神へと至る道
第4話 穏やかな時間の中で
「よう、久しぶり」
祐一が笑顔で語りかける。
そう、笑顔で。
ところが、声をかけられた方はそうはいかなかった。
「何が久しぶりよっ! 祐一のバカーッ!」
勢いそのままに大声でそう言うが早いか、少女が祐一に襲いかかった。
ブンブンと両手を勢いよく振り回し、殴りかかろうとする。
別にその程度で痛いも何もないだろうが、さりとて気持ちのいいものでもないだろう。
そう判断した祐一は、笑顔の質を、苦笑のそれに変えて、片手を前に差し出した。
「あうーっ!」
少女は懸命に両手を振り回す。
様々な想いをのせて、懸命に、思いっきり。
必死な表情から、それは易々と読み取れる。
けれど、いかに想いが強かろうとも、如何せん物理的な距離を越える効果を生み出せるものではない。
早い話……
「祐一っ! 素直にくらいなさーいっ!」
「やだ」
腕の長さで負けているために、少女の攻撃は祐一に届かない。
懸命に腕を振り回す少女の必死な形相に対し、祐一の表情はいかにも涼しげなそれ。
「おぉ、扇風機か? けど、今は冬だからな。夏なら喜ばないこともないけど」
話す言葉も軽やかに。
嘲っている感じはないけれど、からかっている空気はひしひしと伝わってくる。
「扇風機、じゃ、ない、わよ……」
どうやらスタミナ切れを起こしたか、ぜいぜいと荒い息をつきながら、振り回していた手を膝にあて、少女が何とかそれだけを口にした。
荒く上下する頭から流れるツインテールにした黄金色の髪が、空間を踊っている。
表情は見えないものの、その口調から、悔しがっていることは容易に知れた。
「やれやれ……」
「わ、ちょ、ちょっと、何するのよーっ?!」
祐一は、軽くため息をついて、少女に歩み寄り、少し乱暴に少女の頭を撫でる。
その突然の事態に、少女が非難の声を上げた。
そして、睨みつけようと頭を上げた瞬間――
「久しぶりだな、真琴……」
優しい微笑みを浮かべた祐一の姿が、少女――真琴の目に飛び込んできた。
それは、懐かしい笑顔。
記憶にも、心にも、温かいものとして刻み込まれた、そんな笑顔。
昔、その微笑みが自分に向けられただけで嬉しくなって。
だからこそ、この地を彼が去っていった時は悲しくなって。
自分を放っていった彼のことが、憎くなって。
『次会ったら、絶対復讐してやるんだから!』
などと、心に誓ったりもした。
けれど、それは嘘。
彼を憎めるはずがなかった。
だって、彼の笑顔が大好きだったんだから。
そんな笑顔を目の当たりにしてなお虚勢を張ることなど、真琴にはできなかった。
だから……
「あう……お帰りなさい、祐一」
せめて、零れそうになる笑顔を意地で隠して、真琴はそれだけ言った。
さっきまでの勢いはどこへやら。
けれど、それでも、彼女にしては頑張っていると言えるだろう。
本音を言えば、抱きついて、抱きしめられて、彼の匂いに包まれたかった。
優しい言葉を、優しい笑顔でかけてほしかった。
それはきっと、至福。
けれど、天邪鬼な性格の真琴に、そんなことができるはずもなく。
「あぁ、ただいま、真琴」
少し物足りないけれど、でも、祐一の手から伝わる温もりで、満足することにする。
色々文句も言いたかったけれど。
それでも、今はやっぱり幸せだから。
「あー……盛り上がってるとこ悪いんだが」
「ん? どうした? 折原」
不意にかけられた声に、真琴を撫でていた祐一の手が止まる。
真琴が少し不満げな表情をしたことは、祐一が壁となり、誰にも気付かれることはなかった。
故に、浩平もそのまま言葉を続ける。
「真琴とお前って、知り合いなのか?」
「あぁ。昔色々あってな」
浩平の問いかけに、祐一は軽く答える。
