神へと至る道



第16話  空の上の会話












武闘会は順調に進んでいた。
武舞台は四つあり、四試合が平行して行われており、それぞれに熱い闘いが繰り広げられている。
それを屋上から観察する祐一達。

「どう? みさき。彼の能力は」

雪見が、双眼鏡から目を離して隣のみさきに問う。
雪見のみならず、祐一も舞も佐祐理も、手に双眼鏡を持ち、眼下の戦いに目を向けていた。
ただ一人、みさきだけは何も持っていなかったが。
そのみさきは、雪見の問いかけに、少し考えこむ。

「……まだわかんないよ。上手く隠してる……のかな。もしかしたら、自分でも気付いてないのかもしれないけど」
「つまりあれか? 無自覚能力者ってことか?」

祐一も双眼鏡から目を離す。
現時点では、特に注意する必要のある者は舞台に上がっていなかった。
少なくとも、特筆すべき能力の持ち主はいない。
舞と佐祐理が見ているのだから、全員が目を向ける必要はないと考えたのだ。

「うーん……そういうんじゃないと思うよ。何ていうのかな、自分の資質を見誤ってるっていうか……」

みさきは、首を傾げるようにして考え込んでいる。
答えを探しているというよりは、自分の考えを上手く伝えるための言葉を探しているという感じだった。

「資質はもっと高いのに、それに気付かず、能力を損してるような感じか?」
「うん……そうだね、そんな感じがするよ」

祐一の言葉に、みさきが大きく頷く。

「じゃあ、試合を見ただけじゃ、能力は把握できない可能性の方が高いんじゃない?」

そんな結論に対して、雪見が困ったような表情を見せる。



祐一達が知りたいのは、上辺だけの能力ではないし、ましてや偽りの能力でもない。
真の能力……持てる資質を最大限に生かすべく考案された、彼らの本当の能力だ。
この武闘会で、少しでもその能力の情報を入手しようと考えていたのである。

だが、自身もその資質を正確に把握していないのだとすれば、その戦闘を観察しても、それを知ることはできない。
逆に、余計な先入観を得てしまう結果に終わるかもしれない。
もしそんなことになるのなら、今ここで観察することに、意味はなくなってしまう。



「ま、能力自体はそうかもしれないけど、資質がどの程度なのか、それとタイプが何なのかは知っとかなきゃな」

雪見の言葉に対し、苦笑しながら答える祐一。



確かに能力そのものを知ることができないというのは、祐一達からすれば不都合ではあるが、それも考慮に入れていなかったわけではない。
場合によっては、能力を完全に隠したまま試合が終了するケースもあり得るのだから。
また、未だに能力に目覚めていないということも、可能性としては考えていた。
あるいは、浩平の性格から、騙しなどもあるかもしれないと思っていた。

そもそも、自分の能力をわかりやすく教えてくれる人間などそうはいない。
だとすれば、能力についての情報が得られなかったとて、そこまで悲観するものではない。
何よりも、祐一達にとっては、能力の詳細以上に重要視すべき事柄があった。



「そうだったわね。まずは、タイプを知ることが最優先だったっけ」
「そ。まず知るべきは……」
「『ドミネーター』かどうか」
「ですね」

と、祐一が言おうとした言葉を、舞と佐祐理が横から言ってしまった。
セリフを奪われた格好の祐一は、少し呆気に取られている。

それを見て、舞と佐祐理が、してやったりの笑顔を浮かべた。
どうやら、今まで会話に参加しなかったのは、美味しいところを横から奪うためだったらしい。
普段は無表情な舞も、どこか得意げな様子だった。



「……で、どうなんだ? みさき。あいつは……折原は、『ドミネーター』なのか?」

そんな二人の様子を見て、祐一は苦笑いしつつ、話を本題に戻すべく、隣のみさきに問う。
その質問に対し、みさきが眉根を寄せて困惑の表情で返す。

「うーん……多分、違うかな。確かに珍しいタイプの能力者だけど、タイプSに近いよ」

考えた末のみさきの答えを聞いて、祐一が不思議そうな表情に変わる。

「近いって、変な言い方だな」
「何ていうか、『ドミネーター』になり損なったって感じがするんだよ。だから、タイプSとは言い難いけど、タイプAじゃないとは言えるよ」
「なるほどね。いずれにせよ、結構厄介な能力ではありそうだな」

