“はじめに言葉ありき、言葉は神なりき”

聖書の、一節なの。

人が生まれた時。
そして、生まれた後。
言葉は、常に私達と共にあるもの。


お母さんがかけてくれる、優しい言葉。
お父さんがかけてくれる、温かい言葉。


言葉があるから、思いも、想いも、相手に伝わるの……伝えられるの……
時には、難しいこともあるだろうし、いつもそうだとは言えないけど。
でも、きっと、伝えることはできるの……



声。
その人を表す、その人の、一部。
大切な、その人の、一部。

誰でも持ってるもの。
でも、誰とも違うもの。

お母さんの声、大好きなの。
お父さんの声、大好きなの。

でも、私には、ないの。
そんな、大切なものが……
きっと、好きになれた……
そして、きっと、好きになってもらえたはずの……



“私”の声は……
どこにも、ないの……












神へと至る道



番外編Y  どこまでも透明な言葉












私が生まれた時、お父さんもお母さんも、すごく喜んでくれたそうなの。
私の覚えているお父さんの姿も、お母さんの姿も、それをはっきりと教えてくれていて。

私が成長していく姿を見るのは、きっと幸せなことで。
私が声を出せない、とわかったことは、きっと悲しいことで。
でも、それでも私が生まれてきたことは、本当に嬉しいことだって。
お父さんとお母さんは、そんな風に話してくれたの。



お父さんも、お母さんも、大好きなの。
私の声はなかったけど、でも、そんな大好きなお母さんとお父さんがいてくれたから。

だから、それだけなら、良かったのに。
声がないだけなら、まだ、良かったのに。





言葉は話せなかったけど。
けれど私には、その代わりに、力があったの。
強い、強い……本当に、強い力が。



本で調べたら、先天的、あるいは後天的に、身体に何らかの欠損があった場合、能力が強化されることが多いって。
そんなことが書いてあったの。

体の足りない部分を補おうとする本能だ、とか。
失った部分のエネルギーが、別の部分にまわされるからだ、とか。
色々な原因がそこには書かれていたけど、そんなこと、どうでもいいの。

大事なことは、二つ。
私に、声がないこと。
私に、強い能力があること。










『あの子、言葉を話せないんですって……』
『まぁ、かわいそう……』
『ご家族の方も大変でしょうに……』
『言葉も話せないなんて、辛いでしょうね……』





止めて! 止めて!
そんな言葉ほしくないの! いらないの!
同情してほしいんじゃないの!





『何と……このエネルギー、すばらしいですね』
『これは、鍛えれば相当のものになりますよ』
『しかし、本人にまるでやる気がないのでは……な』
『何とも贅沢な話だ……ここまでの資質を』





止めて! 止めて!
そんな言葉嫌なの! 聞きたくないの!
こんな力なんて、ほしくなかったの!










神様は、意地悪なの……

私は、能力なんていらなかったの。
強い力なんて、どうでもよかったの。

いらないのに……いらなかったのに……
そんなもの、いらないから……そんな力なんて、なくてもいいから……
そんな、能力よりも……



声が、ほしいの。
声が、ほしかったの。



能力を持ってる人は、とても少なくて。
さらに、強い力を持ってる人なんて、もっとその確率は少なくて。



自分の声を持ってる人は、とても多くて。
普通に喋れる人は、本当に、多くて。



それなのに。



私は、喋ることができないの。
神様は、私に、声をくれなかったの。
その代わりに、力をくれたの。

本当に……本当に、意地悪なの。

どうして、私に声をくれなかったの?
どうして、私に力なんてくれたの?



反対ならよかったのに。
普通の人は皆、ちゃんとそうなのに。
能力をくれるくらいなら、どうして、声をくれなかったの?



伝えたいこと、たくさんあるの……
伝えたい想い、たくさんあるの……
伝えたい言葉、たくさんあるの……
伝えたい人、たくさんいるの……



私の“声”で、私の想いを、伝えたいのに。



どうして? どうしてなの?



