「さて、どうするかな?」
自室で手持ち無沙汰といった様子の祐一。
顔には、少なからぬ退屈の色が表れていた。
今日はいわゆる成人の日。
祐一が寮にきてから、既にそれなりの時間が経過したこともあって、大分、寮の面々とは気さくに話すようになった。
しかし、祝日ともなれば、皆それぞれに、やりたいこと、やらなければならないことなどがある。
そして、それは祐一にとっても例外ではなかった。
「うーん……連絡待ちってのは、きついなぁ」
基本的に、流されるまま、ということが好きではない祐一。
彼は、じっとしているよりも体を動かしていた方が安心できるタイプの人間なのだ。
自分の手の届かないところで進行するイベントを、ただ見ているだけというのは、どうにも気分が良くないのだろう。
これは、それを行う人間を信頼していないのではなく、単純に性分なのだ。
「いきなりこっちから会いに行くわけにもいかないだろうし……」
待ちに徹すると伝えてある以上、それをこちらから破るわけにもいかない。
何より、自分にも色々都合があるのと同様に、相手にも色々都合があるだろう。
もっとも、こちらから会う意思を伝えれば、快く会ってはくれるだろうけれど。
「やれやれ……」
結局色々考えても、大人しく待つのが正しい選択と言える。
そう結論付けた祐一は、小さくため息をつく。
ベッドに腰掛けると、そのまま後方に倒れこんだ。
「香里は名雪とトレーニングか」
朝、名雪自身から聞いた話だ。
余談だが、休日にこれだけ早く起きられるのなら、普段にも少しは反映させてくれ、と開口一番に言い、名雪の機嫌を損ねた祐一。
それが故に、後日、改めてイチゴサンデーを奢る約束をさせられてしまった。
ともあれ、名雪にしては手早く朝食をとり、何かに追い立てられるように、香里の家へと急ぎ向かったようだ。
夕方まで、学校の闘技場の予約をとってあるらしい。
そんな無茶が通るのも、学年首席という御旗を掲げたが故だろう、と推測する。
「折原は住井達とどっかに出かけたし」
平和で結構、というフレーズだけが、祐一の心に浮かぶ。
普段の生活で、どれだけ振り回されているかが、そんなことからも窺い知れる。
さておき、彼らはおそらくトレーニングでもしているのだろうけれど、祐一にとってはどうでもいいことだった。
「香里に勝ってほしいけど……八百長じゃ意味ないからな。むしろ苦戦してもらわないと」
香里との約束……栞を救うため、香里は今も、それこそ血の滲むような努力をしていることだろう。
だが、感情と理性は別物である。
香里の勝利を願おうとも、それに対して祐一が何かをすることはできない。
そもそも香里自身が認めないだろう……勝たせてもらう、などということは。
『栞は、私が助けるの』
その言葉に込められた想い……それを考えると、祐一には、余計な手出しも口出しもする気が起きない。
「まぁ香里なら大丈夫だろうけど」
確たる信念を持ち、覚悟を決めた者は、実力に関わらず、極めて強い。
戦う相手として、これ以上嫌な者はいないだろう。
その意味で、祐一は、香里が勝利することを半ば確信していた。
「北川だの住井だのも強いんだろうが……」
単純な資質、単純な強さを考えた場合、この二人に限らず、あの学校の面々は充分に強いと言える。
しかし、それはあくまでも、学校と言う閉塞された空間における評価である。
言わば相対評価。
世界と言う観点に立ち、絶対的な評価を下すならば、今の彼らは、あくまでも可能性としか表現できない。
つまり、現時点では弱者であると断ずる外ないのだ。
けれど、祐一からすれば、それ以上に気になっていることがあった。
それは、生徒の方ではなく、むしろ学校側の問題。
