――東京都内、某所――



「何? 奴等が教団の人間と接触?」
「はい、そのような報告がありました……ただ、これは偶発的なものである可能性が高いそうですが」

高層ビルの立ち並ぶ都内においては、さして珍しくもないビルの一室での会話。

「そうか……確かに、まだ早いだろうからな」
「はい。現時点では、静観していた方が賢明でしょう」

そのビルの外観は、確かに珍しくも何ともない。
だが、そのビルで活動する者もそうかというと、これがそうではない。
ここは、国際能力者保護機関の、日本における総本山ともいうべき場所。
日本の各地に点在する保護機関の部署の総括なのだ。
その最上階の一室……そこで、一人の男性が、秘書らしき女性の報告を聞いていた。

「うむ……どちらにせよ、連中を潰すことなどできないがな」
「そうですね。政界、財界の有力者も懇意にしてるような存在ですからね」
「やれやれ……放置しておくと、何をやらかすかわからないんだが」
「下手に手を出して殺してしまおうものなら、我々の首だけでは済みませんよ?」
「あぁ、わかっている。まったく、何とも性質の悪い連中だ」

苦々しげな表情を作り、男性が半ば独り言のように呟く。
それがわかっているのだろう……その言葉に対し、女性は何も言わなかった。



「で、今はどうなってるんだ?」
「はい。連中の目的は、やはり想像どおりですね」
「……神器、だな」
「はい、まぁ当然といえば当然なんでしょうが」
「何か行動を起こしているのか?」
「いえ、特に何も。ただ、あの場所にいること自体が、その前兆と言えるでしょうから」
「そうか……今、現地には誰がいるんだったかな?」
「“アリエス”と“リーブラ”がいます」

男性の言葉に対し、手元のファイルを開きながら、女性が答える。
その表情は、話題が変わろうとも、ピクリとも動かない。
まさにプロフェッショナル。
その姿勢は、秘書の鑑と言えよう。
だが、男性の方はそうはいかなかった。

「何? アリエスはともかく、リーブラにそんな命令は下されてはいなかったはずだが……」

女性の言葉に、僅かに眉を顰める男性。
記憶の中を幾ら探ってみても、そんな命令事項はなかったのだ。

「メールが送られてきました。『アイツラを叩くのは俺の仕事だ』と」
「……あのバカ」
「はい、バカです。けれど、無能ではないはずですから、下手は打たないと思うのですが」

頭を手で押さえる男性を見ても、女性は表情を変えず、淡々と意見を口にする。
だが、その言葉を耳にしても、男性の表情は動かない。

「……その武闘会とやらで、黙っていられると思うか?」

彼は、心労に堪えない、といった顔でそう問う。
その顔は、返ってくる答えを、既に知っているようにも見える。

「いいえ。間違いなくその騒動を利用して、戦闘に持ち込むでしょうね」

そしてまた、彼の想像どおり、女性は否定の言葉を返す。
大きく息をつくと、男性はゆっくりと口を開く。

「……アリエスに伝えておいてくれ。何とかしろ、と」
「わかりました」

頷く女性の表情は、やはり動かなかった。





「それで、本部は何と言ってるんだ?」
「十二使徒ですか?」
「そうだ。おそらくそう遠くない時期に、奴等は衝突するぞ」
「本部の言い分は変わってませんよ。二人いて何が不満なんだ? と」



十二使徒……保護機関が有する武力集団の最高峰に位置する十二人の精鋭。

 単純な戦闘力で測るなら、紛れもなく世界最強の集団と言っていいだろう。
 十二人全員が、S級ハンターレベルの実力を持つ能力者である。
 S級賞金首に関する情報収集と監視が、彼らの主な仕事だ。
 また、場合によっては、S級賞金首を討ち取ることも仕事に含まれる。
 なお、十二使徒の存在は、一般には知られていない。
 場合によっては超法規的な行動をとることもあるため、それが問題になるのを防ぐためだ。
 余談ではあるが、過去、S級賞金首を討ち取ったのは、十二使徒以外では、伝説のハンターと噂されている者しかいない。



