神へと至る道
第3話 再会、あるいは出会い
「……」
「祐一? どうしたの?」
「……なぁ、ここ、学生寮なんだよな?」
「そうだよ。さっきから言ってるでしょ」
「絶対、何か間違ってる……」
祐一は、今日何度目かわからない大きなため息を深々とつくと、辺りを見回す。
見回し、また、ため息……さっきからその繰り返し。
「もう……祐一、ため息ばっかりつかないでよ」
「お前な、これ見て何も感じないってのは、間違ってるって、やっぱり」
「? 何が?」
「……慣れって、怖いな」
ここは学生寮。
学生が、学校に通うために遠方から来ている場合、ここはその住居となるわけだ。
学生の、住居である。
しかるに……
「何でこう、彫刻だの絵画だのが平気で飾ってあるんだよ……?」
そう、さっきから祐一がため息をついている理由は、ここにあった。
何度も言うが、ここは学生寮である。
彼とて、何も四畳半の一間で、バス、トイレ共有、なんていうところを想像していたわけではない。
それでも、ここまで豪華だと、もう何が何だかわからなくなってくる。
「……だいたい、何で玄関入ってすぐの広間に噴水があるんだよ?」
「あ、うん。きれいだよねー。わたし、あそこ好きなんだ」
従兄妹のズレた意見に、再びため息。
何処の世界に、噴水のついている学生寮があるというのか……
とはいえ、頬を抓っても目を擦っても、目の前の豪華な陳列物は姿を消しはしない。
どれだけ努力しようが、これは夢でもドッキリでもない、と判断せざるを得ないようだ。
となれば、あの芸術作品群も、現実の品ということになる。
祐一は、芸術作品にかなり通じている。
その彼の目から見ても、ここに並ぶ作品は、どれもすばらしいものだと言える。
と言うよりも、資産的価値が高い、と言った方がわかりやすいか。
ここまでくると、逆に盗まれることはないだろう、とも思える。
あまりに堂々としすぎているので、誰も気付かない公算も高い。
とりあえずは、この豪邸に釣り合うだけの作品なのである。
つまり、表面的なところでは何もおかしくないのだ。
豪邸がある。
そこに噴水がある。
彫刻や絵画が飾られている。
何もおかしくはない。
おかしいのは、ここが学生寮だ、と言うこと。
「……何かBGMにクラシックみたいなのが流れてるし」
ホテルかよ? ここは……という言葉は飲み込んだ。
カルチャーショックというものなのだろうか、これは。
祐一は、もう何が普通なのか、わからなくなってきていた。
「はい、ここが祐一の部屋だよ」
どれくらい歩いたのかはわからないが、少なくとも、人生について多少なり考える時間が与えられた以上、それなりの時間はかかったはず。
そんな距離を歩き抜いた末に、ようやく祐一に宛がわれた部屋にたどり着いた。
ここまでの過程で、祐一の価値観や常識といったものは、程よく壊されてきていた。
「なぁ、何で……いや、やっぱいい」
何でインターホンがあるのか? とか、何でドアまでこんなに豪勢なんだ? とか、何で隣の部屋があんなに遠いんだ? とか。
聞きたいことは山ほどあったが、成果が期待できないので、止めることにした。
「あ、祐一」
「何だ?」
とりあえず部屋に入ろうとした祐一だったが、名雪に呼び止められた。
振り返った祐一に、名雪は笑顔で話しかける。
「えっとね、あとで、祐一の歓迎パーティがあるから、一時間くらいしたら、食堂に来てね」
「いいよ、別にそんなの」
「ダメだよ、お母さんもわたしも一生懸命準備したんだから」
「……そうか。ま、じゃあ一時間後だな」
「うん」
「で、食堂ってどこだ?」
「玄関入って、右に曲がったところにあるよ」
「そうか、わかった」
「うん。それじゃあね」