「お祭り騒ぎにしか思えないしなぁ」
廊下に飾られているポスターを見ても、戦いの緊張感というものが、欠片ほども伝わってこない。
どうにも、平和慣れした人間の、ささやかな娯楽にしか見えないのだ。
本来戦闘経験を積むためのものであるべきそれが、外部の人間に娯楽と思われてしまうというのは、偏に学校側の責任であろう。
「ホントに、何の意味があるんだか」
安全が保障された戦いなど、ただの訓練にも劣る。
自身に戦闘をくぐり抜けた経験があるという認識を持ってしまい、実戦の雰囲気を知らぬまま、いらない自信を植えつけかねないのだから。
そんな間違った意識を持つ者がハンターになったりすれば、その先に待つものは、絶対の死だ。
「……好都合と言えば好都合なんだけど、な」
天井を見上げていた祐一だったが、そこで体を起こした。
その顔には、小さな笑みが浮かんでいる。
「ま、問題になりそうなのは、折原だけだろうな」
そんな呟きが、朝の空気に静かに溶け込む。
普段の奇行ばかりが目に付くが、彼の潜在能力、また現時点での能力ともに、学校の中でも最上位といっていい位置にあることを、祐一は知っていた。
これは、自身が接して感じたことでもあるのだが、それ以上に彼の仲間から、その情報を既に与えられていたからだ。
香里の優勝に賭けた祐一にとって、最大の難関となるのは、だからこそ浩平以外にあり得ない、という確信が彼にはあった。
と、そんなことを考えているうちに、待ち望んだ連絡を告げる音が、自身の携帯から届く。
瞬間、目を輝かせる祐一。
「お、やっときたな」
実際、やっと、というほど時間も経っていないのだが、待つだけの時間は、実際以上に長く感じられるものだ。
祐一は、待ちきれない様子で携帯を取り出し、送られてきたメールに目を通す。
そこには、詳しい話をしたいので来てほしい、という趣旨の内容が書かれていた。
「時間は十三時、か。早めに飯食っとくかな」
相手の希望時間は午後の一時。
また、待ち合わせの場所まで距離があるため、祐一は早めに昼食を食べて行くことに決めた。
「じゃ、秋子さんに頼みに行くか」
そうと決まれば話は早い。
さっと立ち上がり、祐一は部屋を出て階下へ向かった。
神へと至る道
第12話 二つの顔
同日十三時。
寮を出た祐一がいたのは、旧倉田邸。
この街の名士として名高い倉田家が居住していた場所なのだが、現在は空き家となっている。
だが、法的にはここはまだ倉田家の所有物件……いや、正確には『倉田佐祐理』の所有物件である。
よって、一般人が無断に立ち入ることは許されてはいない。
広大な敷地の入り口には守衛がおり、常に侵入者を警戒している。
その入り口へと真っ直ぐに向かう祐一。
当然、守衛の目は彼に注がれる。
「すいません、相沢ですけど」
「あ、相沢様ですね。お嬢様から伺っております。では、どうぞ」
「はい、ありがとうございます」
だが、祐一が名前を名乗った瞬間、訝しげな守衛の表情は柔らかいものとなり、すんなりと門を通された。
感謝の言葉を口にして、門をくぐる祐一。
「二階の応接室で、お嬢様がお待ちになっておりますので」
「そうですか、わかりました」
守衛の言葉に頷くと、祐一は屋敷に向かって歩き出した。
ここにはもう誰も住んではいないのだが、その広大な敷地に荒れている様子など全く見られず、色とりどりの花が、見る者の心を安らぎへと導く。
おそらく、定期的に業者が手入れをしているのだろう。
季節の花が咲き誇っているその景色を目にしていると、そこに誰も住んでいないということを忘れそうになる。
祐一は、そんな風景に目をやりつつ、ゆっくりと歩きながら玄関へと向かう。
彼の表情からは、どこか楽しんでいるような気配が窺えた。
