次の日の午前七時。
小鳥のさえずりが、しかしよく響く、そんな静かな朝。
まだ冬も終わりを告げてはいないため、この時間では、まだ外は少し薄暗い。
朝もやの中、山奥にひっそりと佇む祐一達の家は、不思議なほどに風景に溶け込んでいた。
やはりそれは、周囲との兼ね合いを考えて設計されたから、という部分が大きいのだろう。
そんな彼らの家は、そうして山の中に建てられているため、当然冬となれば、周囲の気温は相応に下がる。
けれど、屋内の冷暖房設備は完全であるため、誰一人として寒さに身を震わせるようなことはない。
今も、メンバーのほとんどは、暖かな部屋の中で、朝のまどろみに身を浸しているか、既に目を覚まして身支度を整えているかのどちらかだった。
ただ一人、笑顔で廊下を歩いている人間を除いて。
ゆっくりとドアを開く音が、廊下に静かに響く。
廊下を歩いていた人物が開いたドアは、祐一の部屋のもの。
当の部屋の主はというと、ベッドの上で、ぐっすりと眠り続けていた。
先日は色々と忙しかったこともあってか、その眠りはかなり深いようだ。
そんな姿を見て、部屋に入ってきた人物は、にやりと口の端を持ち上げる。
楽しそうな、そしてどこか悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、そっとベッドに歩み寄っていく。
ベッドの側まで来ても、祐一が目覚める様子はない。
すぅ……と。
大きく息を吸い込む。
そして。
「祐一っ! あっさだよー!」
そんな大声と共に、ベッドへと飛び込んだ。
当然のことながら、眠りに沈んでいた祐一は、無防備にそれを受けることになる。
「ぐぁっ……!」
寝起きにフライングボディプレスは相当にきつい。
呻き声を上げ、苦悶の表情を見せる祐一を見れば、それは明らかだ。
のろのろと頭だけ動かして、自身の体に乗っかった人物に目を向ける祐一。
「ぐ……詩子、か……」
「おっはよー、祐一」
祐一の真上に乗っかった状態のまま、くるりと回転し、祐一の顔の前まで自分の笑顔を持ってくる詩子。
顔と顔の距離は、数センチ。
だが、詩子はともかく、祐一にそんなことを気にする余裕はない。
苦悶の色を残したまま、どこか苦しげな表情で、ゆっくりと口を開く。
「……起こしてくれたのは、まぁ、感謝する」
「えっへへー、まぁね」
「だけどな、もう少し手段を考えてくれ」
「えー? 面白いのにー」
心底楽しそうに笑う詩子。
間近に見える澄んだ瞳が、楽しそうに揺れているのを見て取った祐一は、やれやれ、と言わんばかりの深いため息を零す。
「とりあえず、起こすなら起こすで、せめてダメージのない起こし方にしてくれ、頼むから……」
だが、それでも、朝っぱらからダメージを蓄積するような事態は避けたい。
その意思から、祐一はそれだけを詩子に訴える。
それに対して、詩子は少し考える仕草を見せてから。
「そだね、また考えとくよ、面白い起こし方」
そう言って返した。
詩子の方が、やはり一枚上手であるらしい。
とかく、リーダーであるはずなのに、祐一の立場は、十人の中で決して高くはなかった。
むしろ普段から振り回されるケースが多い。
それでも、祐一にしても誰にしても、その生活を楽しんでいることは間違いないだろう。
何だかんだ言っても、結局笑顔に変わる祐一を見れば、それも明らかだ。
神へと至る道
第24話 聖者の導きか、悪魔の誘いか
「で、頼んでもないのに、何でこんな早朝に起こしたんだ?」
ゆっくりと着替えてから部屋を出て、外で待たせていた詩子と一緒に、廊下を歩いている時、ふと祐一が聞いた。
今日、自分達に用事があるのは確かだが、それは夕刻の予定。
少なくとも、彼には、早朝に叩き起こされる理由など、まるで心当たりがない。