その口調は軽いものではあったが、どこか、これ以上聞かれたくない、という思いを感じさせた。
「そっか。まぁ、自己紹介の時間が減るだけだし、いいか」
それ故に、浩平も、あくまで軽い調子を崩さずに、そう言う。
浩平の言葉に、祐一はどこかホッとしたような表情をしていた。
「祐一さん、浩平さん、瑞佳さん、パーティの準備はできてますから、こちらへどうぞ」
「あ、はい」
「よーし、飯だ飯だ」
「わかりました」
ふと訪れた沈黙だったが、秋子が声をかけると、それも終わりを告げる。
気持ちを切り替えるかのように、四人はテーブルへと近づいていった。
『……いくらパーティっだっていっても、これはやり過ぎだろ……』
と、祐一は思ったのだが、もうこれ以上突っ込むことはしない。
こういうものだ、と割り切るしかないことは明白だからだ。
諦めも肝心なのである。
「祐一さん」
と、祐一の傍へ近づく影があった。
肩までの長さの薄紅色の髪が少し癖になっている、落ち着いた雰囲気をもった少女。
それに気付いた祐一は、手を上げて返事をする。
「よう、美汐。久しぶりだな」
「はい。祐一さんもお変わりなく」
「……変わってないな、その堅苦しい挨拶」
「性分ですので」
「若さが足りてないぞ」
「失礼な人ですね、本当に」
初対面かと思いきや、またしても親しげに会話を繰り広げる二人に、再び浩平と瑞佳が立ち止まる。
真琴は、いつの間にか美汐の隣に陣取って、彼女の腕にしがみつくようにしていた。
「で、真琴が迷惑かけてなかったか?」
「何よぅ、その言い方は。真琴はいい子にしてたんだから」
「本当かぁ?」
「むっ」
疑うというより、からかうといった感じの祐一の言葉に、再び真琴が反応しようとする。
「大丈夫ですよ、祐一さん。真琴は本当にいい子ですから」
しかし、真琴の頭にそっと手を置きながら、美汐が祐一にそう言うと、真琴はぴたりと動きを止める。
次いで見上げる真琴に、微笑んでみせる美汐。
そんな真琴を見つめる目にも、語る言葉にも、確かな優しさと愛情が感じられた。
「そうか。まぁ美汐が言うならそうなんだろうな。それにしても……まるで母親だな、美汐は」
美汐の言葉を聞いてから、祐一がそんなことを言う。
前半は、どこか優しげに。
後半は、どこか意地悪に。
「……それは暗に、私がおばさんくさい、とでも言っているのですか?」
年頃の少女である美汐が、そんな祐一の言葉の裏に隠されているモノを見破れないはずもなく。
少し強い目で、祐一を睨む。
「深読みすることはないぞ。それに、母親なら秋子さんなわけだし、な」
「うん。美汐はお母さんじゃなくて、親友だもんね」
「……そう、ですね」
祐一のごまかしは成功。
ここにいるのが美汐だけなら成功しなかっただろうが、真琴の無垢な言葉が、美汐を止めた。
それを確認し、祐一は企みが成功したような楽しげな表情に変わる。
けれど。
「……相沢、お前、漢だな」
ニヤニヤ笑う浩平の発言に、そして何より“おとこ”が“男”と聞こえなかったことに、祐一は固まる。
「え、えっと……浩平、相沢君は別に女の子には見えないよ」
瑞佳は、そんな浩平の真意に気付くことなく、むしろたしなめる口調で浩平に話しかける。
もっとも、そんなことで止まるわけもないのだが。
まるで悪戯を思いついた子供のような表情に変わってゆく浩平。
「ふっふっふ……これは、明日から面白くなりそうだ……」
「お、おい、折原。変な誤解はするなよ? 俺達はあくまで友人であってだな……」
「誤解? はっはっは、心配するな、誤解などしていないさ。ただ、真実をありのままに認識してるだけだ」
「だからそれが誤解だってんだよ」
