「予想どおりだな」
「そうですね」
校舎の屋上……今日、その場所にいたのは、祐一と茜の二人だった。
二人共、冷静な目で、決勝トーナメントの進行を観察し続けている。
そして、それは祐一達全員の行動でもあった。
立つ場所こそ違えど、十人全員が、会場のどこかで、同じように観察しているはずだ。
「折原の能力、どう見る?」
そんな中、祐一が茜に目を向ける。
彼らが話題にするのは、これまで謎とされていた浩平の能力。
形になっているかどうかさえ定かではなかったのだが、それも否定された。
である以上、それに対する考察を行うのは、ごく自然なことだ。
「空間に干渉するタイプの能力じゃないかと思います」
茜もまた、祐一に目を向けながら答えた。
身長の違いから、茜が若干祐一を見上げるような体勢になる。
「“空間”の『ドミネーター』……に、なり損ねたってところか」
「えぇ、おそらくは」
自身の眼前に、超高速で接近してきた弾丸を回避する術など、普通の手段ではあり得ない。
加えて、その瞬間に浩平の目の前で弾丸が揺らぎ、それから弾丸が逸れたということを考えると、彼が空間に干渉した可能性は高い。
端的に言ってしまえば、ワープとか瞬間移動というものだろうか。
ある位置に存在する何らかの物質を、それとは違う位置へ瞬間的に移動させる、という類の能力ではないか、と考えられる。
もちろん、実際にそうだという証拠などない。
浩平がそう説明したわけではないのだから。
目の前で起こった事象から考えて、最も可能性の高いものを導き出したというだけだ。
けれど、そういう可能性を考慮しておけば、対策もある程度は用意することが可能となる。
正確な解答ではなかったとしても、それが見当違いという可能性は極めて低いのだから。
「……まぁ、そう考えるのが一番妥当だろな」
「はい。なかなか厄介な能力ですね」
「でも、問題ない。だろ?」
「もちろんです」
そこで、茜は微笑する。
彼女の表情に見えるのは、既に対応策もあるという無言の主張。
それを察して、祐一も安心したように微笑む。
「お、どうやら、決勝戦が始まるらしいぞ」
一際高まった歓声につられて、祐一が舞台に目をやる。
見れば、香里と浩平が舞台に上がっているところだった。
双眼鏡越しに見る分には、若干その表情が硬いように映るが、それも軽度のもので、コンディションに問題はなさそうだ。
「さて、どうなるかな?」
「できれば、香里に勝ってほしいですけど……」
「こればっかりは、終わってみなきゃわからないな」
舞台では、香里と浩平が、何か言葉を交わして、それから一礼をしている。
これまでの戦いぶりを見る限り、二人の実力は伯仲だと言っていいだろう。
期待と不安が、少しばかり胸を過ぎる。
「さて、しっかりと見届けようか」
「はい」
一礼の後、両者が顔を上げたところで、開始の合図が響く。
そして、全ての決着をつける試合が、始まった。
神へと至る道
第18話 全てはこの時のために
まず動いたのは香里。
瞬時に距離を縮め、その勢いを利して剣を振るう。
最初は様子見といった感じの、けれど十分鋭い斬撃を、右から左から浩平に仕掛けてゆく。
あまりの剣速に、残像さえ見えるその動きを、しかし浩平は紙一重で回避し続ける。
それはまるで、香里の剣筋を読み取ろうとしているかのようだった。
「……ハッ!」
とそこで、気合のこもった掛け声とともに、香里が剣の切っ先の軌道を変える。
横から振り抜かれるかと思われたそれが、突然斬り上げの攻撃に変えられた。
浩平は、それでも焦ることなく、バックステップでその攻撃を回避する。
「ヤッ!」
しかし、それが香里の狙い……その斬り上げさえも途中で静止させ、そこからさらに突きへと転換。
一直線に浩平の体へと、吸い込まれてゆく。
現実問題として、剣でこんな無茶な軌道を描こうとすれば、普通の人間の筋肉では、まず耐えられないはず。
けれど、これを実現させている以上、香里が生命エネルギーで全身を相当に強化していることは間違いない。
自身に向かってくる剣を冷静に見据えながら、浩平は、香里がタイプPの能力者であることを確信した。
“入るッ!”
