「よく来てくださいましたね、真琴さん」
「お久しぶりです、秋子さん」
水瀬寮、秋子の部屋にて、二人の女性――水瀬秋子と沢渡真琴が、握手を交わしている。
長らく会っていなかったらしく、両者の表情には、少なからぬ懐かしさが浮かんでいた。
「相変わらず、のご様子ですね」
と、秋子が、真琴の相貌を見て、意味ありげに微笑む。
「えぇ、癖ですね、ある意味では」
言われた真琴もまた、微笑を返す。
「それで、お話のことですが……」
しばらく雑談をした後、真琴が話を切り出す。
そして、秋子も表情を引き締め、真っ直ぐに真琴を見据え、口を開く。
話を始める前に、秋子には真琴に確認しておきたいことがあったのだ。
「その前に、一つ、お聞かせ願えませんか?」
「何を、ですか?」
「あなたは、知っていたのですか? 祐一さんが……」
「秋子さん」
神妙な表情で言葉を続けようとする秋子。
だが、それを遮る真琴。
思わず言葉を止めた秋子に対し、真琴は秋子の問いの答えを返す。
「私もS級です。まぁハンターの方ではありますけど。となれば、知らない方が不自然でしょう?」
「……」
秋子は口を閉ざした状態のまま。
真琴は、目の前の紅茶をとり、ゆっくりとそれを口に運ぶ。
微かに漂う香りを、目を閉じて堪能しているようだ。
「……それに、あの子達に能力の基礎を教えたのは私。その時に色々と話もしましたから」
カップをテーブルに置いてから、何でもないことのようにそう言う真琴。
複雑な表情に変わる秋子。
「それなら、どうして……」
「“どうして”……その言葉の後に何が続こうと、私の答えは一つです」
「……」
「私はあの子達じゃない。私にあの子達が口出しできないように、私もまた、あの子達に指示することはできません」
「ですがっ!」
淡々とした真琴に対し、語気を若干荒くする秋子。
話すその表情もどこか硬い。
普段は穏やかな微笑みを絶やさない彼女も、今はそんな余裕はないのだろう。
それでも、真琴の態度は変わらない。
「あの子達は、自分達で考え、自分達で決めたんです。それならば、その道が如何な道であろうと、第三者が口を出していいはずはないでしょう?」
「犯罪者になったとしてもですか?」
「もちろんです」
秋子とは対照的に、真琴の声は今なお冷静そのもの。
紅茶からふんわりと漂う香りを楽しむ余裕があることからも、それが窺える。
「あなたなら、止めることができたのではないですか? いくらなんでも、賞金首だなんて……」
秋子は、祐一達の未来を……そして今を、想った。
賞金首として生きること。
そこに、一体如何な幸せがあるというのだろうか?
だが……
「さぁ、どうでしょうね……」
真琴の言葉には何の感慨もない。
どうでもいい……言外に、そんな空気を滲ませながらの言葉。
賞金首、という事実に対しては、何も思うところがないのだろう。
そして、続けて。
「どうあれ、あの子達はその道を選んだ……もう戻れないことを、普通の人生を歩むことができなくなることを知りながら、なお選んだ。そんな彼らの意思を無視して止めることは、できませんね」
「どうして、あの子達は……」
秋子が一つ失念していたこと。
そして、真琴も詳しくは知らないこと。
それは、過去。
祐一達の過去。
過去があり、その積み重ねが現在に繋がり、そしてそれが未来を紡いでゆく。
祐一達の行動には、理由がある。
彼らの過去が、それに起因している。
だが、秋子は知らない……祐一達の過去を。
そして、知らない故に、動機を理解することはできない。
されば、彼らを止めることは叶わない。
「話を戻しても?」
「……そうですね」
心なしか沈んだ表情の秋子と、何ら変わりのない真琴。
ともあれ、ここで真琴と言いあっていても、何が起きるわけでもなく、また、秋子とてそれが理解できないわけがない。
故に、すぐに真琴の言葉に肯定の意を示す。
「鍛えて欲しい、と言ってましたね」
「はい」
「理由は、祐一達と関係があるんですね?」
