「おー、やってるやってる」
学校の運動場……いつもそこにある一周二百五十メートルのトラックの線は、今日は全く見えない。
代わりにでかでかとそこに鎮座ましましているのは、大きく頑丈そうな武舞台。
そして、それを取り巻くように設置されている観客席。
それはまさに武闘会場だった。
「これほどの舞台となると、準備にも相当時間がかかっただろうなぁ……全く、ご苦労なこった」
観客席は、座る者全てが武舞台を見ることができるように、後部に行くほど高くなる設計。
何とも観客に優しい作りだ。
座席は、四桁の数の人間が座ってもなお余るほどの数が設置されている。
それにも関わらず、まだ開始時刻の一時間前なのに、もう立ち見の人間がいるくらいの盛況ぶりだった。
この街の人間にとって、この武闘会は祭りにも等しいのだろうということが、それ故に楽に推察できる。
武闘会の目的が、あくまでも優秀なハンターとなり得る人材の発見や育成に関わる事であるため、宣伝の必要もあるのだろうが、それにしても騒ぎ過ぎの嫌いがあることは否めない。
「あーあー、ポップコーンやらビールやら売ってるよ」
人数に比例して、当然のことながら、会場はまさに騒然としていた。
保護者や近隣の人にも開放しているためか、生徒の数より、明らかに学外の人間の方が数が多い。
そんな状況の下、様々な物品をあちらこちらで販売しているのは、親切心からのものか、商売根性からのものか。
「あ、アイスまで売ってるし。栞なんかなら喜ぶだろうけど……って、あ、あのおっさん買ってるよ、アイス」
季節は冬。
二月に入り、春の足音が聞こえるのもそう遠くない時期ではあるが、それでもまだまだ冬の真っ只中というべき月である。
そこにきて、屋外でアイスが売れるというのは、ありえない話のはずなのだが……
その事態に対し、武闘会というイベントの持つ一種独特の熱気が、多大な貢献をなしていることに疑問の余地はない。
「しかしまぁ、まさにお祭りだねぇ」
出場しないため、観客としてお祭り気分に浸りながら、武闘会の開始を今か今かと待ちわびる観客席の生徒達。
出場するため、自分の力を振舞うことのできる瞬間を、あるいは恐れながら、あるいは緊張しながら、あるいは高揚しながら待つ生徒達。
運営に関わる仕事に従事しているため、忙しく動き回っている生徒達。
この学校に通う生徒は、今現在、基本的にこの三つのどれかに該当している。
当然ながら今日は授業はないし、されど休日でもないからだ。
だが。
「はぐはぐ……」
どんなところにも、既存の枠組みから外れた者は存在するものだ。
それは、当人の意思の結果だったり、排除の結果だったり、と理由は色々とあるが。
ともあれ、そんなイレギュラーとでも言うべき存在が、この武闘会の場にも確かに存在していた。
「……いつまで食べてんの」
今日、この時間には誰も存在しないはずの校舎……その屋上に、二人の人影があった。
しかし、学内の誰もそれに気付かない。
祭りの雰囲気に酔いしれている者にとって、校舎の様子が気になろうはずもないのだ。
そもそも、こんな日にわざわざ校舎に人がいるわけがない、という考えがある。
結局、立ち入り禁止のはずのその場にいる二人を咎める者はいない。
「……むぐむぐ」
冬にしては強い日差しが降り注ぐその場所にいたのは、男女の二人組み。
武闘会場を全て見渡せる位置に陣取っている。
「なぁ、いい加減機嫌直してくれよ……」
二人のうちの男の方が、いささかゲンナリした様子を見せる。
がっくりと落とした肩は、やや演技過剰気味にも見えたが、どうやら疲れを多少なりとも感じていることは間違いないらしい。
「別に機嫌悪くないよ、ゆ・う・い・ち・く・ん!」
そう言われた方はというと、学内の出店で買ってきたカレーを食べる手を止め、にっこりと笑いながら答える。
確かににっこりと笑ってはいるのだが、何というか、それは笑顔に見えない。