後方に飛び退いてる最中で、浩平は足を宙に浮かせている状態。
回避は不可能だ……そう、普通なら。
浩平の体に剣が迫った瞬間、その切っ先がぶれたかと思うと、彼女の突きは浩平の横を通り抜けていた。
間違いなく浩平の体へと向かっていたはずの剣が、いきなり浩平の横に移動したのだ。
北川の時と同じ現象。
その直後、浩平が着地し、そのまま攻撃を仕掛けるかと思われたが、香里が何の動揺もなく繰り出してきた横薙ぎの一撃を察知し、大人しく手にしている剣で受け止める。
甲高い金属音と同時に、両者の剣が火花を散らせる。
先程の様子見とは明らかに一線を画する威力を持った一撃。
「……やるな、美坂」
「あなたもね」
ギギ……という鈍い音が、合わせられた剣から響く。
剣は、僅かずつだが、浩平の方へと押し込まれている。
単純な力のやり取りでは、香里の方に分があるようだ。
「……チッ!」
力勝負では分が悪いと悟った浩平が、舌打ちとともに、また後方へ飛び退く。
それを狙っていたのだろう……間髪入れずに、香里が追撃に入る。
飛び退いた浩平を超える速度で追いすがる香里の剣。
突きにも、横薙ぎにも、斬り上げにも、斬り下ろしにも変化可能な体勢のまま、浩平との距離を縮めてゆく。
「クソッ!」
悪態をつきつつ、浩平が迎え撃つ体勢をとる。
防御したとしても、彼女との力の差のため、完全に防げるかどうかわからない。
といって、回避したところで、その追撃の手は止まらないだろう。
となれば、ここで挫くしかない。
突き出されてきた香里の剣に対し、浩平が再び能力を発動し、その刀身を別の位置へと移動させる。
今度は剣を振り抜いた位置……浩平の後ろへと移動させる。
この状況なら、追撃には時間がかかる。
それよりも前に、自分の斬撃を叩き込めばいい。
そう考えた浩平が剣を構え、香里に向かって振り下ろす、その刹那前に。
「グッ……!」
香里の左の拳が、浩平の腹部に叩き込まれていた。
鈍い音が響き、浩平の口から呻きが漏れる。
剣の位置をずらされた影響で、若干踏み込みは甘かったものの、浩平自身の判断ミスもあり、それはカウンター気味の一撃となっていた。
浩平が、斬撃を回避するために能力を使うことをも見越した上での、左のボディブロー。
浮かぶ苦悶の表情から、浩平のダメージは小さくないだろうことが容易に分かる。
香里の剣の鋭さにばかり目を奪われ、それすらもフェイントである可能性を考慮に入れられなかった浩平の負けだった。
いや、浩平から思考の余裕を奪うほどの剣の冴えと、先の先を冷静に読んでいた香里を、ここは褒めるべきだろう。
叩き込まれた重すぎる一撃に、たまらず膝を折りそうになる浩平。
しかし、香里はそれを許さない。
ここで追撃の手を緩めるような真似は、彼女は決してしない。
叩き込んだ左の拳を、そのまま上方へと向かわせる。
軌道の変更は刹那。
エネルギーに満ちたそれは、瞬時に加速し、浩平の顎を打ち抜いた。
揺れる頭部。
揺れる意識。
「ハッ!」
余りの衝撃に、僅かに浮き上がる浩平。
そこへ、さらに回転からの回し蹴りが襲う。
遠心力もこめたそれが、浩平の体に吸い込まれる。
なす術もなくその攻撃をまともに浴び、舞台の端の方まで飛ばされる浩平。
が、何とか意識を保ち、場外負けだけは防いだ。
片膝立ちで、剣を支えに、どうにか体勢を保つ。
文字どおり、首の皮一枚で生き延びたような状態だった。
「はぁっ……はぁっ……」
さすがに、強化した肉体による三連撃のダメージは大きいらしい。
浩平の吐く息の荒さが、香里の攻撃の威力の高さを、何より雄弁に物語る。
