神へと至る道
第25話 表向き調和している二重奏
「“アルテマ”……あの犯罪請負組織ですか。とうとう潰すことになったわけですね」
「というよりも、今まで手を出さなかったことが、問題と言うべきじゃないでしょうか」
マリアの発言に真っ先に意見したのは、佐祐理と美汐。
佐祐理はともかく、美汐の発言には、どこか皮肉の色があった。
アルテマ……表向きは、何の変哲もない組織の形をとっているが、その実態は、佐祐理の発言通り、犯罪請負組織。
正義も教義も、建前さえもなく、条件が合えば、如何な犯罪をも代行する組織。
その特性と、犯罪代行をビジネスと割り切っている性質上、頼りにする者は決して少なくない。
実際、様々な国の有力者からの依頼も多々ある、と囁かれている。
彼らは、引き受けた依頼は何があろうと遂行するため、その意味では強く信頼されていた。
その反面、彼らを知っている者にとっては、恐怖の対象ともなっている。
仕事の信頼度が高い、ということは、敵に回せば、まず助からないということなのだから。
そしてまた、自身と敵対している人間の以来を受けた時、彼らは容易に敵に回るのだから。
なお、彼らに仕事を依頼する際には、桁違いの報酬が必要になることが多い。
「そうですね。S級に指定されていたとは言え、できるなら早めに潰しておきたかったのは事実です」
マリアが苦笑する……それは、組織の意見ではなく、個人の意見だからだろう。
だが、彼女はれっきとした保護機関の一員。
ならば、彼女自身がどう考えていようと、保護機関の決定には従わなければならない。
「今回壊滅に踏み切ったってことは、どっかの国からの依頼があったんだろうな」
そんなマリアの意見に対して何かを言うでもなく、祐一が小さく笑う。
次いで発せられる言葉は、確信に満ちていた。
基本的に、S級に指定されるような存在は、誰人も迂闊に手を出せないからこそ、S級たり得る。
故に、その対処役である十二使徒には、慎重の上にも慎重を期した行動が求められるのだ。
だからこそ彼らは、普段はS級組織に対して、監視以上のことはしない。
彼らの仕事は、S級の壊滅ではなく、あくまでも危険行動の抑止。
だが、まれに、十二使徒にS級抹殺の命が下されることがある。
その場合、決定理由として挙げられるのは、三つ。
まず、組織が崩壊したか、あるいはその兆しが見え、戦力の低下が認められる時。
次に、組織の危険度が無視できない程に高まり、放置しておくことで、多方面に多大な損害が予想される時。
そして、どこかの国家か、あるいはそれに匹敵する規模の組織が、相応の理由でもって、保護機関に抹殺を依頼した時。
祐一達もS級指定を受けている身なので、当然のことながら、同じS級組織や保護機関の動きには、常に目を光らせている。
そうして手に入れた情報の中には、もちろん“アルテマ”の情報は含まれているが、彼らに組織崩壊の気配もなければ、活動の変化もない。
となれば、保護機関が動く理由として考えられるのは、どこかからの依頼だけなのだ。
「その通りです。詳細を明らかにするわけにはいきませんが」
「まぁ、大体想像がつくけどな」
「でしょうね」
情報を収集している以上、祐一達は、アルテマを殲滅したいと思っている存在にも、当然心当たりがあった。
だが、そんなことはどうでもいいのだ、双方にとって。
双方にとって問題になってくるのは、アルテマの殲滅という仕事のみ。
そこで、マリアが笑いを消して、祐一を真っ直ぐに見据える。
ゆっくりと口を開き、改めて祐一達に問いかける。
「それで、協力して頂けますか?」
その言葉を受けて、祐一が少し考え込むような仕草を見せる。
他のメンバーは、口を出さず、表情も変えず、ただ祐一を見守っていた。
「……俺達にメリットがあるって言ってたよな。それって何だ?」