神様なんて……大嫌いなの……















いつも通りの日常。
いつも通りの風景。
いつも通り、無言。

そんな中を、私は歩いてたの。

私が喋れないことを知らない人は、ここにはいなくて。
能力を持ってることを知らない人は、ここにはいなくて。

だから、皆が、私にどう接していいか困ってるの。

普通の人達からは、同情の眼差しを。
能力を持ってる人達からは、羨望の眼差しを。

ずっと、浴びてきたの。

どんなに願っても。
どんなに祈っても。
私の声は……言葉は……誰にも、届かないの。





昨日も、その前も、いつも……
今日も、ずっと……
そして、明日も、その後も、きっと……





いつも、一人で。
ずっと、一人で。
きっと、一人で。





私は、歩いていかないと、いけないの……















「あ! こら、詩子! お前、俺のコーヒー勝手に飲むんじゃねぇ!」
「んぐんぐ……ふぅ。もう、しょうがないじゃない、のどに詰まっちゃったんだから」
「自分の飲め! 自分の!」
「もう飲み終わっちゃったんだもーん」
「もーん、じゃねぇ! なら、茜にもらえばいいだろがっ!」
「……嫌です」
「ね?」
「ね? じゃねぇだろ!」
「それに茜の飲み物、甘すぎるしさー」
「う……そりゃそうだが」
「そんなことないですよ。このくらいで丁度いいんです」

「……」
「……」

「? 何ですか? 二人とも」
「まぁ、茜らしいっちゃ茜らしいけど……」
「……うん」
「? よくわかりません」



いつも通りの日常に、いつも通りでない光景が見えて、思わず止められる私の足。
声の方に目を向けたら、三葉堂のテーブルで、お茶をしてる人達が見えたの。
初めて見る人達ってこともあるだろうけど、何となく、その楽しそうな雰囲気が気になって。



「……とりあえず祐一、気を取り直して、この蜂蜜練乳ワッフルでも食べてください」
「あぁ……って、これは甘すぎて食えないって言ってるだろ?」
「挑戦は大切ですよ」
「限度があるって」
「美味しいのに……」
「あはは……それは、茜だけだと思うけどなー」
「そんなことありません。詩子も食べてみてください」
「遠慮しとくね」
「……残念です」



楽しそうにお喋りを続けている人達。
一人は男の人……すごく明るくて、元気一杯な、何だか温かい空気を持っている人で。
一人は女の人……穏やかな雰囲気を持っている、物静かな人で。
一人は女の人……すごく感情豊かで、見ている方が楽しくなってくるような、そんな空気を持ってる人で。

三人とも、優しそうな……幸せそうな……そんな雰囲気があって。
私の知らない、そんな空気を持っていて。



「しっかし、このワッフル買ってるのって、茜だけじゃないか?」
「うーん、その可能性はあるね」
「そんなことありません。きっと人気商品ですよ」
「いや、それはないだろ」
「茜だから、そんなに食べられるんじゃないの?」
「……この美味しさがわからないなんて、二人ともダメですね……」
「ダメ出しかよ?」
「あんまり分かりたくないなぁ……」
「では、他の人に聞いてみましょう……あ」



そんな楽しそうな光景がちょっと羨ましくて、じっと見ていた私に、茜さんと呼ばれてた女の人が気付いて。
ちょっとだけ、驚いたの。



「ちょうどいいところに……そこのあなた、すいませんが、少しよろしいですか?」



突然声をかけられたから、びっくりしてしまったけど。
でも、私を見るその目には、いつも見慣れてる、いつも感じてる感情がなくって。
そして、どことなく、優しげで。





気付けば、自然に頷いて、三人の方に足を進めていたの。
元々そんなに離れていなかったから、すぐに側まで近づくことができて。
私を見る三人の目には、私がいつも見てるものは、まるでなくて。

「あははっ、かわいいねぇこの子。ねぇ、頭撫でていい? ギュッて抱きしめていい? ねぇねぇ」
「やめろ詩子。危険な発言をするな」
「何よー、この詩子さんのどこが危険だっていうの?」
「……初対面の相手に何するつもりなんだ? お前は……」
「こらぁっ! 何よ、その、いかにも呆れてますってセリフとため息は」
「わかってるじゃないか」
「きーっ! そこになおりなさい! 詩子さんをバカにするのは許さないよ!」
「別にバカにしてないだろ?」
「今度は言い訳? 男らしくなーい!」
「詩子……うるさいです」
「あ、茜?」
「ごめんなさい……気にしないでくださいね」