名雪が、パタパタと音を立てながら去っていくのを見届けると、祐一は与えられた鍵で扉を開く。
そして、入ってすぐの第一声。
「これ、部屋じゃないって……もう、これは家だって……」
感嘆しているような呆れているような、そんな表情で祐一が呟く。
さすがに間取りが4LDKとなっては、確かにもはや寮とは言えないだろう。
「てか、食堂があるのに、何で部屋にキッチンまで備わってるんだ? ここは。分譲でもしてるのか?」
そのあまりの充実っぷりに、祐一はそんなことまで考えてしまう。
とは言え、寮で一般分譲ありとは考えられない。
秋子は、何かを意図してこの寮を建てたのだろうが……
「秋子さん……あなたは何者ですか?」
とりあえず途方にくれる祐一……哀愁漂う背中が、やけに小さく見えた。
「さて、と……」
十分ほど呆然としていたが、祐一もようやく再起動し、部屋の片付けを始めた。
そう、始めたのだが……
「荷物なんて持ってきてないしな」
あっという間に。それは終わりを告げる。
衣服と数冊の本に、それらを入れてきた鞄。
祐一がこの学生寮に持ち込んだ物といえば、それ以外では、日用品くらいなのだ。
「うーむ、やることがなくなった」
正味、持ち込んだものより、元から備え付けの物の方が多い、というのはどうしたものだろうか。
さておき、整理にもほとんど時間をとられなかったため、早くも手持ち無沙汰になってしまう祐一。
一瞬考える仕草を見せると、備え付けのベッドに腰掛ける。
「ま、とりあえずは……」
そう呟きながら、ポケットから携帯電話を取り出す。
「一応、連絡とっとかなきゃな」
かなり慣れた感じでメールを打つ。
素早く入力しているにも関わらず、時間がかかっているところを見るに、どうやら複数の人間に対して送っているらしい。
「……やっぱりか。メールしたのは正解だったな」
祐一がメールを送ってからしばらくして、その全員から返事が返ってきて、それに目を通した祐一は、ホッと一息ついた。
「あんまり密に連絡とれないのは痛いな」
ぼやくようにしながら、祐一はベッドに倒れこんだ。
クッションの効いたベッドに、祐一の体が沈む。
もちろんというか、ベッドも豪勢に過ぎるのだが、祐一は、もう気にするのは止めにしたらしい。
何のかの言っても、環境適応能力が高い、ということだろう。
「さて、どうするかな……?」
天を仰ぎ見ていたのも束の間。
ほどなくして、考えに沈むかのように、祐一は静かに目を閉じた。
きっちり一時間後、祐一は食堂に向かっていた。
そう、向かっているところだった。
名雪は、一時間後に食堂に来るように言っていた。
祐一も、その点を考慮して、その十分前には部屋を出ていたのだ。
しかし悲しいかな、そのあまりの豪邸っぷりにショックを受けていた頭では、道を覚えられるわけもなく。
「こうして、さまよってるわけだ」
そう呟いてみる。
しかし、それだけ。
呟いてみたところで、何の解決にもならない。
と。
「ふむ、では、あれか。お前は食堂に行きたいわけだな?」
「うむ。だがしかし、そのためには道を理解しなければならない。そして、理解するには、実際に食堂に行くしかない」
「ふむ、完全なる二律背反、というわけだな」
「うむ。そういうことになる」
そこで二律背反という単語を使うのもどうかと思う……そんな言葉は飲み込んだ。
それよりも、だ。
「で、二つほど聞きたいことがあるのだが……」
「内容によりけりだ」
「大丈夫だ。そんなに難しいことを聞くわけではない」
「それならいいだろう」
祐一は正面を向いたまま話し続ける。
その目は何も見てはいなかった。
目の前には、延々と続く廊下しか見えないのだから。