しばらくの黙考の後、祐一が問う。
その眼光は、マリアに負けず劣らず、強く真っ直ぐなものだった。
規模はどうあれ、これは組織の長同士のやり取りなのだ。
どちらも相手に弱みを見せるわけにはいかない、という意識が強く働いているのだろう。
そんな祐一の問いに対し、マリアはやはり表情を変えずに言葉を続ける。
「あなた達にとってのメリットと言えば一つでしょう? 神器ですよ」
「それは確かなのか?」
神器……確かにそれは、祐一達が動く理由になり得る。
と言うより、動かざるを得ない。
その情報が確かなものだとすれば、の話だが。
「はい。間違いありません。彼らに依頼した人間の中で、神器を報酬として渡した者がいましたから」
「既に売った、ということは……いや、聞くまでもないな」
マリアの言葉に質問を重ねようとしていた祐一は、けれどそれを途中で止める。
確認しなくとも、その答えが明白だったからだ。
神器の売買が行われれば、それは必ず、どこかから漏れてしまう。
また、保護機関が有する情報網をかいくぐって売買できるほどには、“アルテマ”という組織は大きくない。
故に、この可能性は否定される。
ましてや、情報の真偽など、考えるまでもないことだ。
保護機関が、嘘の情報を取引に出してくることなど、まずあり得ない。
非公式とは言え、協力要請の場で嘘をつくような、そんな愚かな真似をするはずもないだろう。
「もちろんです。彼らがなぜ神器を所有し続けているのかは、私達にはわかりかねますが」
「で、数は?」
「確認したところでは、三つですね」
「なるほど……」
そこで、再び考えに沈む祐一。
神器の取得は、彼らにとって何より優先されるべき事柄。
である以上、彼らは動かないわけにはいかない。
また、それを見越して、十二使徒のリーダー自らが出向いてきたのだろう。
神器の存在を利用して、祐一達を自分達の味方につけ、戦況をより有利な状況に持っていくために。
そして、そんな重要な話を、末端の人間に任せるわけにはいかない。
そうでなければ、仮にも保護機関最強の人間が、S級賞金首たる祐一達の家に、のこのこ訪ねては来ないだろう。
そして、その目論見は、ほとんど正しい。
祐一達は、動くしかないのだから。
だが……
「その神器だが……極端な話、俺達がその戦いに参戦しなくても、手に入れられるよな」
どこか確認するような、挑発するような言葉。
真っ向から言葉にはしなかったものの、彼の発言は、確かに否定の色を含んでいた。
「……」
対してマリアは沈黙で返す。
下手な発言を避けたのだろう。
だが、この場での沈黙はつまり、無言の肯定に他ならない。
そう……確かに神器がそこにある以上、祐一達は動くしかない。
しかし、それがすなわち戦闘参加、とはならないのだ。
なぜなら……
「十二使徒が戦い終わった後で、神器だけ掠め取るって手もあるだろう。十二使徒が回収したとしても、保護機関にそれを譲ってくれるように交渉したっていい」
そう……神器を奪取することのみが祐一達の目的であるのだから、必ずしも“アルテマ”と戦う必然性はないのだ。
十二使徒と交戦中のどさくさに紛れて奪ってもいいし、十二使徒が勝利した後に回収してしまっていても、保護機関の上層部には、祐一の能力を求める者も多い。
祐一達が望めば、手に入れることは決して難しくはない。
かように神器を手に入れる方法は、いくらでもあるのだ。
どうあれ、保護機関が“アルテマ”を殲滅することを、彼女は明言したのだから。
それならば、わざわざ危険を冒してまで戦いに参加する必要は、祐一達にはない。
「……はっきり言って頂きたいですね」
祐一の言葉にも、マリアは揺るがない。
余裕の表情を崩さず、祐一に対して続きを促す。
挑発的な発言にも、否定的な発言にも、彼女は何の反応も返さなかった。
