神へと至る道
番外編[ 糾える縄の如く
お父さんは、ハンターだった。
ハンターという職業が生まれる前から、犯罪者を捕獲、撃退する、そんな仕事をしていた。
疎まれることの多い能力者にあって、お父さんはその積み上げた実績から、多くの人に信頼されていた。
お母さんは、お父さんのパートナーだった。
ハンターという職業が生まれる前から、お父さんの補佐をしていた。
能力者の資質はなかったけど、すごく頭が切れる人で、多くの人に頼られていた。
そんな二人が結婚して、そんな二人に子供ができて。
周囲の人達は皆、期待していた。
お父さんの資質を受け継いだ、強い能力者が生まれてくれることを。
お父さんとお母さんは、それ以上に期待していた。
自分達の後を継ぐことができるような、能力者の誕生を。
後を継ぐ……男子の、誕生を。
あたしが生まれた頃は、まだ、ハンターは男の仕事という認識が一般的で、女性がハンターになるのは難しかった。
仮になれたとしても、やはり軽んじられる、そんな傾向が強かった。
そんな中での、あたしの誕生。
女子の、誕生。
祝福は、された。
愛されも、した。
けれど。
物心ついた頃から、お父さんは、あたしを鍛え始めた。
あたしは女の子だけど……能力者として、高い資質を有していたから。
だから、鍛えて、鍛えて、優れた能力者にしようと考えた。
“男子が生まれた時”、あたしを特訓相手にするために。
そう、たとえハンターにはなれなくても、能力者にはなれるのだから。
能力者になるためのトレーニングが、優しいもののはずがなかった。
強くなるための修行が、簡単なはずがなかった。
毎日、毎日、あたしは、お父さんの立てた計画に従って、修練を重ねた。
一日を終えれば、全身傷だらけになるくらいの、そんな毎日。
でも、その頃は、まだよかった。
だって、期待されてないわけじゃなかったから。
そこに、あたしの居場所があったから。
修行は辛かったけど。
指導は厳しかったけど。
逃げ出したりはしなかった。
泣き出したりもしなかった。
逃げたくなっても、自分を叱咤して。
泣きたくなっても、唇を噛み締めて。
あたしは、毎日を乗り越えた。
一日一日、強くなり続けた。
お父さんが、好きだったから。
お母さんが、好きだったから。
決して、甘えさせてくれるわけではなかったけど……
優しい言葉をかけてくれるわけでは、なかったけど……
あたしを、見てくれていたから。
あたしに、期待してくれていたから。
一歩間違えれば、暴力でしかないだろう、厳しい修行の日々も。
遊ぶ暇もほとんどないほどの、難しい学習の時間も。
必要なことだったから。
お父さんとお母さんの期待に応えるために、必要なことだったから。
……だけど。
そんな日々も、そんな苦労も、そんな努力も、全てが、無になった。
無になってしまった……
あたしが八歳になる、その少し前。
あたしに、弟ができた。
それは、待望の男子。
今度こそ……そんなフレーズが、耳に痛かった。
でも、弟ができることに、不満なんてあるわけもなく。
むしろ嬉しいことだった。
それに、その時点では、まだ何も問題なんて起きてなかった。
そう、その時点では。
待ちに待った、弟の誕生の日。
あたしが生まれてからその日までで、最も、来ることを楽しみにしてた日。
きっと、これから生きていく中でも、その日を振り返って、自然に笑みがこぼれるような。
そんな日になると信じ、疑うことなんてなかった。
それくらい楽しみにしてた日。
まさか、その日があたしの不幸の始まりになるなんて、思いもしなかった。
弟は、夜が明ける少し前に、産声を上げた。
母子共に健康。
あたしとお父さんは、前の晩から、ずっと病院に泊り込んでいた。