タイプPの能力者でなくとも、肉体の強化はもちろん可能だが、やはりその精度や強化の度合いの高さの点で、大きな差が生じてしまう。
よほど実力の違う相手でない限り、接近戦ではタイプPが最強なのだ。
事実、浩平も自身の肉体を強化していたのだが、ほとんど実力の違いのない香里の攻撃の前に、まるで太刀打ちできないでいた。
能力の相性という点で、どちらが有利不利というのではなく、立った土俵が悪かった。
香里は、始めから接近戦へと持ち込もうとしていた。
何しろ、遠距離において、香里には攻撃の手段はないのだから。
元より、彼女にはそれ以外の選択肢は存在しない。
けれど、浩平にはどんな手段があるかわからない。
実際、遠距離での戦闘に強い北川相手にも、彼は遠距離で対峙し続けていた。
もしその時、香里が北川と戦っていたならば、やはり開始直後に接近戦へと持ち込んでいただろう。
接近戦でしか勝機を見出せないのだから。
そしてまた、香里が迷いなくその選択肢をとれたのは、浩平の能力をその目で確認していたことが大きい。
“攻撃が物理的でない手段によって回避される”という可能性を、頭にインプットできていたのだ。
だからこそ、それを警戒しておけば、充分接近戦は可能と判断できた。
それに対して、浩平は、香里の能力について、事前に情報が得られていなかった。
戦闘中にようやく、彼女がタイプPだろうと推察できたに過ぎない。
故に、未知の能力への警戒のために、どうしても後手に回らざるを得なかったのだ。
北川と違い、浩平は、接近戦が苦手というわけではない。
むしろ、異質な回避手段を持つため、意表をついた攻撃が可能なことから、得意分野だとさえ言える。
けれど、それは能力が知られていない場合だ。
今回の香里のように、あらかじめ可能性の一つとして相手に認識されていた場合、そう簡単にはいかない。
現時点における浩平の能力は、祐一達や、香里が想像したとおりのものだった。
現状では、回避以上のことはできないため、連続攻撃や連携攻撃など、質ではなく量で勝負されてしまうと、対応しきれないのだ。
事実、香里は回避されることを念頭に入れ、一撃に重きをおくことはなく、常に回避された後のことを考えて攻撃していた。
タイプPである自分が、おそらくタイプSであろう浩平と接近戦を演じた場合、速さに重きをおいても、元々の力の違いで押し切れる、と判断したわけだ。
そして、それが正しかった。
北川との戦いで能力を使わざるを得なかった時点で、香里の優勢は決まっていたのかもしれない。
もし準決勝の相手が逆であったなら、今、膝をついているのが香里だったとしても、何も不思議はなかった。
その意味では、浩平に運がなかったのだということもできるだろう。
それも実力のうちだ、と言われればそれまでだが。
「……悪いけど、これで終わらせてもらうわね」
キン……という高い音を響かせて、香里が剣を鞘に収める。
それは、見る者に違和感を抱かせる行動。
「……?」
膝立ちの状態で、少しでも体力を回復させようとしている浩平は、疑問を顔に出すだけで、何も喋らない。
だが、疑わしいと思おうとも、今は自分から動くわけにはいかない。
“これは使いたくなかったんだが……しょうがないか”
自身の奥の手……それを使う覚悟を決めていたから。
成功する可能性は、決して高いわけではない。
けれど、それを試すだけの価値がある試合であり、相手だった。
そのために、この状態のまま、香里の追撃を待つ。
彼女が剣で止めを刺しに来たところを、カウンターの形で決める心積もりだったのだ。
けれど……
“何で、剣を収めるんだ?”