「そうです」
真琴が少し考え込む仕草を見せる。
だが、それは時間にしてほんの三秒程度。
そして、改めて秋子に向き直る。
「とりあえず、その子達に会ってからですね」
「わかりました。みんなリビングに集合してますので」
そう言うと、二人とも立ち上がり、ドアへと向かう。
「あぁ、一つ……」
「何ですか?」
真琴が不意に零した一言に、秋子が少し首を傾げる。
「秋子さん達の存在は、あの子達の行動にとっては、確かに足枷でした……でも、あの子達の心にとっては、救いだったはずです。それは忘れないでください」
「……」
何も言わず、秋子は静かに目を伏せる。
真琴は、それを見ると、静かにドアを開け、先に部屋を辞した。
秋子が出てきたのは、それから少ししてからだった。
神へと至る道
第28話 千里の道も
秋子と真琴が連れ立ってリビングに到着すると、そこには、少し緊張した面持ちの十人がいた。
簡単な自己紹介をし、それが終わると、真琴が静かに口を開いた。
「さて、まずは確認しておくわ。あなた達は、どうして祐一達を追いかけるの? 追いかけて、それでどうするつもりなのかしら?」
その言葉に、全員が一瞬息を呑んだ。
だが、答えはもう決まっている。
だからこそ、すぐに名雪がその答えを口にした。
「……祐一が、言ってたんです。『俺達には、俺達しかいない』って」
別れの時、祐一は言い切った。
加えて、誰も悲しんでくれる者はいない、と。
そして、それでいいのだ、と。
「だから、そんなことないって……わたし達がいるって……そう、伝えたいんです。わたし達は、祐一達は大事な友達だって思ってますから」
そんな名雪の言葉が、静かに場に浸透してゆく。
普段の彼女とは、どこか違う声音。
けれどそれは、確かな決意を秘めた、強い声。
悲しむ人がいないなんて、そんなことはない。
そして、そんなことでいいわけもない。
祐一達がどう思っていたとしても、自分達の気持ちは変わらない。
彼らは、自分達にとって、大切な仲間……この想いは、譲れない。
「あなた達の行動が、自らの首を絞めることになっても?」
「どういうことですか?」
真琴の言葉に反応したのは香里。
出鼻を挫かれるような言葉にも、冷静さを失わない香里に、真琴は少しだけ感心の眼差しを向ける。
「彼らは賞金首。あなた達はハンターの卵。立場は正反対なのよ?」
「そんなことは関係ない。オレはあいつらを賞金首だなんて思ってないんだからな」
浩平がはっきりと言葉にする。
彼には、祐一達を犯罪者扱いすることなどできない。
だからこそ、力強く言い切ったのだが。
「問題はあなた達の感情じゃないわ。肝心なのは、そこにある事実」
「え?」
「……周りがどう考えるか、ということですか?」
考え込む浩平に代わって、意見を口にしたのは栞。
彼女もまた、冷静に状況を分析している一人だった。
浩平や名雪は、どうしても自分達の視点からしか状況を見ることができていない。
会いたい、伝えたい、という想いが先行してしまい、視野が狭まってしまっているのだ。
それだけ想いが深い、とも言えるが、それがプラスに働くとは限らない。
そうした場合、正しい判断ができなくなることが往々にしてあるからだ。
冷静さを欠いた思考だけに忠実に行動してしまっては、思いもよらない不運に見舞われかねない。
そういう意味では、香里と栞の冷静さは、この場では貴重である。
もちろん、香里や栞の想いが浅いわけではないだろう。
ただ、直情的に行動するようなタイプではない、ということだ。
それに、元々彼女達はそのことを心配していたのだから。
「ずっと考えてたんです。祐一さん達が、私達を遠ざけた理由について」
「? それってあれだろ? オレ達を神器強奪の共犯にしないためじゃないのか?」
栞が静かに口にしたことに、北川が不思議そうな顔をする。
これは、彼ら自身が口にしていたことでもあるし、そこに疑問を持つ理由が、彼にはわからなかった。
「それも理由の一つだとは思います。でも、多分それだけじゃありません」
