「天気は快晴。幸先がいいな」
早朝、祐一は部屋の窓から空を眺めていた。
雲一つない空はどこまでも高く、また冬とは思えないくらいに青く、青く、本当に澄み渡っている。
ここ数日は、雪もほとんど降っておらず、やや穏やかな日々が続いていたが、今日もそうらしい。
「短い間だったけど、なかなか面白かったな」
少し感慨深げな吐息を零しつつ、祐一は、こちらに来てからの日々を思い起こす。
雪降る中での従兄妹との再会から、まだ一ヶ月と経っていなかったが、色々な事があった。
そう……今、こうして振り返り、想いを馳せることができるくらいに。
穏やかな日々だった。
予期しない出来事や、面白くない出来事もあった。
だが、総じて、その生活は楽しかった、と素直に言うことができる。
それはきっと、救いと言っていいだろう。
だが祐一は、喜ばしく思うと同時に、申し訳なくも思う。
なぜなら、彼は今日、この地に別れを告げるからだ。
いや、祐一だけでなく、彼の仲間達も、今日でこの地を去る。
おそらく、二度と会うこともないだろう。
少なくとも、祐一達はそのつもりだ……いや、そうでなければ、ならない。
会っては、ならないのだ。
「みんな、いいヤツだったな……」
呟くその表情には、確かに嬉しそうな気配があった。
皆、突然訪れた彼を受け入れ、肯定的に捉えてくれた。
破天荒な者達もいたが、それもご愛敬。
思い返せば、自然と祐一の顔にも笑みが浮かんでくる。
安らげる場所。
居心地の良い場所。
そこにいられるだけで幸せな場所。
そんな場所だけれど。
それを知っていても、それでも。
「……しょうがないか」
祐一達は、ここにはいられない。
もちろん、ここが嫌いなのではない。
ただ、ここは、自分達の居場所ではない、というだけ。
帰る場所ではない、というだけ。
住むべき世界ではない、というだけ。
やらなければならないことがある。
やりたいことがある。
目的があり、意志がある。
目標があり、意思がある。
何より、動き始めた歯車は、もう止めることは叶わない。
道を選んだ祐一達は、もう引き返すことは叶わない。
「……バイバイ」
そんな言葉を、わずか一ヶ月だけの宿り木に残す。
短いけれど、無限の感謝と確かな意志をのせた、そんな別れの言葉を。
鞄を肩に下げ、昨晩美汐から受け取ったものを背中に背負い、祐一は真っ直ぐドアへ向かう。
扉をゆっくりと押し開け、廊下に足を踏み出す。
そして、そのまま玄関へと歩を進める。
結局、玄関に辿り着くまで、祐一が後ろを振り返ることはなかった。
寮の中は静寂に包まれている。
時計の針は、そろそろ九時を指そうとしていた。
武闘会のプログラムでは、最初の試合が十時から始まるため、寮の人間は皆、既に学校に行っている。
祐一と、あと二人、玄関にいる人間を除いて。
「よう、準備は整ってるか?」
玄関で自分を待っていたその二人の少女に、微かな笑みを浮かべつつ、祐一は声をかけた。
神へと至る道
第17話 交わらぬ線と線
「当然です」
「もっちろんだよ」
玄関先に立つ二人は、同じく微笑みを浮かべながら答えた。
一人は静かに、一人は明るく。
「あれ? 二人とも、荷物は?」
今日この地を立つに関わらず、二人は手に何も持っていなかった。
だからか、不思議そうな表情で、鞄を手に下げている祐一が問う。
「雪見さんにお願いしましたから」
「そ。祐一だけだよ、荷物をわざわざ持ってるのって」
「あ、そっか」
二人は、当たり前のことだ、と言わんばかりに答える。
その返答に、祐一も思い出したように相槌を打つ。
深山雪見……彼女の能力を、思い出したのだ。
「どうするんですか? 祐一」
「うーん、そうだなー……」
「あ、じゃあ、私が雪見さんに渡しといてあげる」
「そだな、じゃ、頼むよ、詩子」
「りょーかい」
自分の荷物をどうするか考え込んでいた祐一は、横から出された提案に乗ることにする。
渡された荷物を、片方の少女――詩子が、軽い言葉を口にしながら受け取った。
「あいつらは?」
荷物を渡すと、祐一が改めて二人に短く質問する。
それだけでも、二人は祐一が何を聞きたいのかわかったようだ。