一つ頷いて、祐一は再び双眼鏡を手に、眼下の様子を見る。
舞台では、次の試合が始まっていた。
黙ってその様子を見る祐一。

「……問題は、今どの程度覚醒してるかだと思う」
「そうですねー、将来がどうであろうと、佐祐理達には関係ないですし」

一瞬後に発せられた舞の言葉を聞き、佐祐理が指を口元にやりながら、そう呟いた。
その呟きを聞いたみさきが、少し考えるようにしてから、ゆっくりと口を開く。

「……現時点では、香里ちゃんの方が手強いんじゃないかな」
「じゃ、問題はないな。で、その香里の能力は?」
「香里ちゃんはタイプPだね。剣で戦ってるけど、多分あれ、カモフラージュだよ」

みさきがそう言うと、雪見が双眼鏡から目を離し、みさきの方を見る。

「どういうこと?」
「剣で戦うより、素手で戦った方が強いような気がするってこと」
「後々のことを考えて、鍛える意味でわざわざ苦手な剣で戦ってるってことか?」

みさきの返答を聞いて、祐一は、香里がわざと不得意な剣で戦っているのか、とみさきに問う。
そこでまた、みさきが考え込むような仕草を見せる。

「うーん……それだけじゃないと思う。多分だけど」
「そうか」

みさきの返答は、はっきりとはしないものだったが、祐一はそれ以上追及しようとはせずに、双眼鏡を手に、改めて舞台に目を向けた。
特に気にした様子もなさそうなその表情を見る限り、みさきの分析に対する信頼のようなものがあるのだろう、とわかる。

双眼鏡の中の舞台の上に、新しい出場者が上る。
それは、奇しくも話題に上っていた美坂香里その人だった。

「あ、香里ちゃんだね」
「あら、本当」
「表情が厳しいですね。程よく緊張してるというところでしょうか?」
「いい感じ」
「あぁ。熱しすぎず冷めすぎず……いい精神状態だな、あれは」

特に注視しているだけに、五人の表情が真剣なそれに変わる。
決して見逃すまいとばかりに、彼女に視線を注ぐ。
だが、彼女の戦闘はあっという間に終わってしまう。
香里の名前に負けていた対戦者に、香里の猛攻を潜り抜けられるはずもない……わずか数秒でギブアップとなった。








香里の戦いからは、何の情報も得られなかったが、祐一達は特に気にした様子も見せない。
そもそも、実力が違い過ぎる相手との戦いで、その手の内を披露するわけもないのだから、落胆する方がおかしいとは言えるが。

さておき、そのまま舞台に目をやり続ける祐一達。
その目に、またも見覚えのある、また注目していた人間が映った。

「お、あっちは北川か」
「どう? みさき」
「……やっとわかった。珍しいタイプだよ。タイプMPだね、彼」
「複合能力者か……そりゃまたレアだな」

みさきの言葉に、深々と息をつく祐一。
そこには、驚きと感嘆の響きがあった。



複合能力者……一人で複数のタイプを有する能力者のこと。

 通常、能力者のタイプは一つに限られる。
 だが、ごく稀に複数のタイプを有している場合もあるのだ。
 過去、最大で三つのタイプを同時に有する能力者の存在も確認されているらしい。

 もっとも、珍しい能力者であるのは事実だが、ではそれが有利なのかというと、これがそうとは限らない。
 確かに、複数のタイプを有しているので、能力に幅ができ、安定度が増すこともあるだろう。
 けれど反面どっちつかずとも言えるため、どちらのタイプも中途半端にしか生かせずにいることも多い。
 どうあがいてもスペシャリストタイプにはなれないため、能力の選択は慎重にする必要があるのだ。

 例えば、タイプMPの場合を考える。
 この場合、肉弾戦においては、タイプMの人間よりもはるかに強い。
 その上、何かしらの物質化能力を用いることで、タイプPを圧倒できる可能性を持っている。

 けれど同時に、肉弾戦においてはタイプPに遠く及ばない。
 その上、物質化の精度も性能も、タイプMに比べて格段に劣る。
 色々できるが故に、器用貧乏となってしまう危険性があるのだ。

 そのため、能力の選択を誤れば、文字どおり役立たずとなってしまいかねない。
 もちろん、上手く能力を生かすことができれば、かなり強くなり得るのだが。



「はぇー、すごいんですね」
「意外にやる……」

舞と佐祐理もまた、驚きの表情を隠さずにいる。
普段はあまり表情を変えない舞も、はっきりと驚きを表情で示していた。
実際、複合能力者はかなり珍しいため、過去様々な能力者と対峙してきた祐一達も、出会った経験はほとんどない。