祐一さんっていう男の人と、詩子さんっていう女の人の言い合いに、また少しびっくりしちゃったけど……
茜さんがそれを止めて、私に微笑みかけてくれたので、落ち着くことができたの。





「私の名前は、里村茜です……よろしくお願いしますね」
「あ、あ、私は柚木詩子だよー。詩子さんって呼んでね?」
「俺は相沢祐一だ」
「……」





自己紹介。
何か話さないとダメなのに……でも、私は何も喋れないから、だから、沈黙。

いつも、知らない人は、ここで変な顔をするの。
次に、私が喋れないことに気付いて、同情の眼を向けてきて。

見たくもない眼で、聞きたくもない言葉で、同情を示して……

その人が悪いわけじゃないの。
皆、悪いわけじゃないの。
だけど、私は、嫌なの。

それでも、もう飽き飽きするくらいに、何度も何度も繰り返してきたこと。
本当に、飽き飽きするくらいに。
一体、あとどれくらい繰り返さなくちゃならないの……?





「……ん? もしかして……」

男の人、祐一さんが気付いたみたいなの。
そうしたら、次は、きっと……





「喋れないのか? もしかして」

私の予想は、だけど違っていて。
祐一さんの表情は、さっきと全く変わってなくて。
想像してた目なんて、全然してなくって。

それは、ただ、確認するだけの言葉で。
ただ、普通に私を見ていて。
ただ、普通に私に聞いてきていて。

そのことに驚きながらも、でも、ちゃんと返事はしなくちゃいけないから、頷いて。

「そっか。よし、少し待ってろ」

私の頷きを見た祐一さんは、そのまま席を立ってどこかに走って行っちゃったの。
本当にあっという間の出来事。
驚いてしまったけど、でも、祐一さんを見送った茜さんと詩子さんは、微笑みながらそっちを見ているだけ。

何をしようとしているのか、全くわからなかったから、私は、ただ呆然と見守ることしかできなくって。
呆然と待つことしかできなくって。

けど、ほとんど時間が経たないうちに、手に何かを抱えた祐一さんが、行きと同じく、凄い速さで帰ってきたの。
それから、息を切らせたまま、私に何かを差し出してくれたの。

「はぁはぁ……はぁー。ほら、これ使ってみな」





……スケッチブック?

「それ買いにいってたんだね。でも、ノートとかでも良かったんじゃないの?」
「大は小を兼ねるって言うだろ?」
「そりゃま、そうだけどさ」
「それより祐一、ペンがないと、何も書けませんよ」
「お、そりゃそうだ」

そう言いながら、笑顔で渡してくれたスケッチブックとペン。
それが、なぜか特別なものに見えて……
私を見る三人の目は、すごく優しく見えて。

「言葉を話せなくても、会話なんてできるさ」

簡単な言葉。
軽い調子。
でも、祐一さんの言葉に、嫌な感じは全くしなかったの。
ううん、それどころか、温かい感じがしたの。





『上月澪なの』

だから、嬉しい気持ちのまま、手に持ったペンで、自分の“名前”を、“言葉”を、書いたの。

「……何て読むんだ?」
『こうづきみおって読むの』

祐一さんが喋って、私が書いて。
時間差はあったけど、祐一さんも茜さんも詩子さんも、もちろん私も、そんなこと気にならなかったの。
初めて……初めて、他の人と会話ができたって、そんな感じがして、だから、気付けば私は、自然に笑ってたの。

「そっか、よろしくな、澪」
「うん。よろしくね、澪ちゃん♪」
「よろしく、澪さん」



だからかもしれない……三人は、笑顔で返事をしてくれて。
それが、すごく嬉しくて。
三人が持ってた優しげな雰囲気の中に、何だか、私も溶け込めたような、そんな気がしたの。