ただ、彼の真意を引き出そうとするのみ。
祐一はというと、マリアの発言を聞き、小さく口の端を持ち上げる。
「察しがいいな」
「それで、何を望んでいるのですか?」
そう……先の祐一の発言は、見返りの再考を願うものだったのだ。
神器を手に入れるだけなら、先に言ったように、わざわざ参戦せずともよいのだから。
よって、これは見返りたり得ない。
だからこそ、祐一は肯定の言葉を口にしなかった。
だが同時に、否定の言葉も口にしていない。
それも全て、彼女から、先の言葉を引き出すため。
自分達の望みが別にあることを、彼女に認めさせるため。
願ったとおりの言葉を聞くことができたことにより、祐一は内心、喜びと安堵を感じていた。
万が一にもないだろうが、先の彼の態度は、十二使徒を敵に回しかねないものだったのだから。
けれど、これで話は、祐一の願ったとおりの方向に進むだろう。
予期したとおりの、と言うべきかもしれないが。
そんなことを思い、祐一は声に出して笑い出したくなる。
だが、そんな素振りを表に出すようなことを、祐一がするわけもない。
真剣な表情のまま、マリアに対し、要望を口にする。
「俺達が望むのは、一つだけだよ。あんたの力を貸してほしい」
「……力、ですか? それは“ヴァルゴ”としてのものですか? それとも“マリア”としてのものですか?」
マリアの表情は、やはり変わらない。
だが、その目は、少なからず鋭さを増していた。
返答次第では、交渉決裂の可能性があることが、そこから窺い知れる。
「“ヴァルゴ”としてのあんたに興味はない。“マリア”の……あんたの力を、借りたいんだ」
そして、対する祐一は、表情にも態度にも変化は見られない。
話す言葉からは、どこかゆとりが感じられたけれど。
ともあれ、祐一の言葉に対し、マリアの目がすっと細められる。
「……なるほど。あなた方が『ドミネーター』を捜している、という噂を耳にしたことはありましたが……」
「知ってたのか。ま、それなら話は早い。あんたの能力……俺達には、それが必要なのさ」
「何のために?」
「今はまだ言えない。だが、どこにも危険が及ばないものであることは誓う」
その発言と共に、祐一は真っ直ぐにマリアの目を見る……自身の真意を見せようと。
対するマリアもまた、真っ直ぐに祐一の目を覗き込む……相手の真意を見抜こうと。
両者とも、時が静止したかのように、不動のまま、しばらく互いの目を見据え続けていた。
「……私が個人としてここにくることに、問題がないわけではありませんが、それ以外の見返りで取引に応じるつもりはないのでしょう?」
「あぁ」
「それならば、受けないわけにもいきませんね」
そして、マリアはふっと表情を緩め、軽く微笑みを浮かべながら、賛同の意を示した。
その微笑みは、どこまでも透明なものだった。
「交渉成立だな。それで、具体的にはどうすればいいんだ?」
対する祐一の表情も、どこか晴れ晴れとしていた。
それはどこか、一仕事を終えた、といった様子。
自然に浮かぶ微笑みは、明るさに満ちていた。
「まだ詳しいことは決定していませんが、三ヶ月後……現地時間、五月一日の正午に、全支部を一斉に叩く予定です」
「わかった。じゃあ詳しいことは、正式に決まってから改めて教えてくれ」
「えぇ、わかりました」
と、そこで、マリアが立ち上がる。
それはすなわち、交渉の終焉を意味する行動。
「長居をしてしまいましたね。それでは、これで失礼させていただきます」
「あぁ。それじゃあ、詳しいことが決まったら、連絡してくれ」
それに合わせて、祐一達も立ち上がる。
そのまま、玄関先まで見送るために歩き出す。
「リーダー……」
マリアが祐一達に別れを告げて、正門から出てきた時、暗がりから、男性の声が微かに聞こえてきた。