「あ、祐一さん。お久しぶりですね」
「祐一、久しぶり」
守衛に言われた通りに祐一が二階の応接室に入ると、二人の女性が、笑顔で彼を出迎える。
一人は、緑のチェック柄のリボンで淡い栗色の髪を留めている、向日葵を思わせる笑顔の持ち主である女性。
お嬢様、といった雰囲気を漂わせながらも、どこか親しみやすい印象も与えてくれる。
もう一人は、長くきれいな黒髪を紫色のリボンで纏めた、おとなしそうな女性。
表情は乏しいけれど、逆にそのことが彼女の神秘性を高め、魅力的に見せているようなところがあった。
そんな異なる印象を与える二人ではあったが、共通していることがあった。
それは、祐一に見せる、信頼と友愛の込められた、その眼差し。
歓迎の言葉よりも、その溢れんばかりの想いが、祐一には嬉しかった。
「よ、舞、佐祐理、久しぶり。元気だったか?」
笑顔で二人に挨拶する祐一。
二人が自身の年上であるにも関わらず、祐一の態度も言葉も、かなりくだけたものだった。
「もちろんですよ〜」
「うん。祐一も元気だった?」
しかし、二人はそんなことなどまるで気にも留めず、笑顔で言葉を紡ぐ。
この二人を知る者が、もしこの場にいれば、おそらく仰天したであろう。
いや、この二人というよりも、川澄舞、という女性を知る者がいれば、と言うべきか。
彼女は、普段は感情をあまり表に出さない。
加えて、社交的とはお世辞にも言えない学生生活を過ごしていた。
親友である倉田佐祐理は、その人柄と相まって、誰とでも親しげに会話を交わすが、彼女はそうではない。
舞にとって、佐祐理以外の人間には、あまり興味がないということなのだろう。
もちろん誰かに何か質問されればそれにはきちんと答えるし、必要とあらば、舞の方から人に声をかけもする。
だが、そこから発展しないのだ。
必要事項以外を話す意思はない、と暗に周囲に宣告しているようにも思えてしまう。
それ故に、学内で彼女と会話を交わすことができるのは、現状、佐祐理のみとなっている。
しかし世の中よくしたもので、そんな舞が、佐祐理と並んで校内の人気でトップとなっているのだ。
取っ付き難いところはあっても、逆にそこが魅力的に映るのかもしれない。
舞自身は、そのことをさして気にも留めていないのだが。
ともあれ、舞が誰かに、必要もないのに話しかけることは、まずない。
そこにきて、今日、祐一には体を気遣うような発言をしたのである。
聞く者がいなかったのは、幸運と言えるのかもしれない。
もっとも、この三人にとってはどうでもいいことなのだが。
「おう、元気元気。見ての通りだ」
「色々と大変だったんですよね? お疲れ様でした」
「祐一、お疲れ様」
ねぎらうように言葉を続ける舞と佐祐理。
見れば、舞の顔には、確かな微笑が浮かんでいる。
仮にこの姿を写真にとっていれば、学校で相当の値がつくだろう。
もちろんそんなことをする理由など、祐一にはないけれど。
さておき、二人の言葉に、祐一も軽い笑顔で答える。
「ま、大したことはなかったから」
「そうですね、祐一さんですもんね」
「私は、祐一のこと、信じてたから」
そうして三人が小さく笑い合う。
その後、佐祐理の淹れた紅茶を片手に、それぞれの近況を語り合ったりして、しばらく時間を過ごした。
「それで佐祐理。例の件はどうなってる?」
「ふぇ? えっと、どのことから話せばいいでしょう?」
お互いの話が一段落ついてから発せられた祐一の発言に対し、佐祐理は、口許に手をやりながら、少し疑問顔で尋ね返す。
彼女がすると、そんな仕草もまるで違和感がなく、醸し出される空気も穏やかで、正に深窓の令嬢といった風情だった。
「そうだなー……」
「むぐむぐ」
その傍らで、舞はお茶菓子に夢中になっている。