「……やはり無理か」
「当然だと思いますが。S級は世界各地に存在するんですよ? 日本にこれ以上人員を集中させると、有事の際、不安があります」
「中途半端な人数の方が問題じゃないか?」
「それでなくても、パワーバランスは微妙なところで成り立っていることをお忘れなく」



例えば、十二使徒を全員集結させれば、大抵のS級賞金首を壊滅させることが可能だろう。
後先を考えないのであれば、それでもいいかもしれない。

だが、S級は一人ではないし、一グループでもない。
世界各地に、複数存在している。
ましてや、絶対に勝てる相手と言えるわけもない。
少なくとも、いかに十二使徒と言えども、無傷で勝つことはまず不可能だ。

それを考えれば、十二使徒はできる限り動かさないでおくのは、至極当然と言えるだろう。
十二使徒がS級に監視の目を光らせているのと同様に、S級もまた、十二使徒の動向には敏感なのだ。
そんな状況で、十二使徒がS級を潰しにかかればどうなるか。
疲労と負傷の合間をついて、逆に、別のS級が、十二使徒を潰しにかかってくるだろう。
あるいは、S級同士がが協力体制をとる可能性だってある。

十二使徒が保護機関に存在するからこそ、世界各地に散らばっているS級の動きを牽制できるのだ。
故に、十二使徒は、絶対に潰されるわけにはいかない。
潰される危険度が高いとわかっている作戦に、十二使徒を使うわけにはいかないのである。
十二使徒がS級を壊滅させる時は、トラブルが起きないと確信できる時と、危険度が極めて低いと判断された時に限られる。
言ってみれば、十二使徒はそこに存在することにこそ、意義があるのだから。



「……となると、やはり余計な手出しはしない、ということになるのか」
「一般人に危害が及ぶことはないと思うのですが?」
「問題は、戦闘の後だ」

そこで、男性は立ち上がり、窓の方向に歩いていく。
女性は動かない。

「と、言いますと?」
「連中の目的がわからん。何を企んでいるのか、なぜ神器にあそこまで固執するのか……」

窓からは、スモッグに煙る光景しか見えない。
人も、車も、目に映る全てが霞んでいるような気がする。

「連中が保護機関を壊滅させようとしている、とでもお考えですか?」
「わからん。だが、可能性はゼロではないだろう?」
「……いずれにせよ、今、私達にできることはありませんよ?」

一瞬の逡巡の後、女性はそう答えた。
男性は、小さく頭を振る。

「……おそらく、そこまで考えて行動しているのだろうな」
「連中がですか?」
「あぁ。根回しも、準備も、ついでに言えば、後始末も完璧だ、連中は」
「……ですね」
「全く、保護機関に欲しい人材だな、揃いも揃って……」

苦笑混じりにそんなことを言ってから、男性は遠くの方向に目をやる。
快晴であれば見えたであろう山の姿は、今は見えなかった。

「とにかく、できるだけのことはしておこう……」

少ししてから男性の口をついたその呟きには、力が感じられなかった。
もしかしたら“無駄だと思うが”という言葉を、飲み込んでいたのかもしれない。












神へと至る道



第13話  前夜祭












武闘会まで一週間を切っており、参加を予定している者達の表情からは、余裕が失われていた。
だが、それを除けば、至って平穏な日常だった。
祐一も、特に何をするでもなく、平和な日々を謳歌しているように見える。
もちろん、部屋で一人でいる時は、何をやっているのかはわからないが。

「はぁ……」

寮の噴水のある広間にて、祐一がくつろいでいた。
ぼんやりと、噴き上がる水を見るともなしに眺めながら、そこに設置されているソファで体を休ませている。
憩いの場所でもあるそこも、今は祐一以外に利用者はいない。
それが故に、祐一はソファにほとんど寝転がっているようなだらしない格好でいた。
誰も咎める者はいないのだから、彼も羽目を外しているのだろう。