「それで、北川の能力は?」
「腰に下げてる銃と関係があるみたいだよ」

祐一の問いに、静かに答えるみさき。
見れば、確かに北川は腰に拳銃らしきものを下げていた。
黒光りするその銃身は、そこに存在するだけで相手を圧倒する。
彼はまだ、今日の試合ではその銃を抜いてはいなかった。
いや、抜く必要がなかった、と言うべきかもしれない。

「ふーん……じゃ、あの銃は具現化した銃なのか?」
「ううん、そんな感じはしないよ」
「なるほど」

拳銃そのものは能力で創りだしたわけではない、というみさきの返答に対し、祐一は小さく頷く。
納得したようなその表情から、ある程度の想像はついたのだろう。





「では祐一さん、どうしますか? 北川さんの能力」

納得の表情になっていたのは、祐一だけではなかった。
佐祐理が、笑顔のまま祐一に尋ねる。

「どうしようかな……」

それに対し、少し難しい顔で考え込む祐一。
佐祐理が、それにつられるように表情を変えて、首を傾げてみせる。

「どうしたんですか? ずいぶん悩んでるみたいですけど」
「いや、結構面白そうな能力ではあるけど、枠を一つ使うだけの価値があるかどうかは疑問だからな」

祐一がそう呟く。
それを聞いて、佐祐理も少し考え込む。

「それでは、やめておきましょうか?」
「……他でも十分代替は効くよな?」
「はい。それは大丈夫ですよ」
「んじゃ、あいつの能力は見送ろっか」
「了解です」

祐一の言葉に、佐祐理も小さく頷いてみせる。
みさきと雪見、舞は、そこに口を挟まなかった。





「名雪の能力はもうわかってるし、あとは住井、久瀬、斎藤、南か……」

それから、祐一がそう呟いた。
八強確定とまで言われている八人のうち、今日観察していないのは、この四人だけだ。

「あ、その四人は必要ないと思うよ」

だが、祐一のその考えを、みさきがにっこりと笑って否定する。

「え?」

祐一が疑問の表情でみさきの方を向き直る。
それを見て、雪見が、みさきの発言の補足をすべく口を開く。

「その四人の能力はもうわかってるの。学校の訓練とかでね。だから今さら調べる意味はないし、必要のある能力でもなかったから」
「念のために今日も視てみたけど、何も変わってないね。何か隠してるって感じもしないし」
「祐一さんは転校したところですから、知らないのも無理はありませんけどね」
「私達は一年生の頃からここにいるから、何度も調べる機会があった」

舞と佐祐理が、さらに説明を加える。
それを聞いて、祐一も納得の表情で頷く。
が、そんな納得の表情は、次の瞬間再び疑問のそれに変わる。

「あれ? じゃあ、北川とか香里は何でわかってないんだ?」

浩平のことが不明だというのは仕方がないとしても、北川や香里なら調べることができたはずだ。
そう思っての祐一の疑問だったが、みさきはあっさりとそれに答えを返す。

「二人はこれまで上手く能力を隠してたんだよ。多分、この武闘会で優勝するためにそうしてたんだろうね」



三年に一度しか開催されない武闘会……つまり出場する機会も、優勝する機会も、三年に一度。
いや、学園生活は三年しかないのだから、人生で一度しかチャンスはないということになる。
である以上、ハンターになるための登竜門として名高いこの武闘会を本気で見据えている者なら、その時まで自分の能力を隠していたとしても、何ら不思議はない。

よほど次元が違わない限り、能力者同士の戦いで重要になるのは、相手の能力に関する正確な情報を入手すること。
どんなに優れた能力であろうと、その全貌が知れてしまえば、対策をたてることは不可能ではない。
能力というものは、必ず長所も短所も存在する。
万能の能力などないのだ。

故に、真に能力者として戦いの中で生きていこうとするならば、自身の能力を可能な限り隠しておくことは絶対条件。
優れた能力者として知られる者も、賞金首など恐ろしい能力者として知られる者も、名のある能力者は皆このことを常に心においている。
また、それを理解し、それに従って行動しているからこそ、名が売れるようになったわけだし、今生きていられるのだ。

その意味では、北川や香里の姿勢は、能力者として、またハンターとして正しい。
既知の相手と戦うのと、未知の相手と戦うのとでは、まるでその難易度が違う。



「ふーん、そっか。まぁ結局、この武闘会で見せてるんじゃ、ハンターになった時にどうかとは思うけど」
「そうでもないわ。それまでずっと隠してたんだから、さらに何か隠してるっていうハッタリも可能だし」



みさきの言葉に、頷いてみせる祐一。
けれど、続けた言葉には、雪見が否定の意見を返す。

それまで自分の能力を隠し続けていた者は、何かを隠している、という実績のようなものを持っているとも言える。
故に、そういう者に相対する能力者は、必ず疑心暗鬼に囚われてしまう。

“本当に、その能力だけなのか?”