「……どうしました? ナンバー2」
視線を動かすことなく、街へと歩むその速度を変えることなく、暗がりから聞こえた声に言葉を返すマリア。
彼女の表情は、やはり穏やかなまま。
「……なぜ、あそこまで譲歩したんですか?」
それに対して、男の声には、僅かに非難の色が混じっていた。
その色を見て取ったマリアは、淡く微笑みを浮かべて答える。
「あそこまで、というほどのことではないでしょう?」
「いいえ。なぜ、犯罪者たるあの連中のために、リーダーが能力を行使してやる必要があるんですか?」
「取引としては、至極適正なものだったと思いますよ」
「やつらの態度は、保護機関を侮っているとしか思えません。なぜ、合図を下さらなかったのですか?」
怒りを抑え切れていないといった感じの声音。
マリアが祐一達と会談している時、その外には、二人の十二使徒のメンバーが待機していた。
そして、合図があれば、屋内に急襲し、彼らを力づくで屈服させる手筈だったのだ。
場合によっては、祐一達がマリアと戦闘になることだってあり得たのだから、その護衛の意味もあったのだが。
どうあれ、その出番がなかったことが、彼にとっては不可解で不愉快だったのだろう。
「言ったでしょう? 彼らには、基本的にはノータッチでいること。これは、保護機関の総意ですよ」
「ですが!」
「そもそも、戦闘行為によるメリットはあまりにも少なく、逆にデメリットは多い。こんな状況で戦闘を仕掛けるわけにはいきません」
「そんな! 我ら十二使徒が、あのような連中に遅れをとることなど……」
「ナンバー2……彼らの力を見くびらないことです」
「……」
「もし戦闘となれば、私達が無傷で勝利することは、限りなく困難。加えて、彼の能力を欲する人物も多い。現状を見誤らないように」
実際に戦闘となれば、勝つことは決して不可能ではない。
いや、祐一達が勝つ可能性の方が低いだろう。
三人対十人の形ではあるが、個々の戦闘力という点では、十二使徒側に遥かに分があるのだから。
けれどそれでも、彼らの力を軽く見るわけにはいかない。
彼らが台頭してきたのは、僅かに五年前。
そんな短い期間で、彼らは、S級に見合うだけの力を手に入れたのだ。
戦えば、こちら側とて、ただではすまない。
最悪、誰かが殺される事だって、考えられないことではないのだ。
加えて、保護機関の上層部にも、祐一の能力を求めている者は少なくない。
それ故に、できる限り戦闘は避けなければならない。
それが、十二使徒のリーダーであるマリアの考え。
また同時に、保護機関の意向でもある。
「……わかりました」
その言葉に、渋々といった感じはあったものの、ナンバー2と呼ばれた男は、大人しく引き下がった。
それを見て、マリアも表情を柔らかいものに変える。
「利用できるモノは、できる限り利用した方がいい。これは、鉄則でしょう?」
「それは、確かに……」
今回戦う相手は“アルテマ”。
S級賞金首の中でも、その強さは秀でている。
紛れもなくS級の上位に位置する能力者集団だ。
そんな存在と戦う以上、戦力が多いに越したことはない。
「しかし、信用できますか? あの連中が」
「そのための取引です」
「! なるほど……」
神器だけを取引材料にしていたのならば、彼らが、神器の奪取だけを行って、逃走する可能性もあり得た。
しかし、マリアの能力の行使が取引材料に加えられている以上、少なくともこの件に関する限り、祐一達が保護機関の意向に反した行動を取る可能性は、限りなく低い。
つまり、彼らを戦力として数えることができるのだ。
「そういうことですよ。そもそも神器だけなら、彼らも言っていたことですが、上層部に掛け合えば、わざわざ戦場へと出向かずとも、手に入れられるのですから」
取引の切り出しは、“アルテマ”の持つ神器。