祐一、ヒートアップ。
先程までの余裕は何処へやら。
背後から微妙に感じる、どこか含みを持つ視線も、彼を追い詰める。
もっとも、その視線に気付いていたのは祐一のみだった。
それに浩平が気付いていれば、さらに浩平を調子にのせたかもしれないが、そこは幸運であったと言えるだろう。
「お腹空いた……」
「もう、みさき、我慢しなさい、あと少しだから」
「だってー……」
「だいたいあなた、二時間前にもお菓子食べてたでしょ?」
「甘い物は別腹なんだよ」
「別でも何でも、あなたのお腹に収まったんだから一緒よ」
「雪ちゃんひどいよー」
みさき、と呼ばれた少女の、どこかのんびりとした、けれどどこか悲痛な言葉を耳にしては、祐一も浩平も言い合いを止めざるを得なかった。
そこからは無言で、自分達のために空けられている席に大人しく座る。
自分たちを見つめている冷たい視線を、ひしひしとその身に感じながら。
ちなみに、真琴と美汐と瑞佳は既に着席済みだった。
「さて、では改めて。祐一さん、ようこそ、水瀬寮へ」
「……はい、ありがとうございます」
二人が席についたことを確認してから、秋子が歓迎の言葉を口にする。
小さく頭を下げる祐一。
少し申し訳なさそうな表情になっているのは、先の出来事が原因なのかもしれない。
「よし。では、歓迎会恒例の、嬉し恥ずかし自己紹介コーナーだっ!」
「……嫌です」
「あははっ、私は面白いと思うけどなぁ」
「うー……お腹空いたよー……」
と、いきなり浩平が立ち上がりながら大きな声で喋る。
それを一言で切って捨てたのは、亜麻色の髪をゆったりとした三つ編みにして、両肩から下げている少女。
どこか冷めて見える目や、表情に乏しいその相貌のためか、まるで人形のような美しさを見せている。
反対に、浩平の意見に賛同してみせたのは、その隣に座る少女。
見ているだけで、まわりの人も楽しくなってくるような、そんな笑顔の持ち主。
「何? 柚木はどうでもいいとして。茜は何が気に入らないんだ?」
「嬉し恥ずかしって何ですか?」
「ちょっとちょっと、何? その扱いの違いは?」
「お腹ー、空いたよー」
大げさに顔を顰める浩平。
眉を寄せて、見るからに嫌そうな表情に変わる少女――茜。
態度が違うことに少し不満げな表情を見せる少女――詩子。
「うるさい、柚木。で、茜。自己紹介とは、古今東西そういうものだと相場が決まっているだろう」
「決まっていません」
「浩平君、露骨過ぎる態度って嫌われるよ?」
「お腹が空いたよー……お腹ー……」
「お前になら嫌われても構わん」
「わ、茜。浩平君、茜に嫌われてもいいんだって」
「詩子……」
「お・な・か・空・い・た・よー」
「お前ら、その辺にしとけ……」
そこでようやく、心底疲れ果てたような表情の祐一が話の中断に入る。
どこまでもマイペースな展開は、どこまでも祐一に疲労感を与えてしまっているらしい。
「黙れ柚木。俺はお前に言ってるんだよ」
「わ、ひどい言い草。茜ー、浩平君にいじめられたよー」
「詩子。暑いです、離れて下さい」
「お前ら! 人の話を聞け!」
無視された形になったためか、一段大きな声で話に割って入る祐一。
それでようやく浩平達の視線が祐一の方へ向く。
「何だ? 相沢。あんまり興奮すると血管切れるぞ」
「やかましい!」
「で、何なんだ?」
「だから! あの人があれだけ自己主張してるのに、お前はそれに気付かないとでも言うのか?!」
祐一が指差した先で、空腹を訴え続けていた少女が、とうとうテーブルに突っ伏してしまっていた。
行儀が良いとはお世辞にも言えないが、空腹に耐えかねている彼女に、そんな言葉は届かない。