「言ったでしょ? 甘いモノ食べに行こーって話。早起きしないと、ゆっくり食べる時間がなくなっちゃうからね」
にこにこと、まるで向日葵のような、そんな明るい笑顔を見せる詩子。
だが、そんな詩子とは見事に対照的に、祐一の表情が驚愕と恐怖に引きつる。
「げ……それって、やっぱりマジなのか?」
「マジなの」
一縷の望みを託すがごとき、祐一の窺うような視線にも、詩子は笑顔のまま頷くのみ。
それを確認して、祐一は、がっくりと肩を落とす。
「うぁー……何かもう口の中が甘くなったような気がする……」
「大丈夫だって。今日は前みたいな無茶はしないよ」
朝っぱらから負の空気を醸し出す祐一に、詩子がそっとフォローを入れる。
その言葉を聞いて、ちらっと詩子に目を向ける祐一。
「……ホントか?」
「うん。今日は、山葉堂だけだよ」
その言葉で、少しだけ持ち直す祐一。
過去に、相当強烈な出来事があったのだろう。
「そうか。それなら、まぁ、大丈夫かな」
「……ほとんどトラウマだね」
「うーん、そうだなー……確かに、前回のアレは効いたし」
「茜とかみさきさんは、すっごく満足してたけどね」
「あの二人は例外だろ?」
「まーねー」
と、他愛のない会話を繰り返しながら、二人が辿り着いたのは茜の部屋の前。
「さ、じゃあ、茜を起こそっか」
「つーかさ、俺より先に起こしとけばよかったんじゃないのか?」
「んーん、ギリギリまで寝たいって言ってたから」
「あぁ、納得」
茜は、寝起きが相当に悪い。
冬場は誰しも、大なり小なりそういう傾向があるが、茜のそれは季節を問わない。
低血圧がどうとかという意見もあるが、そういう言葉を振りかざしても、納得できないくらいにひどいのだ。
まぁ、そもそも低血圧と寝起きの悪さに関係はないらしいのだが。
それはさておき、茜の場合、例えば寝る時刻を早くしてもあまり意味がない。
単純に、朝に弱いのだ。
しかも、起きてからがまた長い。
しばらくの間、ベッドの上で、何をするでもなく、ただぼーっとし続ける。
それこそ、誰かが止めなければ、ずっとそうしているかもしれない。
そんなわけで、朝、誰か(大抵詩子だが)が茜を呼びにいくのは、決定事項なのだ。
そうしなければ、朝食をとることができず、そうすると、食に全てを賭ける少女が騒ぐことになる。
「おい、ノックくらい……」
「だいじょぶだって。この時間に起きてるわけないんだから。さ、行くよー」
止める祐一の言葉を軽く流し、詩子が部屋の中へ、ずんずんと入っていった。
ため息を一つついてから、祐一も詩子に続く。
「……
スー……」
予想通りというか何というか、やはり茜は眠っていた。
幸せそうな寝顔からして、何か楽しい夢でも見ているのかもしれない。
ピンクのパジャマと、お揃いのナイトキャップという出で立ちは、なぜか完全武装という言葉を思い起こさせる。
「あー、幸せそう。うぅっ、何か起こしたら文句言われそうな気がする」
「いや、それはないだろ」
「だってさー」
「山葉堂の言葉を出せば、一発で機嫌治るだろ?」
茜の様子を見て、若干の躊躇いを見せている詩子に、祐一が口にした言葉。
その“山葉堂”という単語が場に響いた瞬間に、茜の肩が、ぴくりと動いた。
「……ワッフル」
「うぉ?!」
「わ……」
突然の呟きに反応する祐一と詩子。
その呟きの張本人たる茜は、そのままゆっくりと身を起こす。
やがて、どこか遠くを見ているような目で、彼女は上半身を完全にベッドから起こした状態になる。
祐一と詩子は、ベッド際で、そんな緩慢な動作を、言葉もなく眺めていた。
まさか、朝が弱い茜を起こすのが、こんなに簡単にいくとは、二人ともまるで考えていなかったのだ。