浩平の脳裏から、その疑問が離れてくれない。
香里は、剣を使った攻撃に定評があった。
授業においても、演習においても、模擬戦においても、彼女は常に剣を使って戦い続けていた。
その剣の腕前は、達人の目にも留まるほど優秀だったのだ。
それ故に、不可解だった。
剣を使った戦闘しか見たことはなく、また、その剣の強さも学内最強レベルのもの。
逆に言えば、彼女の強さは、その剣にこそあるはずだ。
それなのに、今、彼女は剣を収めている……それがどうにも納得できない。
勝負を決めるつもりなら、剣での攻撃が、最も確実な手段のはずなのに。
「折原君……あなた、この試合のために、いつ頃から備えていたのかしら?」
そんな浩平の疑問を知ってか知らずか、自然体の姿勢をとりながら、香里がそう問いかける。
静かに、静かに……香里は、生命エネルギーを練っていた。
平時であれば、浩平も、その香里のエネルギーの変質を知覚できたことだろう。
だが、深刻なダメージを負い、香里の行動に不自然さを感じ、そして、意図の読めない質問をされ、さしもの彼も、そこまで気が回らなかった。
「……三週間前」
質問の意図はよくわからなかったが、とりあえずそう答える浩平。
時間稼ぎが、自身にとってマイナスにはならない、と判断したからだ。
「そう。じゃあ、あたしはいつからだと思う?」
できる限り隠そうとしているのだろう……力強さを増す香里のエネルギーは、けれど、周囲の人間に気付かれることはなかった。
祐一達、ごく一部の人間を除いて。
まるで大河を思わせるエネルギーの流れが、彼女の中にある。
「……?」
今度の問いかけには、彼も沈黙せざるを得ない。
答えようがないからだ。
が、それが浩平に、香里のエネルギーの高まりを知覚できる冷静さを与えることになった。
もっとも、気付いた時には手遅れだったのだが。
「くっ……!」
やばい……そう考え、咄嗟に動こうとするが、片膝立ちだったのがここで災いし、ダメージもあって、彼は上手く動けない。
身動きの取れない状態のまま、目だけは香里の動きを追い続ける。
彼女は、高めたそのエネルギーを、全て右腕に集めていた。
天高く振りかざされる香里の右腕……それが輝きを帯び始めていることを浩平が知覚した瞬間に。
「あたしは……五年前からよっ!」
それは開放された。
高らかに響く、香里の声とともに。
「
全てを破壊する拳!」
宣告のごときその叫びと同時に、香里の右拳が白い輝きを纏った。
極限まで高められたエネルギーは、全て拳に集中している。
恐ろしいほどの力の高まりだった。
それはまさに爆発。
だが、その高まりを認識する暇もなく、彼女の足元にそれは叩きつけられた。
次の瞬間、ダイナマイトが炸裂したかのような凄まじい衝撃とともに、舞台が粉々に粉砕される。
耳をつんざく大音響。
全方位にはじけ飛ぶ舞台の破片。
空気を、大地を揺るがす振動。
破壊はそれだけにとどまらず、舞台の下のグラウンドがすり鉢状にえぐられる。
土砂さえも周囲に飛び散り、砂煙を舞い上がらせた。
観客席の最前列にいた人間は、思わず手近なもので身を守る。
悲鳴があちこちで上がるも、それを気にする者はいない。
もうもうと立ち込める砂煙が治まった時、舞台は、香里の足元のごく僅かな部分しか残ってはいなかった。
その破壊力に、観客は思わず息を呑む。
それこそダイナマイトを数本用意した程度では、ここまで完全に粉砕することなど不可能である。
そんな凶悪なほどの一撃は、今舞台に立つ少女の細腕から繰り出された……そんな理不尽に、観客はただ呆気にとられるのみ。
もはや小型の爆弾に匹敵する破壊力だ。
まさに必殺技。
直撃を受けたわけではない浩平が、はるか遠くまで吹っ飛ばされていることからも、それが窺える。
懸命に防御したのだろう……ダメージこそあるが、命に別状はないらしく、驚きを顔に貼り付けたまま、微かに残った舞台に立つ香里を凝視していた。
「五年前……」
浩平の呟き。
五年前と言えば、学園に自分達が入った年。
その頃から、この時を見据えていたのなら……
「剣でしか戦ってなかったのは、そういうことか……ははっ、負けだな、こりゃ」
爽やかに、あっさりと。
負けを認め、けれどそれを自嘲するのではなく。
楽しそうに笑い、浩平は香里にお手上げのポーズをとった。
確かに、これはどうしようもない。
舞台を完全に破壊されたのでは、空でも飛べない限り、絶対に場外負けになるのだから。
そして、もちろん浩平は空を飛べるわけもなく、現に吹っ飛ばされてしまっている。
笑わずにはいられない……その、豪快な戦い方に。
浩平が笑うのを見て、香里もまた表情を崩し、片手を上げてそれに答えた。
そして同時に、浩平は、認めずにはいられなかった。
剣術、それも極めて高い技術を身につけることで、拳で戦うという印象を露ほども与えない……五年間、香里はそれを守り続けていたのだ。
剣術にしても、速さに重きをおき、力技はないと思わせるために、徹底的に自身を律していたことがわかる。
学園に入った段階で、そこまで考えられていたのでは、浩平も、素直に賞賛せざるを得ない。
その意志と覚悟に、感嘆せずにはいられない。
遅れて沸き起こった観客の声援に、笑顔で答える香里を見ながら、浩平は、どこかすがすがしい気分に浸っていた。
「ふぅ……」
「よかったです。香里が勝ちましたね」
ホッと一息ついた表情の祐一と茜。
両者の表情に浮かぶのは、紛れもない安堵。
「終わってみれば、香里の圧勝だったけど……」
「額面どおりには受け取れませんね」
この試合、確かに終始香里が主導権を握っていた。
しかし、もう一度やった場合にはどうだろうか?