「留美と澪?」
「あぁ。ま、心配はないだろうけどさ」
「うん、大丈夫だよ。もう学校に行ってるし」
「……伝言もありますよ」
「伝言? 何だ? 茜」
もう一人の少女――茜が口にした言葉に、祐一が小さく首を傾げた。
そんな祐一に、茜は含みを持たせた笑みと共に、その言葉を伝える。
「『あたし達のことを心配するような質問なんて無意味よ』、だそうです」
「お見通しか」
軽く笑いながら、祐一が肩を竦めてみせる。
それにつられるように、二人も小さく笑う。
「ま、それならいいけど」
「よくもないですよ」
「どういうことだ?」
「そういう質問したら、また甘味処巡りねって話になったからだよ」
「げ」
奇しくも、昨日美汐が冗談混じりに言った事が、実現してしまうことを告げる詩子の言葉。
祐一は、極々近い未来の自分を想像してしまい、顔を引きつらせる。
そんな様子を目にして、二人はクスクスと笑いを漏らした。
「大丈夫ですよ、そのうち慣れます」
茜が微笑を浮かべたまま、祐一の肩に手を置き、諭すように言う。
「……慣れたくない」
だが、祐一の表情は冴えない。
甘いものが苦手な彼には、それも仕方がないのかもしれないが。
がっくりと肩を落とすその姿は、どこか悲哀が漂っているような気がした。
そんなやり取りから数分後。
寮を出て、目と鼻の先にある学園の、その校門の前まで到着すると、三人は足を止めた。
確認するように、祐一は詩子に話しかける。
「じゃ、予定どおりに」
「うん、任せといてよ」
「詩子……くれぐれも調子にのりすぎないようにしてください」
「わかってるって。ホントに茜は心配性だね」
少し不安げな表情の茜に対して、詩子は、いつものペースを崩さない。
常と変わらぬ軽い調子で、受け答えをしている。
茜も、詩子を信頼していないわけではないだろうが、彼女のそんな様子を見るにつけ、どうしても不安が拭いきれなくなってしまうのだろう。
「一応言っておかなければ不安です。何しろ、未知の能力なんですから」
「大丈夫、やるときはちゃんとやるから、私」
なお続いた茜に対し、詩子が力強く頷きながら、少し静かな声でそう言う。
その言葉を聞き、茜も表情を和らげる。
それを確認し、詩子はくるりと二人に背を向ける。
「それじゃ、また後でね〜」
ひらひらと肩越しに手を振って見せながら、詩子が歩き始める
祐一も茜も、それに返すように手を振ってから、詩子とは違う方向へと向かった。
「……祐一」
「ん? 何だ?」
「“鳳翼”、完成したんですよね?」
「あぁ。背中のこれだよ」
誰もいない敷地内を黙って歩いていた二人だったが、ほどなくしてその沈黙を、質問という形で茜が打ち破る。
彼女の質問に対し、祐一は、背中の白い布に覆われたものを指差しながら答えた。
茜はというと、祐一が背負うそれを、じっと見つめる。
「中身を確認したんですか?」
「いんや、まだ。っていうか、美汐が持ってきてくれてから、一度も封を解いてないぞ」
「どうして解かないんです?」
「解かなくてもわかるからな」
そう言って、祐一は、再び確認するかのように、背中のそれを、手でしっかりと掴む。
まるで、刀を手に掴んでいるかのような、そんな握り方をしている。
無意識にだろう、祐一の表情には、満足げな笑みが浮かんでいた。
「……」
じっ、と、茜は視線をそれに注ぎ続けている。
そんな様子に、祐一が首を傾げながら口を開く。
「……見たいのか?」
「はい」
「見てもしょうがないと思うけど」
どうせ、いずれ封を解くことになるし、その時にいくらでも見れるわけだし……そう付け加えた祐一だったが、茜は、ふるふると首を横に振る。
そして、ゆっくりと言葉を続ける。
「一番最初に見たいですから」
「……意味はあるのか?」
「価値はあります」
淡々と語ってはいるが、小さく微笑んでいるのが、祐一にもわかった。
確かに、ご丁寧に封をされているものが目の前にあれば、見たくなるのも自然かもしれない……そう考え、茜に頷いてみせる。
「ま、いいけど。じゃ、あそこに移動してからな」
「はい」
少しだけ深くなる笑み。