それ故に、しばらく固まってしまったというわけである。
「ケーキ……」
「よ、よう」
「起きた?」
静止していた状態も束の間。
ゆっくりと、顔を祐一達の方に向ける茜。
そんな茜に、恐る恐る、といった感じで声をかける祐一と詩子。
「あまいモノ……」
「?」
「……茜?」
呟き続ける茜を見て、怪訝そうな目に変わる祐一と詩子。
よく見れば、茜の瞳は二人を見ているものの、その瞼は、かろうじて開いているだけ。
本当に、眠そうだ。
というより……
「……ねむいです」
「おーい」
「茜ぇ……」
彼女の頭はまだ眠っているようだ。
どうやら、祐一が口にした“山葉堂”という言葉に、反応してしまっていただけらしい。
苦笑しながら、ベッドに身を乗り出して、茜の目の前で手を振る祐一と、呆れたように笑っている詩子。
「んー……」
手を振る祐一に反応を示すでもなく、茜は睡魔に負けてしまったらしい。
ゆっくりと体が傾き、祐一の方へ倒れこむ。
瞼は重力に従って、上下が仲良くひっついている。
そして、祐一の胸に頭を預けたまま、また規則正しい寝息を発し始める茜。
「何つーか……」
「茜らしい、ね……」
顔を見合わせて、軽いため息の後、二人は同時に苦笑する。
祐一は、結構無理のある体勢なのだが、特に気にした様子もない。
それから詩子が、茜を挟んで祐一の反対側へ回り、ベッドに身を乗り出し、茜の寝顔を覗き込む。
「よく寝るなー……」
「ホント。昨日も早かったのにね、寝るの」
祐一が、茜の髪を軽く持ち上げ、指の間から、流すように梳いた。
茜は、いつもは髪を三つ編みにしているが、寝る時はストレートに下ろしている。
そのため、今は、普段の彼女とは違う雰囲気を湛えていた。
綺麗にトリートメントされた髪が、朝日を受けて輝いている。
指の間から流れるその様は、祐一にはまるで輝く黄金の滝のように見えた。
「茜ー……いい加減起きろよー」
「ほら、茜」
それでもやはり、時間の問題があるのだ。
あまりのんびり眠らせてあげるわけにはいかない、とばかりに、茜を起こそうとする祐一と詩子。
詩子が茜の体を揺らしていると、しばらくして、ようやく茜が再び目を開ける。
「……ゆういち……しいこ?」
まだ頭が働いていないようだ。
それでも先程と違い、ぐぐぐ……と、瞼を懸命に持ち上げている。
今度は起きようという意志が窺えた。
「おう、祐一だぞ」
「詩子さんだよー」
そんな茜の様子を見て、祐一と詩子が苦笑を浮かべる。
それから言葉を返す二人。
「……おはようございます」
二人の言葉を聞いて、ようやく目が覚めたのか、茜は静かに体を起こす。
そして、微かな笑みを浮かべながら、茜が朝の挨拶を言葉にする。
「あぁ、おはよう、茜」
「おはよっ、茜」
それを見て、祐一も詩子も、笑顔で挨拶を返した。
「そうでした、今日は山葉堂で食べ放題でしたね……楽しみです」
部屋の外で着替えを待った後、部屋から出てきた茜と連れ立って、食堂へと歩く祐一達。
着替えて、髪を整えて、となると、かなり時間がかかる。
もしかしなくても、多分他のメンバーは、全員食堂に集合していることだろう。
そんな事情も相まって、三人は少し急ぎ足になっている。
それでもなお、茜が思いを馳せるのは、今日の予定。
甘いものをこよなく愛する彼女なれば、それも仕方がないだろう。
「うんうん、楽しみだねー」
「茜、手加減してくれよ」
並んで歩く二人も、茜の言葉にそれぞれ反応を示す。
祐一は、甘いモノを思い出しているのか、顔が引きつっているように見える。
茜と詩子は、本当に楽しそうな笑顔だったのだが。
「……嫌です」
「やっぱりか……」
「あははっ、甘いモノで茜が譲るわけないじゃない」
「そうです。甘いモノを遠慮するなんてとんでもないことですよ」