半ばまどろんでいた祐一。
ふと、その顔に小さな影がかかる。

『祐一さん、一緒に百花屋さんに行こう、なの』

誰かがいるのに気付いて、片目だけ開いた祐一に見えたのは、そんな言葉の書かれたスケッチブック。
いつの間に近づいていたのか、澪がにこにこと笑顔のまま、祐一の顔を覗きこんでいた。

「ん? 澪か。何? 百花屋? 別にいいけど……他に誰と行くんだ?」

体を起こしながら答える祐一。
もちろんだが、二人きり、という可能性は全く考慮していない。

『留美さんと、繭ちゃんと、真希さんと、栞ちゃんを誘ったの』

笑顔の澪が記したのは、見事に女の子の名前ばかり。
まぁそれも無理はないだろう。
浩平は、北川や住井と共に、トレーニングに余念がない。
さすがに、大会が間近に近づいてまでふざけてはいられないらしく、最近はやけに大人しい。
瑞佳など、逆に不安になっている始末だ。
とかく、何をしていてもお騒がせな男だ、とも言える。

とは言っても、悪質な行為をするわけでもないので、その意味では紛れもなく善人だろう。
少なくとも、腹の底で何考えてるかわからない連中より、よほど気持ちのいい人間だ。
祐一自身、決して嫌いなタイプではなく、また、大抵の人間に好意的に捉えられるタイプの人間とも言える。
もっとも、付き合っていれば、色々と頭が痛くなることは多いのだが。



「ん? 真希さんって誰だ?」

記された名前の中に、聞き覚えのない名前が一つ。
それに気付いて、祐一がそれを澪に問う。
澪はというと、即座にそれに答えを返す。

『広瀬真希さんなの。お友達なの〜♪』

そんな言葉が楽しそうにスケッチブックで踊っている。
まぁ、友達でなければ誘いはしないだろうが。
にしても、スケッチブックに書いてからの会話なのに、違和感を感じることがないのは、彼女の筆記の早さと、絶やされることのない笑顔のためか。
ニコニコと笑顔でスケッチブックを掲げる姿は、どこか微笑ましく映る。



「そうか、広瀬ってのか……しかし、いいのか? 俺が一緒に行っても」

いいからこそ誘ってくれたのだろうが、それでも念のために祐一が澪に聞く。
とはいえ、栞という名前が書いてあったことから考えると……

『栞さんが、絶対に祐一さんに来て欲しいって言ってたの』

瞬時に示される返答。
それは、まさに祐一が予想したとおりの答えだった。



初めて出会って以来、栞は、何かというと祐一に会いに来ていた。
今では、寮の面々とも友好関係を築くに至っていたりする。
それを見て、香里が大人しく家にいるように説得しようとするのだが、どうにも分が悪い。

『何か、栞が病気だってことを疑いたくなってしまうわ……』

少し恨みがましい視線でそんなことを言われた祐一は、苦笑することしかできなかった。
それを見て、香里の視線が強くなったりしたのだが。

『今は、大分容態が安定してるみたいだし……』

と、そんな風に、諦めの色濃く吐き出した言葉には、どこか喜びの色も混じっていることは否定できなかった。
新しい友人との触れ合いが、栞にとって良い方向に働いている現状が、香里に安心を与えているのかもしれない。



「やっぱりか。と、いうよりも……」

そこで、祐一が玄関の方向に目を向ける。
つられて澪もその方向に目をやった。
だが、そこには玄関へと続く扉しか見えない。
何もない、と、そう澪がスケッチブックに書こうとした時に。

「祐一さーん、百花屋さんに行きましょー」

栞が、ひょこっと玄関のドアから顔を出した。
にこにこと、楽しそうに笑いながら。

「……大人しく待ってるわけがないよなぁ」

少し苦笑しながら、それでも、嫌がってる気配を微塵も見せたりすることなく、祐一はすっと立ち上がり、栞の方へ足を運んだ。
それに続く澪。
彼女の表情にもまた、楽しそうな色しかなかった。