眠かったけど、でも、眠りたくなかった。
だから、あたしはずっと起きたまま、弟の誕生を待っていた。
結局ほとんど徹夜することになってしまったけど、あたしは確かに弟の産声を聞いた。
その声を聴いた瞬間、あたしは、すごく嬉しくなった。
理由はわからないけど、でも、その産声は、あたしにとっては、祝福の声にも等しかったんだと思う。
お父さんは、留美もこれでお姉さんだな、って言って、あたしの頭を撫でてくれた。
くすぐったかったけど、でも、すごく嬉しくて。
だから、その時のあたしは、笑顔だった。
きっと、笑顔だった……
そう……それが、あたしの家族に関する記憶で、一番嬉しかった思い出。
そして同時に、あたしの家族に関する、最後の、思い出。
それからすぐに、生まれたばかりの弟に会うために、あたし達は病室に入った。
お父さんは、最初、笑顔だった。
あたしでも……女の子でも、これだけ高い資質を有していたのだから、男の子なら。
いつもそんなことを言っていただけに、きっとすごく期待していたんだと思う。
でも……
現実は、そんなに優しいものではなく。
希望は、叶うと思ったときに、嘲笑うように手をすり抜けていってしまう。
そう、すり抜けて……
その子には……資質は、なかった。
能力者の資質の欠片さえも、あたし達は感じとることができなかった。
どこからどう見ても……普通の、子供だった。
どうしようもなかったんだ、と思う。
正しいとか、間違ってるとか、そんなことは関係なく。
結局、人は感情で動く、理性を持った生き物。
理性を持ってても、でもやっぱり、感情に支配される生き物。
納得できなかったんだろう……その子に、資質がなかったことが。
理解できなかったんだろう……その子が、能力者になれなかったことが。
許せなかったんだろう……あたしが、あたしだけが、能力者として生まれたことが。
そして、両親の、あたしを見る目は……変わってしまった。
その日を境に……幸せの始まりだと思っていた、その日を境に、変わってしまった。
あたしが、能力者の資質を持ってなかったら。
あたしが、普通の女の子だったら。
あたしが、後に生まれていたら。
多分、こんなことにはならなかった。
きっと、こんなことを思うことさえ、なかった。
かける期待が大きかった分、裏切られた時の落胆はひどくて。
周囲の人達の期待を裏切ってしまったという意識も、きっとあって。
何かに、誰かに、その責を求めたかったんだろう。
求めずには、いられなかったんだろう。
そして、お父さんとお母さんは、こう考えた。
考えたく、なった。
“本当なら、あの子のものだった能力者としての資質を、あたしが奪ったのだ”
と。
あたしは、それから……弟との対面の瞬間から、両親に、見てもらえなくなった。
ううん、そうじゃない。
ただ負の感情をのせた目でしか、見てもらえなくなった。
理屈の問題じゃなくて、それは感情の問題。
だからきっと、解決は不可能だった。
少なくとも、その時のあたしには、解決策なんて思い当たらなかった。
ただ、受け入れるしかなかった。
食事は、与えられた。
寝床も、与えられた。
衣服も、与えられた。
けれど、愛情は……ううん、負の感情以外は、与えられなかった。
死なせるわけにもいかないから。
ただそれだけの理由で、あたしは、生かされた。
家に居場所なんて、なかった。
学校にも居場所なんて、なかった。
あたしは、独りになった。
でも、そんなことよりも。
そんなことより何より……
お父さんの、お母さんの……二人のあたしを見るその目が、他のどんなことよりも、ずっと、ずっと辛かった。
あたしは、何を恨めばいいんだろう?
何が、悪かったんだろう?