容姿が非常に大人びていて、どこか日本人離れした雰囲気を身に纏う舞だが、その言動は、見た目に反して意外に幼かったりする。
今も、目の前のお菓子にがっついているが、その様子は、好物を前にした子供のように見えてしまう。
そんなところも、舞の魅力の一つなのだろうが。
「じゃ、とりあえず、こないだの魔狼の件から聞こうかな」
「はい、了解です」
パラパラ、と手元のファイルをめくっていく佐祐理。
その手があるページで止められる。
「あ、これですね。とりあえず、保護機関と警察の所見だけは入手できましたので、それを……」
「オッケー。じゃ、教えてくれ」
「はい。結論から言いますと、今回の件は人為的なものであることが判明しました」
「ってことは、何か痕跡があったの?」
「はい。微量ではありますが、魔狼の死体から、魔狼自身のものではないエネルギーが感知されたそうです」
「……やっぱり能力ってわけか」
「はい。おそらくタイプSだろう、というのが、保護機関の見解ですね。これは佐祐理も賛成です」
「だな」
頷く祐一……彼の想像どおり、今回の一件は魔狼の意思ではなく、人の意思によって起こされていたようだ。
となると、問題になってくるのは、それがどんな人間の手によって起こされたのか、ということ。
強力な魔獣を従える能力となると、考えられるのはタイプSしかないだろう。
しかし、それだけではどんな能力なのかは全くわからない。
結局、何もわかっていないのと同じである。
「で、他に何かわかったことはないの?」
「そうですね……これは確実ではないのですが、どうも祐一さんと戦っていた時には、既に操作は解除されていたみたいです」
「感知されたエネルギーの分析も行われたわけか」
「はい。その結果、そのエネルギーは文字どおり能力使用の際の残滓でしかなかったそうです。もし死ぬまで能力が行使されていれば、もっと強く残るはずですから」
「なるほど、確かにそう考えるのが自然だな」
「はい。もちろん断定は出来ませんが」
あくまで慎重な姿勢を崩さない佐祐理。
相手の能力が完全に未知である以上、あらゆる可能性を考慮しておく必要がある。
いくらほぼ確実である考えられようと、確たる証拠がないのなら、断言するわけにはいかない。
「うーん、だとすると、能力に関してはこれ以上わからずか……」
「そうですね。あと一応念のために、過去五年間に渡ってデータベースを検索しましたが、類似の事件の報告はありませんでした」
「だとすると、これが初犯でないなら、事件にならないような規模だったか、別の国でやってたか、だな」
「はい」
「やれやれ、割と厄介かもしれないな。愉快犯の可能性は低そうだし……」
栞と祐一が魔狼に襲われてから、すでに一週間ほど経過している。
もしこれが愉快犯による事件ならば、これほど間隔を置くとは考え難い。
ましてや、前回は祐一に邪魔された格好なのだ。
それで黙っていられるのなら、最初からそんな犯行には及ばないだろう。
祐一のそんな意見に対して、頷いてみせる佐祐理。
「えぇ。どのみち、愉快犯である可能性なんて考慮する必要はないですけど」
「あぁ、わかってる」
祐一達にとって重要なのは、それが自分達と関連する事柄なのか、ということである。
関係がないのなら、テロ行為であろうと、愉快犯であろうと、特に問題はない。
もし見かければ叩き潰せばいいだけなのだから。
しかし……
「問題は、何が目的だったか、だな」
「そうですね。不確定要素が多すぎて、解答を導くことはできませんけど」
「とりあえず、考えられる可能性を列挙してみよう。そこから、俺達にとって問題となるケースだけを考えればいい」
残されている証拠は、魔狼の死体のみ。