百花屋に到着し、注文を終えて待つことしばらく。

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

注文したメニューをウェイトレスが運んできて、それぞれの席の前に置く。
それを見て目を輝かせる若干名。
笑顔で去るウェイトレスを見送るや否や、彼女らは目の前のそれに、待ちきれないとばかりに取り掛かる。

「アイスですー♪」

これ以上嬉しいことはない、といった表情で、目の前のアイスを口に運ぶ栞を横目に見て、祐一は少し苦笑する。
香里がいれば、きっと同じことを思っただろうな、などと考えながら。

「ふーん、転校生なの」

本来の待ち合わせ場所である百花屋にやってきた祐一達を待っていたのは、いつぞや出会った繭と、見知らぬ少女であった。
見知らぬ少女ではあったが、名前は澪から聞いていたので、百花屋で注文した品がくるまでの間に、自己紹介も済ませてある。

やや癖のある緑がかった色をした髪を肩の辺りで揃えている少女。
やや鋭い目つきが、何となく勝気な印象を与えている。
どこか香里と似たタイプで、この中では間違いなく保護者役だろう。
大人っぽい雰囲気を醸し出しているのも、苦労が耐えないからかもしれない。

「あぁ。つっても、もう三週間くらい経ったわけだから、今さら転校生とか言われるのは、ちょっと変な気がするけど」
「噂には聞いてたんだけどね」
「噂?」

怪訝な顔をする祐一。
そこで、真希は意地悪そうな笑みを浮かべる。

「そう、噂」
「……何かやな予感がする……」

その笑みに、何かを察したらしい祐一。
それはもはや、予感ではなく確信とも言えたのだが。

「あら、悪い噂じゃないわよ」
「なら、何でそんなにニヤニヤしてるんだ?」
「そうかしら?」
「……で、何なんだ? 聞きたくない気もするんだが」

というよりも、祐一には、聞いた後おそらく後悔しそうな気がしたのだ。
けれど、聞かなくても噂が消えるわけではないし、それなら聞いておいた方がいい、と思い直す。
祐一の表情を目にして、さらに真希が笑みを深くしながら、ゆっくりと口を開く。

「二年生のアイドル、水瀬名雪の恋のお相手って聞いただけよ」
「……は?」

思わず唖然としてしまう祐一。
傍から見れば、それはきっと間抜けな顔に見えたことだろう。
それを証明するかのように、留美が少し笑っている。
真希もまた、これ以上面白いことはないと言わんばかりの表情で言葉を続ける。

「は? じゃないわよ。大変だったのよ? しばらくの間は。もう、醜いくらいにドタバタ騒いでたんだから」








それは、冬休みも終わりに近づいたある日のこと。
名雪が、祐一の転校を秋子から聞き、香里を始めとする友人達に、その喜びの声を聞かせたことから始まった。
高校生と言えば、多感な頃。
特に色恋沙汰には、男女問わず、鋭敏なセンサーが働いたりするものだ。

それでなくても、名雪は、感情が表に出やすい。
もちろん、祐一が転校してくるという話を友人に聞かせる際も、その傾向が強く出てしまった。

その結果どうなるか。
名雪は、果たしてここまで幸せそうにしていることが過去にあっただろうか、と思わせるような表情で、相沢祐一という人物に関する話を延々と繰り返したのだ。
よほどの鈍感でない限り、簡単に想像できる。


“水瀬名雪にとって、相沢祐一は特別な存在である”


恋する少女、と言えるかどうかは微妙であった。
何しろ二人は従兄妹なのだから。

しかし、である。
仲の良い従兄妹が来るから嬉しい、というだけでは面白くない。
面白かろうがなかろうが大きなお世話だ、と言いたいところだろうが、それは当事者の意見。

この年頃の女の子達にとって、こんなネタを放っておくなど愚の骨頂。
話に尾びれ背びれをつけて、めくるめく恋愛ドラマを構築しない手はないのだ。
寸分違わず、そのような事態が、二年生女子の間を駆け巡った。