それからすぐに、二人は目的の場所へと足を速めた。
「うぅ、負けちゃったよ……」
「ま、まぁまぁ、名雪」
八強が揃った、いわゆる決勝トーナメントの一回戦で、不幸にも香里と当たってしまった名雪。
彼女も善戦したのだが、僅かに力及ばず、敗北してしまった。
その後、落胆した様子で瑞佳達の元に戻ってきた名雪は、少しばかり残念そうに、悔しそうに、思わず嘆きの言葉を口にしてしまう。
それを見て、瑞佳が慰めの言葉を必死で探すのだが、どうにも上手い言葉が見つからない。
と、そこで声をかけるのは、当然と言おうか、彼女の母たる秋子だ。
「よく頑張ったじゃない、名雪」
「お母さん……」
優しく微笑みながら、自分の娘を称える秋子。
名雪の表情も、それで少し和らいでゆく。
「そうそう、かっこよかったわよ」
「そうだよ。もうちょっとだったんだし」
秋子の一言に勢いを得て、真琴も瑞佳も、口々に名雪を励ます。
自分にできる限りのことをしたのだから、胸を張っていいはずだ。
結果も大事だが、それだけではないのだから。
この場にいる全員が、名雪の努力を目にし、認めていた。
そんな人達の言葉に、名雪も、ようやく明るい笑顔を見せる。
「……うん、そうだね。今度は、香里を超えてみせるよ」
そんな名雪の前向きな考えを聞き、秋子が、よくできました、というように、頭を撫でる。
驚きの表情も一瞬、すぐに表情を崩す名雪。
「その意気よ、名雪」
「えへへ……」
秋子の言葉に、その手の温かさに、少し照れくさそうに、けれど、とても嬉しそうな笑顔で答える名雪。
沈んでいた空気は、完全に霧散していた。
「あ、次は浩平の出番だ」
それからしばらくして、次の試合の開始が告げられる。
武舞台に上がった浩平の姿を見て、瑞佳が不安げに呟く。
「名雪の敵討ちってやつね。こうへーい! 頑張りなさいよー!」
考え込むような仕草を見せた後、大声で浩平に声援を送る真琴。
彼女の表情は、真剣そのものだ。
「わたし、死んでないよ〜」
名雪が、少し困ったような表情で言う。
どうやら、真琴の言葉をまともに受け止めているらしい。
そもそも、敵討ちと言うのなら、香里と戦わなければならないはずだが、そのことには気付いていないらしい。
真琴も、そして名雪も。
まぁ、言葉の綾ということで許される範囲内かもしれないが。
「みゅ〜♪」
名雪の隣で、秋子お手製の照り焼きバーガーを、至福の笑顔で頬張っているのは繭。
ちなみに、フェレットは今は出していない。
みゅ〜というのは、感情表現のための言葉なのか?
横目で楽しそうな繭を見ながら、そんなことを少し疑問に思ったりする真希。
事実、先程から彼女は、照り焼きバーガーを食べながら、嬉しそうな声で、何度もその言葉を繰り返していた。
けれど彼女は、嬉しいときでもそうでないときでも、常にみゅ〜、という言葉を口にしているような気もする。
「……ま、別にいいけど」
繭には繭の考えがあるのだろう……そう考えることにしたらしい。
あるいは、何も考えていないのかもしれない、と思ったりもしたが。
そんな風に結論付けた後、真希は思考を切り替え、今この場にいない人間のことを考える。
頭に浮かぶのは、彼女の友人たる二人の少女。
「留美も澪も、いったいどこに行ってるのかしら?」
ふぅ……と、ため息をつく真希。
もしそれを留美が見ていれば、乙女がどうの、と言っていたかもしれない。
そのくらい、絵になる仕草だった。
「あら? 留美さんも澪ちゃんもいないんですか?」
秋子が、そんな真希の呟きを聞き、不思議そうな顔をする。
真希は、聞かれると思っていなかったのか、少し慌てた様子で、けれどきちんと答えを返す。
「あ、はい、そうなんです。教室にも来てなかったし、会場も捜したんですけど、見つからなくて」
「でも、留美も澪も、今朝は結構早くに起きてたよね」
「うん、私も見たもん。あと、みさきさんと雪見さんも、朝は早かったみたいだよ」
寮で共に生活している真琴と瑞佳が、真希の疑問に、横から口を挟む。
その言葉から考えるに、寝坊だとかそういう線ではなく、学校には来ているはずだ。
だが、それならばどこにいるのだろうか?