これでは、何も断定できはしない。
しかし、考え得る可能性は全て模索しておくべきだろう。
或いは、この相手と敵対することもあり得るのだから。
「まず、死ぬ間際まで操作されていた場合を考えると、この場合の目的は単純だな」
「えぇ、祐一さんか栞さんを狙って、ですね」
「あぁ。ただ、栞って可能性は低いだろう」
「確かに、もっと他にも方法がありますし、ましてや彼女の場合……」
「栞を狙ってるのなら、彼女の病のことを知らないとは考えにくいし、この場合は俺が目的だって考えた方が自然だな」
狙いが祐一だとしたら、それはおそらく彼の命、または情報。
祐一の力を見定めるために、捨て石として魔獣を使う。
あり得ない話ではなかったが……
「ただ、これも少し疑問が残るな……」
もし祐一の力を測りたいのなら、もっと強力な魔獣を用意するべきだろう。
わざわざ祐一にちょっかいをかけてくるのに、祐一の強さがまるで分かっていないとは考え難い。
実際、祐一は、ロクに苦戦することもなく、実力や能力を隠したまま、これを撃退した。
効果があったとは、到底思えない。
「はい。祐一さんの強さを知らないのに、祐一さんに手を出してくる人なんていないでしょうし」
「あぁ。だから、この可能性もあんまり高くないと思うんだけど」
「でも、前提条件からして低確率ですから」
「そうだな。これなら特に問題はない。死ぬ間際まで操作されていた可能性は考慮する必要はないな」
そう言って話を締める祐一。
もしさらに強力な魔獣を連れてこられたら、悠長に構えることはできないだろうが、その場合、結局、現時点では何もできないのだ。
「それで次の可能性は、特定の目的もなく、あの街の適当な位置まで魔狼を誘導しただけだ、という場合だけど……」
「この場合は、祐一さんは単に巻き込まれただけですから。今後、祐一さんへの報復の可能性はゼロではないですけど、特に問題はないですね」
「あぁ、もし来たら返り討ちにすればいいだけだ」
自分が目標でなかった場合など、特に気にする必要はないだろう。
予想もしない形で戦闘することなど、彼らにとって珍しいことではないのだ。
ならば、いつもどおりに対処すればいいだけ。
「最後に、何らかの目的があって、魔狼をあの街の特定の場所まで誘導してきた場合ですね」
「これはさらに二つに分けられるな。目的地はあそこではなかったが、あそこで誤って操作が解けてしまったケースと、あそこが目的地だったが、そこにたまたま栞がいたケース」
「後者はないと思います。少なくとも、後者の場合は、私達が関与する必然性はありません」
「ということは、あの近辺に重要な建造物とか、人物の存在はなかったってわけだな」
「はい。だとすれば、個人的な復讐か何か、ということになりますから」
「それなら必要以上に関わるのは良くないかもしれないな。忘れるわけにもいかないけど」
祐一は、これが復讐だったならば、邪魔するつもりはなかった。
八つ当たりや思い込みといった可能性はあるかもしれないが、少なくとも積極的に介在すべきではない事情があるだろうから。
まぁ、警察なり保護機関なりが、それを捜査し復讐を防ぐのを止めようという気はないが、復讐の邪魔をする気もない。
けれど、復讐ではないケースも考えられないわけではない。
その場合は、やはり無視を決め込むわけにもいかないだろう。
佐祐理もまた、祐一のその言葉に同意する。
「はい、そうですね。で、前者の場合ですが、こちらは特に不確定要素が多いですね」
「あぁ、割と狙われそうなところとか、俺達に関わるところとかもあるからな」
「ただ、この場合は、相手が未熟だということでもありますから、監視の目を光らせておけば……」