微笑ましくなるどころか、背筋が寒くなる気がする。
『嘘だ……絶対に嘘だ。それじゃ、何で一文字ずつ区切ってるんだ?』
その笑顔を見て、心の中でそう呟く男は、祐一。
「しょうがないだろ。寮に住む人達には、少しでも怪しまれるわけにはいかなかったんだから」
「だからって……他の皆は、普通に呼ばせてたのに。私だけ呼び方変えさせるなんてひどいよ、極悪だよ」
新雪を思わせる白い肌と、ぬばたまの黒髪のコントラストが織り成す、不思議な美を携えた女性が、幼い少女のように頬を膨らませて拗ねている。
そんなところも、その人の魅力なのだろう……困ったような、でも、どこか笑いをこらえているような祐一の表情が、そう物語っていた。
「祐ちゃんはさすがにまずいだろ。いくらなんでも言えないって、祐ちゃんって呼んでいいなんてさ」
「愛が足りてないよ、愛が」
「や、そんなこといわれても……」
「あ、困った顔した。ホントに極悪だよー」
「最近、似たようなセリフを聞いたなぁ……」
ボソッと呟かれた祐一の言葉に、けれど次の瞬間、しっかりと反応が返ってくる。
おそらく、本人は聞こえないと思ったのだろうが。
「……何? どういうこと?」
強い日差しさえも帳消しにしてしまうくらい冷たい空気が、冬の寒さに混じって祐一に襲いかかった。
しかも、それが笑顔のまま発せられているから恐ろしい。
「違うって。栞だよ。言っただろ?」
しかし、祐一は特別焦るような素振りも見せず、肩を竦めながら冷静に返す。
それを見たからか、彼女から冷たい雰囲気が霧散する。
「あ、あの子だね。それなら納得だけど……」
とは言え、疑いが完全に払拭されたわけではないようだ。
若干疑っているような視線が、祐一に向けられる。
「大丈夫だって。大体、それもこれも明日までだろ?」
「あ、そっか、そうだったね」
祐一の言葉を聞いて、思い出したような表情に変わる女性。
次いで、忘れていたことが少し恥ずかしかったのか、ちょっと舌を出して、誤魔化す様な笑みを浮かべる。
それを見て、祐一が言葉を続ける。
「まぁ、今日からは今までどおり祐ちゃんって呼んでいいからさ、機嫌直してくれって」
「うーん……じゃあ、カレー十杯で許してあげる」
食への執念、恐るべし……心の中だけで、そんなことを思う祐一。
けれど、そんなことはおくびにも出さず、笑顔のまま告げる。
「りょーかい。とびきりのカレーを作ってやるよ、みさき」
「うん、楽しみにしてるよ」
晴れ渡る頭上の空よりもなお明るい笑顔を祐一に向ける女性――みさき。
それは、祐一と同じ寮に住んでいる、川名みさきその人であった。
神へと至る道
第15話 人形劇の舞台裏は
「ゆういちー?」
きょろきょろと観客席を見回しながら、名雪は、祐一の名を連呼していた。
それを見て、肩を落とす者が割に多くいたりしたのだが、それはまた別の話。
その名雪に近づいてくる一人の影。
「名雪、何やってるの? そろそろ集合時間よ」
彼女の親友である香里が、名雪の傍まで歩いてきて、彼女に集合時間が近いことを告げた。
両者とも、今回の武闘会に参加するため、集合時間には本部前にいなければならないのだ。
振り返った名雪は、香里の言葉に反応するではなく、聞きたいことだけ口にする。
「あ、香里。ねぇ、祐一見なかった?」
「相沢君? さぁ? あたしは見てないけど……どうかしたの?」
「うー……せっかく祐一に応援してもらおうと思ったのに」
どうやら彼女は、試合前の激励の言葉を欲していたらしい。
普段なら、香里も、可愛いところあるわね、で済ませるところだが、如何せん今回は時間が迫っているのだ。
問答無用で彼女の襟首を掴み、引き摺ってでも連れて行くことを即座に決意。
のんびりしているように見えて、名雪は意外に頑固な部分がある。
長年の経験でそのことを熟知している香里は、仮に話し合ったとしても平行線であろうことを、半ば確信していた。