「俺は苦手なんだって、だから」
「だから、弱点克服のお手伝いをしてあげてるんじゃない」
「そうですよ、大体……」
甘いモノに関する講釈を始める茜。
雰囲気に負けて、祐一も、それを大人しく聴いている。
食堂まで歩いている間中、そんな光景が続いた。
広いとはいえ、食堂までの道のりがそう長いわけもない。
ほどなくして三人が食堂に着いた時には、やはりと言うか、もう他のメンバーは全員揃っていた。
「遅いわよ、三人とも。まぁ、茜か祐一のせいだろうけど」
「何で俺か茜のせいって決まってるんだ……」
『その辺は、普段の行いがモノを言うの』
食堂に足を踏み入れた三人にかけられた第一声は、留美の容赦のない言葉。
反論しようとした祐一に、追い討ちをかけるのは澪。
色々と思うところがあるのか、うっと言葉に詰まる祐一。
そこに止めを刺すかのごとく、美汐が静かに口を開く。
「今さら、といった感じですが」
「美汐、その諦めたような言い方は止めてくれ」
「お腹空いたよー……」
「ほら、みさき、祐一達が来たわよ」
「ご飯……」
「あ、祐一さん、茜さん、詩子さん、おはようございます」
大所帯だけに、朝から、穏やかでも騒がしい光景が展開される。
これもまた彼らの特色と言えるかもしれない。
それはどこか平和で幸せな家族の絵のように映る。
それから、朝の挨拶もそこそこに、全員揃っての朝食となった。
「それにしても、久しぶりだね、山葉堂に行くの」
「そうね。というより、全員で行動すること自体が久しぶりじゃないかしら」
足取りも軽く、笑顔で言うみさきの言葉に反応したのは、同じく笑顔の雪見。
祐一達は、朝食をとってから、しばらくリビングでくつろいだ後、家を出て、山葉堂へ向かっていた。
家から山葉堂までは、それほど遠いわけではないが、決して近いわけでもない。
それなりに時間がかかるのは事実なので、早めに家を出た、というところだろう。
「そう言えばそうよね。夏休み以来じゃない?」
『そうなの。半年振りってことになるの』
相槌を打つ留美と澪。
この二人も、いつになく明るい笑顔を見せていた。
学校に行っていた以上、長期休暇以外では家に帰ることもできなかったため、全員が一堂に会する機会は、驚くほど少なかった。
だからだろうか……ただ山葉堂に行く、というだけなのに、全員が、楽しそうな表情をしていた。
「……楽しみ」
「あははー、食べ過ぎちゃダメだよ、舞」
いつも通りの無表情の中にも、どこか嬉しそうな気配を見せている舞と、舞の隣で、いつも以上に弾んだ声の佐祐理。
舞が嬉しそうにしているのは、目前のケーキのためばかりではないだろう。
そして、それは佐祐理にしても同じ。
共に生き、共に歩むことを誓った仲間達と共にいられること……それが、何よりも嬉しい。
「蜂蜜練乳ワッフル……久しぶりに食べられます」
「……ほ、ほどほどにね」
自身の大好物に想いを馳せる茜と、毎度の事ながら若干引いてしまっている様子の詩子。
世界広しと言えど、ここまで甘い食べ物が他にあろうか、というほどの甘味物の最高峰……蜂蜜練乳ワッフル。
超がつくほどの甘党である茜の舌を唸らせることができる、まさに至高の一品。
もっとも、茜以外の人にとっては、また違った意味の衝撃をもたらしてくれるのだが。
もちろん二人も、全員で行動できることを喜んでいることは間違いない。
ただ茜の場合、久しく食べていない大好物への想いが強すぎるだけなのである。
「……」
少し苦笑いしているかのような祐一。
甘いものが苦手な彼にとって、今日のイベントは、必ずしも望ましいものではない。
とは言え、全員で行動することに喜びを感じているのは、祐一も同じ。
それに、少女達の甘い物への想いは十分に理解している。