「次にそいつが試した時に、引っ掛けることができる、か」
「はい」
祐一の言葉に頷く佐祐理。
そこで、彼女はファイルをそっと閉じ、微笑みながら祐一を見る。
「じゃ、結局、魔獣が現れることを念頭において、警戒をしていれば問題はないな。みんなにも言っといてくれ」
「わかりました」
祐一と佐祐理が結論を出したところで、舞が動かしていた手を止める。
祐一と佐祐理の顔を等分に見ながら、静かに口を開く。
「私は、何をしたらいいの?」
舞は、基本的に難しく物事を考えることはしない。
だが、別に頭が悪いとかそんなことではない。
彼女は、自分の仕事をしっかりと把握し、やるべきことを理解している。
つまり、情報の収集や処理は、自分の仕事ではない、と認識しているだけなのだ。
そういった仕事は、人脈や手段のある佐祐理達に任せた方が効率がいいのだから、それは正しい。
故に、舞は、祐一や佐祐理が決断し、何をすべきかを決定したならば、それを一切疑うことなく、完全な形で遂行する。
そこにあるのは、絶対的な信頼。
「んー、そうだな……とりあえず、魔獣の動向には一応注意しておいてくれ。いつどこにどんな魔獣が現れてもおかしくないから」
「わかった。見つけたらどうしたらいい」
「その魔獣をどうするかは舞の判断に任せる。あと、操っているヤツを探し出せれば探し出して、見つけられたら、俺に連絡してくれ」
「了解」
危険の芽は、早めに摘んでおいた方がいい……そんな祐一の判断に、舞は、いつものように素直に従う。
今回のような事件では、無関係な人間が巻き添えになることが多い。
舞は、その優しさ故に、罪無き人が苦しむようなことは嫌いだった。
だから、たとえ祐一に言われなくても、犯人を捕らえることを心に決めただろう。
祐一も、そのことを良く知っているから、そんな指示を出したのだ。
「それで、あれのことだけど……」
そこで、祐一が話題を変える。
あれのこと……これだけで、佐祐理はもう祐一が何を聞きたいのかわかったらしい。
別のファイルを傍らから取り出す。
舞はというと、再び手を動かし始めた。
どうやら、まだ食べ足りないらしい。
「えーっと、あ、これですね」
佐祐理はそう言うと、ファイルを捲っていた手を止めて、一枚の紙を取り出し、それを祐一に手渡した。
「……」
それを、祐一は真剣な目で見る。
「それで……香里さん、でしたっけ。どうなんですか?」
「ん? あぁ、一応話はしたよ。とりあえず、覚悟を見せてくれって言っといた」
佐祐理の言葉に目を上げる祐一。
そして、彼女の疑問に返事をする。
「ということは、彼女に優勝してもらうということですね?」
「あぁ。実力も申し分ないし、充分期待できる」
「そうですか……」
「……気持ちはわかるよ。結局どう言い繕ったって、彼女の弱点を利用してるわけだから。だから、気に病むのは仕方ないけど……」
微かに表情を曇らせた佐祐理を見て、祐一も同じような表情に変わる。
栞を救いたい、と願う香里に、救いの手を差し伸べる……これだけなら、美談として片付けることもできるだろう。
だが、祐一はそこに条件をつけた。
武闘会で優勝しろ、と。
確かに、簡単に病を治していいわけではないが、祐一の提案は、言い換えれば、優勝できなければ栞は助からない……そんな意味にもとれるのだ。
もちろん、栞の回復の可能性が潰えるわけではない。
だが、救いの手を差し伸べておきながら、つかまる寸前でその手を離すことは、何もしないよりも残酷なことになる。
香里は、感謝の念は揺らがない、と言ってのけた。
だが、もし彼女が武闘会で敗退した場合、そう簡単に心の整理がつけられるだろうか?
絶望に囚われてしまう可能性がない、と言えるだろうか?