「そう言えば、祐一もいないよ」
その言葉で思い出したのか、名雪が、不満そうに祐一の名前を口にする。
残念そうな表情を、彼女は隠そうともしていない。
「祐一さんは、ギリギリの時間に寮を出る、と言ってましたよ」
秋子がそれに答える。
どうやら彼女は、祐一と今朝も言葉を交わしていたようだ。
「うー……祐一、ひどいよ」
それを聞き、少しだけ不満の色を濃くする名雪。
彼女としては、ここにいて自分を応援してほしかったのだろう。
あるいは、慰めか労いの言葉をかけてほしかったのかもしれない。
「多分、どこかで見てくれてたわよ、きっと」
それでも、秋子が小さく笑みを浮かべながらそう言うと、名雪の表情もすぐに元に戻る。
元より、怒りや不満を溜め込むような性質ではない彼女だけに、秋子に言われなくてもすぐに笑顔に戻っていたであろうけれど。
と、そんなのんびりとした空気の中で、穏やかな会話が繰り広げられていたのも、浩平が終始優勢に試合を進めていたからだ。
不安を表情に表していたのは、ハンカチを握り締めながら見守っていた瑞佳だけだった。
浩平の力を信じていないわけではなくても、やはり心配になってしまうのが、瑞佳の瑞佳たる所以だろう。
その意味では、それは微笑ましい光景と言うこともできる。
「あ!」
と、瑞佳が、嬉しそうな声を上げた。
彼女の視界の先では、浩平に倒された相手が、降参の意を示していた。
「わ、凄い。折原君勝ったね」
「よくやったわよぅ! こうへーい!」
あんまり驚いているように見えなくても、それでもしっかり驚いている名雪と、腕をぐるぐると回しながら褒め言葉を口にする真琴。
「まぁ、折原君なら当然の結果かな」
「浩平、すごーい」
腕を組んで涼しげな視線を送る真希と、照り焼きバーガーを食べる手を止めて素直に感嘆する繭。
「あらあら、すごいですね」
頬に手を当てて、穏やかに微笑む秋子。
かように、水瀬寮サイドは概ね平穏であった。
「あ、やっと見つけました」
と、順調に試合も進み、四強が出揃ったところで、突然そんな嬉しそうな声が、名雪たちの耳に届く。
全員が声の方を振り返ると、一人の少女が、駆け寄ってきているところだった。
「あ、栞ちゃんだ」
その少女が、自分達のよく知る人物であったためか、名雪の声にも嬉しそうな響きがあった。
「はぁ、はぁ……こんにちは、皆さん」
走ってきたためか、少し荒くなった息を整えてから、栞が挨拶の言葉を口にする。
全員がそれに挨拶を返し、栞が席についたところで、秋子が代表する形で尋ねた。
「栞ちゃん、お姉さんの応援ですか?」
「はい。もっと早く来てたんですけど、なかなか皆さんが見つからなくって。って、あれ? ところで、祐一さんはどこにいるんですか?」
「祐一は、どこにいるかわからないよ」
名雪が、栞の質問に、少し申し訳なさそうな声で答える。
「そうですか。残念ですけど、しょうがないですね。でも、いつでも会えますし」
そんな名雪の表情を見たからか、栞が特に落胆した様子も見せずに、笑顔で言う。
名雪もまた、それを見て笑顔に変わる。
「あ、始まるよ」
とその時、瑞佳が、武舞台を指差しながら、栞に声をかけた。
それにつられたように、全員の視線が、武舞台に集中する。
四強同士の激突が、今まさに始まろうとしていた。
「香里対住井君と、折原君対北川君か。結構面白い組み合わせね」
真希が小さく呟く。
「浩平、大丈夫かなー……」
不安げな眼差しを送る瑞佳は、どこか子供を見守る母親のようにも見える。
誰かがそんなことを言えば、二人とも全力で否定するだろうが。
そして、決勝進出を賭けた戦いが始まった。