まぁ、全く食べられないわけでもないし、今日と言う日を楽しむことはできるだろう。
「……やはり、周りの目が気になりますね」
少しため息をつく美汐。
祐一に、若さが足りないだの、おばさんくさいだの、とからかわれることが多いけれど、彼女とて年頃の乙女。
甘いものが好きではないはずがない。
故に、今日が楽しみだったことは間違いない。
ただ、美汐は、元来慎み深い性格で、目立つことを嫌う。
これは、彼女の能力にも起因しているのかもしれないが。
そんな性格の彼女が、周囲の目を気にしないはずもなかった。
「気にしてもしょうがないよ♪」
楽しそうに言うみさき。
けれど、そんなことを言われても、どうしようもない。
そう……祐一達は、かなり人目を引いていた。
あまりにも浮いた存在……道行くだけで、通りすがる人間からも、立ち止まっている人間からも、自然に注目を集めてしまっているのだ。
それは、全員の容姿が整っていることにも起因するだろうし、偏った男女比にも起因するだろう。
容姿に優れた存在は、たとえ一人でも、周囲の視線を集める。
ならば、それが十人となれば、もう言わずもがなというやつだろう。
そんな十人が、仲良さそうに固まって歩いている姿は、一種壮観でさえあった。
そして、そんな光景を目の当たりにした人が抱く感情は、割と単純だ。
あるいは羨望の眼差しで。
あるいは嫉妬の眼差しで。
あるいは好奇の眼差しで。
そんな視線を浴びることが、気分の良いものであるはずがない。
けれど、幸か不幸か、彼らはそんな視線に晒されることには慣れていた。
いや、もっと性質の悪い視線を向けられたことも少なくない。
それゆえ、みさきの発言通り、メンバーの大半は、気にしないことにしているのだ。
「気になるからそう言っているのですが……」
いつもは同じく嫌悪の情を隠さない茜は、好物を食べられることに気をとられ、周囲の視線にはまるで意識が向いていない。
結果、周囲の目を気にしているのは美汐だけ。
それを思ってか、再びため息。
「まぁ、もう少しの辛抱だって」
そんな美汐に対し、祐一は軽い調子で言う。
確かに、気にしても気にしなくても、現状は変わらない。
ならば、少しの辛抱だと思って、無視するようにした方がいいだろう。
そうして辿り着いた山葉堂。
祐一達は、店の材料を根こそぎ食べつくすつもりかと思うほどの量を注文したりして、店員を恐怖させたりもしたのだが、それは置いておこう。
とにもかくにも、想像通りと言おうか、お約束と言おうか。
至福の表情で各々の好物を頬張る少女達と、コーヒーだけのつもりが、そうもいかなかった祐一。
昼食をも兼ねたティータイムは、かなり長い時間続いた。
美味しいデザートの数々の効果か、会話も弾んだ。
何にせよ、楽しい時間を過ごせたことは間違いないだろう。
「さて、そろそろ帰るか」
「えぇー?」
「ダメよ、みさき。約束の時間があるんだから」
食べ足りないと主張するみさきと、それを制する雪見。
他にも、舞と佐祐理のところでも、茜と詩子のところでも、似たような光景が展開されていたりしたのだが。
彼女達の未練が理解できないわけではないが、無理を通すわけにもいかない。
「あぁ。相手が相手だからな」
「そうですね。待たせるわけにはいかない相手です」
「うぅー……」
まだ、不満げな表情をしている少女達もいたが、お持ち帰りとして、さらに多くを買ったことで、事態は解決を見た。
注文の時、店員の表情が若干引きつっていたことから、その量がどれほどかが窺い知れる。
その驚いたような様子から、しかしこの店員が新顔であることもわかる。
それが証拠に、店長であろう人物は、どこか達観したような表情だったのだから。