と。
今見せている能力が、その全てなのか、という疑問が、頭から完全には消せなくなるのだ。

要するに、さらに奥の手がある可能性を、考慮せざるを得なくなるのである。
実際に奥の手があるかどうかは、この際問題ではない。
ハッタリも立派な武器となり得るのだから。
相手の能力を警戒することも重要だが、相手に自分の能力を警戒させることも重要なのだ。
特に、切り札がない場合は。



「ま、そうだけど。実際どうなんだ? 北川に奥の手はありそうか?」

祐一が、軽い調子で確認する。
彼が視線を送るのは、みさき。



奥の手とは、見せないからこそ、そして、見破られないからこそ、奥の手たり得るのである。
そんなものを事前に見抜くなど、普通は限りなく困難なこと。

然るに、今の祐一の口調は、その奥の手の有無を確認するには、どうにも不適切なものと言えるが、そこにふざけている気配はない。
そこにあるのは、みさきへの信頼。
すなわち、いかに見えざる奥の手であろうとも、“みさきの能力”なら見抜くことは可能だ、と考えているのだ。



「ううん、ないと思うよ。あの銃を使った攻撃……それが、彼の奥の手。どんな攻撃かは完全にはわからないけど、問題はないよ」
「だな。とりあえず、あの銃がキーアイテムなんだろ? そいつを抜かせなければいいだけだ」

そしてみさきもまた、何でもないような口調で、奥の手について話す。
満足げに頷いて、祐一は北川についての話を締めくくった。





と、そこで、思い出したかのように、祐一が佐祐理に質問する。

「そういえば、久瀬達は能力を隠したりしなかったのか?」

あれだけの実力……加えて、頭も切れるだろうことは、ほとんど接点のない祐一にもわかる。
北川や香里が理解しているのと同様に、彼らも当然、能力を隠すことの意義を理解しているはず。
それが、能力を周囲に知られてしまっているというのは、どうも不自然な気が否定しきれない。

「久瀬達は、生徒会の役員だから」
「? 話が見えないんだけど……」

その祐一の疑問に、舞が答える。
が、簡潔にまとめ過ぎて、祐一は理解できなかったらしい。

「生徒会の仕事には、校区に出現した魔獣の退治なんかも含まれてるのよ。もちろん、先生達と協力してって形だけど」

即座に、雪見が舞の言葉の補足をする。
どうやら彼女は、色々な意味で、彼らの中の補佐役らしい。
実際、この中では最も精神年齢が高いと思われる。
ともあれ、雪見の説明を聞いて、祐一がようやく理解の表情を見せた。

「魔獣のね……そりゃ、能力を隠してはいられないよな」



基本的に、魔獣は強力な存在である。
街中に出現してしまえば、話し合いなど通用しない。
被害が出る前に殺すか、あるいは追い返すかしか、選択肢はないのだ。
自分を殺そうとしている相手に、魔獣が手加減してくれるはずもない。
されば、魔獣との戦闘が命がけのものになることは自明の理。
そんな中でなお、自分の能力の隠蔽を考えたりするのは、むしろ愚か者の所業と言えるだろう。



「だからバレバレなんだよ。先生にも生徒にも」

みさきがそんなことを言う。
事情を知ってしまえば、なるほどそれも頷ける。

「ただ、能力を知られてしまうのは確かにマイナスですけど、逆に、実戦経験があるというプラスがありますから、一概にはどちらが有利とも言えません」

とそこで、佐祐理がそんな言葉を口にする。
能力を知られていることが、この武闘会で不利になるとは言い切れない、と。



魔獣との戦闘とは、文字どおり生きるか死ぬかの戦いだ。
いくら経験豊富な教師と協力してとはいえ、そこには確かに生命の危険が存在する。
一瞬の油断が死に繋がる戦いを経験している者と、生命の安全がほぼ保障されている訓練しか経験していない者。
その差は大きい。
だからこそ、佐祐理は、能力を知られていないからといって北川や香里、浩平が有利とは限らない、と言ったのだ。