故に、実力行使がもっとも適切な解決策であるとの結論に至った次第だ。
なおも会場を探そうとしている名雪の襟首が、香里の手によってがっしりと掴まれた。
動き出そうとしていたところにかかった急制動に、名雪が驚きの声を上げる。
「わ、わ、香里ー、離してよー」
「ダメよ。時間だって言ってるでしょ? どっかで見てくれてるわよ、絶対」
名雪の哀願の言葉を、にべもなく切って捨てる香里。
会えなくても、会場のどこかにいるのはまず間違いないのだから、と言って。
そしてまた、心の中で、あたしに覚悟を見せろって言ったくらいなんだし、とそう付け足す。
「そんなー……だって、せっかくの武闘会なんだよ? 祐一が見てくれてるんなら、少しくらい話させてよー」
「ダメ」
「後生だよー、香里ー」
やがて遠ざかってゆく声。
本部前へと歩いていくその足取りに、迷いは見られなかった。
その後も、ぶつぶつと文句を言う少女を、おざなりに相手しながら引きずっていく優勝候補の筆頭が、多くの人に確認されたという話である。
「浩平、大丈夫かなー……」
既に満席状態の観客席の一角。
出場しない寮生が集結してる場で、ハンカチを握り締めながら、瑞佳が不安の言葉を何度も繰り返していた。
その表情も仕草も、実に落ち着きを欠いているように見える。
「そんなに心配しなくてもいいんじゃない? 瑞佳」
むしろ励ますかのような言葉を彼女にかけているのは、隣に座っている真琴。
ここだけ見たのでは、どちらが年上なのか疑いたくなってしまうかもしれない。
外見だけから判断するなら、真琴が瑞佳の年上に見えるということは、あまり考えられないのだが。
「あらあら。それにしても大盛況ですね」
「みゅ〜♪」
いつものごとく頬に手を当てながら、慈愛を感じさせる微笑みを穏やかに浮かべているのは秋子。
その隣で、小さなフェレットと戯れている繭。
先程から、みゅ〜、というセリフを繰り返しているのだが、それはフェレットの名前を呼んでいるのか口癖なのか、判断は難しいところだ。
「あははっ、ホントにお祭りだね。楽しまなきゃ損だよーって感じかな」
「……私に聞かないでください」
詩子がいつものテンションで隣の席の茜に言うが、茜の反応はそっけない。
いつもそうであると言えるが、今日は……
「あれあれあれー? 茜、なーんかご機嫌斜め? どーしたのかなー」
正しく新しいおもちゃを見つけた時の反応で、詩子がからかうように言う。
楽しそうな表情は、いつものそれと変わらないように見える。
「詩子、ふざけてる時ではないでしょう?」
少し睨むようにしながら、茜が言う。
いつも表情を変えない彼女にしては珍しいことだ。
「あははっ、じょーだんだって……大丈夫。信じなきゃ。ね?」
返答の後半で、少し真面目な表情になって、詩子が茜を見つめる。
それに対し、一瞬後、茜は頷きでもって返した。
「さ、じゃあ皆の応援してあげようよ。せめて……」
「はい、そうですね。今は……」
そんな言葉の後、詩子は瑞佳に顔を向ける。
それから、おろおろする瑞佳を詩子がからかい、茜が止める、という、いつもどおりの光景が展開された。
「ねぇ、留美。何で武闘会に出なかったの?」
「……真希、あんたまでそんなこと言うの?」
折原だけで十分だわ、と言う留美の言葉に、真希は微かに同情を込めた微笑みを浮かべた。
日々からかわれ続けていると言っても過言ではない彼女のればこその表情だ。
「折原ほどひどい意味じゃないわよ。けど、あなた結構強いでしょ? だから、出たらいいのにって思っただけよ」
気に障ったらごめん、という真希の言葉に、留美は少し申し訳なさそうな表情になる。
次いで、返答の言葉を、考えるようにしながら話す。
「うーん……でも、ね。あたしは別に参加したくないし、何より参加する理由なんてないから」
「何で? 参加して優勝できたら、ハンターとしての将来が約束されるようなものなのに」