すなわちこれは、“毎度のこと”なのだ。
「でも、昨日の今日ってのも忙しない話よね」
帰る道すがら、留美が呟く。
足元の石ころを蹴り飛ばしていたりするのは、乙女らしい仕草なのかどうか。
そんなことを思いつつも、口にすることはしない祐一。
「まぁ、あっちにはあっちの都合があるんでしょう」
『こっちの都合も考えてほしいの』
「あちらの立場が立場ですから」
雪見と美汐の発言は、どちらかと言えば中立と言えるものだったが、澪は、少し怒っているようだ。
その表情だけでなく、スケッチブックに踊る文字も、どこかそんな感じがあった。
「ま、いいじゃない」
「そうですね。マイナスになるとは限りませんし」
「……?」
「確かに、これも上手く利用できるかもしれませんね」
詩子と茜の発言に、舞が疑問顔になり、その後で、佐祐理が言葉を付け足す。
「そうだな。どのみち、俺達もあっちに協力を仰がなきゃならないんだ。内容によっては、取引材料になり得る」
深く頷きながらの祐一の言葉。
それを耳にして、全員があることに思い至った。
「……そっか。あの人もドミネーターだったっけ」
「そういうことだ。だから、むしろ喜ぶべきだな。あっちから俺達にコンタクトをとってきてくれたわけなんだから」
納得したような留美の言葉に対し、不敵な笑みを浮かべながら答える祐一。
それから彼は、すっと空を見上げる。
目に映る空は青いはずなのに、どこか灰色っぽく感じられる。
と、そこで、今が冬であることを思い出し、少し身を震わせた。
しばらく続いた無言の時間を止めたのは、美汐の慎重な言葉。
「……楽観視は止めた方がいいでしょう」
「ん? 何かあるのか?」
「きな臭い噂を耳にしたもので」
そう言って、美汐が祐一を見る。
そして、祐一もまた、美汐に目を向けながら、静かに口を開いた。
「またどっか潰そうとしてる、とか?」
「そうです」
「え? それホント? 美汐ちゃん」
「はい、みさきさん。と言っても、あくまでこれは噂でしかないわけですから、どこまで正しいかはわかりませんが」
「でも、“火の無い所に”ってことでしょ?」
「はい。そういう噂がある以上、何らかの行動を起こそうとしている可能性は、かなり高いのではないかと」
「“十二使徒”が動く、か……」
祐一の口が、重そうに動く。
そのくらい、彼らにとって十二使徒の存在は大きいのだろう。
そんなことを話しているうちに、祐一達の家が視界に入ってきた。
祐一達は家に入り、“客人”を迎える準備に取り掛かる。
それからしばらく過ぎ、約束の時刻きっかりに、チャイムの音が、来客を知らせる。
一瞬、リビングにいる全員の顔に緊張が走るが、それもすぐに消えた。
無言で立ち上がる祐一。
そして、一人で玄関へ向かう。
その表情は、緊張しているでもなく、恐れているでもなく、さりとて普段どおりというわけでもなかった。
「……ようこそ、俺達の家へ。久しぶりだな」
「えぇ、お久しぶりです。まぁ、そうそう会える立場でもありませんし」
ドアを開いた瞬間に、微かに零れる緊張感。
それからすぐの、玄関を開けた祐一とドアの前に立つ人間のやり取り。
それが呼び水になったのか、二人の間の緊張感が薄れる。
ドアの前に立っているのは、軽くウェーブのかかった、目の覚めるような美しい黄金色の髪を、腰まで伸ばしている女性。
彫の深い顔立ち。
強い意志を感じさせる目。
長身ですらりとしているのに、なぜか同時に力強さも感じさせる。
どこか冷たく、研ぎ澄まされているような雰囲気を携え、けれど、静かに微笑むその姿は、アンバランスに見えなくもない。
しかし、全体としては調和がとれている……そんな印象を受ける。
「ま、入ってくれよ。玄関先で話しててもしょうがないし」
「はい」