だが、マリアは、これで交渉が成立するなど、元より微塵も思ってはいなかった。
また、彼らを戦力として組み込むためにも、もっと確固たる証がほしかった。
彼らをこの作戦に縛り付けることができる証が。
だから、少し考えれば取引材料として成り立たないと気付く程度のものを、最初に提示したのだ。
そうすれば、彼らが食いついてくることを期待して。
そして実際に、彼らは食いついてきた。
自分の『ドミネーター』としての力を、見返りに欲する形で。
会談の場では驚いてみせたが、このことは、マリアの予想していたとおりのものだった。
彼らが『ドミネーター』を捜していることは知っていたのだから。
となれば、コンタクトを取って取引を持ちかければ、彼らがその能力を求めてくることは、容易に想像がつく。
そしてそれならば、間違いなく彼らを戦力に組み込むことができる。
保護機関としての力を行使するのならば、大いに問題もあろうが、マリア個人の能力を求めるだけならば、許容範囲と言えた。
少なくとも、どこにも問題は生じないのだから。
大体、こちらにしても、保護機関の上層部と掛け合ってこられれば、行使することになり得るのだ。
それならば、今回利用した方が得策。
それ故に、マリアは彼らに会いに来た。
取引が、自分達にとっても悪くない形で成立することを確信したからだ。
表面上は穏やかな形で進んだ会談だったが、その実態は、既に結末の見えている腹の探り合い。
そしておそらく……
「さすがはリーダーです。上手く奴らを利用してやった、というところですね」
「そうでもないですよ。多分、彼らは、そのことを重々承知していたでしょうから」
「え……?」
「驚くほどのことでもないでしょう? 私達が取引を持ち掛けてきた時点で、思惑には気付いていたはずです」
マリアは、決して相手を過小評価はしない。
また、過大評価もしない。
常に冷静に。
どこまでも冷徹に。
感情ではなく、論理によって、相手を分析する。
故に、マリアの祐一達に対する評価は、極めて客観的なものであった。
「あんな連中に、そこまで……」
「感情的な意見は捨てなさい。彼らの力を侮らないことです」
「はっ……申し訳ありません。以後気をつけます」
ナンバー2たる彼にとって、十二使徒のリーダーであるマリアの言葉は絶対のもの。
それが故に、彼女の言葉を疑う形をとったことに、深い反省の意を示している様子だ。
「そこまで改まらなくても結構ですよ」
対してマリアは、やはり穏やかな表情のまま、そう告げる。
と、そこで、マリアが舗装された道路に到着する。
道路端に止められているのは、彼女達が乗ってきた車。
マリアがドアまで歩み寄ると、木陰から現れた男が、無言のまま、車のドアを開ける。
「ご苦労様です、ナンバー9」
マリアは、そう言って車に乗り込んだ。
その言葉に、ナンバー9と呼ばれた男は、またも無言のまま敬礼をし、車へと乗り込む。
そして、すぐに車は発進し、辺りには静寂が戻った。
「とりあえず予想どおりでしたね」
「少し不安だったけど、上手くいったわね」
「そうですね、十二使徒相手ということを考えれば、上出来の結果です」
「だな。ま、あっちも予想どおりって考えてるだろうけど」
祐一達は、マリアの気配が消えたことを確認した後、今日のことについて話し合っていた。
テーブルを囲んで、それぞれに意見を発し、話を進める。
「ケーキ、美味しい」
「まだまだ食べられるよ」
「美味しいです」
おみやげに舌鼓を打っている者もいたが、話に支障があるわけもない。
言ってみればこれは、ただの確認作業。
話だけ聞いていてもらえれば、それ以上求めることはない。
だから、祐一と、美汐と、佐祐理と、雪見の四人が、主な発言者だ。
「それにしても、一人で来るとは意外でしたね」