開始の合図と共に、激しく剣戟を響かせる香里達に対し、浩平達は全く動く様子も見せない。
北川は、いつでも銃に手をやれる形で隙を窺っているし、浩平の方も、相手の動きを窺っているだけ。
その両組み合わせの構図は、まさに静と動という好対照を示していた。
香里達の方の決着は早かった。
繰り返される剣の激突の速度についていけなくなった住井が、焦って発動した能力を、悠々と回避した香里が、彼の能力発動後の隙に全力で剣を打ち込み、場外へと吹っ飛ばしたのだ。
勝利を告げられてすぐ、香里は一礼をした後、即座に隣の舞台に目を向けた。
次に戦う相手の力を分析するために。
その表情に、今の試合の勝利に対する感動は、欠片ほども浮かんでいなかった。
だが、それも当然と言えるだろう。
準優勝も、一回戦敗退も、香里にとっては同価値なのだから。
浩平達は、香里の視線を気にも止めず、睨み合いを続けていた。
永遠に続くかと思われた時間だったが、その均衡を、浩平が破る。
立っていた場所から飛び出したかと思うと、一瞬でトップスピードに入り、北川へと接近し、剣を振りかざす。
北川の攻撃を見極めることを諦め、攻撃される前に攻撃するという作戦だろう。
つまり、先手必勝。
それに対し、北川は、待ってましたとばかりに銃を抜く。
その動きは、まさに早撃ちのガンマンのそれ。
浩平が剣の間合いに入る前に、北川の銃口は浩平を捉えていた。
一瞬で絞られる照準には、僅かの狂いも見受けられない。
と同時に、瞬間的に北川のエネルギーが高められる。
「
鋼の弾丸!」
そして、そこからほとんどタイムラグなしで発動される能力。
その瞬間、北川の銃が真っ白な火を吹いた。
少なくとも、それを見た人間は、そう表現するしかなかっただろう。
白く輝く光の弾丸が、銃口から凄まじい勢いで飛び出す。
それが、生命エネルギーにより創造された特殊な銃弾であることは、一目見れば容易に知れる。
実際の銃の弾丸よりもやや遅い速度だが、エネルギーに満ちた弾丸は、その速度の不利を遥かに超える威力を生み出す。
食らえば無事ではいられまい。
エネルギー弾が浩平を捉えた時、当の彼は、一直線に北川に向かって近づいている最中。
そのため、回避は不可能。
そして、防御することは、その弾丸の特性で、これもまた不可能。
故に、北川は確信した……自身の勝利を。
北川だけでなく、香里も確信していた。
だからこそ、頭の中に、北川の能力をインプットする。
また、祐一達も、会場に分散していたが、そのシーンをしっかりと見て、能力の分析を行っていた。
だが、あまりの速度のため、観客席に座る者達は、誰一人事態についてきていない。
そのため、何が起こったのかわからないまま、戦闘終了のシーンを見ることになった。
試合が終了した時、舞台に立っていたのは、浩平だった。
北川はというと、いつの間にか場外でに飛ばされている。
その北川は、信じられないといった表情で、浩平に……いや、その方向に目をやっていた。
茫然自失……まさにそんな状態。
目は浩平を映してはいたが、脳は浩平を認識していなかった。
香里は、冷静に見ていた……少なくとも表向きは。
だがその内心では、強い驚愕を感じていた。
北川の勝利は揺らがない……そう思っていたのが、あっさりと覆されたからだ。
その決定的瞬間を見逃したわけではなかった。
けれど、その光景が信じられなかったのだ。
『……あの光の弾丸が、折原君に当たる直前に、揺らいだように見えた』
そう……北川も、その瞬間を確認した。
命中するはずだった弾丸が、その直前に突然揺らいだかと思うと、一瞬のうちに横に大きく移動し、浩平の顔の横を通り抜けたのだ。
