神へと至る道
第2話 変わるもの、変わらぬもの、そして……
まだ少し、雪は降り続いていた。
それでも、傘を差さなければならない、というほどの勢いはなく、止むのも時間の問題だと思える。
そんな雪の中を、二人の男女が歩いていた。
「しかし、あれだな……」
「ん? どうかしたの? 祐一」
祐一と呼ばれた少年が、バッグを背負い直しながら呟く。
隣の少女は、小さく首を傾げながら聞き返す。
「なぁ、名雪。この辺って、やっぱり変わったか?」
「うーん、そうだね……あんまり変わってないと思うけど」
「……そう、か」
「うん」
名雪と呼ばれた少女の答えを聞いて、祐一は、少し考え込むような仕草を見せた。
少し遠くを見るような目をしているところから考えるに、あるいは遠い何かに思いを馳せているのかもしれない。
幸か不幸か、名雪には、祐一のその目は見えていなかったが。
「……そうか……」
「うん。あ、ねぇ、祐一。祐一は、この辺りのこと、覚えてる?」
「ん? あぁ、まぁ、ある程度は、な」
「そうなんだ」
「まぁ、細部とかまで覚えてるわけじゃないけど」
「ふーん……」
答えてから、祐一は辺りを見回す。
視界に入るのは、白く染められた街の風景。
見覚えのあるような気はする……が、はっきりと覚えているとは断言できなかった。
七年……何かが変わるには充分な年月とも言えるし、変わらないものがあってもおかしくはない年月とも言えるだろう。
名雪も、そして祐一も、もう七年前の彼らではない。
良い意味でも、悪い意味でも。
しかし、二人の周りの光景は……
冬の間は、その流れを止める小川も。
それに沿って続いている、白く染められた道も。
整然と並ぶ家々も。
降り積もる雪も。
灰色に染まった空も。
そんな光景は、風景は、何も変わってはいなかった。
どこまでも優しく、どこまでも厳しい。
矛盾しているようだが、これが率直な感想だった。
“あの時”も、そして、今も。
祐一の心に浮かぶ、この光景への想いは、変わってはいない。
「それにしても、祐一。この七年間、全く連絡くれなかったよね」
黙って歩く祐一の隣で、同じく黙って歩き続けていた名雪が、我慢できなくなったように話しかけた。
少しだけ、不満を表に出しながら。
「ん? そうだな……まぁ、俺にも色々あったからな」
「それはわかるけど……」
そう、わかる……わかっている。
「とりあえず、のんびり連絡とれる状態でもなかったんだよな。悪かったな」
「あ……ううん、別に責めてるわけじゃないよ」
わかっているから。
だから、祐一を責めるつもりはない。
けれど……
「あぁ、わかってるよ」
「うん。それで……祐一、この七年間、どこで何してたの?」
知りたかった。
名雪の心の中に住まう、好奇心以上の何かが、彼女の口を動かす。
七年前のとある出来事以来、祐一とは連絡をとれなくなった。
その出来事から程なくして、祐一が実家を飛び出したことも、後になって聞かされたくらいだ。
彼が家にいない以上、彼女に連絡など取れようはずもない。
最近になって、祐一の方から連絡をくれなければ、あるいは一生会うこともなかったかもしれない。
家を飛び出した祐一が、一体今までどこでどうやって生きていたのか、何をしていたのか。
生きているかさえ知らせてはくれず、散々心配をかけていたのだから、教えてくれてもいいと思うわけだ。
「ん……まぁ、いつかは話すよ」
「うー……」
「そう唸るなって」
「……ケチ」
「ケチって何だ? ケチって」
「ケチだもん」
頬を膨らませるという、実にわかりやすい形で不満を露にする名雪。
それを目にした祐一は、小さく苦笑してから、そっと名雪の頭に手を乗せた。
「ぇ……?」
「ま、そうふくれるなって」
諭すような声で、祐一が名雪に言う。
その口調は優しく……残酷なくらいに優しく。
それだけに、名雪は何も言えなくなる。
『うー……祐一、ずるいよ』
心の中で悪態をついて、けれど、隠しきれない不満の表情は、間違いなく表にも出ていて。
「全く……名雪は変わらないな」
苦笑混じりの祐一の声。
けれどそこには、どこか安堵の色があった。
もっとも、まるで子供扱いに近いそれでは、名雪の機嫌は戻らなかったが。
「そんなことないよ。わたしだって変わったんだよ」
「へぇー。じゃあ、朝、一人で起きれるようになったのか?」