今度は、浩平も、香里の能力に対して、対策を練ってくるだろう。
あくまでも今回は、香里が優勢となり得る事情が多かったことが、この圧勝に結びついただけ。
実際には、実力は伯仲なのだ。
もっとも、言われなくても、香里自身が、そのことを誰より強く認識しているだろうが。
そして浩平にしても、それは同じのはず。
「ま、それはいいさ。とにかく、計画どおりに事は運んだわけだし」
「はい」
一安心したのか、若干軽い調子の祐一の声。
茜もまた、同じような調子でそれに答える。
「じゃ、俺は香里のとこに行ってくるよ」
「約束ですしね」
「そういうこと」
「それじゃあ、私は、例の場所に先に行っておきます」
「わかった。俺もすぐに行く」
「はい」
そして、一緒に下まで降り、玄関で別れる。
選手控え室に向かう祐一と、それを見送る茜。
両者とも、何とも言えない表情をしていた。
微かに緊張が入り混じったような、何かを覚悟しているかのような、そんなことを感じさせる表情。
少なくとも、喜びの色は、既に影を潜めていた。
会場が大いに盛り上がっているため、そんな二人に視線を送る者などいなかったが。
「香里、お疲れ」
祐一が、拍手で香里を迎える。
ここは選手控え室……本当なら、出場選手しか入れない場所だが、そんなことに頓着しないのが祐一。
何の抵抗も感じていない様子の祐一に、香里も軽く苦笑するのみ。
「ありがとう、相沢君」
香里が、その表情のまま言う。
立ち入り禁止の場所云々を咎めるつもりはないらしい。
そしてすぐに、彼女は表情を引き締める。
真剣な眼差しが、射抜くように祐一に向けられた。
「さ、約束どおり優勝したわよ」
そして、不敵な笑みを浮かべた。
「あぁ。大したもんだよ、本当に」
祐一は、その香里の表情を見て、苦笑せずにはいられない。
この執念こそが、彼女を優勝へと導いたのだ、と思うと、どこか胸のすく思いがした。
「言ったでしょ? 誰が相手でも負けはしないって」
「そうだな、確かに見届けたよ、お前の覚悟を」
そこで、祐一の表情から軽いものが消える。
香里に負けず劣らず真剣な眼差し。
それを受けて、香里も強く祐一を見つめる。
「これが約束のものだよ」
そう言いながら、祐一は懐から一本の瓶を取り出す。
容積は、普通の缶ジュースと同程度だろう。
透明なその瓶に、透明な液体が満たされていた。
「……これを栞に飲ませればいいの?」
香里が胡散臭そうな目を向ける。
まぁ、無理もないだろう。
彼女は、栞を治療する能力者を紹介してもらえる、と思っていたのだから。
「あぁ、大丈夫。これを飲ませれば、栞は完治するよ」
祐一は、そんな香里の視線にも全く動じない。
淡々と、手の中の瓶を揺らしつつ、これで栞は治るのだ、と言うのみ。
「何ていうか、その、簡単すぎるんじゃないかしら?」
若干戸惑っているかのような香里の声。
栞の病は、簡単な病気ではなく、紛れもない死病なのだ。
それも医者も匙を投げるような。
それが、瓶に詰まった液体を飲むだけで治るというのは、いくら信頼する人間の発言でも、俄かには信じがたい。
「心配すんなって。ま、確かに、飲んでも表向きには何の変化も起こらないから、不安になるかもしれないけど」
「え? 変化もないの?」
驚きに目を丸くする香里。
声にもまた、驚きの色が強く出ている。
香里としては、こう、眩い光が溢れて云々とか、何か視覚的にも納得させられる変化があるだろうと思っていた。
それが、変化もないときた。
じゃあ、どうやって治ったとわかるのだろう?