“二年生難攻不落の砦、水瀬名雪には、七年間思い続けた人物が心にいた”


もはや噂としてではなく、決定事項として、二年生に留まらず、学園中を巡りに巡った。
それを聞き、涙する者もいれば、憤る者もいたし、慰め合う者、自分には関係がないと軽く流す者などもいた。
まさに大騒動……いらない争いまで展開したとか、別のファンクラブに鞍替えする者がいたとか、そんな問題まで巻き起こした。
さらに妄想を働かせ、どこまでいったのか、などという話に盛り上がる女子も大勢いた、という話である。

冬休み、特に正月明けと言えば、心身ともに弛んでしまい、どうにも退屈してしまう時期。
その時期と重なったことも、災いとなってしまったのだろう。
とにかく、名雪と祐一は、見事に学園の生徒に最高の話題を提供してくれた形になったわけである。








「……どおりで、何かやたらに鬱陶しい視線を感じることが多いと思った」

無意識にだろう、祐一が大きなため息をつく。
学園に転校してきて以来、祐一は時々、変な視線を向けられることがあった。
とりあえず、直接危害が加えられる類のものではないようだったので、彼も放置しておいたのだが。

「楽しかったわよー、どんどん話が膨らむんだもの」

そんな祐一の表情を見て、心底楽しそうに真希が言う。
話し振りから察するに、彼女も話題の拡大に一役買っていたらしい。



「むむむ! それは聞き捨てなりませんね! 祐一さんには、私という……」
「ややこしくなるから黙っとけ、栞」

栞が、アイスを食べる手を止めて文句を言おうとしたところを、祐一が遮る。

「むー……祐一さん! 浮気はダメですよ?!」
「何が浮気だ? 俺はお前と付き合ってるわけでも、名雪と付き合ってるわけでもないだろ?」

呆れの色を隠さず言う祐一を見て、栞の機嫌がさらに悪くなる。

「何を言ってるんですか?! 私達の間には、永久不変の愛が……」
「寝言は寝てから言うようにしような」
「あ!」

話してるだけでは埒があかない、と判断したのだろう……祐一が栞の目の前のアイスを取り上げる。
瞬間、栞の表情から怒りの色が消え、焦りの色が表れる。

「私のアイスー」
「いいか? もうこの話はお終いだ」
「うー……仕方がないですね」

不満たっぷりの様子ではあるが、祐一の言葉に渋々従う栞。
それを見て、もう終わり? と煽るように言う真希を何とか黙らせ、ようやく落ち着いた雰囲気が戻った時には、祐一はかなり疲れ果てていた。





「それにしても……」
「ん?」

留美の小さな呟きを耳にして、祐一がそちらを向く。
そこにあったのは、不思議そうな表情。

「祐一ってさ、いつの間に繭と知り合ったの?」
「あぁ、それは……」

留美の疑問を聞いて、祐一がゆっくりと話し出した。
繭との出会いのシーンから、事細かに説明。
もちろん、食い逃げのことも、みゅ〜とやらのことも。
魔狼のことや、栞との出会いのことは、必要がなかったので話さなかったが。
ともあれ、祐一が話し終えた時、留美の口から大きなため息が零れた。