「他にも理由があるってことか?」
住井は、まるで自問するかのように言葉を発した。
腕を組んで、難しい顔をしている。
あるいは、彼もまた、同じ事が気になっていたのかもしれない。
「はい。きっと、私達の危険を考えてのことだと思うんです」
「危険?」
住井は、鸚鵡返しに呟いた。
それは疑問というよりも、確認のような響きを持っていた。
「ふーん、そこまで考えてるんなら、もうストレートに伝えてもいいわね」
だが、住井の言葉に反応したのは、栞ではなく真琴。
感心したような声と表情だったが、全員がその言葉を理解したと見ると、表情を引き締めた。
「会いたい気持ちは理解できるわ。でもね、事はそんなに簡単にはいかない」
真琴が全員を見回し、全員の目がまた真琴に集中する。
場の空気が、少し緊張したものになっていた。
全員が沈黙のまま、真琴の次の言葉を待つ。
「繰り返すけど、祐一達はS級賞金首。彼らに関する情報は、保護機関でもトップシークレットになっている」
淡々と説明する真琴。
この辺りは、先日の秋子の説明から理解していたので、異議は当然入らない。
「ところでS級だけど、当然指定されている対象は、彼らだけじゃないわ。そしてその中には、彼らと敵対関係になり得る存在もいる」
その言葉に、全員がはっとした表情をする。
息を呑む者、目を丸くする者、それぞれに驚きを表現している。
そんな反応にも表情を変えないまま、真琴は続けた。
「さて、ここまで言えばわかったと思うけど、もしあなた達が祐一達に近づいたら、そうした組織の人間はどうすると思う?」
「……あたし達を捕まえて、情報を引き出そうとしますね」
「半分正解」
「半分?」
香里の言葉に対する真琴の返答は、半分だけ正解、というもの。
当然、香里は疑問に思う。
半分、というのはどういう意味なのか?
その香里の表情を見て取った真琴は、すぐにその答えを返す。
「引き出そうとする、じゃないわ。引き出して殺す。ただそれだけよ」
「……」
あくまでも淡々とした調子を崩さない真琴だったが、他の面々はそうはいかない。
さすがにその言葉は重過ぎる。
全員が、凍りついたかのように言葉を失う。
それに対して、さらに追い詰めようとするかのごとく、真琴は言葉を続ける。
「相手の心や思考、記憶を読むような能力者は、少ないとは言え、いないわけじゃないわ。そうなるともう尋問も拷問もいらない。そして引き出してしまえば、あとは口封じのために殺すだけ」
恐ろしい内容を、けれど当たり前のように話す真琴に、全員が改めて自分達の住む世界との違いを思い知らされる。
決定的な違い……それは、ルール。
浩平達が生きる世界には、確かに法律と言うルールが存在し、その法律を遵守するという義務を怠らない限り、その法律により守られるという権利が与えられる。
だが、祐一達や他のS級賞金首、そして真琴のようなS級ハンターには、それがない。
少なくとも、一般とは明らかに異なるルールが適用された世界で生きている。
住む世界が違う、という祐一の言葉が今更ながらに思い起こされ、全員、その意味をようやく理解するに至った。
彼らの住む世界では、自分達が知るルールは適用されない。
自分達の知る法律は、決して守ってくれない。
当たり前のように戦いが存在し、当たり前のように死が存在する。
殺し殺されることが、当たり前のように前提条件としてのさばっている。
そしてそれは、自分達が覆せるものではない。
もし祐一達の世界に足を踏み入れてしまえば、それを覚悟しなければならないだろう。
「わかる? もしあなた達が今のまま祐一達に会ったら、まず間違いなく命の危険にさらされることになるわ」
「……だから、あいつらはオレ達を突き放したってことか?」
小さな声で、浩平が呟く。
俯いているため、表情はわからない。
「そういうことよ。S級の人間の住む世界は、他の人間が住むことのできる世界じゃないから」
「……じゃあ、会えない、ということなんですか?」
