神へと至る道
第1話 七年と言う歳月
雪が降っていた。
しんしんと……しんしんと……
この時期、この地域では、むしろ雪が降らない方が珍しいのだろう。
道行く人々が、完全武装で雪の中を歩き続けていることからも、そのことが窺い知れる。
ただ一人、駅前のベンチに深く腰掛けている少年を除けば、の話だが。
少年は、コートを身につけてはいるものの、傘を差すでもなく、ただ雪の中、ベンチに座っているのみだった。
あるいは途方にくれているようにも見えるが、声をかけてくる者などいなかった。
誰もが家路に急いでいることもあるが、何より、人通りがかなり少ないせいでもあるだろう。
正直、この雪の中でベンチに座っている、などというのは、この街では考えられないことなのだ。
関わりたいと思う者など、いるはずもなかった。
故に、少年はただ一人、座りつくすのみなのである。
「……変わったな」
少年は、自身の目にかかっている、少し長い黒髪を指で流し、空を見上げながら、そう呟いた。
「こんなに、寂しい光景だったのか?」
見上げる空からは、静かに雪が舞い降りてきていた。
白く白く……時に妖精と称されることもある、その雪が、街を白く染め上げていた。
まるで、街を覆い隠すかのように……
思い出を塗り潰すかのように……
雪に意思があるとは思わなくとも、何らかの思いがこもっているような、そんな気がしてしまう。
少年の頭にも、雪が積もり始めている。
少年の頭だけでなく、車も、ビルも、道路も。
白……ただその一色に染まりつつあった。
雪化粧の施された景色は、また一味違う美しさを見せてくれる。
しかし、その感覚も、自身の身の安全が確保されてこそだ。
雪山で凍える者に、雪の美しさを語ったりすれば、張り倒されることだろう……無論張り倒せる体力があればの話だが。
だが、如何な条件であれ、雪はその姿を変えたりしない。
故に、雪の美しさは変わらない。
変わるのは……変わるとしたら、それは……
「いや、変わったのは、俺……か?」
静かだった。
これが雨だったならば、もっと違う光景が描き出されていたことだろう。
傘を、道路を叩く音……道路を流れる水音……そして、空を流れる雨音……
雪にはそれがない。
静寂……ただ、それだけ。
静かに、静かに。
少しずつ、だが、確実に降り積もり、そして、雨と違い、流れていくことはない。
停滞……それを感じさせて。
まるで、この時この場所で、時間が静止してしまったかのように。
変わらぬ景色、変わらぬ色、変わらぬ思い。
自分は今、現実に存在しているのだろうか?
まるで、自分の存在があやふやになってしまったかのように感じる。
決してそんなことはない、とわかっているのに……
「……どちらにしても、これが“アイツ”の見てた光景、だったんだろうな」
もう目の前を歩く人はいなかった。
次の電車が来れば、また話が変わってくるかもしれないが、少なくとも、今はいない。
それが、雪の作り出す静寂に、拍車をかける。
それは、美しく……どこまでも美しく。
けれど、寂しく……限りなく寂しく。
少年……祐一の目に映る。
「……」
そこで軽く頭を振って、祐一は、ふと横に目をやった。
電柱に、張り紙が貼られていた。
『伝説のハンターの謎に迫る! 本誌独自の取材によって掴んだ情報!』
どうやら、雑誌の広告のようだ。
この街では、電柱に広告を貼るのか……それとも、誰かのいたずらか。
そんな考えよりも先に。
「伝説の、ね……」
祐一は、わずかばかりの呆れと苦笑を滲ませた、何ともいえない表情になり、そう呟いた。
呟きは、雪に吸い込まれるかのように、消えていく。
そして、祐一はそこから目をそらし、再び空を見上げる。
「……寒い」
どうやら限界が近いらしい。
そもそも、午後一時待ち合わせのところを、何故午後三時まで待っているのだろうか?
祐一でなくとも、文句の一つも出るところだろう。
もはや、嫌がらせ以外に考えられる理由がない。
寒さによって鈍った思考力で、そんなことを結論付ける。
ため息をつくと同時に下を向くと、自分の靴が目に入る。
靴にさえも雪は積もり始めていた……微々たる量ではあるが。
と。
「……雪、積もってるよ?」
どこか間延びしたような、でも、どこかほっとする何かを含んでいる声を聞き、祐一が顔を上げる。
視線の先で、青い髪を腰の辺りまで伸ばした少女が、祐一の顔を窺うようにしていた。
その瞳は、一点の曇りもなく澄んでおり、整った顔立ちと共に、少女を魅力的に見せている。
少し眠そうな表情をしてはいるが、それさえもむしろ、少女の印象を良い意味で際立たせる要素を持っていた。
「そりゃ、二時間も待ってるからな」
「あれ? 今、何時?」
「……三時」
「あれ? まだ三時くらいだと思ってたよ」
「だから、今がその三時だ。って、わざとか? おい」
「ねぇ、一つ聞いていい?」
「まず俺の質問に答えたらどうだ?」
「寒くない?」
「だから……はぁ、もういい」
「? 何がいいの?」
少女は少し首を傾げる。
それを見て、祐一は脱力したように項垂れる。
「いいよ、もう……それより、早く家まで案内してくれ。このままじゃ寒くて死んじまう」
現状、祐一は寒さへの耐久値ギリギリのところまで追い込まれている。
意地を張りたいところだが、天秤にかけられているのは自分の命。
となれば、少女に対する追求は、諦めざるを得なかった。
「あ、そうだ。はい、これ」
「……缶コーヒー?」
「遅れたお詫び、だよ。それと、再会のお祝い」
「七年ぶりの再会で、缶コーヒー一本か?」
「……そっか、もう七年経つんだね……ねぇ、わたしの名前、ちゃんと覚えてる?」
「そういうお前こそ、俺の名前、覚えてるか?」
「もちろんだよ」
「よし、じゃあ言うぞ?」
「……祐一」「……寝雪」
「ち、違うよー」
「じゃあ、野雪」
「うー、祐一ぃ……」
「さて、そろそろ限界だな」
祐一は、傍らにおいてあったバッグを手にとって立ち上がる。
少女が横で拗ねているが、それでも全く見えていないかのように振舞う。
ふと見上げた空から降り続ける雪は、けれど、若干その勢いを弱めているように思えた。
「あ、祐一、わたしの名前は?」
「ほら、行くぞ。お前が案内してくれなきゃ行けないだろうが」
「わたしの名前ー……」
歩き始める祐一……けれど、数歩歩いてから、徐に少女の方に向き直ると。
「行くぞ、名雪」
「あ……うん!」
祐一の言葉を聞いて、嬉しそうに微笑むと、少女――名雪は、少し恥ずかしそうにしている祐一の隣へと駆け寄った。
一度顔を見合わせてから、揃って小さく笑い、それから並んで歩き出す。
白い景色の中に溶け込むように、二人の姿が広場から消えると、そこには静寂が再び訪れた。
雪降る街での再会……この再会がもたらすものが何なのかは、まだ、誰も知らない。
願わくば、それが、この二人にとって、良き思い出とならんことを……
続く
後書き
後書きとはいえ、もう何を書けばいいやら。
既にその先の先の先まで書きあがってるわけですしね(汗)
とりあえず今回は名雪との再会だけってことで。
あまり多くを語るわけにもいきませんし、ここまでということにします。
それでは。