「とすると、単に実力だけなら、本当にいい意味で横ばいってことになるな……今のところは」

佐祐理の言葉に、少し考える仕草を見せた祐一だったが、不意にそんなことを口走る。
何か含みを持たせたような表情。

「はぇ? どういう意味ですか? 祐一さん」

祐一の言葉を聞いて、佐祐理が可愛らしく小首を傾げる。
彼女は、大人としての雰囲気や魅力を備えながら、こんな子供っぽい可愛らしい仕草も似合う。
校内に、彼女のファンが一番多い、というのも頷ける話だ。
もっとも、かなり僅差で、舞やみさき、雪見のファンの数が、そこに迫ってはいるのだが。
さておき、そんな佐祐理のもっともな疑問に対して、祐一は一つ頷いてから答える。

「実戦経験があるのが、生徒会の面々。能力が割れていないのが、香里と北川と折原。名雪は、まぁおいといて」


朝に弱い彼女では、能力を隠していたりすれば、毎日遅刻してしまっていることだろう。
転入初日に見たあの光景は、今も祐一は忘れられない。
実際彼が後でクラスの人間に聞いたところでは、名雪はいつもあんな感じらしい。
それでも遅刻の頻度はほぼ二回に一回のペースだというのだから、苦笑というよりも、従兄妹として悲しくなってくる。



「名雪ちゃんだからねー。それに、元々あの子は素直だし、能力を隠すなんて無理だよ、きっと」

みさきが、苦笑しながらそんなことを言う。
それは、嘆いているというよりも、むしろその真っ直ぐな心根に羨望を抱いているかのような口ぶりだった。
祐一は、一度頷いてみせてから、再び話を始める。

「ま、とにかくだ。さっきも言ったように、現状は横ばいだと考えていいだろう。けど、あいつらは、少なくとも八強が出揃うまではぶつかることはない」
「えぇ、そうね」
「となれば、その横一線の状態から抜け出るヤツが現れるかもしれないだろ?」

祐一が、小さく笑みを浮かべる。
それは、難しい問題を作成した教師のような、そんな挑戦するかのような笑みだった。

「ざっと視てみたけど、あの八人以外に強い能力者はいないよ」

みさきは、そう言って、暗に祐一の言葉を否定する。
前評判は正しかった。
そこそこの力を持つ者はいても、あの八人との差は大きく、八強の座は揺らがないだろう。
言ってはなんだが、自分より劣る相手としか戦わないことがほとんど確定している現状、横一線から抜け出ると判断できる要素は、みさきにはないように思えたのだ。





「……なるほどね、そういうこと」

と、考え込んでいた雪見が、しばしの沈黙の後、突然何かに気付いたかのように呟いた。
否定の言葉を口にしていたみさきが、驚きの表情に変わる。

「え? 何? 何? 雪ちゃん、何か分かったの?」
「えぇ、確かに、八強が出揃った時に、頭一つ抜け出せるかもしれない人がいるわ」

そう言って、雪見が不敵な笑みを祐一に送る。
解いてやったわよ、と言わんばかりの表情。
それを見て、祐一は、苦笑しながらお手上げのポーズをとった。

「ふぇ? どういうことですか?」
「……誰?」

佐祐理と舞は、みさき同様まだ分かっていないらしい。
首を傾げて、次の言葉を促すように尋ねる。

「美坂さんよ」

当然、黙っている理由などないのだから、雪見はその問いに即座に答える。
雪見が、これでどう、とばかりに祐一を見た。

「そういうこと」

祐一は、まだ苦笑したまま。

「あ、そっか。今、まさに死闘だもんね」

みさきは、雪見が答えを言った時点で、ようやく得心がいったような表情になる。
そしてそれは、佐祐理も同じだった。

「そうですね……栞さんの命がかかってるって思ってますから」
「負けたら栞が死ぬっていうこと?」

佐祐理の言葉に、舞が確認するように尋ねる。

「うん……少なくとも、香里さんはそう思ってる。負けられないって、負けたら栞さんが死ぬことになるって」
「そうね。自分の命でなく、自分の最も大事な人の命がかかった試合ですもの」
「そう。相手が明らかな格下でも、香里は、他のヤツらみたいに軽くは戦えない……まさに、生きるか死ぬかの戦いだ」