もちろん、右にも、左にも、そして、もちろん後ろにも誰もいない。
「まず一つ目だが、お前は誰だ?」
「人に名前を聞くなら、まず自分から名乗るべきじゃないのか?」
「俺は、既存の枠には当てはまらない人間なのさ」
「……まぁいい。オレは折原浩平だ」
「ふむ、折原か。俺は相沢祐一だ」
「そうか、相沢か。ならば、親しみを込めて、祐ちゃんと呼んでやろう」
「人前でその名を連呼できる覚悟があるのならやってもいいぞ」
「……やっぱり相沢と呼ぶことにしておく」
「そうしろ」
人前で、男同士が名前をちゃん付けで呼ぶなど、虫唾が走ると言うのも生温く思える。
その意味では、早期の方向転換は賢明だったと言えよう。
「で、二つ目の質問は何だ? そろそろ、限界なので、早く、して、ほしいん、だが……」
「なら話は早い」
「……で、なん、だ……?」
「……お前は一体何やってるんだ?」
「な……に、とは……」
「だから、天井に張り付いて、一体何をやってるんだって聞いてるんだよ」
そう言って、祐一はようやく視線を上に向けた。
そう……彼が会話していたのは、天井に張り付いている少年だった。
突っ込みどころがありすぎて、何から突っ込んでいいのか、というより、そもそも突っ込んでいいのかどうかもわからない。
「それ、は……な……」
少年にしても、かなり無理をしているのか、少しばかり表情が苦しげだ。
と、理由を口にしようとしたところで、ゲーム・オーバーの時がきた。
後ろから人が近づいていることに、祐一は気付いていたが、浩平は気付いていなかったからだ。
そして……
「浩平!」
唐突に、終幕を告げる鉄槌は振り下ろされた。
「いてて……」
腰をさすりながら、浩平が呻く。
だが、心配する者はいない。
祐一は呆れたような顔をしているし、浩平が天井から落ちる原因を作った少女は、それよりもさらに深い呆れの色を醸し出していた。
「おい、瑞佳。お前は俺を殺す気か? しかも謝罪もなしとは……」
「何言ってるんだよ! そもそも浩平が部屋の掃除をほったらかして逃げ出すのがいけないんだよ!」
「何を言う?! 逃げ出したのではない! 新たな自分を模索していたのだ!」
「はぁ……浩平、わたしホントに浩平のことが心配だよ……」
「こら、瑞佳。その哀れむような視線は止めろ。精神衛生上、非常によろしくない」
「……なら、馬鹿なことをやらなきゃいいだけだろ?」
心底呆れ果てた、というように、祐一は言った。
言葉の端々に疲れの色が見えるのは、気のせいではないだろう。
「あ……え、えっと」
そこで、少女――瑞佳は、ようやく祐一の存在に気付いたようで、慌てて祐一の方に向き直った。
が、混乱しているのか、うまく言葉が出ないようだ。
長くきれいな鳶色の髪が、わたわたと振る手に連動して、空中に軌跡を描いていた。
祐一も、そこでようやく瑞佳の方へ向き直る。
「えっと、はじめまして、だな。俺は相沢祐一。まぁ好きなように呼んでくれ」
「あ、わたしは長森瑞佳だよ。よろしくね、相沢君」
「あぁ、よろしく、長森」
「別名だよもん星人だ」
「浩平、何てこというんだよ! わたし“だよ”も“もん”もそんなに使ってないもん」
「……な?」
「……ノーコメントで」
「うぅー……」
浩平の策略に引っかかった瑞佳は、不機嫌そうに浩平を睨んでいる。
だが、元々かわいらしい容姿なので、怒っても怖さは感じない。
その辺り、名雪に似ているな……と、傍から見ていて祐一はそう感じた。
「まぁ、それはともかく、折原も長森も寮生なんだろ? 悪いけどさ、食堂まで案内してくれないか?」
「おぉ、そういえば、歓迎パーティがどうのとか言ってたな」
「あ、そっか。相沢君の歓迎パーティなんだね。うん、わかったよ。案内してあげるから、ついてきて」