「繭、あんた、また食い逃げやってたの?」
「食い逃げじゃないもん」

留美に呆れの視線を向けられて、プイッとそっぽを向く繭。
そんな仕草も可愛らしく見えるのは、不思議というべきか当然というべきか。

「……はぁ」

再度、深いため息をつく留美。
その苦悩を悟り、祐一が同情の視線を彼女に送る。

「……ホントに苦労してるんだな」
「えぇ、わかってくれる?」
「あぁ。頑張れよ」

思わず涙が零れそうになる祐一。
浩平達にからかわれ、今また、繭にも苦労していることが判明。
これには、同情を覚えずにはいられない。

「むー……何かひどいこと言われてる気がする」

繭が、そんな二人の気持ちを読み取ったのか、不満そうに睨む。
不機嫌さを顔一杯で表現している。

「そんなことはないぞ」
「えぇ、そんなことはないわ」

だが、しれっと祐一がそう言い、留美がそれに追随する。
けれど、繭の表情は晴れない。

「……何だかごまかされてる気がする」
「そんなことないって。ほら、お代りはどうだ?」

それ察したのか、食べ物で釣ろうとする祐一。

「……うん、食べる」

少し祐一の表情を窺ってから、繭がメニューを開く。
それでも、表情から疑いの色は消えてはいない。
そんな様子を見て、繭は名雪ほど簡単にはいかないんだな、などと祐一は考えていた。
もし、これを名雪が聞けば、祐一の財布は、三千円分ほど軽くなるかもしれない。








と、突然、どこからか携帯電話の着信を告げるメロディが聞こえてくる。

『祐一さんの携帯なの』

澪が、スケッチブックで祐一に知らせる。
繭は、目の前のショートケーキに夢中。
栞と真希は、留美の、浩平から受けた被害についての話を、熱心に聞き入っている。

「……」

祐一は、澪に頷きだけを返し、ポケットから携帯を取り出す。
流れてきたメロディから、彼はそれが知り合いからのメールであることはわかっていた。

「……」

無表情でメールを読んでいく祐一。
澪以外には、誰もそれに注意を払っていない。
ほどなくして読み終わると、祐一は短い内容のメールを返信する。

返信が終わると、財布から千円札を三枚取り出し、テーブルの上に置く。
それに気付いて、全員の視線が祐一に集中する。

「悪い、ちょっと用事が出来た」

祐一は、それだけを言うと、席を立ち上がった。
そこにかけられる声。

「お代にしては多すぎない?」
「ん? ま、奢りみたいなもんだと思ってくれればいいさ」

真希の問いに、軽い調子で答える祐一。

「いいんですか?」

少し申し訳なさそうに言う栞。
本音を言えば、祐一がいなくなるのは寂しいが、用事があるのを引き止めるほど子供ではない。
そのため、祐一が自分に対し、気を使ったのではないか? と思ったのだ。
栞が、まるで悪いことをしたかのような表情になっているのを見て、祐一は、苦笑する。

「そんな顔すんなって。ま、たまには奢ってやろうってだけだ」

おどけたように言う祐一を見て、栞の顔に笑顔が戻る。

「はい。じゃ、奢られますね」
「ありがとう」
「じゃ、ご馳走になるわね」
「ありがと」
『ありがとうなの〜』

口々に感謝の言葉を告げる少女達に、笑顔で手を振りながら、またな、と言い、百花屋から祐一の姿が消える。



それから再び、女の子達は、祐一を肴に、話に華を咲かせた。
それはちょっぴり悪口であったり、ある人間との色恋沙汰に関わるものだったり。
けれど、概ね祐一の存在は好意的に捉えられているらしく、皆笑顔で語り合っていた。

当人のいない所で好意的に話されている、ということは、それだけその人が好かれているということ。
祐一が望んだかどうかはともかく、どうやら、彼はそれなりに人気者であるらしい。

それが双方にとって幸せなことかどうかは、まだ定かではないのだが。









 続く












後書き



読み返していると、よくまぁこれだけ詰め込もうとしたもんだ、と唖然となることがあります。

今回もそんな感じが拭えない。

伏線引くのはいいとしても、ちゃんときれいな形で回収できるようにしないとなぁ。

今後の執筆には、きちんと役立てたいところですが……やはり物語を作るのは大変です。



さておき、ここで一つだけご報告事項があります。

実は、これから一ヶ月ほどネット封印という状況に落とされることになりまして、投稿も掲示板のカキコもできなくなります。

そんなわけですので、しばらく姿を消すことになりますが、どうかご了承くださいませ。

時間を見つけては改訂作業は進めるつもりですし、他のSSも書こうなどと考えてます。

もちろん、そんなに上手くいくわけもないですけど(苦笑)

では、しばらくの間お別れですが、どうぞ皆様お元気で。

それではこれにて。