自分が負ければ、自分の大切な存在が死ぬ……そんな状況で、ゆとりを持って戦うことができる者などいない。
たとえそれが、自分より明らかに弱い相手との戦いであろうと。
物理的なものではなく、精神的なものであるが、これはまさに死闘と言ってもいい。

一瞬の油断も、隙も、慢心も許されない。
敗北の原因となり得るものは、完全に排除されねばならない。
今戦っている試合だけでなく、これから優勝までの過程で、一度たりとも負けは許されないのだ。

リセットはできない。
やり直しは存在しない。
また今度、などありえない。
そして、負ければ全てが終わる。

形は違えど、これは実戦における心構えに他ならない。
ましてや、かかっているのが自分の命ではなく、自分の愛する者の命なのだ。

尋常ならざるプレッシャーがあるはずだ。
しかし、それに押し潰されることは絶対に許されない。

祐一が香里に可能性を示したのが三週間前。
それから今日まで、彼女は何を思い、どんな日々を送っていたのだろうか。

少なくとも、今の彼女を見る限り、プレッシャーに負けているような気配は窺えない。
三週間の間に、覚悟を決め、精神を研ぎ澄ませてきたのだろう。

試合においても、彼女の戦いぶりは、まさに鬼気迫るものがあった。
どこまでも冷徹に、されどどこまでも熱く。

他の七人は、どこか、明日に備えて調子を確かめる、という風な軽い空気があったが、香里にはそれがない。
彼女だけが、命がけで戦っているのだ。
件の八人のうち、今日の戦いで成長の可能性のある者は、香里しかいないだろう。



「これで、香里ちゃんが勝つ可能性、少しは高くなりそうだね」

みさきが嬉しそうに言う。
程度は違えど、他の四人の表情にも、同じく喜色が浮かんでいた。

「まぁ、まだまだ油断はできなさそうだけどな」
「言わなくても、香里はわかってると思う」

舞の視線の先で、香里が、早くも八強を確定させていた。
そんな彼女の表情に喜びの色はなく、既に心は明日を向いていることがわかる。

それとは対照的に、北川は飛び上がらんばかりに喜びを表しているし、浩平に至っては、司会からマイクを奪い取って、盛大にマイクアピールをしていた。
その隣で、住井もまたそれに乗って何やら大声で喋っているようだ。



「あら……長森さん、真っ赤になってるわね、かわいそうに」
「なーんか、ホントに折原の保護者みたいだな、長森は」

雪見と祐一が、苦笑しつつ、同情の言葉を口にした。
双眼鏡で見れば、瑞佳が真っ赤になって俯いてしまっているのが見える。

「……苦労するわね、彼女」
「全くだ。折原も気付いてやればいいのになぁ」

ある種無責任かもしれないが、そんなことを口々に言う祐一と雪見。
常に騒動の中心にいるような浩平に、瑞佳はいつも振り回されているように見える。
とは言え、苦労は絶えないかもしれないが、これはこれで楽しい日々かもしれない。
いつか思い返すときが来れば、きっと笑って話せるだろう。
少なくとも、退屈だけはしない学園生活だ。

実際、瑞佳の姿として、ため息をついている姿の次に多く見られるのが、穏やかに微笑んでいる姿だった。
そう考えると、案外彼女は幸せを感じているのではないか……祐一は、そんなことを思った。















「……祐一さん」

武闘会一日目が終わり、寮に帰って自室のベッドで休憩していた祐一が、そんな声で目を開けた時は、既に七時を回っていた。
眠っていたらしく、一つ欠伸をしてから、ゆっくりと体を起こす。

「どうした?」

声はすれども姿は見えず……祐一の部屋に、祐一以外の人影はない。
だが、祐一はそれを知りつつ口を開く。

「例のものを持ってきました」

そんな言葉と共に、突然ベッドの横に人影が現れた。
どうやら、それは少女らしい。
よく見ると、窓が少し開いている。
いつの間に入ってきたのかはわからないが、祐一は特にそのことを気にしている風もなかった。

「お、やっとか」

そこで、少し嬉しそうな声を出す祐一。

「ありがとな、わざわざ」
「いえ……」

祐一の感謝の言葉を聞き、少女は微笑みを浮かべる。
そして、手に持った何かを祐一の前に差し出す。


それは、白い布に覆われた、長く薄い板状のものだった。
長さは二メートル弱で、横幅は三十センチ程度、厚さは五センチにも満たないだろう。
両端に程近い部分を、留め金のようなもので、それぞれ止めてある。