あたしは、お父さんも、お母さんも、弟も、恨めなかった。
ましてや憎むことなんて、できるはずがなかった。
だって、全ての原因は、あたし。
能力者として生まれてしまった、あたし。
できることなら、この能力を、弟にあげたかった。
普通の女の子に、なりたかった。
でも、そんなことはできることではなく。
いくら頑張っても、できることではなく。
祈っても、願っても、現実は変わらない。
あたしは能力者、弟はそうじゃない。
そしてそうである以上、あたしに居場所なんてない。
どうして、あたしは能力者として生まれてきてしまったんだろう。
どうして、あたしに能力なんて与えられてしまったんだろう。
神様は、意地悪だ。
能力なんてなかったら、あたしはきっと、普通の女の子として生きていけたのに。
お父さんだって、お母さんだって、あんな風に苦しまなくてすんだはずなのに。
愛情を失って、優しさを失って、温もりを失って、居場所を失って。
そうして最後にあたしに残ったのは、一番いらなかった能力だけ。
そんなものしか、あたしには残されなかった……
やがて迎えた、小学校の卒業式の日。
当然、誰も来てくれなかった。
あたしを想ってくれる人なんて、もう誰もいなかった。
そう、きっとそれは、必然だった。
けれど、もう、あたしは限界だった。
耐えられなかった……これ以上、耐えられなかった。
逃げ出したあたしは、街を適当にぶらついていた。
道行く人から奇異の視線を浴びせられてたけど、まるで気にならなかった。
誰に何を言われたって、もう何も変わらない。
誰にどう思われたって、それすらも今更。
もし変な人間に襲われたとしても、それでも、簡単に返り討ちにできるくらい、その頃のあたしは、強くなってたから。
強くなってしまっていたから。
恐いものなんて、なかった。
失うものなんて、なかった。
もう、あたしには、何もないから。
家を飛び出した以上、何も、ないから。
行く場所も、帰る場所も。
待つべき人も、待っていてくれる人も。
強盗してでも食べていけるし、それだけの力もあるし……
そんな恐ろしい考えも、普通に浮かんだ。
浮かんでしまうほどに、あたしの心は、荒れていた。
だから。
目の前を歩いている集団が、気に入らなかったのかもしれない。
男の子一人に、女の子が五人。
なんてバランスの悪い構成……
全員、あたしと同い年くらいだった。
全員、あたしと同じく、能力者のようだった。
ただ、違うのは……表情。
全員が全員、揃いも揃って、楽しそうな、そして幸せそうな表情をしていた。
多分に先入観や思い込みなんかもあっただろうけど、でも、その時のあたしには許せないくらい、彼らは幸せそうだった。
あたしと同じ能力者なのに、それでも幸せそうにしてる彼らが、その時のあたしには、許せなかった。
負の感情が胸を渦巻く。
それは完全に八つ当たり。
それも極めて性質の悪い。
けれどあたしには、込み上げてくるその感情を抑えることなんて、できなかった。
気付けばあたしは、その集団の前に出て、ケンカを売っていた。
突然目の前に飛び出してきたあたしに驚いてた彼らに向かって、開口一番に、勝負しなさいと宣戦布告。
あたしの目は、きっと怒りに染まっていたことだろう。
剥き出しの敵意を、真正面からぶつけてる自覚はあった。
止める気は全くなかったけれど。
その直後、女の子達は怪訝そうな目であたしを見つめてきたけど、男の子は、全く臆することなく、あたしの挑戦を受けた。
それがまた、あたしの怒りの火に油を注ぐ。
何だろう? その余裕の表情は。
何なんだろう? そのすかした態度は?
あたしをバカにしてるの?
虚勢を張ってるの?
連れの女の子にいいカッコしたいだけ?
思いついた考えは、どれも苛立つものばかり。
そのどれだって、もうあたしには関係ない。
あたしは、全力でその男の子を叩きのめそう、と思った。
殺してもかまわない、とさえ思った。
色々と溜め込んでいたものが、爆発してしまっていたのだろう。
まるで理性というものが欠けていた。
誰もいない空き地まで行って、あたし達はケンカすることになった。
あたしは、ケンカじゃなくて、ただ一方的に叩きのめすだけのつもりだったけれど。
空き地についても、あたしと対峙しても、彼らの様子は変わらなかった。
男の子は、相変わらず飄々としており。
女の子達は、不安になるわけでもなく、むしろ面白がってる子までいる始末。
どういうことだろう? あたしが能力者であることは、簡単にわかるはずなのに。
お父さんから受け継いだ……受け継いでしまった資質の、その高さが、簡単にわかるはずなのに。
何もかもが腹立たしかった。
男の子も、女の子達も……そして、あたし自身も。
開始の合図も何もなく、あたしはいきなり能力を開放して、男の子に殴りかかった。
