私は、一人でした。
ずっと……ずっと、独りでした。



『これはすごい……』
『はい、かなりの資質ですね……』



力がありました。
それも、不必要なまでに強大な。

頼んだわけではありません。
望んだわけでもありません。



『これなら、保護機関の……』
『えぇ、抹殺者。いえ、十二使徒入りさえも夢ではないでしょう』



けれど私には、力がありました。
人を殺すための……そんな、忌まわしい力が。



『小学校か。集団生活など必要なかろうに』
『仕方ありませんよ。保護機関も結局は役所仕事ですから、義務教育を受けてないとうるさいですよ、きっと』



両親は、私の能力しか見ていませんでした。
私の能力を最大限に引き出すことしか、考えていませんでした。



『あの子が……』
『ええ、何でも、化け物みたいな能力の持ち主らしいんですって』



周りの人が私に抱くのは、恐怖の念。
高すぎる資質と、強力な能力への、恐怖の念。



『親は、暗殺者に仕立て上げようとしてるとか』
『まぁ……』



そして、嫌悪の念。
“人を殺すべく”育て上げられようとしている私への、嫌悪の念。



『おい、あいつが……』
『指さすなって、何されるかわかんねーぞ』



もし……もし、私に能力がなければ、普通に生活できたのでしょうか?
能力の資質なんてなければ、愛されたのでしょうか?



『なぁ、何であいつ学校に来てんだ? 来なきゃいいのに……』
『シッ! 聞こえるぞ』



誰に疎まれることもなく、嫌われることもなく、生きること。
これは、そんなに難しいことなのでしょうか?

“人として”生きること。
私は、こんなことを望むことさえ、許されなかったのでしょうか?



『最近、どうも集中力に欠けていますね……』
『いらん感情を身につけたか? やはり、学校生活なぞ経験させるべきではなかったのかもしれんな』



家にも学校にもどこにも、私の居場所なんてありませんでした。
心安らぐことも、感情を表に出すことさえも、ありませんでした。



『まぁ、大丈夫だとは思いますが』
『そうだな。どのみち、他に選択肢などないんだからな』



そう……あの時までは。
あの日、祐一と詩子に、出会うまでは。










「何やってるんだ? こんなとこで」












神へと至る道



番外編X  涙












その日は、雨が降っていました。
雨の時だけ私に休みが与えられるので、いつも通り、人のいないあの空き地に向かいました。

いつも通り、傘を差して空き地へ。
家にいたくないから、という理由だけで、誰もいない空き地へ。



空き地に着くと、これもいつも通り、その真ん中に立ち、空を見上げます。
傘を差していても、空を見上げていては濡れてしまうというのに、それでも見上げます。

理由は……よくわかりません。
空に自分が溶け込んでいけるかもしれないと考えていたのかもしれませんし、あるいは、自由に飛ぶ鳥に焦がれていただけかもしれません。
それとも、何も見たくなかったからでしょうか。
自分でも理由がよくわからないのに、それでも、いつも空を見上げていました。





なぜ、私はこんな能力を持っているんでしょうか?
なぜ、私がこんな能力を持っていなければならないのでしょうか?

捨ててしまえればいいのに。
消してしまえればいいのに。



どうして、私はここにいるの?
何のために、私はここにいるの?

いなくなれればいいのに。
いなくなってしまえばいいのに。








涙は流れません。
流したことがあるのかどうかもわかりません。
物心ついた時には、能力を使うための修行の日々を送っていましたから。
涙を流す暇も、余裕も、ありませんでしたから。



愛情を感じたことはありません。
少なくとも、物心ついた時からは。
記憶にあるのは、私の能力を最大限に引き出そうと叱咤している、両親の厳しい表情だけ。
私ではなく、私の能力を見ている視線だけ。



けれど、大切に育てられた、と言えないことはないでしょうね。
立派な“能力者”に育て上げるために。
十二使徒という存在に、仕立て上げるために。

ですから、私はそのように成長させられました。
自分の能力が極めて高いことを、自覚できるほどに。
その気になれば、その両親でさえも、簡単に殺せてしまえるほどに。



それでも私は、両親に従いました。
他の生き方を知りませんでしたから。
何より、他の生き方など、選べませんでしたから。
行くべき場所も、するべき何かも、私にはありませんでしたから。
空っぽの私。
何にもない私。
そんな私に、何ができるというのでしょう。





喜びもせず、怒りもせず、泣きもせず、笑いもせず。
……私は、一体何なのでしょうか?