献上する、という表現がぴったり当てはまるような所作で差し出されたそれを、祐一が手にとる。
まるで感触を確かめるかのように、それを握りこむ祐一。

「……うん、いい感じだ」

祐一の顔に、何とも言えない笑みが広がる。
それはまるで、失くしていた何かが、ふっと手元に戻ってきたかのような、そんな表情。

祐一が手にとった部分は、片方の端に程近い部分。
それを片手で握り、真っ直ぐ天井に向けて掲げている。

「いい仕事してるなぁ、相変わらず」
「そうですね、あの人の技工は素晴らしいものです。時間にルーズな点を除けば、の話ですが」

感嘆の息を漏らす祐一。
そんな祐一に対して、あまり表情を変えずに、少女がそんなことを言う。

「相変わらずキツイな」
「事実です。指定した日時を守るのは、プロとして当然の姿勢です。それを守れないのでは、不出来と言われても仕方がありませんよ」

淡々と軽い皮肉を口にする少女。
それを聞いて、祐一が思わず苦笑を漏らす。

「ったく。そんなだから、若さが足りないなんて言われるんだぞ?」
「そんなことを言うのは祐一さんだけです」

からかうかのような物言いの祐一。
少女は、そんな祐一を少し睨みつけるようにする。

「そうか?」
「そうです。本当に祐一さんは……」

そこで言葉を切ると、少女は呆れたようなため息をつく。

「人を、礼節がなってない、とか言ってくれたお前はどうなんだ?」
「事実でしょう?」
「や、そんなことはないぞ」
「花も恥らう乙女に対し、おばさんくさいと言ってのけるあなたは、どうひいき目に見ても礼節をわきまえているとは言えません」

さらに睨みの度合いが強くなった視線が、祐一に送られる。
その発言には思うところがあったのか、祐一も少し怯んだように顔を引きつらせる。

「乙女って……」
「何ですか? 私が言うのはおかしいですか?」

不満げな少女の言葉。
けれど祐一は、それに対して首を横に振る。

「いや、乙女って言葉にこだわるのは、一人で十分だってこと」

同じ寮にいるとある少女を思い出し、二人の間に少し沈黙が下りる。





「それで、今日はどうでした?」

沈黙を破ったのは、少女の方だった。

「ん? あぁ、とりあえず順調だよ」

祐一も、いつもの調子を取り戻したらしい。
何事もなかったかのように言葉を続けた。
少女もまた、その流れに乗る。

「では、あの八人の能力は見抜けましたか?」
「折原以外は大体わかった」
「やはり、折原さんだけはわからなかったんですね」
「あぁ。みさきは、資質を生かしきれてないから、今の能力は参考にならないんじゃないかって言ってた」
「『ドミネーター』の可能性は?」
「ない」
「そうですか、残念ですね……いえ、そうでもないのかもしれませんが」
「そうだな。下手に縁のある相手だと色々問題もあるし。後腐れのないヤツの方がありがたい」

嘆息する祐一。
それでも、心なしか、そこには安堵の色があった。

と、そこで祐一が顔を上げて少女の方を見る。
探るような目。

「それで、お前は大丈夫なのか? 念のために聞いとくけど」
「真琴のことですか?」
「あぁ」
「大丈夫ですよ、とっくに覚悟はできてますから」
「そっか」
「はい。でも、多分、祐一さんの方が大変ですよ」
「……だな」
「真琴にとって、あなたは私以上に特別ですから。おそらく、明日は私のことを気にする余裕もないでしょうね」
「そうかぁ?」
「間違いないですよ。真琴のことなら、何でもわかりますから」
「……そうだな」

再び、場に沈黙が訪れる。
少し重い空気。
それを演出する両者の表情には、共通の色があった。





「……美坂さんはどうですか?」
「あぁ、あいつなら大丈夫だよ」

少し長い沈黙の後、また少女がその沈黙を破って話し始める。
祐一もまた、それに乗って言葉を口にする。

「では、明日は予定どおりにいく、というわけですね」
「あぁ。手筈は完全に覚えてるよな? 多分、必要ないだろうけど」
「もちろんです。常に最悪の事態を想定すること。これは鉄則ですから。ところで、優れた能力者はいなかったんですか?」
「ん? あぁ、必要と思える能力はない、かな。北川の能力は、少し面白そうだったけど」
「必然性はなしですか」
「あぁ、代替は効く」
「そうですか」