お父さんとの修行で身につけた、力も技術も、全て使うつもりで。
何もないあたしに残された、その最後の力を、全て使うつもりで。
死んだってかまうものか。
殺したってかまうものか。
どうせ、あたしなんて……
容赦も手加減も全くない、全力の一撃。
その一撃で、全てが……そう、全てが終わるはずだった。
その男の子の命も。
女の子達の日常も。
あたし自身の人生も。
けれど。
受け止められた。
あたしの渾身の一撃は、男の子の手に、受け止められていた。
そこで、驚いてるあたしに、女の子殴るのは好きじゃないけど、と断ってから。
男の子は、遠慮なく、あたしを殴ってきた。
あとは、もう殴り合い。
あたしが殴って、男の子が殴って。
能力も、技術も、作戦も、知識も、何もなく。
ただ、殴り合い。
結局、逆上したあたしに、最初の一撃以降、考えた攻撃や防御など行えるわけもなく。
その男の子は、できただろうけど、でも、あたしに付き合って。
あとは、もう、ただの殴り合い。
あっちこっち切れて、血が流れて。
あっちこっち泥まみれになって。
涙が、流れて。
……痛くて、痛くて……体が、痛くて……
……でも、それ以上に、心が、痛くて……
溜め込んでたものを吐き出すように……
抱え込んでた想いを吐き出すように……
ただ、殴り合い……
殴る気力も体力も失った頃。
女の子達が、呆れて、呆れて、呆れを通り越して、怒りに変わった頃。
あたしは、声を上げて、泣いた。
後から後から込み上げてくる悲しみと苦しみに、涙が止まらなかった。
自分が空っぽになってしまった感覚に、声を上げずにいられなかった。
もう、腕を振り上げることもできなくて。
男の子を睨むことさえも、できなくて。
目にはもう、何も届かず。
耳にももう、何も届かず。
世界に自分しかいないような、そんな錯覚さえ覚えながら。
本当に全てを失ってしまったような、そんな喪失感さえ覚えながら。
自分が今、何を悲しんでいるのか、何に苦しんでいるのか、それさえもよくわからないまま。
ただ地面に座り込んで、子供のように泣くことしかできなかった。
もうあたしには、泣くことしか、できなかった。
もしそのままなら、きっとあたしはずっと泣き止むことなんてなかっただろう。
だけど、泣き続けるあたしの顔が、流れ続けるあたしの涙が、溢れ続けるあたしの感情が、突然何かに受け止められた。
温かい何かに包まれる感覚。
それはきっと安らげる場所。
思考の停滞も一瞬のこと。
背に回された手が、伝わってくる鼓動が、感じられる体温が、全てを物語っていた。
男の子が……さっきまであたしと殴り合っていた男の子が、静かに歩み寄ってきて、あたしをそっと抱きしめてくれていた。
それはまるで、親鳥が雛にするように。
柔らかく、温かく、優しく。
目にはまだ、何も届かないけど。
耳にもまだ、何も届かないけど。
それでも、その抱擁は、あたしの心に静かに響いた。
あたしの心までを、温めてくれた。
包まれるような、そんな優しい感覚が。
久しくなかった、安らぎが。
失ってしまった、温もりが。
“そこ”には、あった。
それが、嬉しくて。
なぜか、嬉しくて。
あたしは、泣き続けた。
さっきまでとは違う感情に流されるまま、涙を流し続けた。
人の胸に縋り付いて、みっともないくらいに、泣きじゃくった。
泣いて……泣いて……泣いて……
涙が涸れたかな、と思えるくらいに泣いて、ようやくそこで、あたしは顔を上げた。
そこには、笑顔があった。
ぼこぼこに殴られて、血と汗と泥で汚れてて、でも、確かにわかる笑顔が、そこにはあった。
つられて、あたしも笑った。
ぼこぼこに殴られて、血と汗と泥で汚れてても、それでも、できる限り……笑った。
それが、あたしと祐一の、出会い。
あたしと祐一達との、出会い。
それからあたしは、祐一達に誘われた。
一緒に来ないか、と。
一緒にいないか、と。
……答えは、決まっていた……
物語の始まりは、いつも唐突で、誰にでも厳しくて。
でも、なぜかどこか優しくて。
白馬の王子様とはいかなかったけど、でも、もしかしたら、もっと素敵かもしれない出会い。
乙女にしては、ずいぶん血生臭いシチュエーションだったけど。
それでも、あたしにとっては、今も心に強く残る、最高の出会いだった。
続く
後書き
うむ、やはりこれが過去編の中で一番出来がいいなぁ(自画自賛かよ)
いやでもね、個人的には一番気に入ってるものでして。
過去編は総じて、一人称で文章を書くいい練習になりましたしね。
最後にあたる(祐一は除外)ななぴが一番いい出来になってくれてないと、むしろ困るといいますか。
とりあえず過去編ももうあと少し。
そっからが長いことは、まぁしばらく忘れていよう(オイ)