だが、そんな様子を目にしても、浩平の表情は変わらない。
「もちろん、気付いてるぞ」
「……もういい、とにかくもう止めろ。まずは飯を食いたい」
「やれやれ、ここから話をもっと広げることもできたのに……」
悔しそうにそう語る浩平を見て、祐一と瑞佳が、同時にため息をつく。
元祖常識人にして、苦労人でもある瑞佳。
祐一がその仲間になるのは、時間の問題なのかもしれない。
「むぐむぐ」
自己紹介もそこそこに、ようやく食事が開始された。
食べ物の恨みは恐ろしい……誰もが知るその言葉は、決して誇張ではない。
恨みがましい視線を注ぎ続けられては、とてものんびり自己紹介などやってはいられないだろう。
まさに鬼気迫る勢いで、空腹を訴え続けていた少女は目の前の料理をその口に収めてゆく。
それでなくとも美味しそうな匂いが食欲をそそっているのだ。
とても我慢はできるものではない。
祐一も、早速、目の前にある料理を口にしてみる。
「!……う、美味い……!」
「あら、ありがとうございます」
「いや、本当においしいですよ、これ……正直、今まで食べた料理とは次元が違いますね」
「でしょ? お母さんの料理、わたし達も大好きなんだよ」
祐一の素直な賛辞の言葉を聞いて、名雪が、まるで自分を褒められたかのように、嬉しそうな顔で答えた。
そこにあるのは、確かな、母親への愛情。
自分にはないそれを目にして、祐一が少し眩しそうに名雪を見る。
「……もしかして、これって秋子さんの能力と関係があったりするんですか?」
と、何かに気付いたように祐一が秋子の方を見る。
目が合って、祐一はそんな言葉を口にした。
「……よくわかりましたね、祐一さん」
をれを聞いて、秋子は、微笑みながら祐一の問いに答えた。
「これがわたしの能力――
完全無欠の料理人
――です。とってもおいしくお料理が出来上がるんですよ」
「へぇ……秋子さん、料理が得意でしたもんね。だから、能力も料理に使うことにしたんですか?」
「あら、そこまでわかるなんて。すごいですね、祐一さん」
祐一の言葉に、秋子は、どこか嬉しそうな表情を見せる。
能力が使えるから料理が得意なのではなく、料理が得意だからこそ、能力で料理の腕が上がるのである。
だが、大抵の場合、能力の効果ばかり注目されるため、このことにまで考えが及ぶ者は少ない。
そのため、秋子の料理の腕を、能力の賜物だとしか考えない者も多い。
しかし、能力はあくまでも使う人間が、自分の中から見出すもの……自分にできないことはできない。
料理に関する知識も経験も、秋子の努力の賜物なのである。
能力を使わなくても一流の料理人である彼女だからこそ、そんな能力を身につけられたのだ。
祐一はそのことがわかっていたので、秋子はそれに感心したわけである。
「幸せだよ……」
「はぁ」
唸り声を上げていた少女は、嬉々として料理を食べ続けていた。
その隣でため息をついているのは、彼女の親友である深山雪見。
一枚の絵画を思わせるその美貌にも、どこか疲れのようなものが窺える。
その様子を見れば、普段彼女がどのように過ごしているのかは容易に推察できるだろう。
そして、雪見に疲れを感じさせていることなど露知らず、食欲の塊と化している少女は川名みさき。
長く艶やかな黒髪と、整った顔立ちは、それだけなら隣の親友にも匹敵する美しさを誇っていたが……
目の前に積み上げられていた皿の山が、それを見事に裏切っている。
そんな食欲の旺盛さがまず目に付いてしまうが、実は彼女は盲目である。
その穏やかな微笑みの影で、どれだけの苦労があったのか……
しかし、当の本人がそのことを気にしていない様子なので、問題はないのだろう。