そうなった場合、本来ないはずだった悲劇を作り出すことになりかねないのだ。
香里が敗退した時に、例えば栞を治したとしても、事は解決しない。
彼女のプライドも信念も、その全てが崩れてしまい、それが栞にも悪影響を及ぼすだろう事は、容易に想像できるからだ。
つまり、もし香里が優勝できなかった場合、悲劇が起こることは、まずもって避けられない。
そしてまた、彼女が優勝した場合にしても、彼女を自分達の目的のために利用した、という事実は覆らない。
そう……香里には言っていないことだが、その条件を出したのは、自分達の目的のためでもあったのだから。
「えぇ。わかってるんですよ、祐一さんの決断は正しいって。こうするのがいいって。でも、もし……」
俯きがちに言う佐祐理。
そんな姿を見て、隣に座る舞が、手を止めて彼女に向き直る。
「佐祐理、心配しないでも、きっと大丈夫。祐一が信じてるんだから……だから、その香里って人は、きっと優勝できる」
佐祐理の肩にそっと手を置きながら、舞が諭すように言う。
顔を上げた佐祐理の目に、舞の微笑みが映る。
「あぁ、そうだよ、佐祐理。大丈夫、きっと上手くいくよ」
その舞の言葉に勢いを得て、祐一もそんな言葉を口にする。
強い口調……あるいは、その言葉を自分に言い聞かせているのかもしれない。
「……はい、そうですね。祐一さんも香里さんも、信じなきゃいけませんね」
二人の言葉で、佐祐理にも微笑みが戻り、そっと舞の手を握る。
“大丈夫だから”
そんな想いを、そこに込めて。
「あ、祐一さん」
「ん? 何だ?」
その後、紅茶を淹れ直した佐祐理が、思い出したように祐一に話しかける。
疑問顔で振り向く祐一。
「言い忘れてましたけど、アレの完成は、武闘会の前日になるそうです」
「そっか。まぁそれでも予定に間に合うっちゃ間に合うけど……」
「えぇ。もし何かあったら、武闘会の日までに仕上がらない可能性もあります」
「まいったな……」
「一応、大丈夫だという話なんですけど……」
ため息をついてから、佐祐理が紅茶を静かに口に運ぶ。
ほのかに香るそれが、心の安定を促してくれる。
「けど、何があるかわからないからな」
「えぇ。不確定要素を作戦に取り込むのは危険です」
「だな。何が起こるかわからないし……保証がないのは辛いな」
祐一もまた、ため息の後、紅茶を一口飲み、そのまま考えに沈む。
少し悩んでいる様子だ。
「……ケーキ、美味しい」
コクコク……と紅茶を飲み干し、三つ目のケーキに手を伸ばす舞。
佐祐理が、舞に紅茶のお代りを注いであげながら、口を開く。
「どうしますか? 作戦変更ですか?」
「どうするかな……ここまできて作戦変更ってのは、さすがにしたくないんだけど……」
それだけ言うと、祐一がソファにもたれかかった。
高級感漂うそのソファが、優しく祐一を受け止める。
一瞬訪れる静寂。
「あいつらは何て言ってるんだ?」
しばらくしてから口を開く祐一。
佐祐理は、その内容に首を傾げる。
「はぇ? 祐一さん、連絡とってないんですか?」
「いや……俺は今、寮にいるわけだしさ。誰かに聞かれるかもしれないし、頻繁に連絡はとれないんだよ」
「直接会って話す……っていうのは、もっと不味いことになりかねませんね」
「そ。だから、佐祐理達が連絡とってくれるとありがたいんだけど」
「わかりました。結果はメールでお知らせしますね」
「わかった。頼むよ」
「はい。お任せください」
パン、と胸の前で手を合わせ、佐祐理が笑顔で請け負う。
遅れて舞が祐一の方を見て。
「……わかった」
了承の意を伝える。
それで、話は完了したようだ。
「……祐一さん、事が終わるまでは、必要以上の戦闘行為は避けてくださいね」
祐一の方を向き直り、佐祐理が少し心配そうに言う。
「大丈夫、わかってるよ。魔狼とは、勝てると判断したから戦ったんだし」
あの時、もし勝てそうになければ、相手を撹乱させてから、栞を連れて逃げ出す算段はあった。
その場合でも、保護機関なり警察なりが退治しただろうと思うからだ。