そんな疑問が、ぐるぐると彼女の脳裏を駆け巡る。
「大丈夫だ。まぁ心配なら、念のため医者に連れてって診てもらえばいいさ」
祐一は、事も無げに言う。
その落ち着いた口調を耳にして、香里の表情にも落ち着きが戻る。
「……そうね、あなたの言葉を疑うのは良くないわね」
疑問が消えたわけではなくとも、どのみち試してみないことにはわからないのだ。
ここで言い合っていても、何も解決しない。
まずは、栞にこれを飲ませてからだろう。
「……悪いな」
そこで、祐一が、真摯な表情で謝罪の言葉を告げる。
香里に向かって頭を下げているため、その表情を香里が確認したわけではないが、声からそれはわかる。
「ちょ……相沢君、謝らないでよ」
慌てる香里。
手を振りながら、祐一に頭を上げてくれるように言う。
不満がないわけではないけれど、祐一にそれをぶつける気はないのだ。
元々香里は、この武闘会に参戦するつもりだったし、優勝を狙ってもいた。
祐一の提案によって変わったのは、目的だけ。
それも、間接的なものから直接的なものに変わっただけ。
むしろ祐一の提案のおかげで、優勝するための張り合いが出た、とも言える。
祐一のおかげで優勝できた、とまでは言わないまでも、優勝する確率を上げてくれたことは否定できない。
ならば、もし仮に祐一が嘘をついていたとしても、それは恨むことではない。
妙な期待を持たせておいてそれを裏切った、ということはあっても、直接的に被害などなかったのだから。
ましてや、祐一には既に一度、栞の命と心を救ってもらっているのだ。
香里には、彼に感謝こそすれ、恨むことなどできようはずもない。
「いや、これは、俺なりのけじめだよ」
頭を上げた祐一は、小さな笑みを浮かべていた。
申し訳なさと、微かに自嘲の色が垣間見えるその笑みを見て、香里は何も言えなくなる。
「……」
控え室に静寂が下りる。
その静寂を破ったのは、ふぅ、と軽くため息をついた祐一だった。
「ま、とにかく、栞に飲ませてやってくれよ、それ」
さっきのような笑みではなく、優しげな笑顔で祐一が言う。
香里もまた、それを聞いて表情を緩める。
「……そうね。相沢君、本当にありがとう」
「礼はいらないって」
「感謝してる時は、ありがとう、よ」
栞のセリフを意図的に真似たのだろう……軽くウインクしながら言う香里に、祐一が楽しそうに笑う。
「ははは、そっか、そうだな」
「えぇ、そうよ」
香里もまた、それにつられる様に笑った。
それから少しだけ笑い合って、祐一が香里に話しかける。
「栞、水瀬寮の面々と一緒に会場にいたぜ。渡してこいよ」
「あら、そうなの? 表彰もあるし、あんまりのんびりできないか……じゃ、行ってくるわね」
そう言って、香里は出口へと向かう。
祐一の横を通り抜け、出口の一歩手前まですぐに到達する。
「香里!」
その時、香里を祐一が呼び止める。
真剣な声音。
「何? 相沢君」
香里は、静かに振り返る。
交わる視線と視線。
「栞を直接治したのがお前じゃなくても、それでも、治したのは間違いなくお前だ。それは忘れないでくれ」
「なぁに? いきなり……」
「栞の想いと、お前の覚悟があったからこそ、ひねくれ者が動いたんだ。胸張っていいんだぞ」
「……」
「よくやったな……香里」
人の心を掴む……そんな微笑みを浮かべる祐一。
温かく、優しく、人を包み込むような、そんな笑顔。
「……えぇ、ありがとう」
だから香里も、最高の笑顔でそれに答えた。
言葉よりも強く、感謝の気持ちを伝えるために。
そして、程なくして表彰式が始まった。
破壊された舞台は完全に撤去され、そこに表彰台が設置されていた。
若干慌しくはあったものの、予定していた時間をそれほどオーバーすることなく表彰式を迎えられたのは、偏にこの学園の生徒会の人達の努力によるものだろう。
ともあれ、その表彰台の上で、優勝者の香里、準優勝者の浩平、三位決定戦勝者の北川が、少しだけ緊張の面持ちで立っていた。
戦前の評価に恥じない、レベルの高い試合を繰り広げた者達への賞賛の声が、会場中からは絶えることなく響いていた。
三人は、やや硬い表情ではあったが、その声援に手を振って応えていた。
“栞……大丈夫なのかしらね?”