自身の勝利を確信していた北川に、その直後に襲ってきた浩平の斬撃を回避できるわけもなく、反射的に自身のエネルギーで防御力を高めることしかできなかった。
そして、まともに受けた攻撃で場外まで吹き飛ばされ、今に至る。
「な、何なんだよ、それ……」
ようやく立ち直ったのか、起き上がりながら、呻くように北川が問う。
咄嗟の防御の賜物か、大したダメージもなかったのは救いだった。
だが、浩平の能力が、全くわからない。
確かに、これまでに、浩平の能力を見たことはなかった。
けれど、接近戦を望む傾向が強いことから、おそらくタイプPだろう、と思っていたのだが、それは大外れだったようだ。
少なくとも、タイプPでは、あんな特殊な技など使えない。
「秘密だ」
そんな北川の問いかけに、浩平が、軽く笑いながら答える。
一瞬後、得意げな笑みを浮かべたまま、自分を見ている香里に、すっと目を向けた。
「決勝戦、楽しみにしてるぜ」
自分を真っ直ぐに見ている香里に、浩平はそんな言葉をかける。
言われた香里はというと、不敵な笑みを浮かべつつ、返事をする。
「私は、負けないわ」
その表情からも、その声からも、彼女が自身の勝利を信じていることがわかる。
もっともそれは、浩平も同じだったが。
「……な、何が起こったのかな?」
「とりあえず、浩平が勝ったのはわかったけど……」
名雪と瑞佳は、よくわからなかったらしい。
隣に座る真琴と栞と一緒に、何が起こったのかに頭を悩ませている。
「どっちが勝つかしらね……」
そんな四人の様子を見るでもなく、舞台に目をやっていた真希が、ポツリと呟く。
彼女には、あるいは何が起こったのかがわかっていたのかもしれない。
「お姉ちゃん、勝てるでしょうか?」
しばらく考え込んでいた栞が、眉根を寄せつつ、そんなことを誰にともなく聞く。
その問いに対し、名雪や瑞佳は、困惑の表情を深め、深く考え込んでしまう。
「うーん、どうかな? 香里も強いけど、折原君も強いし……」
「浩平に勝ってほしいけど、でも、香里にも負けてほしくないし……」
あまり悩んでないように見えて結構悩んでいる名雪と、人間関係からジレンマに悩まされている瑞佳。
うんうんと唸るようにしながら、しばらくの間考えに沈む。
「二人とも負けなかったらいいんだけどなぁ」
考えて考えて、ようやく口にした瑞佳の答えはこれだった。
かなり都合のいい結論だが、瑞佳は本心からそれを望んでいるらしい。
「そんなの無理じゃないの?」
そんな瑞佳の発想を、真琴は無理だろうと切って捨てる。
それでも瑞佳は、めげることなく言い返す。
「大丈夫だよ、引き分けになれば」
「? そんなことあんですか? 引き分けという制度があるなんて初耳ですけど」
大丈夫、と言った瑞佳に対して、秋子が不思議そうに聞く。
この武闘会に引き分けがあるということを、彼女は今まで誰からも聞いたことはない。
事実、これまでの試合でも、一度たりとも引き分けに終わった試合はなかった。
である以上、そうした疑問を持つのは、至極自然なことだ。
「あ、えっと、一応規定があって、試合時間が三十分を超えた場合は、その試合は引き分けということになるんですよ」
秋子のもっともな疑問に対して、瑞佳が説明の言葉を口にする。
引き分けが存在することは、規定によって保障されている、ということを。
「それで、引き分けになった場合はどうなるんですか?」
瑞佳の説明に一つ頷いてから、秋子がさらに質問を重ねる。
引き分けがあることはわかった。
では、引き分けたその後はどうなるのか?
再試合でもやるのだろうか?
