉の作品揃いだそうだ。Street Of Dreamsのプロモビデオは素晴らしい出来である。
ん〜、私は変化の多いRainbowが好きだったのに、またこの路線かぁと少し飽きてしまったのよね〜。^^;



D・パープル
D・パープル
Y・マルムスティーン
   〃










ジョー・リンの15年来の友人であるチャックを起用。

かねてからパープルの再結成をしたがったリッチーだが、イアン・ギランがギランを解散したことにより再結成可能に。一方ジョー・リンはソロのデモを作ったが、それがリッチーの臍を曲げさせ、クビを言い渡された。
それらの理由で、日本公演を最後に9年の歴史を閉じてしまった。