「それでですね、澪さん。ちょっとこのワッフルを食べてみてくれませんか? もちろん、おごりですから」
「あ……おい、茜、それは……」
「まーまー祐一、とりあえず傍観してようよ」

何だか祐一さんと詩子さんのやり取りが気になったけど。
それでも、視線を下ろしたら、そこには甘い香りの漂うワッフルが一つ。

『食べていいの?』
「はい、ぜひ」
『ありがとうなの』
「いえ……では、どうぞ」
『いただきますなのー♪』

差し出されたワッフルを手にとって、一口齧ってみると……



『!』



「どうですか?」

ワッフルをお皿に置いて、ペンを手にとって、急いで、スケッチブックに文字を走らせて。
できるだけ速く、速く、速く。

『あ、甘いのー!』

甘いの。
ホントに甘いの。
すっごく甘いの。
甘すぎるのー!
そんな言葉をひたすら書いて……

「ほら、澪……」

慌ててる私に、悲痛な表情の祐一さんが、そっと紅茶を差し出してくれたの。
多分、同じことを味わったんだろうなって、すぐわかるくらいの表情。
お礼を言うより先に、とにかく飲み物が欲しかったから、すぐにそれを全部飲んだの。

「……残念です」

茜さんは、あのワッフルを、何の抵抗もなく食べてたの。
なんていうか……すごいの。















それからしばらくの間、四人でいろんなことを話したの。
祐一さん達も、私に気を使うでもなく、普通に会話が続いて。
そんなさりげない優しさと、私に向けてくれる視線が心地よくて。
すごく満たされてる気分になれたの。

お父さんやお母さんと一緒にいるのとよく似た、でも、少し違う雰囲気。
そう……“友達”と一緒にいる……そんな風に、素直に思えたの。
でも……





「お、もうこんな時間か」
「あ、ホント。でも、今日何かあったっけ? 祐一」
「あぁ、一応予約が入ってるからな」
「そうなんですか……残念です」
「そう言うなって、茜。これも、俺達のためなんだからさ」
「……はい」



楽しい時間が過ぎるのは、早くて。
終わったあとの寂しさは、その分、強くて。
これでお別れなの、と思うと、とても悲しくて。



「じゃ、澪。今日は楽しかったぞ。またな」
「うんうん。澪ちゃんに会えたってだけで、今日は良かったと思うよ」
「はい。蜂蜜練乳ワッフルを気に入ってもらえなかったのは少し残念でしたけど、また次に期待しましょう」







「? どうした? 澪」
「何か驚いてるね」
「祐一も詩子も……連絡先も聞かずにまた会おうと言っても……」
「あ、そりゃそうだ。すっかり忘れてたな」
「祐一ー、それは間が抜けすぎだよ」
「やかましい、それを言ったら詩子も同じだろうが」





『また、会えるの……?』

会って、くれるの?
こんな風に、楽しい時間を過ごせるの?
私と一緒に、いてくれるの?



「ん? 何言ってんだ? 当たり前だろ?」
「そうそう。もうお友達になったじゃない」
「……はい。澪さんは、大切なお友達ですよ」



飾り気のない言葉。
遠慮のない言葉。
だけど、とても温かい、言葉。

ずっと、欲しかった。
ずっと、求めていた。
そんな、言葉。

だから。
そんな言葉をかけてくれることが、嬉しかったから。
だから、私は……



『うんっ!』



自分にできる、最高の笑顔と“言葉”で、その喜びを表したの。

祐一さんと、詩子さんと、茜さんと。
一緒にいたいって……ずっと、一緒にいたいって……

そんな気持ちが、私の心が、届くように。
私の想いが、伝わるように。

そして、きっと……



「うし、澪も、今日から俺達の友達だな」
「うんうん、楽しくなりそうだね」
「はい……」



その想いは……



『祐一さんも、詩子さんも、茜さんも、これからよろしくなの』



届いたって……そう、信じてるの。









 続く











後書き



……難しい。

前回までの話と違って、今回のは難しい。

言葉って、本当に難しいものですね。

しかしまぁ、何はともあれ、過去編も残りあと四話。

終わりが見えてきました……そこから先がまた長いんですが(苦笑)

それでは。