そんな中でも、香里は、自身の勝利よりも、栞のことを考えていた。
正確には、先程の栞の様子を、だが。
祐一が言ったように、液体を飲み干した栞に、見た目からは、変化の様子など欠片ほども窺えなかった。
一気飲みが辛かったのか、ゲホゴホとむせた様子を見せたのを変化と言うのなら、話は別だが。
味や体の調子を聞いてみても同様だった。
味はなく、水を飲んでいるとしか思えない、と栞は言っていたし、体も変化なんて感じられなかったらしい。
少なくとも、薬を飲んだ気なんて全くしなかったということだ。
とりあえず、別の所で観戦していた両親に頼み、栞をかかりつけの医者の所へ連れて行ってもらった。
病院は、車で十分くらいのところにあるのだから、スムーズに検査が済めば、結果はすぐに知らされるだろう。
“相沢君を疑うわけじゃないけど……やっぱり、変な気もするのよね”
祐一の態度にも、振る舞いにも、話にも、嘘や偽りの気配は感じられなかった。
彼が、自分を騙しているとは、香里にはどうしても思えない。
けれどそれでも、あの液体が本当に薬なのか……どうにも確信は持てなかった。
無色透明、無味無臭。
おまけに、生命エネルギーの欠片も感知できない。
どう考えても奇妙なのだ。
『どんなケガや病気でも治せる能力者』
祐一は、確かにそう言った。
そんな能力者を、自分達に紹介してくれる、と。
能力者である以上、手段はどうあれ、栞を治癒させようとすれば、何らかの生命エネルギーの作用がそこになくてはならないはず。
けれど、渡された液体をどう調べてみても、それは感知できなかった。
あるいは、香里では知覚できないレベルで巧妙に隠されている可能性も、ゼロではないだろうけれど……
“ま、結果はすぐわかるし……”
と、そこで、表彰式の始まりを告げる司会の声が耳に届き、彼女の思考は中断された。
考えるのはいつでもできる……そう思い、香里も思考を再開させることなく、しっかりと前を向いた。
目の前に、校長と、神器が封印されている豪奢なケースが見えた。
それを目にし、香里達は、さらに緊張の度合いを強める。
幻想の武具と言われ、一般の人間では、触れることなどまず不可能な存在が、目の前にある……それだけで、平静を失いそうになってしまう。
神器を収めていると思うと、そのケースさえも、不思議な輝きを持っているように感じられる。
その時ばかりは、栞のことも祐一のことも、香里の頭からは飛んでしまった。
次の瞬間、パシィッという音とともに、神器を収めるケースの封印は解かれた。
少しずつ、露になってゆくその中に眠る神器。
三年ぶりに、神器が外の空気に触れる瞬間……先程までの熱狂が嘘のように、観客席も静まりかえる。
誰もが息を呑み、瞬きすることさえできぬほどの緊張と静寂が、会場を包む。
荘厳な気配が、場を支配する。
特に、目の前でケースが開けられ、神器が現れる瞬間を目の当たりにする三人は、呼吸することさえ忘れてしまう。
三人とも、まるで何かが卵から孵化する瞬間を見るかのような、不思議な高揚感に身を浸していた。
そして、完全にケースから神器が開放された。
会場の人間全ての目が、そこに注がれる。
誰もが、その姿に言葉を失った。
それはまさに神の造形。
それは美しく、それは気高く、そこにあるだけで空気が浄化されるかのような、そんな不思議な雰囲気を備えている。
その刀身には一点の曇りもなく、見る角度によって色が変わるという不思議な輝きを放っている。
人間には生み出すことのできない、まさに究極の美の体現とさえ思えた。
それを前にして芸術を語ることなど、誰にもできないだろう。
ただ一言、『これが美だ』、と言いさえすれば、事は解決するのだから。
それでいて、触れれば全てを滅するかのような、冷たい空気も備えている。
武器としての側面……それも確かに感じられるのだ。