ちらっと浩平の方を見やってから、瑞佳が真琴に聞く。
彼女の声にもまた、普段の快活さは感じられない。
「そうなるわね」
「……今のままなら、ということですよね?」
一瞬の沈黙の後、真希が顔を上げる。
正面の真琴を見るその瞳には、普段の覇気が戻っていた。
「え……?」
「? どういうこと?」
秋子の隣で、その手を握りながら不安げにしていた真琴の言葉と、同じく不安そうな表情をしていた繭の言葉が重なる。
だが、答えたのは問われた本人ではなかった。
「……そっか、オレ達もS級になればいいんだ」
答えたのは、浩平。
バッと顔を上げ、軽やかな口調で話すその姿にもまた、普段の彼らしさが戻っていた。
「S級賞金首に?」
「なわけないだろ! S級ハンターってことだよ」
驚きの声を上げた瑞佳に、浩平がすぐにツッコミを入れた。
その言葉にあった、S級ハンター、という単語に、全員が反応する。
「まぁ、それが一番なのは間違いないわ。でも、別にS級の認定を受けないでもいいのよ」
「要するに、自分達の身は自分達で守れるようになること、ですね?」
浩平と瑞佳のやり取りに少し苦笑しながらも、真琴が説明を続ける。
そして、そんな真琴の言葉を補足する香里の発言に対し、その通り、と真琴は返す。
そして、全員が何かを理解したような、そんな表情になる。
真琴は満足そうな笑みを浮かべて、全員の顔を見渡した。
「友人だと伝えたいのなら、言葉ではなく行動で伝えないとダメよ。対等な立場に、自分達の力で立ちなさい」
厳しい言葉ではあるが、真琴は優しく微笑みながら話す。
そしてまた、全員がそれに対し、決意を新たに首肯する。
すべきこと、したいこと、それがはっきりしているのだから。
全員の瞳に、光が宿る。
見守る秋子の目にも、そんな姿は頼もしく映った。
「さ、じゃあ時間ももったいないし、早速これからのことについて説明するわね」
真琴の言葉には、どこか楽しそうな響きがあった。
全員、真琴の次の言葉を黙して待つ。
「まずは三ヶ月間、基礎からびっしりあなた達を鍛え直さなきゃならないわ」
薄っすらと笑う真琴。
そんな姿に、少しだけ不安を抱く面々。
しごかれる自分達の姿を連想したのかもしれない。
「そして、それが終わったらテスト」
「テスト……ですか?」
真琴が言った言葉に、首を傾げる名雪。
いきなり出てきた単語に、困惑を隠せないのだろう。
そしてそれは、全員に共通するものでもあった。
「そうよ。テストの内容は秘密にしとくけど、それに合格しなければ、祐一達の後を追うことは許可できない。それは覚悟しておいて」
一瞬息が詰まったものの、全員が頷く。
後を追えない、というフレーズは、正直気に入るものではない。
だが、真琴が言う以上、それに従わなければならないだろう。
かかっているのは、自分達の命なのだから。
「それじゃ、もう今日から始めちゃいましょうか」
ぱん、と手を打って、真琴が言う。
当然、それを拒否する者などいない。
よろしくお願いします、という声が、幾重にも折り重なって高らかに響いた。
微笑む真琴。
同じく温かい笑顔で見守る秋子。
決意の眼差しを向ける浩平達。
普通に口にした言葉ではあるけれど、S級相当の強さを手に入れることが、簡単であるわけがない。
もちろんそんなことは、全員が理解している。
それでも、可能性がないわけではないのだ。
目標は極めて高く、道は相当に険しい。
けれど、立ち止まらなければ、いつか追いつける、と。
そう信じているからこそ、彼らは、躊躇うことなくその道を選んだ。
今はまだ、スタート地点に立ったばかり。
再会の時は、まだ遠い。
続く
後書き
よくよく考えれば、浩平達の再登場って、ここから相当に先なんですよね。
20や30で到達できるものじゃないのです。
ホントにどこまで長くなるのやら(汗)
場合によってはイベントを削ることにしますが、それでもどこまで減らせるやら。
いやはや、もっと時間がほしいものです。