それよりも、なぜ、彼女の体よりも高く皿が積まれているのか、の方が気になるし、問題な気さえもする。
「美味しいです。詩子もどうですか?」
「あはは……ちょっと、ね」
『甘すぎるの』
「乙女として……でも、これはちょっと……だけどやっぱり……」
どうやら特別に味付けされたらしい料理を食べている少女は、里村茜。
さっきまでの無表情が嘘のように、嬉しそうに表情を崩し、目の前の料理に舌鼓を打っていた。
どうやら他の人間には甘すぎるらしいそれが、しかし彼女にとっては丁度いいというのも、少し怖い話ではある。
その隣で、勧められた料理をやんわりと断った少女が、柚木詩子。
彼女は茜の親友という位置付けにあるため、はっきり断るわけにもいかないようだ。
笑顔ではあるのだけれど、額に流れる一筋の汗が、彼女の心情を何より如実に示していた。
しかし、詩子の隣に座る少女は、はっきりと茜に指摘した……スケッチブックに字を書くことによって。
彼女の名は、上月澪。
彼女は、生まれつき、声を発することができなかった。
けれど彼女は、スケッチブックに書いた文字を示してみせることで、他者とのコミュニケーションを実現している。
それまでの人生で、きっと様々な苦労や苦悩を経験してきただろうことは、想像に難くない。
それでも、今の彼女に暗い何かは感じられなかった。
そして、明らかに甘いとわかる料理を前にして、真剣な表情で悩む青い髪をツインテールにしている少女の名は、七瀬留美。
乙女を目指す女の子なのだが……少なくとも、目指している時点で、彼女の現状は容易に知れる。
実際、自己紹介の時にも、浩平との間で……
『おい、七瀬、いつも通り瓦を割ってくれ』
『いつ、誰が、そんなことしたのよ!』
『だから、いつも、お前が、だよ。男なら拳で語れ、拳で』
といったやり取りがあった。
その後、浩平がどうなったかは、言うまでもないだろう。
とにかく、彼女は乙女を目指しているのである。
全ての言動に細心の注意を払い、乙女らしく見せる……そのためには、毎日の食事にさえも、気をつけねばならない。
甘いものを好む、というのは、乙女として見逃せないファクター。
とはいえ、度を越したモノはさすがに勘弁してほしい、というのが本音。
けれど、幸せそうに頬張る茜の笑顔は、正に目指す乙女のそれ。
結果、それが彼女の頭を悩ませることになってしまっていた。
乙女への道はかくも険しいものなのか、と真剣に悩む彼女の横顔は、それだけなら乙女らしく見えなくもないのだが……
先程、浩平を鬼の形相ではたき倒した姿を見る限り、まだまだ目標は遠いらしい。
名雪と真琴は、まるで姉妹のように仲良く食事をしていた。
そんな光景を、美汐と秋子が微笑ましげに見つめている。
真琴は、故あって、秋子の養子となっている。
当初は、秋子にも名雪にも心を開いていなかった真琴だったが、今の様子を見る限り、安心できそうだ。
そんな風に、祐一は感じていた。
「それにしても……」
祐一が、そう言って振り返った先で。
「ん? どうした、相沢。トイレなら……」
「浩平! 食事中なんだよ!」
「何を言う、お前は人間の生理的欲求を否定するというのか?」
「そういう問題じゃないんだよ!」
「……」
再度ため息が零れる。
祐一に限らず、なぜか、この寮にはため息をつく人間が多い。
「で、何だ? 一体」
「いや……」
そう言って、浩平の顔を見る……正確には、その腫れた頬を、だ。
浩平自身は、さして気にもしていないらしいが、祐一には気になって仕方がなかった。
そんな祐一の内心を知ってか、瑞佳がこちらもため息混じりに声をかける。
「はぁ……気にしなくてもいいんだよ、相沢君。いつものことなんだから」