立ち話もそこそこに、祐一は彼女を室内へと誘う。
それから二人は、他の面々が待つリビングへと、静かに歩き始めた。
両者の間には、剣呑な雰囲気があるわけではなかったが、決して友好的という雰囲気があるわけでもなかった。
無言のまま、ほどなくしてリビングに到着する。
「まずは、お疲れさん、とでも言っとくかな」
「いえ、会ってくれ、と頼んだのは私達ですし、何より……」
「俺達が、保護機関の施設に出入りするわけにもいかないよな」
「そのとおりです」
淡々と言う女性に対し、苦笑する祐一。
だが、世間話をするために、両者が会っているわけではないのだ。
改めて真剣な表情になった祐一が、口を開く。
「さて、早速だが、はっきりさせておきたい。今日は“マリア”として来たのか? それとも……」
「もちろん、“ヴァルゴ”として、“九龍”に会いにきたんですよ」
「まぁ、そうだろうな」
祐一と対する女性――マリアもまた、祐一に真剣な眼差しを向ける。
見つめあう形となった両者。
敵意があるわけではないにしても、言い知れぬ緊張感が場に広がっていく。
ヴァルゴ……それは、十二使徒を束ねる者の呼び名。
十二使徒のメンバーは、全員昔の名前を捨てることになっているが、リーダーである彼女だけは例外である。
彼女だけが、名前を名乗ることを許されているのだ。
その名前が、祐一の言葉にもあった、マリア。
『マリア・ヴァレリア』
それが、彼女の名前である。
だからこそ、祐一は確認したのだ。
“マリア”として会いにきたのなら、文字通り個人的なものであり、特に問題はない。
だが、彼女は、“ヴァルゴ”として会いにきた、と断言した。
それはつまり、十二使徒のリーダーとして、S級賞金首たる祐一達に会いにきたということ。
ならば、話の内容は、様々な意味で問題があるものということになる。
十二使徒が、S級賞金首に会いにくるのだ……問題がないはずがなかった。
十二使徒がS級に会いにくるケースというのは、突き詰めれば、次の二つのいずれかしか考えられない。
相手を潰しにきたか、相手に協力要請にきたか。
そのいずれにしても、厄介ごとには違いない。
真剣な表情のまま、祐一がさらに話を進めようと言葉を口にする。
「……で、用件って何なんだ? あまり楽しそうなものじゃなさそうだが」
「あなた達にとっても、悪い話ではありませんよ」
優雅に微笑を浮かべているマリア。
それに反応を示すでもなく、無言で先を促す祐一。
ふぅ、とため息をついてから、マリアが再び口を開いた。
「あなた達に、協力して頂きたいことがあります」
マリアの言葉は、協力要請のものだった。
だが、祐一達の表情に、特に変化はなかった。
自分達が、十二使徒と敵対する可能性は、相当に低いことを知っているからこそ、である。
祐一の能力……その恩恵を受けている人間は、保護機関にも少なくないのだから。
「で、何を協力してほしいんだ?」
冷静な祐一の声。
それは、“九龍幻想団”のリーダーとしての祐一の声。
この場は、普段は平和な一時を提供してくれるフロアだが、今は、会談の場なのだ。
“十二使徒”と “九龍幻想団”の。
戦えば、双方とも無事では済まないだろう、そんな能力者集団同士の。
自然と、緊張がフロアを支配する。
その緊張を破ったのは、マリアの声だった。
「単刀直入に言います。“アルテマ”を殲滅するために、あなた達の力を貸していただけませんか?」
続く
後書き
ようやく話が進み始めてきました。
問題はここからどんどん長くなっていくことでしょうか(笑)
ある程度文章がマシになってきてはいても、修正したい箇所っていうのはどうしても出てきますし……長くなるのは厳しい。
結局あとは根性の問題ですな。
それではまた次回に。