「いや、多分一人じゃなかったと思うぞ。みさき、どうだった?」
佐祐理の言葉に対して、祐一は首を振って答える。
それから、怒涛の勢いでケーキを消費し続けているみさきへと目を向ける。
「ん? あ、そうだね。あの人以外に二人いたよ、この家の周りに。上手く気配を隠してたけど」
その問いかけに対して、笑顔で答えるみさき。
気配を隠している相手の存在を察知することは、極めて困難なこと。
ましてや相手は、世界最高峰に位置する能力者集団。
だが、みさきの能力ならば、話は違ってくる。
みさきの能力は、生命エネルギーを完全に捕捉する。
それは、気配の有無には関係ない。
要は、対象が生きているか否か、だ。
そして、対象が生きている以上、みさきのセンサーから逃れる術はない。
「やっぱりな」
「それは当然でしょう。仮にも組織の長が、護衛の一人も連れずに、名目上は敵対関係にある組織の元へ出向くなど、常識では考えられませんよ」
美汐は、あくまで冷静に意見を述べる。
常に冷静沈着で、論理的思考により導かれた意見を出してくれる美汐は、こういう場には欠かせない存在だ。
「じゃあ、一歩間違えれば戦争だったんだね」
詩子が、言葉の内容に反して、軽い調子で言う。
確かにそのとおりだ。
交渉次第では、保護機関側も、戦闘することを考慮に入れていたことに、疑いの余地はない。
「……それはどうかしら? 彼らにしても、わたし達と戦いたいとは思ってないでしょうし」
「あぁ。俺の能力もそうだが、これから“アルテマ”と一戦やらかそうってのに、余計な戦闘をしようと思うわけもないしな」
雪見の言葉に、祐一が説明を加える。
十二使徒が“アルテマ”と衝突することは、マリアも明言したわけだし、これはまず間違いない。
ならばこそ、戦力強化のために、祐一達に協力を要請したのだろう。
それなのに、自分達に被害が生じ得る戦闘に身を投じようとするなど、間抜け以外の何物でもない。
保護機関側にしても、できる限り戦力は温存したいと考えているはず。
それならば、よほどのことがない限り、祐一達が十二使徒と衝突することはないだろう。
「まぁ、それはいいでしょう。どの道、取引は成功に終わりましたから」
「そうだな。あいつらは戦力を。俺達は『ドミネーター』を」
美汐の発言に対して、大きく頷く祐一。
お互いに、求めていたモノを、取引により手にすることができた。
これは、大きな収穫だ。
「それにしても、ホント大したものね、あの人」
「えぇ。多分、こちらの考えもお見通しだったんでしょうね」
雪見と佐祐理の感想は、マリアに対する純粋な感嘆に満ちていた。
彼女達は、先のやり取りが茶番にも近しいことを、半ば確信していたのだ。
美しく透明な眼差し。
穏やかな物腰。
優雅な雰囲気。
そんな、いかにも深窓の令嬢と言わんばかりの空気を備えて、祐一達の元に現れたマリアだったが、その実、お嬢様どころの騒ぎではなかった。
まるで、鋭く研ぎ澄まされた刃のような、そんな雰囲気を、内に隠していたのだから。
はっきりとわかったわけではないが、それでも、普通とは異なる空気を携えていたことを、祐一達は実感した。
それはまさに、納刀している刀のような雰囲気。
それは間違いなく、鞘から抜き放たれた瞬間に、全てのものを切り刻むだろう。
静かなる脅威。
十二使徒のリーダーという称号は、伊達ではない。
実際、その瞳で見つめられているだけで、全てが見透かされてしまう気がしていた。
「それなら、祐一さんも負けていませんでしたよ。さすがに、ハッタリには年季が入っています」
「……美汐、褒めるなら、もっとストレートに褒めてくれ」
一瞬の沈黙の後の美汐の発言に、祐一が苦笑する。
美汐の言い方には、若干の棘が感じられたものの、それでも良い意味での発言であることは、場の誰にもわかった。