これを手にして戦えば、千の敵も一に等しいと思えるほどに、それは力強い何かを身に纏っていた。
至高にして究極。
全ての頂点に君臨する、そんな存在。
これはもはや武器でも芸術作品でもない。
正しく、神器……神の持ち物に相応しい。
「優勝者、美坂香里。前へ」
そして、そんな空気に負けない荘厳さを纏った言葉が、校長の口から発せられる。
そして、香里もまた、その言葉に気圧されない確かな足取りで、前へと進む。
神を眼前にした儀式……それが執り行われている、と錯覚するかのような光景だった。
誰の邪魔も入らない、神聖なる儀式が、ゆっくりと進められていた。
少なくとも、この瞬間までは。
香里が、神器の据えられた台座へと歩み寄る、その刹那前までは。
その瞬間は、誰にも知覚できなかった。
幻想の世界に、突然現実世界が侵食したかのような、突然の出来事。
空気を切り裂く音が皆の耳に浸透した時、既にそこに神器はなかった。
また、神器がない、と皆が知覚したのと同時に、静寂を打ち破る声が、会場に静かに響いた。
「悪いな、神器はもらうぜ」
それは、会場の最後方……神器を少しでも近くで見ようと、皆が前列へと集中していたため、無人となっていた空間から届いた。
決して大きな声ではなかったが、静寂の中、それはひどく大きく響いた。
発せられた言葉によって、反射的に全員の視線がそこに集中する。
立ってのは二人の男女。
「……ゆう、いち?」
「茜……?」
信じられない、といった感情が、そのまま言葉になったかのような名雪と浩平の発言。
それが、会場に浸透していく。
二人以外に、誰も言葉を発する者はいない……誰も、何も喋れない。
事態に頭がついていっていないのだろう。
だが、その二人……祐一と茜は、そんな空気に注意を払うでもなく、無表情に会場を見下ろしていた。
祐一は、神器を右手に下げ、茜は、透き通るような蒼い色をした、鞭のような何かを右手に下げていた。
どうやら、その鞭状のもので、神器を掠め取ったらしい。
時間が止まったかのような、そんな痛いほどの静寂を破ったのは、またしても、外部からの干渉だった。
学校の屋上……そこから、爆発するかのようなエネルギーの増大があり、全員がまたしても反射的にそちらに目を向ける。
逆行の中、大柄の男性のシルエットが、そこに浮かび上がっている。
高まったエネルギーを身に纏ったその存在が、高らかに宣言した。
「待ってたぜぇっ! この時をなぁっ!」
日常が、平穏が、崩れ去ったのだ、ということを。
続く
後書き
まだ18話……遠いなぁ(涙)
まぁ色々と手を加えているだけに、一つ改訂を終えるたびにがっくりときてしまうのが、なかなかにしんどい。
それでもやるしかないんですけどね。
やる気と根気がどれだけもつかの勝負ですな(笑)
それでは最後に、香里の能力について書いておきます。
またしても、これからしばらく間が空くかと思いますが、どうかご勘弁ください。
ではでは。
美坂香里(タイプP)
能力名 :
全てを破壊する拳
効果 : 生命エネルギーを極大まで高め、それを全て右拳に集中し、驚異的な破壊力を実現する能力。
その破壊力は、まさに爆発と表現するしかないほどのもの。
実際、それは小型爆弾を炸裂させたかのような破壊をもたらす。
タイプPでない限り、どれ程強力な能力者だろうと、まともに喰らえばダメージは避けられない。
その威力は、香里の生命エネルギーの絶対量が高くなればなるほど高くなっていく。
成長の可能性はまだまだあるということでもある。
ただし、文字どおり一発勝負の要素を持ち、一日に一撃しか撃てないという制限がある。
また、能力発動のためには、十秒程度の溜めの時間が必要となる。
加えて、撃った直後から十秒間は、行動不能となってしまう。
そういう側面もあるため、この技を使用するタイミングを見極めるのは難しい。
ご利用は計画的に。