「あぁ、頼む」
「うむ。以後俺を崇め奉るように」
「折原はいらん」
「浩平……バカなこと言ってないで急ぐんだよ」
二人の淡白な反応に、浩平が少し凹む。
けれど、ここで凹んでは敵の思うつぼだ、と自身を奮い立たせ、二人の後ろについて歩き出す。
『しかし、思うつぼって、どんなつぼだ? あれか? あの彫刻の、考える人とか、そういう方向か?』
真剣な顔で、そんなわけのわからないことを考えながら。
「あいつ、どうしたんだ? いきなり真剣な顔になってるけど」
「はぁ……気にしなくてもいいよ、相沢君。浩平がああいう表情になった時って、本当に下らないことしか考えてないから」
「はい?」
「この前も、ああいう真剣そうな表情になって、何考えてるのかと思ったら……」
「何考えてたんだ?」
「……トンカツソースをチキンカツに使うのは邪道なのか否か、とか何とか」
「……」
「……」
「アホだな、間違いなく。いや、ある意味では大物かもしれんが」
「……ホントに心配なんだよ、浩平が」
そんな二人の様子など気にも留めず、浩平は考え続けた。
どれだけアホに見えようとも、否、アホに見えるからこそ、彼は全力投球でそれに臨む。
男とは、かくあるべし。
彼の親友たる二人の少年は、この考えに共鳴し、それ故に、三人は普遍の友情を築き上げるに至った。
“類は友を呼ぶ”……後々、祐一が、様々な思いと共に、近くの人間に零した一言である。
「ここが食堂だよ、相沢君」
「……」
「どうした? 相沢」
「いや、もう、何か飯を食う前から、色々お腹一杯なのだが……」
「? 大丈夫? 相沢君」
「はっはっは、気にするな、お前もすぐに慣れる」
「……あぁ、間違いなく、そうなるんだろうな」
笑いながらの浩平の言葉に対して、万感の思いとともに、祐一が答えた。
あるいは、浩平も今の祐一と同じ気持ちになったことがあるのかもしれない。
「じゃ、開けるね」
そんな二人の様子を気にも留めずに、瑞佳はそう言ってドアを開いた。
「……タキシードでも着てくればよかったのか?」
浩平も瑞佳も普段着であることを忘れて、祐一はそう呟いた。
広い。
高い。
そして、シャンデリア。
もう一度だけ念を押しておくと。
ここは、学生寮である。
高価な品物に囲まれることが問題なわけではないが、ここが学生寮、という意識が祐一を苦しめる。
こんなことなら、学生寮、という言葉を聞かなければよかったと思う。
まぁ、それならそれで色々と困っただろうが。
そんな風に祐一が呆然としている間に、瑞佳が、フロアの中心部にいる人達に声をかけ、室内へと歩き出す。
それに倣って、祐一も浩平も歩き出した。
フロアにいる三十人程の人達の中に、よく知った顔を発見し、祐一は、とりあえず覚悟を決める。
そして、その近くにまで辿り着いた時に。
「あーっ!」
甲高い少女の大声が、フロアに響き渡った。
思わず耳を押さえる祐一。
覚悟は決めていたんだが……と、予想外の事態に、祐一は自身の認識の甘さを痛感する。
何事にもイレギュラーは存在するものだ。
しかし、終わってから言うのもなんだが、これは予想できていてもいい出来事。
『……オーケー、反省は後だ。とりあえず問題を片付けよう』
心の中でそう呟き、問題の少女のほうに向き直り……
「よう、久しぶり」
と、笑顔で声をかけた。
続く
後書き
見返せば見返すほど、自分がいかにSS書きとして未熟だったかがわかって、色々と凹みます(笑)
でもそれは、今は少しは上達してる証でもあるわけで、その意味ではちょっと安心したり。
何にしても、物語を書き上げるのは非常に難しいってことでしょうね。
何とか早いところ完結まで持って行きたいところです、はい。