人間らしくあることさえも、満足にできない。
できるのは、能力を使うことと、それを使って人を傷つけること。
そんな私だから、私を人間として見てくれる人なんて、いませんでした。










その日、雨が降っていたこと。
その日、私がその空き地にずっといたこと。


後から思えば、これは、私が初めて手にした幸運でした。


だって、彼らがそこに来てくれたのですから。
私に、声をかけてくれたのですから。
私を、見てくれたのですから。















「何やってるんだ? こんなとこで」

それは突然の言葉でした。
振り返ると、そこには、同い年くらいの怪訝そうな表情をした少年と、不思議そうに首を傾げている少女がいました。

少年は、黒っぽい上下で身を包み、少し長い前髪から見える強い眼差しが印象的でした。
少女は、どこか明るい空気を身に纏っていて、きらきらと輝いて見える目が眩しく映りました。

私が驚いたのは、そこに人がいたことよりも、他人が私に声をかけてきたこと。
私を見ても、表情一つ変えなかったこと。

「…………」

でも、私は何も話せません。
何と答えていいのかわかりません。

知識はありました。
思考力もありました。
けれど、経験がありませんでしたから。





「ねぇねぇ、一つ聞いていい?」

沈黙は、ほんの一瞬のこと。
少女が、首を傾げたまま、尋ねてきました。

「……どうぞ」

生返事にも近しい言葉。
それでも少女は、気に留めた様子もなく。

「何で傘をちゃんと差してないの? すごい濡れてるよ」
「……別に、気になりませんから」
「私は気になるよ」
「なぜ、あなたが気になるのですか?」
「だって、人が濡れてれば気になるでしょ?」
「……知りません」
「それにさー」
「何で……」
「泣いてるように見えるからな」

何ですか、と言おうとして、その途中で少年が発した言葉に、私は驚かずにはいられませんでした。
泣いてるように見えた? 私が……?



「……なぜ、そう思うんですか? あなたに、なぜそれがわかるんですか?」
「経験、かな」
「だね」



頷きあう二人。
経験? どういうことでしょうか?



「……経験とは、どういうことですか?」
「そのまんまだよ。似たような表情、記憶にあるんだよ」
「うんうん」



似たような? まさか?



「……笑わせないで下さい。あなた達に何が……」
「能力者だろ? お前。それも、かなり強い」
「!」



なぜ、わかったのでしょう?
……いえ、わかったということは……



「……そうですか、あなた達も能力者なんですね」
「そういうことだな」
「うんうん。ついでに言えば、私達も、あなたと同じくらい強いよ」





少年も少女も、淡々と、まるで他人事のようにそんな言葉を口にしました。
私に向かって、微笑みながら。

その言葉に嘘がないことは、微かに感じられる生命エネルギーの様子からわかります。
確かに、その資質の高さに、疑う余地はありません。

けれど、何で……?