命を懸けてまで、他人のために戦うような愚は冒さない。
祐一は、死ねないから……まだ、死ぬわけにはいかないから。
「えぇ、そうでしょうけど……やっぱり心配ですから」
「祐一、無理はダメだから」
佐祐理に続いて、舞も、少したしなめる口調で、祐一に言う。
「わかってるって。いつも言ってるだろ? 俺は、俺のできることしかしないって」
「はい。でも、釘は刺しておかないと」
「そんなに信用ない?」
少しおどけた口調で祐一。
「まさか、ですよ。むしろ、信用してるからこそ、です」
佐祐理も笑顔になって言う。
「うん。祐一は強い。でも、もっと強い人は、いっぱいいるから」
次いで発せられた舞の言葉に、祐一は安心させるようにもう一度、大丈夫、と言い、話はそこで終わった。
「そう言えば、あの人と連絡は取れたのか?」
それから、祐一が思い出したように二人に聞く。
一瞬考える仕草を見せる舞と佐祐理。
「あの人……あ、そっか」
「流離いの錬金術師さん」
それを聞いて、舞と佐祐理も思い出したらしい。
ぽんと手を打つ佐祐理と、小さく頷く舞。
ちなみに、舞が錬金術師の後に“さん”を付けたことについては、誰も何も言わない。
「んで、どうなんだ? 結局」
「ダメですね、全然連絡がつきません」
「きっと、また世界中を旅してる」
「はぁ……ま、そうだろうなぁ」
二人の言葉に、祐一が深いため息をつく。
とはいえ、予想できなかったことではないので、気を取り直すのも早かった。
すぐに顔を上げ、口を開く。
「それじゃあ悪いけど、引き続き連絡取れるまで頑張ってみてくれ」
「はい、もちろんですよ」
「頑張る」
佐祐理と舞が、ガッツポーズをとる。
それを見て、祐一が軽く笑う。
二人を信頼しているのだろう……それ以上、その話を続けたりはしなかった。
「……お、もうこんな時間か」
その後、色々とこれからのことなどについて話し合っていると、気付けばもう夕焼けが見える時間になっていた。
時計を見た祐一は、驚いた表情をしている。
「残念ですけど、今日はここでお開きですね」
「……残念」
佐祐理と舞もまた、時計の示す時刻を見て、驚いた顔を見せる。
楽しい時間が過ぎるのは、あっという間だ。
久しぶりに、祐一と佐祐理の三人で一緒の時間を過ごせたことがよほど嬉しかったのか、舞は、はっきりとした落胆の表情を見せる。
「じゃ、とりあえず、何か進展があったら、逐次メールで知らせ合うって事で」
祐一が、立ち上がりながらそう言う。
「はい、わかりました」
「祐一、油断は禁物だから……」
頷く佐祐理と、もう一度釘を刺す舞。
「あぁ、わかってる。舞も佐祐理も、だぞ」
「あははー、大丈夫ですよ」
「大丈夫。佐祐理は、私が守るから」
そんな風に喋りながら、三人で部屋を出る。
玄関先にたどり着くと、改めて祐一が二人に向き直った。
「それじゃ、ここで。今日は楽しかったぞ」
「はい。佐祐理も楽しかったですよ」
「うん。祐一、また……」
少し名残惜しそうに、けれど、しっかりと笑顔を見せて、三人はそれぞれの家路につく。
舞も佐祐理も、祐一の姿が見えなくなるまで、手を振っていた。
祐一もまた、後ろを向きながら、軽く手を振り返しつつ、歩いていった。
「じゃ、舞。帰ろっか」
「うん」
祐一の姿が見えなくなってからしばらく。
佐祐理が舞を促し、二人並んで倉田邸を後にした。
「ねぇ、舞? お夕飯、何がいい?」
「何でもいい。佐祐理と一緒に作るご飯は、何でも美味しいから」
「あはは、そうだね。じゃあ……」
そんな他愛もない話をしながら、二人は自分達の家へと歩いていく。
だが、さっきまで祐一と話していた内容が、会話に上ることはなかった。
空には、うっすらと月が見えている。
夕焼けの赤と、僅かに残る空の青が入り混じる辺りに白く浮かぶ月は、どこか優しげに、舞や佐祐理の目には映った。
続く
後書き
先輩二人の登場。
佐祐理さんはともかく、舞の言葉って難しいんですよね。
言葉で“らしさ”を出すのは、技術がいるなぁ、と痛感してたり。
あと十話で序章も終わるわけだし、気合入れていきたいところです。