留美の言葉を聞いて、不思議そうな表情に変わる真希。
と、ハンターという言葉に、留美の瞳が微かに揺れた。
幸か不幸か、そのことに真希が気付くことはなかったけれど。
「それじゃ、何で真希は参加しなかったの? あなたも結構強いじゃない」
殊更明るい口調で、留美が聞く。
それはまるで、話題を変えるような、あるいは誤魔化すような感じだったが、真希は特に気にした様子も見せない。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱりね。香里とか名雪には勝てる気がしないし」
「あー、あなたの能力、確かにあの二人には相性が悪いか」
少し、ほんの少しだけ視線をずらしつつ、留美が言う。
それに対して、ただ頷く真希。
「そういうことよ。大体、それ以外にもうっとーしい能力持ってるヤツは多いしね。とてもじゃないけど、勝ち抜ける自信なんてないわ」
今年は好素材が揃っている、という話は、信憑性の極めて高い噂として、内外に広まっていた。
学外の人間にしてみれば、それでもただの噂だと言い切ってしまうことは可能だが、学内の人間にとってはそうではない。
実際に、高い素質を持つ生徒の存在を、授業の度に目にしているのだから。
二年生の、水瀬名雪、美坂香里、折原浩平、北川潤、住井護、久瀬博之、斎藤隆、南俊介。
今年の武闘会の八強は、開催前に決まっている、と誰もが思っていた。
事実、学園側も、レベルの高いこの八人は、ぎりぎりまで衝突することがないように試合を組んだ。
学園は、この武闘会の存在意義と価値について、誰よりも深く理解しているからだ。
武闘会の優勝者は、ハンターとして認められるための勲章を手に入れることになる。
歴代の優勝者が、皆ハンターとして名を馳せているという事実が、それを何より如実に物語っている。
逆に言えば、武闘会の優勝者には、そんな勲章を持つに値するだけの実力を持っていてもらわなければならない。
万が一にも、実力者の潰し合いによって、漁夫の利という形で優勝を手にする者が現れることなど、あってはならないのである。
それ故に、疑いようのない高い素質の持ち主である前述の八人を、言わばものさしとして利用することにしたわけだ。
“この八人か、あるいはそれ以上の力の持ち主”
そんな存在だけが、八強に進んでほしいというのが、そこにある意図。
あるいは、意外な伏兵の台頭もあり得るかもしれない、という期待もそこにはあったが。
また同時に、よりハイレベルな闘いを経験、または観戦することが、その後の成長に良い影響を与えることも期待していた。
これが学園側の見解である。
『何もしないうちに諦めたらダメなの』
ふと人の気配を感じ、二人が横を見ると、見慣れたスケッチブックを手にした澪がいた。
話に夢中になっていたためか、彼女の接近に気付かなかったらしい。
慌てて、真希はそちらに体ごと向き直る。
「澪、どうしたの? こんなとこで。クラスの人と一緒に見るんじゃないの?」
『留美さんと真希さんと一緒に見るのー』
にこにこと笑いながら、そんな言葉を見せる澪。
心なしか、書いてある文字も、楽しそうに踊っているかのように見える。
それに対し、苦笑しながら口を開く真希。
「にしても……諦めちゃダメって言われてもねぇ」
『やってみなくちゃわからないの』
「うーん、でも、今さら申し込みはできないわよ?」
『あちゃー、なの』
学校行事であるのだから、直前の飛び入りが許されるわけもない。
大げさに頭に手をやりながら、澪は嘆いているかのようなポーズをとる。
少し過剰な反応だったが、笑顔を浮かべているところから、楽しんでやっているのだろうことがすぐにわかる。
「ま、それはともかく、一緒に見るんでしょ? こっち座った方がいいわよ」
二人のやり取りが終わったと見て取ると、留美が、自分の隣の座席を叩きながら彼女に呼びかける。
当然、澪がそれに反対する理由などない。