「そうか、いつものことなのか……」
「はっはっは、褒めるな褒めるな」
「褒めてねぇ」
そしてまたしてもため息。
先程の留美とのやり取りにも、どこか慣れのようなものが感じられた……いつも、という言葉も頷けるほどに。
どうやら、本当にいつもあんなことをしているようだ。
これからのことを思うと、祐一も頭が痛くなってくる。
とりあえず他の人間にも挨拶しておこうか、と祐一が思い、席を立とうとした時、秋子が祐一に声をかけた。
「祐一さん、デザートはいかがですか?」
「デザート、ですか?」
「はい。自信作なんですよ」
瞬間沸き起こる、ガタガタッという席を立つ音。
秋子の言葉の“自信作”という部分で、その食堂にいた人間が全員一斉に立ち上がり、口々に、ご馳走様と言ったが早いか、あっという間に出口へと駆け出した。
ある者は転び、また、ある者はその人間を踏みつけて。
とにかく我先に、と、全員が食堂から姿を消してしまった。
それはさながら嵐のごとく。
「あいつら、どうしたんですかね?」
「さぁ……」
本当にわからない、という表情の秋子……祐一も彼女と同じく、わけがわからなかった。
一瞬目を合わせて首を傾げる二人。
「まぁ、それはともかく、どうぞ、召し上がってください」
「あ、ありがとうございます」
目の前に出されたのは、オレンジ色のゼリー。
透き通ったその姿は、ある種の輝きを放っているようにも見え、どこか美しささえ感じさせる。
だが……
「へぇ、美味しそうですね、頂きます」
スプーンですくって、一息に口に運んだ祐一の表情が、咀嚼を始めた次の瞬間、凍りつく。
まるで一時停止をかけられたテレビの中の人間のように、ぴたりと。
と同時に、みるみる祐一の顔が青ざめてくる。
『な、何だ? これ。甘いとか辛いとか、そんなんじゃなくて……何て、言えば、いい、んだ……』
言葉では言い表しようのない味が口いっぱいに広がる。
美味いとか不味いとかそいう次元とは違う次元の味……彼の心の中でそんな考えが、とりとめもなく浮かんでは消えた。
と、同時に、祐一自身の意識も消え始めていた。
「どうですか? これ……」
秋子が何か言ってるのは、祐一の耳にも聞こえていたが、頭には届いていなかった。
薄れ行く意識の中で、祐一は、なぜ全員がこの場を離れたかを理解した。
もっとも、理解した時には既に、彼は意識を手放していたのだが。
続く
後書き
遅くなりました。
ここから、一話の尺がどんどん長くなっていきます(爆)
完結した暁には、一体どれだけの文量になるのか、怖いような楽しみなような。
書きたいもの、書いてる最中のもの、色々ありますし、進行速度がどうなるかはわかりませんが、気長にお待ちいただければ。
あと、秋子さんの能力について書いておきます。
水瀬秋子(タイプS)
能力名 :
完全無欠の料理人
効果 : どんな食材からでも、すばらしい料理を作り出すことができる。
この能力で作られた料理は、栄養満点で、疲労や病気、ケガの回復にも大きな効果がある。
同時に、食材に含まれている有害物質などを除去することも可能なため、安心と安全も保証される。
だが、難点は、毎回5%の確率で失敗すること。
失敗すると、例外なくオレンジ色のジャムかムースかゼリーになる。
その味は、とても表現できない代物で、口にした者はトラウマになってしまうことさえある。
ただ、秋子自身は、このオレンジ色の料理こそが自身の能力の成功作と信じて疑わない。
実際、味はともかく、病気やケガへの効果は、通常の料理以上なのである。
そのため、秋子は、5%という確率に不満を持っていたりする。
もっとも、周囲の人間にとって、その数字は高すぎると思われているのだが。