「え、えっと、それは……」
意地悪そうな祐一の言葉に対し、そう答える名雪の目は、すばらしい勢いで泳いでいた。
嘘のつけない、そんなまっすぐで純粋なところも、変わっていない……そう祐一は思う。
もちろん、そんなことは表情に出さなかったが。
「朝はまだダメだけど、でも、わたしだって頑張ってるんだよ。陸上部の部長さんもやってるんだから」
「何?! お前が部長?! 何で?!」
「何で? って、そんな言い方ひどいよ。祐一、極悪だよ」
部長という言葉に過剰に反応した祐一がよほど気に入らなかったのか、名雪は祐一を睨みつける。
と言っても、身に纏っている雰囲気のためか、とても怒ってるようには見えない。
昔からそうだったな……と、祐一は、一応怒っている従兄妹の相手もおざなりにして、そんなことを思い出していた。
「祐一、聞いてるの?」
「あぁ、聞いてるよ。ま、何だ。部長なのに朝がダメってのはどうかと思うぞ、俺は」
「うー……」
本当はもっと文句を言いたいのだろうが、祐一の言葉は、部の人間にも言われている言葉でもあったため、強くはでられない。
不満げに唸ってはいるものの、先程と比べれば、勢いがない。
「それで、家はまだなのか? もうかなり歩いただろ?」
「え? あ、もうちょっとだよ」
祐一が問いかけると、名雪はぱっと表情を元に戻す。
どうやら、不満を溜め込むようなタイプではないらしい。
「しかし、なぁ」
「何? 祐一」
「いや、まさか、秋子さんが……」
それから少しして、祐一がふと呟きを漏らす。
彼は、これからしばらくの間、秋子のところで世話になる予定なのだが……
「お母さんがどうかしたの?」
名雪ももちろんそれを知っている。
というより、一番そのことを楽しみにしていた。
母親である秋子から、祐一がこっちの学校に来る、と聞き、その話を学校で誰彼構わず話しまくったのも喜びゆえ。
とにかく、名雪は祐一と一緒に過ごせることが嬉しくて仕方がないわけだ。
ところが、今、祐一が怪訝な顔をして、秋子に関する話をしようとしている。
それが、名雪に微かな不安を感じさせる。
とは言え、次の祐一の言葉で、それは解消されるのだが。
「何で、寮をやってるのかなって思ってさ」
そう、連絡を取った時に祐一が秋子に言われたのは、寮に入ったらどうかということ。
現在秋子は、学校の寮を運営しているので、こちらにくるのなら入りませんか、と話してきたのだ。
確かに、彼は、こちらに来なければならなくなった時、秋子を頼るつもりではあった。
だがそれは、住むのに適したアパートなどを紹介してもらおうと思っていただけ。
ところが、である。
「あ、そのこと。うん、お母さん、賑やかな方が楽しいからって言って」
「……言いそうだな」
「うん、毎日楽しいよ」
「まぁ、そうだろうな」
「あれ? 祐一は、寮は嫌い?」
少し不安げな名雪の問いかけ。
だが、祐一とて、寮が嫌い、というわけではない。
まぁ、食も住も保証される生活に不満などあろうはずもないのだ。
実際のところ、あまりの展開に頭がついていかない状態だけなのである。
「いや、そんなことはないぞ」
「そうなんだ、よかったよー」
そう、不満は、ない。
「で、結局、その寮には何人くらいいるんだ?」
「えっとね……三十人ちょっと、かな」
「多いってほどではないにしても、少なくもないな」
「うん。でも、みんないい人だよ」
「お前にかかれば、みんないい人になりそうだけどな」
はぁ、というため息と共に、祐一が言う。
「そんなことないよ、祐一も会ってみればわかるよ」
名雪は、そんな祐一のため息を気にするでもなく、先と同じ表情のまま反論する。
「まぁ、今日、嫌でも会うわけだけどな」
「うん。それに、明日から新学期だしね」
祐一が軽く肩を竦めながら言うと、名雪は笑顔でそう答えた。
彼女は、冬休みと言うことで里帰りしていた者達も、既に帰ってきている、と暗に言いたかったのだろう。
あるいは、今日中にも全員が祐一と会うことだってあるかもしれない。
「……お?」
「到着ー」
見るからに立派な門の正面で、名雪が立ち止まる。
そこでくるっと一回転して、祐一に微笑みかけた。
「ここが、祐一が住むところ……水瀬寮だよ」
「……」
祐一は、そんな名雪の笑顔にも何の反応も示さず、ただ目の前を凝視していた。