だが、それだと公正な勝負ができない可能性がある。
自分がピンチになったら、一旦引き分けにして、再度試合をやり直そうと考える者が出てこないとも限らないからだ。
「その場合は、再試合とかもなくて、次の試合が自動的に不戦勝になるんです。つまり勝者も敗者もいないことになっちゃうんですよ」
瑞佳の返答。
それを聞いて、秋子が一呼吸置いてから、肝心な部分について尋ねるべく口を開く。
「決勝戦以外ならそれでもいいでしょうけど、決勝戦の場合はどうなるんですか?」
そもそも次の試合が存在しない場合はどうなるのか……これは、確かに問題だ。
次の試合がないのならば、不戦勝のような措置はとれない。
どうしても、その試合で白黒をつける必要があることになる。
それに対しても、瑞佳はすぐに答えを返す。
「決勝戦の場合は、再試合もなくて、優勝者なしということになるそうです」
「そうなんですか。それで、これまでに、優勝者がいないことはあったんですか?」
「昔、一回だけあったらしいですよ」
先生の話を思い出しながら、瑞佳が言った。
「え? え? じゃあ、もしそうなったら、神器は見れないの? 触れないの?」
名雪が、少し慌てたような声音で尋ねる。
神器……これに憧れて武闘会に出る者も少なくはない。
普段は学内のいずこかに封印されているそれは、武闘会で優勝することにより、初めて触れることが許されるのだ。
その機会を逸すれば、一生触れるどころか目にすることすら叶わないかもしれないほどの代物。
それを思えば、神器を見られないことになる、と聞いて、多少なりとも心を乱すのも仕方がないかもしれない。
もっとも、学校で話を聞いているはずの名雪が、その疑問の答えを知らないことは、若干おかしい気がしないでもない。
けれど、この場には、そのことについて問い質す者はいなかった。
「そうですね、神器はどうなるんでしょう? お披露目はあるんですか?」
さておき、秋子も同じ事を疑問に思っていたらしい。
瑞佳の方に目を向けながら、それを尋ねる。
「優勝者がいない場合は、お披露目はなしということになるんだそうです。もちろん、見ることや触れることが許される人もいません」
淀みなく答える瑞佳。
これは、学園で事前に説明を受けていたことだ。
規定では、優勝者がいる場合のみ、その優勝者が、観客の前で神器を手にすることができる。
逆に言えば、優勝者がいなければ、神器は必要がなくなってしまう。
また、そう易々と神器を表に出すわけにもいかない。
学校に保管されている神器は、この武闘会の表彰時以外では、まず表に出てくることはない。
それ以外の時間は、完全に封印され、厳重に守られている。
資産価値も希少価値も極めて高い以上、軽々しく保管することなどできようはずもないのだ。
故に、今回も、もし決勝戦が引き分けに終われば、神器は封印されたまま、三年後まで見るチャンスはなくなる。
いかに残念であろうと、これは規定によって決められていることだ。
「えー? 神器見れなくなるの?」
そんなことなど露ほども知らなかった真琴が、不満そうな声を上げる。
彼女は、三年前に行われた武闘会で、初めて神器を目にした。
神器が解放された瞬間、彼女は思わず息を呑み、呼吸も忘れたように見入ったものだ。
輝くばかりの神々しさに心を奪われた真琴にとって、神器が見られないというのは、到底納得できるものではない。
「残念……」
真琴ほどではないけれど、繭もまた、心なし肩が下がっている感じがする。
神器を見ることを楽しみにしていたのは、彼女も同じなのだろう。
「あのね……まだ引き分けかどうかもわからないじゃない。何でがっかりしてるのよ?」
そんな様子を見て、真希が呟いた言葉には、呆れの色が滲んでいた。
なぜか引き分けが確定したかのような雰囲気を見せつけられては、呆れてしまうのも無理からぬところだ。
常識で考えても、引き分けに終わる可能性の方が低いのだから。
ともあれ、真希の言葉が呼び水になって、それからは試合の結末についての話題ばかりが飛び交った。
引き分けがいいだの、神器が見たいだの、という意味のない会話が、延々と繰り広げられる。
他愛もない話といえばそれまでだが、話している彼らは、傍から見ても楽しそうに映っていた。
「決勝戦は何時からなんですか?」
時は流れて昼休み。
広いところに移動してから、秋子が広げたマットの上に昼食を並べながら、誰にともなく尋ねる。
もちろん昼食は、秋子が作ってきた特製のお弁当である。
明らかに人数分以上の量があるように見えるのが、彼女がいかに気合を入れていたかを物語っている。
「あ、午後一時半からです」
それを手伝いながら、瑞佳が答える。