『そうするの』
そして、澪が座席に着くと、再び三人の間で、他愛もない話が始まった。
それは、武闘会が始まるまで続くことになる。
「あ、舞ー。ほら、こっちこっち」
「……ポップコーン」
売り子からポップコーンを二つ買った佐祐理が、少し離れて待っていた舞を呼び、その片方を手渡す。
少しだけ頬を緩ませながら、それを受け取る舞。
二人は、それからすぐに武闘会場とは逆の方向に足を向けた。
それは、校舎への道。
「美味しい……」
「慌てなくても大丈夫だよ、舞。まだ時間はたくさんあるから」
ぱくぱくとがっつくようにポップコーンを食べる舞を見て、佐祐理が少し苦笑しながら声をかける。
食べながらも、二人の歩く速度は変わらなかった。
「……」
それからほどなくして、かなりのペースで食べていたためか、早くも手元のポップコーンを食べ終わった舞が、じっと佐祐理の手元を見る。
ゆっくりと食べていたため、佐祐理の分はほとんど減っていなかった。
「あ、舞。食べる?」
「……いいの?」
「うん。いいよ」
窺うような目で聞いてくる舞に、笑顔で佐祐理が残りのポップコーンを手渡す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
あるいは、このことを見越して、ゆっくりと食べていたのかもしれない。
そんなことを感じさせるほど、今の佐祐理は幸せそうに見えた。
「いよいよだね」
「……うん」
校舎内に入り、屋上へと移動しながら、二人は真剣な表情で会話をする
それは、今日と明日についての話。
武闘会は、二日にわたって行われる。
進行は、初日に八強の選出まで行い、二日目は優勝者決定と表彰まで行う、という形になっているのだ。
佐祐理と舞は、何度も確認をする。
今日しなければならないことと、明日しなければならないこと。
まず失敗することはあり得ない、と半ば確信してはいるが、慢心は余計な失敗に繋がる。
やり直しの効かない計画の遂行に際しては、臆病なくらいでちょうどいい、とも言えよう。
「とりあえずは、皆さんの能力がどうか、ですね」
「……あんまり期待しない方がいい」
外の喧騒が遠く聞こえる校舎内を、ゆっくりと歩く二人。
そんな中、佐祐理が口にした言葉に対し、舞が首を横に振りながら、小さく否定の言葉を口にする。
「えぇ、そうね」
と、後方から二人に声がかけられる。
誰もいないはずの校舎で、突然かけられた声。
しかし、舞と佐祐理は、驚いた様子も見せずに、くるりとその場で振り返り、いつもどおりの表情でいつもどおりの挨拶を返す。
「こんにちはー」
「久しぶり」
佐祐理のいつもどおりの笑顔と、舞のいつもどおりの無表情をそこに見つけて、声をかけた当人も苦笑を隠さない。
そんな表情のまま、けれどしっかりと言葉を返す。
「久しぶりね、二人とも。元気そうで良かったわ」
「はい。佐祐理も舞も元気ですよ」
「……元気」
そんな言葉のやり取りの後、声をかけた方が、先行していた二人の傍まで歩み寄る。
そして、二人と一人は、階段の踊り場で三人になる。
「ま、とにかく、期待はしない方がいいわ。この学校の人間……特にあの八人は高い資質を持っている。それは間違いないけど……」
「はい。まだ資質だけですね、八人とも。正直、このままだとその資質も埋もれてしまいそうで、もったいない気がします」
「……別に、それでもいいと思う」
再開された会話。
その途中、舞が口にしたそんな言葉に、二人が言葉を止める。
「力がもたらしてくれるものは、いいものばかりだって限らないから……ううん、きっと、いいものの方が少ない」
少し哀しそうな気配を漂わせながらの舞の言葉。
力に魅入られるもの、力に溺れるもの……これらも、典型的な力のもたらす不幸。
まわりからの嫉妬と羨望、あるいは恐怖……そうしたものも、力のもたらす不幸。
「……そうね」
「……はい」