「あれ? 祐一、どうしたの?」
「……でか……」
ようやくそれだけ喋った祐一は、その一言以上に喋る気力がないのか、また目の前の建物を見つめ直す。
そう、ここは、学生寮のはず……しかし、その何と大きなことか。
これならむしろ、ここは迎賓館ですと言われた方が、違和感なく受け入れられそうだ。
迎賓館など見たこともないのだから、そうなのか、で終わりである。
しかし、学生寮だ、と言われると、自分の中の寮に対するイメージとのあまりの違いに、頭がついていかなくなる。
「うん。大きいでしょ?」
「いや、でしょ? って言われても……何なんだよ、これは? ていうか、何か違うだろう? これは……」
何か、というより、全部がおかしい。
もはや彼は、自分が何か間違ってるのか、それともここの常識がどこか間違ってるのかわからなくなってきていた。
あまつさえ、それともこれは壮大なドッキリか? という考えまで浮かんできてしまう。
どうやら、予想外の事態を前にして、なかなかに混乱しているようだ。
「何してるの? 祐一。早く行こうよ」
名雪は、祐一が硬直している理由がわからないので、とりあえず祐一を引っ張っていくことにしたらしい。
自分の考えにふけっている祐一は、ただなすがまま。
「……だとすれば……ここで……こうなって……じゃあ次は……」
「お母さん、ただいまー」
ぶつぶつと呟く祐一を引っ張るようにしてドアを開ける名雪……どこかシュールなその光景を見ている者がいなかったのは、双方にとって救いと言えよう。
「あら、お帰りなさい、名雪。ずいぶん遅かったのね」
「え、えっと、それは……」
ドアを開けた二人を迎えてくれたのは、名雪によく似た女性だった。
髪は、名雪と違って三つ編みにしていたが、穏やかで優しい雰囲気は、名雪と共通のそれ。
もっとも、どこか浮ついているような名雪と違い、こちらの女性には落ち着いた雰囲気も備わっていたが。
「……あんまり祐一さんに迷惑をかけてはいけませんよ」
「うん……ごめんなさい」
「わたしに謝ったって仕方がないでしょ? 祐一さんにはちゃんと謝ったの?」
「あ……え、えっと、祐一、ごめんね……」
「……はっ! あ、あれ? ここは?」
名雪に謝られて、ようやく、自分が室内にいることに気付いたらしい。
そもそも、もう怒ってもいないのだが。
祐一は慌てた感じで辺りを見回し、そこでようやく秋子に気がつく。
「あ……え、えーと、秋子さん……ですよね? えっと、これからしばらくお世話になります」
「あらあら、そんな他人行儀にしなくてもいいのよ?」
「いや、そういうわけにもいきませんよ。最低限の礼儀ですし」
「そうですか……」
秋子は、どこか固い感じを祐一から受けたが、些細なものだったし、気にしないことに決めた。
少し曇らせた表情も、すぐに笑顔に戻す。
「はい。それで、秋子さん。これからのことですけど……」
「あ、そうですね。では、祐一さんの部屋まで案内しますね……その前に」
「?」
「……水瀬寮へようこそ、祐一さん」
そう言って、微笑を浮かべる秋子からは、飾りのない、そして、限りない、本当の優しさが感じられて。
一瞬目を見開いた祐一も、すぐにその表情を崩す。
「……はい」
穏やかな声。
穏やかな表情。
小さく交わす笑顔には、七年のブランクは感じられなかった。
「じゃあ、祐一。部屋までわたしが案内するよ」
「あぁ、頼む。それじゃ、失礼します」
「……祐一さん、違いますよ」
靴を脱ぎ、進もうとする祐一を、秋子がやんわりと止める。
「え?」
「祐一、家に帰ってきたら、ただいま、だよ」
「そうですよ、祐一さん」
二人のその言葉を聞き、祐一は軽く微笑み、その言葉を口にする。
「……ただいま」
当然、名雪と秋子の返す言葉は一つしかない。
「「……おかえりなさい」」
続く
後書き
……ホント展開が遅いな(汗)
どうも、GaNです。
どうでもいいといえばどうでもいいんですが、各話のタイトルって気を使いますね。
タイトルってのは、話を象徴するようなそれであり、且つ複数の意味を持たせられれば最高と考えているんですが、なかなかにそれが難しい。
センスあるタイトルを考えられる人になりたいもんです。
いや、今回のタイトルはかなり単純だったなぁ、とか思い返したりしたもので、こんな後書きに。
まぁお気になさらず(笑)