「何で……?」
「ん?」
「何で、あなたたちは笑っていられるのですか?」



私は、笑えません。
泣くことだって、できません。
感情なんて、あるのかどうかもわかりません。


……人間らしく振舞うことなんて、できません。


皆に恐れられ、疎まれ、嫌われ。
それは、この二人も同じなはず。

そう、同じ目にあってきたことは間違いありません。
これは、“常識”ですから。
強い能力者が迫害を受けるのは、“当たり前”なのですから。



だからこそ、気になりました。
なぜ、この二人は笑えるのか。
なぜ、この二人は普通に振舞えるのか。

それは、私が初めて他人に興味を抱いた瞬間でした。

純粋に、知りたいと思いました。
理解したい、と思いました。
私と同じくらいの力を持ちながら、人間らしくいられる彼らのことを。



……答えは、驚くくらい単純で。
でも、私には不可能なことでした。








「ん? 簡単だよ。独りじゃないから」
「……そうですか」

その瞬間、私は悟りました。
あぁ、私は、彼らとも違うのですね……と。

私には、誰もいません。
誰も側にいてくれません。

向けられる視線は、恐怖に彩られ。
かけられる言葉は、嫌悪に満ち。

“私”を見てくれる人は、声をかけてくれる人は、手を差し伸べてくれる人は、どこにも……





目を伏せ、俯こうとした、その瞬間に。



「ぁ……」



少年が、両手で私の頬にそっと触れ、目を覗き込んできました。
目と目が合う……まるで、心の奥まで覗かれるような感覚。

けれど、それは不快ではなく。
触れられた頬から伝わる体温は温かく。
私を見るその目に宿るものは、今まで感じたことのないもので。



「そんな顔すんな。お前は、独りじゃないよ」



かけられた言葉は、凍てついた心を解かすような温かさに満ちていて。



「……どういう、ことですか?」



そんな言葉は、少年が何を言いたいのか、わからなかったからではなく。
ただ、聞きたくて。
その言葉を、かけて欲しくて。



「同じなんだよ、お前は、俺達と。だから、お前を独りになんて、させたくないんだ」



誰かが、側にいてくれる、と。
誰かが、私を見てくれる、と。
誰かが、私に触れてくれる、と。



「もしお前が望むのなら、俺達はずっと一緒にいてやるさ。“仲間”は、多い方が楽しいからな」



教えて、欲しくて。



「だから……な」



微笑みと共に私の心に響いた声は、とても優しく。
私を覗き込むその目は、とても澄んでいて。










ふいに、視界が滲んだ気がした。
視界一杯に移る、その優しげな顔が、景色に溶け込んでいくような、そんな感じ。

なに……? これは、なに?
まだ、見ていたいのに……私を見てくれる、その瞳を。


「泣きたいんだろ? 泣きたかったんだろ? それなのにずっと我慢して、我慢し続けて。泣くこともできないくらい、苦しんで……」
「っ……うぅっ……うっ、ううぅっ……」


……泣く? 私が? 私、泣いてるの……?


「泣いていいぞ。気が済むまで泣けばいい。泣きたい時に泣けないのは、本当に、辛いからな……」
「ぅ……うああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」










あぁ、そうか……そうだったんですね。
私は、泣けなかったんじゃなくて、泣かなかっただけなんですね。
泣きたかったのに、ずっと溜め込んでただけ。
泣ける場所が、なかっただけ。

ずっと溜め込んでたせいなのか、私は子供のように泣き続けて。
でも、恥ずかしいとか、みっともないとか、そんな気持ちは全くなくて。
それを不思議に思うことさえ、なくて。



だって、すごく温かかったから。
初めて、人の優しさに触れた気がしたから。
抱え込んでいた重い荷物を降ろしたような、そんな爽やかな心地に、浸っていたから。



今日初めて会ったばかりの人の胸に縋り付いて。
涙で顔をぐしゃぐしゃにして。
みっともないくらいの大声で泣きながら。



……私は、本当に満たされていました……















「……っていうかさー。詩子さん、ほったらかし? それは感心できないよ? 祐一」

完全に蚊帳の外に置かれていた少女が拗ねていた事に気付いたのは、泣き続けて、疲れを感じ始めた頃。
いつの間にか、雨は完全に上がっており、夏の陽光が、この空き地にも降り注いでいました。

「まぁそう言うなって。詩子も、この子に元気になってもらった方がいいだろ?」
「そりゃそーだけどさー……何ていうの? だからって、詩子さんをほっとくってのはどうかと思うのよ」
「む……うーん、そだな。ほったらかして悪かった」
「ん、わかればよろしい」
「あの……」