頷く秋子。
「じゃあ、充分に時間がありますね」
「はい、のんびり食べてても大丈夫です」
そう言いつつ瑞佳がちらりと横に目をやると、浩平がものすごい勢いでお弁当を消費している。
思わず呆れたような息をつく瑞佳。
「そんなに急がなくても、お弁当はたくさんあるから大丈夫だよ、浩平」
そう瑞佳は言うのだが、彼の食事のペースは落ちる気配も見せない。
それを見て、ため息をつきながら、彼女は当然のようにお茶を用意し始める。
まるでこの先の事態を予測できているかのように。
「……! むぐっ!」
その予想と寸分違わず、のどを詰まらせたらしい浩平に、無言でお茶を差し出す瑞佳。
いつもどおりの光景とも言えるのだが、そのタイミングは、もはや熟練の域だ。
他の面々も、特に動じることもなく、自分のペースで食事を進めていった。
「そう言えば、祐一、食事にもこないね。どうかしたのかな?」
不満を通り越して、少し不安になってきたのか、名雪がそれを言葉にする。
思わず顔を上げる他の面々。
「そう言えば……」
そこで、全員が、揃って不思議そうな表情に変わる。
今日、校内で、祐一の顔を見た者は、この中にはいなかった。
秋子に嘘を言っていないのならば、彼は間違いなくこの学園の敷地内にいるはずだ。
まさか、迷子になっているわけもないだろうに、いったい彼はどこにいるのだろうか。
「祐一さんも子供じゃないんですから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
不安が広がり始めた瞬間に、秋子が、安心させるように言う。
確かに、小さな子供ならまだしも、立派な高校二年生が、数時間顔を見せないくらいで、そこまで気にするのもおかしな話だった。
もっともな言葉を聞いて、全員が小さく笑って気を取り直す。
「ま、もしどっかで見かけたら、ここの場所教えとくよ」
そう言うと、浩平はすっくと立ち上がる。
「あれ? 浩平、もう行くの?」
瑞佳が、そんな浩平の顔を見上げながら尋ねた。
それに対して、浩平は頷きでもって答える。
「あぁ。早めに行っとかないといけないしな」
「あ、そっか。じゃあ頑張ってね」
「おう」
手を上げて、歩き始める浩平。
その場にいた全員の励ましの声を受けながら、彼はこの場を去っていった。
見送る面々の中で、栞だけは、少し複雑そうな表情をしていたけれど。
彼女とて、浩平に負けてほしいわけではないが、姉に勝ってほしい気持ちの方が強いのだから、それも仕方がないと言えるだろう。
時間はあっという間に過ぎ去り、決勝開始の時がきた。
進行役の人間がそれを告げると、会場は興奮のるつぼと化す。
絶叫にさえ近い歓声。
台地をも巻き込まんばかりに震える空気。
観客席にいる者達の興奮は、今まさに最高潮だ。
そんなどこまで上がってゆく周囲のテンションに反比例し、騒ぎの中心たる二人の人間の表情は、鋭さを増す。
その二人――浩平と香里は、緊張の面持ちで、舞台へと歩を進める。
二人には、既に周囲の声は耳に入っていない。
視界にも、ただ相手しか映していない。
戦いに赴く時の高揚感が体を熱くさせる一方で、思考はどんどん冷たく静かに研ぎ澄まされてゆく。
二人は、そこに微かに心地よさを覚える。
ずっと目指していたところ。
今二人は、そんな場所に立っていた。
開始線に立ち、静かに向き直る。
「手加減はしないぞ」
「したら、その瞬間にあなたの負けよ」
そんな言葉の後、二人とも小さく笑い、そして一礼。
戦いの幕開けを告げるのは、それだけだった。
続く
後書き
長い長い。
いやもう、ホント疲れます。
まだまだまだまだ、終わりには程遠いなぁ(半泣)
できる限り早く、完結が見えるところまで話を持っていきたいのに、ままならないものです。
書きたい話とか一杯あるんですけどね(苦笑)
さておき、北川君の能力も書いておくとしましょう。
彼が活躍するのは……多分もっともっと後のことでしょうね。
北川潤(タイプMP)
能力名 :
鋼の弾丸
効果 : 自身の生命エネルギーを増強した後、それを弾丸へと変え、携帯している銃で発射する能力。
能力の使用は、彼が父から受け継いだ銃以外では不可能という制限がある。
だが、その制限を補って余りある威力と精度を誇る。
タイプPとタイプMの両方の特性と、自身の射撃の資質を生かした、優秀な能力である。
ただし、連射はできず、また二十四時間以内に最大で六発しか撃つことはできない。
今の彼では、一発撃つと、十秒間は次の弾を発射できないのだ。
使いどころを誤ると、今回の話のように、無防備な状態で敵の攻撃を受けることになる。
故に、慎重な能力の使用が求められる。