そのことを良く知るが故に、三人は揃って悲しみの色を表情に浮かべる。
「……まぁ、でも、確認しなきゃならないしね」
「えぇ、そうですね。あの八人……特に……」
「香里と折原と北川の三人は、まだよくわかってない」
屋上から試合を見ることで、出場者の能力の分析を行う……それが、この三人が屋上へと向かっている理由。
また、既にに屋上に陣取っている祐一とみさきが、そこにいる理由。
「美坂さんについては、祐一はタイプPだろうって言ってたけどね」
「でも、確認しないとわかりませんから」
「……祐一が言うんだから、多分合ってると思うけど」
舞がそう言うと、二人とも頷きを返す。
「一番の問題は、やっぱり折原君ね」
「はい。これまでも何回か授業風景を見ていたのに、どんな能力なのか、結局わかりませんでしたからね」
学校で行われる能力に関する授業……ハンターになるために、知識と経験を得るための教育なわけだから、当然模擬戦のようなものは行われる。
だが、今に至るまで、そうした授業で、彼が自身の能力を見せたことはない。
それが意図的なものであるのか、それともまだ開花していないだけなのかは定かではない。
だが、その態度と彼の資質の高さから見て、それは隠しているが故と考えた方がいいだろう。
「……できれば避けたいんだけどね、彼らと戦うって事態は」
「はい。でも……」
「優先順位の問題」
祐一達は、ある計画に沿って行動している。
そして、その計画の中に、可能性として組み込まれているのだ……浩平達との戦闘が。
もちろん、避けるために最大限の努力を講じるつもりではある。
だが、優先順位が低いとはいえ、戦うことも選択肢として存在しているのだ。
故に、戦いに陥った時のために、できる限り情報を入手しておかなければならない。
「そうね。覚悟はしておかないと」
「はい。でも、祐一さんなら、上手くやってくれますよ」
「私もそう思う」
自分に言い聞かせるような言葉。
ともあれ、そんなやり取りを交わしたところで、屋上の扉が見えてきた。
「まぁ、信じなきゃダメよね」
「えぇ、信じましょう」
「うん、わかってる……雪見」
舞を先頭に、屋上への扉をくぐる舞と佐祐理と、そして雪見。
三人の目に、武闘会場を見下ろしている祐一とみさきが映った。
二人もまた、人の気配を察知してか、くるりと振り返り、そこに仲間の顔を見つけて、笑顔に変わる。
「よ、早いな。舞、佐祐理、雪見」
「舞ちゃんも佐祐理ちゃんも雪ちゃんもお疲れさま」
軽く手を上げながら、歓迎の言葉を口にする祐一。
隣のみさきも、手に持っていたカレーの皿を横に置き、満面の笑顔で出迎えの言葉を口にする。
「祐一、お疲れさま。それと、みさき。あなた、食べ過ぎよ。寮でもたくさん食べてたのに……」
それに対して、屋上に出てきた三人の反応はそれぞれだった。
みさきの横に山積みになっている皿を見て、雪見は疲れたようなため息をつく。
「こんにちはー、祐一さん、みさきさん」
「祐一もみさきも、お疲れさま」
その後聞こえてきた、雪ちゃんひどいよー、という言葉から始まるいつものやりとりに、祐一と舞、佐祐理は、苦笑を隠せずにいた。
「にしても、ようやくだな」
みさきと雪見の会話は、いつもどおり雪見の勝利に終わり、みさきはカレーの追加注文不可となった。
最後の一杯を愛しそうに口にする姿は、どこか滑稽に映るのだが、当人にしてみれば真剣そのものなのだろう。
そんなみさきを横目に見ながら、祐一が切り出した。
それに対して、静かに頷いて返す雪見と佐祐理と舞。
「長かったわね」
「はい、とうとうですね」
「正確には明日だけど」
「舞、それは言わない約束だぞ」
「そんな約束してない」
「……まぁいいや。それで、アレはどうなってるんだ?」
舞の言葉に、少し詰まる祐一。
けれどすぐに気を取り直して、雪見の方に向き直りつつ尋ねる。
「今朝連絡があったわ。やっと完成したって」