その言葉と同時に、祐一が立ち上がった。
その足で、部屋の隅に置いてある鞄へと歩み寄る。

見れば、既に部屋の荷物は片付けられていた。
元々私物はほとんどなかったとはいえ、全くなかったわけではない。
それが全て片付けられている様は、まるで引越し直前のようだ。

ともあれ、その鞄の横に、手に持っていたものを立てかける。
少女は、ただそれを見ているだけ。





「そういや、あいつらは大丈夫か?」
「直接聞けばいいと思うのですが」
「直前とはいえ、まだバレてほしくない」
「なるほど、そうですね。とりあえず大丈夫だと思いますよ、四人とも」
「ま、そうだろうけど」
「念には念を入れておきたいのはわかりますが、あんまりやかましく言うと、また機嫌を損ねてしまいますよ?」

確認するかのような言葉の応酬。
その途中で、少女が少し意地悪い笑みを浮かべた。

「う……それは困るな」

言葉に詰まったらしき祐一。
少しばかり嫌そうな表情が、そこにあった。
追い討ちをかけるかのように、少女は言葉を続ける。

「前回は、都内の甘味処を完全制覇したんでしたっけ?」
「……言わないでくれ。思い出しただけで胸やけがする」



甘い者嫌いな彼にとって、甘味処を渡り歩くなど、拷問にも等しい。
それでも、そこから逃げることは叶わなかった。
彼も不屈の闘志で頑張り続けたが、その翌日から三日間、ろくに食事もとれない状況に追い込まれたのだ。
祐一を連れ回した張本人達は、至福の表情を浮かべていたけれど。



「まぁ、心配でしたら、明日直接確認すればいいでしょう」

クスクスと笑いを漏らしながら、少女が言う。
それを見て、祐一が少し不機嫌な表情に変わる。

「くそぅ……性格悪くなったんじゃないか? 美汐」
「だとしたら、それはあなたのせいですよ、祐一さん」

変わらず笑みを湛えながら、少女――美汐がそう言った。








と、その時。

「ゆういちー、ご飯だよー」

コンコン、というノックの音と共に、名雪の声がドアの外から聞こえてくる。
即座に会話を止める二人。

「あぁ、わかった。すぐ行く」

少し大きな声で返事を返しながら、祐一が美汐に目で合図を送る。
それに頷きを返し、美汐は窓へと歩み寄り、スッと姿を消した。
それを確認してから、祐一が一つ伸びをして、ドアの方へ向かう。



「わ、いきなりドアを開けないでよ」

ドアを開けると、名雪が驚いたような表情で、祐一に言う。
祐一は、軽く肩を竦めながら返事をする。

「飯の時間だって言ったのはお前だろ?」
「開ける前に一言、開けるぞーって言ってくれればいいのに」
「もう食堂に行ったと思ってたからな」

そんな軽口を叩きながら、祐一と名雪は、連れ立って食堂に向かった。
二人の会話に、昨日までとの違いは、なかった。










そして、日は暮れ、夜を迎える。
その日の夜は、奇妙なまでに、静かで穏やかだった。
騒ぐ者は一人としておらず、しかしもちろん険悪な空気は微塵も感じず、それでも、どこかいつもと違う空気に、寮の人間は少し居心地の悪さを感じていた。


“嵐の前の静けさ”


後日、寮の人間が、この夜のことを思い出して呟いた言葉。
それは、実に的確な表現と言えた。

ただ惜しむらくは、嵐というものがもたらすのは、破壊でしかないということ。
穏やかな日常が続けば良い……そう思っていた者にとって、それは紛れもなく悲劇。

そんな悲劇も未だ知らず、皆が穏やかな眠りにつく。
次の日が特別な日になることなど、まるで考えもせず。

そして、朝が来た。
全てが収束する日の、朝が。









 続く












後書き



次回も、そのまた次回も、さらにまた次回も、長いんですよねー……(遠い目)

青いロボットがほしくなります(爆)

もっと時間があれば、こんなに焦らなくて済むのに、とか思わずにはいられません。

よく見たら、まだ16話……遠いなぁ。

それもこれも、自分の文章力が足りてなかったせいなんですけどね(泣)

じゃあ今は充分なのか、と問われれば、否定するしかありませんが(笑)

結局、要努力ということでしょう、はい。