十二使徒のリーダーを前にしても一歩も引かず、動揺も恐怖も僅かさえ浮かべず、不敵な笑いまで浮かべていた今日の祐一。
大胆不敵というのか、図太いというのか。
とにかく、文字どおり対等の存在として交渉を成立させたのは、彼の存在によるところが大きい。
戦力的にも、能力的にも、そして精神的にも。
祐一は、紛れもなく九龍幻想団のリーダーなのだ。
美汐の発言によって笑いが起こった後、また話は本題に戻る。
話を戻すのもまた、美汐だ。
「さて、これで三人のドミネーターが揃ったわけですから……残りは二人だけですね」
「あぁ。つっても、それが厳しいんだよなー」
「存在するっていう情報さえも、全く出てこないんですからねー」
「まさか、いないってことはないでしょうけど……」
祐一達が求めるドミネーターは、全部で五人。
そのうちにの三人が揃ったと考えても、まだ二人いるのだ。
未だに情報さえ満足に得られていない存在が、二人も。
それが故か、四人は、考え込むかのような、落ち込むかのような、そんな素振りを見せる。
「大丈夫。きっと、何とかなる」
「そうだよ。落ち込んでたってしょうがないでしょ」
そんな、沈みかけた空気を払拭したのは、舞とみさき。
二人揃って、頬に、ちょこんと生クリームの角を立てているが、それはご愛嬌。
彼女達の発言は、どこまでも前向きだ。
「そのとおりですよ。ただ悩んでいても、状況は好転しないんですから」
「そうそう。それに、やらなきゃいけないことは、他にもたくさんあるんだよ。落ち込んでる暇なんてないって」
茜と詩子もまた、食べる手を止めて、舞とみさきの言葉に続く。
励ましの言葉と微笑が、場の空気を温める。
「大体、神器だって揃ってないし、おまけに“アルテマ”を潰さないことには、あの人の能力を借りるも何もないのよ?」
『悩むのは、やれること全部やってからにするの』
留美も澪も、どこまでも真っ直ぐで、どこまでも前向きだ。
悩む前に行動する……この二人には、そんな部分があった。
そしてそれは、今の彼らにとって最も重要なこと。
論理的思考を良しとする美汐や佐祐理や雪見は、楽観的思考に至ることは少ない。
それがプラスに働くことも多いのだが、逆にマイナスに働くこともある。
今回のように、悲観的思考に陥ることも、少なくないからだ。
そうなると、後は思考の袋小路に落ち込んでいってしまうのみ。
そんな時、その方向を転換してくれるのは、他のメンバー達。
彼女達の前向きな意見は、いつもその袋小路から彼女達を救い上げてくれる。
慎重派と行動派。
実にバランスの取れたチーム構成と言ってもいいだろう。
「そうだな。じゃ、とりあえず、これからのことを決めようか」
沈みかけた空気も排除され、祐一が話を戻す。
それを受けて、雪見が祐一に尋ねる。
「何か予定があるの? 五月まで、ただ待つってわけじゃないんでしょ?」
雪見の疑問はもっともだった。
少なくとも、現時点では、新しい情報は入っていない。
となれば、情報収集以外にやるべきことはない、と彼女は考えていたわけだが……祐一はそうではなかったらしい。
小さく笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「あぁ。実はメールが来ててな……ちと面白い内容なんだよ、これが。危険な香りの漂う、神器についてのお話だ」
続く
後書き
副題は、狐と狸の化かし合いかどっちにしようか悩んでこっちにしました。
どっちだっていい、と思わないでもなかったのですが。
さておき、これでようやく第一章も本題に入りますね。
いやホント色々と詰め込みすぎな気がして仕方がない(笑)
でもまぁ、同時進行させておかないと、また話がおかしくなってしまいますし。
さて、ここからが正念場だ。
気合入れて頑張りましょうか。
それでは。