二人が話してるうちに、ようやく落ち着いてくる私の心。
だから、とりあえず、聞きたいことを聞いてみることにしました。

「ん? あ、今度はこっちの子をほったらかし? 祐一、極悪だね♪」
「お前な……」
「んで、なぁに? 聞きたいことがあるって顔をしてるけど。あ、私は柚木詩子。詩子って呼んでね」
「あぁ、自己紹介を忘れてたな、そういや。俺は相沢祐一だ。呼び方は好きにしてくれりゃいい」
「あ、はい。私は茜……里村茜です」
「茜、か。うん、いい名前だね。よろしく。んで? 聞きたいことがあるんじゃないの?」
「はい。あなた達はどうしてここに? 今まで会ったことはないと思うんですが」



私の記憶力は確かです。
二人が、この近辺に住んでいるのではない、ということは間違いありません。
ということは、どこか別の所から、わざわざこの街にやってきたということになります。

さらにこの場所……この空き地には、人はほとんど来ません。
だからこそ、私はいつもここに来ていたのですから。
なぜ、わざわざこんなところに……?





「ふむ、いい質問だ」
「そうだね、いい質問だね」
「……?」
「うむ、話せば長いんだが……」
「うん、複雑な事情があったんだよね」
「はぁ……」



いつの間にか。
私は、普通に二人と会話していました。

何の抵抗もなく。
何の気負いもなく。



「実は、この街にある図書館に行こうと思っていたんだが……」
「はい」
「うんうん。ところがさー、駅で最寄り駅に着いたところまでは良かったんだけど……」
「はい」
「駅前からしばらく歩き始めたところで……」
「はい」
「地図がないことに気付いちゃってね」
「は……」
「んで、あっちか? こっちか? と歩き回ってるうちに……」
「……」
「この空き地に着いちゃったってわけ」
「……」
「……」
「……」
「……間が抜けてますね」
「うぐぅ……」
「うぐぅ?」
「いや、気にするな。大自然の神秘だ」
「わけわかんないよ? 祐一」
「そうです、日本語は正しく使って下さい」
「くっ……ツ、ツッコミがキツいぞ」
「事実です」
「わ、強い。詩子さんもびっくりだよ」
「むぅ、何てことだ……ここまで切れのあるツッコミ使いがいたとは……」



こんな下らない話をするのは初めてで。
下らないけれど、でも間違いなく、私の心は満たされていて。

だって、楽しかったから。
本当に、楽しかったから。

下らない、と。
まるで建設的でない、と。
そう思いながらも、楽しんでる自分が、確かにいたから。



「それで、図書館に行くんじゃないんですか?」
「ん、そのつもりなんだけど……」
「道がわかんなきゃねぇ……」
「それじゃあ、私が案内してあげます」



そして、気付けば、なぜか自分からそんなことを言っていました。
なぜか……いえ、違いますね、理由はわかってます。



だって、私は……



「お、助かる」
「うーん、優しいねぇ、茜は。詩子さん感激だよ」
「そこまで言うほどのことでもないでしょう?」



私は、望んだのだから。



「いやいや、何せ一生迷うかと思ってたからな」
「それは幾らなんでも言いすぎだよ」
「そうですよ」



これからずっと、彼らと共にありたい、と。



「そんじゃ、案内してくれよ」
「うんうん。あ、あと自己PRコーナーもスタートってことで」
「……なぜですか?」



私の力を……私の人生を……



「当たり前だろ」
「そーそー。友達になったのなら、色々と知りたいじゃない」
「……はい!」



彼らのために使いたい、と。










もう、迷いはありませんでした。
ふと見上げた空は、さっきまでの雨が嘘のように明るく、私の行く道を照らしてくれているかのようで。
空にかかった虹は、まるで私の行く先を示してくれているかのようで。

それでもすぐに視線を下ろし、私は、二人と一緒に歩き始めました。
ただ、前へと。









 続く












後書き



折り返し地点ですな。

過去話も、残すところあと五つ。

いやもうホントにあっという間だ。

さて、この勢いがいつまで持続できるか……そこが勝負の分かれ目(ぇー)

しかしまぁ、一人称って難しいよね。