その雪見の言葉を聞き、祐一が安堵の表情を見せる。
「そっか、良かった良かった。とりあえず一安心だな」
「予定より一日遅れですけど」
「一日なら許容範囲だろ」
「ですね」
祐一の表情につられる様に、ホッとした表情を見せる佐祐理。
二人で、良かった良かった、と喜び合う。
それから、さらに言葉を続ける。
「それで他の皆は? 予定どおりにやってくれてるとは思うけど……」
「えぇ、大丈夫よ、五人とも。そもそも大切なのは明日でしょ?」
「ま、そうだけどな。ん? じゃ、アレを取りにいってくれてるのは? やっぱりアイツなのか?」
「えぇ、そうよ。『礼節のない人にはまかせられませんから』って言ってたわよ」
「……相変わらず容赦がないな。礼節のない人って俺のことだろ?」
雪見の含みを持たせたような言葉と表情に、苦笑するしかない祐一。
言われている内容は少しばかり厳しいものなのだが、彼らにとっては大したことではないのだろう。
祐一だけでなく、その場にいた全員が軽い苦笑を浮かべていることから、それがわかる。
「じゃ、他の四人が会場にいるんだな?」
「えぇ、適当なところで観戦してるはずよ」
雪見の返答に、満足げに頷いてみせる祐一。
そんなやり取りの後、五人はもう一度計画の確認をし、開会の時を待った。
そして、武闘会の開催が告げられる時が来たことを、観客の熱狂的な歓声が、屋上の祐一達に知らせる。
つられるように武舞台の方に目をやると、司会進行役とでもいうのか、おそらく生徒会役員の誰かであろうと思われる人間が、マイクを持って挨拶をしているところだった。
距離があるため、何を言っているのかはわからなかったが、元々どうでもいいことなので、祐一達は気にも留めていない様子だ。
「……始まるな」
そう呟く祐一の相貌に、先程までの軽い調子は見られない。
それを目にして、四人の表情も自然と引き締まる。
見下ろしている五人の目は、真剣そのものだ。
「そうですね……」
「うん」
「香里ちゃんは大丈夫かな?」
「大丈夫でしょ、きっと」
香里を案ずるみさきと雪見の言葉。
それに対し、祐一は即座に返答する。
「あぁ、大丈夫だ。あいつは負けない。栞への想いも、この試合への決意も、この場にいる誰よりも強い」
祐一の瞳は、彼が香里の勝利を確信していることを、言葉よりも強く語っている。
それを見て、みさきも雪見も同意の言葉を口にする。
「うん、遊び心で参加している人達とは、決定的に違うもんね」
「そうね。揺らぐことのない信念のこもった刃は、そう簡単に折ることはできないわ」
空は何処までも晴れ渡り、冬であるにもかかわらず、どこか穏やかな空気を街にもたらしている。
もっとも、それに目を向け、自然と対話する余裕のある者は、今この場にはいない。
ある者は名誉のため、ある者は希望のため、ある者は未来のため、ある者は夢のため、ある者は信念のため。
たった一つのイベントに、多くの者達が、様々な目的を見出す。
様々な思惑が交差し、数々のドラマを創りだし、けれど全てが一つの結末に行き着く。
そして、武闘会の開催が高らかに宣言された。
それが引き金になり、高まる歓声と高揚する観客達の心。
響き渡るそれは、日常の崩壊という演劇の開幕を知らせるベルでもあったのだが、そのことに考えが及ぶ者はいなかった。
ほんの僅かの、その崩壊を演出する者達を、除いては。
続く
後書き
しんどい……手直しする部分が多過ぎる。
一年前の自分のレベルが、如何に低かったかを思い知らされています。
早いところ終わらせたいのに、なかなか進みません。
それでなくても長いので、一話改訂するだけでも一苦労です。
一度や二度の見直しで、上手く行っているとは思えませんが、今はこれで精一杯(苦笑)
出るは泣き言ばかりなり、といったところでしょうか(涙)
続きを書きたいというのが本音なんですが、まだまだ遠いようで。
どうか、もうしばらくお付き合いくださいませ。