――十五年前、ルセイム地方、同日午後四時――



「お姉ちゃん」

姉の部屋の扉を、ノックするのもそこそこに開けて、そこから顔を覗かせるミシル。
すると、机に向かって本を読んでいた姉――ユーが、苦笑交じりに振り返る。

「こら、ミシル。部屋に入るときは、ちゃんとノックしてからっていつも言ってるでしょ?」
「したよ、ちゃんと」
「返事があるまで待ちなさい」
「はーい」

どこか楽しそうな二人の声。
この間、やはり笑顔だったので、どちらとも怒っているわけでもなく、言ってみればいつものやりとりなのだろう。
そして、そのまま部屋に入ってくるミシル。
それを迎えるように、ユーは読みかけの本を閉じて、棚に戻す。



「お姉ちゃん、とうとう明日だね」

ベッドに腰掛け、にこにこと楽しそうに笑いながらそんなことを言うミシル。

「そのセリフ、今日だけで何回目?」

少し呆れ加減の、でもそれ以上に微笑ましそうな声音。
ユーが発したその言葉に、ミシルはちょっと不満そうにする。

「何度だって言うよ。だって、明日はお姉ちゃんの結婚式なんだよ?」
「そうね。でも、新居だって近いんだし、そんなに大騒ぎしなくても……」



そう……ユーは、結婚式を翌日に控えていた。
親類縁者、皆に祝福された、そんな幸せな結婚の儀を。

愛する者同士の誓いの儀式……それは確かに素晴らしいことで、幸せなことだけれど。
それでも、何もここまで騒がなくてもいいのでは? とユーは思う。

たった今口にしたように、家も近いし、相手の男性にしても、ミシルとの仲は極めて良好。
それこそ、いつだって遊びにきてもいいと思っていたし、自身も実家にいつでも遊びにくるつもりでいた。

明日で今生の別れになるわけでもなく、また遠いところにいくわけでもない。
結婚した後も、彼女達は紛れもなく家族。
だったら、いくら前日だと言っても、もう少し落ち着いてもいいの、と思うのも、無理からぬところだ。
けれど、ミシルはそうではないらしい。



「もう……そうじゃないよ。私が言いたいのは、そういうことじゃないの」
「あら、じゃあ一体何なのかしら?」

少し強い調子のミシルの言葉。
そこで不思議そうな表情に変わるユーに、さらに笑みを強くしたミシルが、グッと詰め寄る。

「私ね、すごく嬉しいの。お姉ちゃんのこと、本当に大好きだから。だから、大好きなお姉ちゃんが幸せになるってことが、すっごく嬉しいんだ」
「ミシル……」
「ぜったい、ぜーったいに! 幸せになってね、お姉ちゃん!」

ミシルの言葉に、思わず言葉を失うユー。

ミシルが楽しみにしているのは、幸せに感じているのは、ユーが幸せになること。
その心からの笑顔は、姉の幸せを思ってのもの。

その思いに、優しさに、胸が詰まる。
そっと立ち上がって、静かにミシルの体を抱きしめる。



「……ありがとう、ミシル」
「……うん、お姉ちゃん」










そして、夕食の時まで。
結婚前夜の最後の晩餐の時まで。

姉妹は、水入らずで談笑していた。
弾む会話に、止め処はなかった。



今までのこと。
これからのこと。

楽しかった思い出。
温かい思い出。

これまでの日々が思い起こされ、少し涙混じりに。
けれど、紛れもない笑顔で。



ミシルは、幸せな時間を過ごした。
結婚前の姉との最後の時間を、心から楽しく。





そう、最後の時間を。















神へと至る道



第33話  犀は投げられた















――午前八時――



昨日と同様に、佐祐理に起こされる祐一。
そしてまた、昨日と同様に茜と戦う詩子&佐祐理。

「お疲れ、二人とも」

昨日と同じく、苦戦の後どうにか勝利を収めた詩子&佐祐理がソファに沈んでいる。
苦笑交じりに、二人にねぎらいの言葉を送る祐一。

「んー、ちょっと疲れたね」
「そうですねー」

言葉の割には軽い口調。
苦笑気味でも、どこか楽しげな表情。
昨日詩子が言っていたことだが、これは本当に一日の始まりを告げるイベントなのかもしれない。



「あ、雪見さん達に連絡とらなくてもいいの?」

そこで留美が、思い出したように祐一に聞く。
昨日は連絡をとった記憶がなかったからだ。
はたしてそれでいいのか、と不安になったのかもしれない。
そんな言葉に対し、祐一は、問題ないと言うかのように手を振る。

「あぁ、大丈夫、メール送っといたから」
「え?」
「私達の見張りの時にね」

みさきが補足説明をする。
そして、留美も納得の表情を見せた。










「いよいよだな」

全員がソファに腰掛けたところで、祐一が口を開いた。
全員の視線が祐一に集まる。
とは言え、茜と詩子はすぐに髪の手入れに戻ったが。

「それで、今日はどうするつもりなの?」

留美が、具体的な今日の行動予定について尋ねる。
大雑把でも決めていてもらった方が動きやすいからだろう。

「あぁ、とりあえず出たとこ勝負って感じではあるけど……」

そこで一旦言葉を切る祐一。
そして考えをまとめるように一呼吸おいてから、改めて口を開く。

「とにかく、神器の奪取を最優先に考える。邪魔してくるヤツは……殺すしかないだろうな」

簡潔に、しかし恐ろしいことを口にする祐一。

「わかりました」
「わかったよ」
「了解」
「はい」
「おっけー」

だが、五人の少女達の返答に淀みはない。
けれど、それも当然である。

相手の雇った連中は、間違いなく祐一達を殺しにくる。
殺さなければ殺される。
そういう世界である以上、また死ぬ気などない以上、相手を殺す以外に選択肢は選べない。。
もちろん邪魔しにこなければ、祐一達とて手を出しはしないが……これは望み薄だろう。





「で、レベラインの身の安全のことだが……俺達は何もしない」

続く祐一の発言は、自分達の依頼者の身の安全について。
聞く少女達は、その内容が若干気にならなくもなかったが、彼の言葉を疑うことはない。

自分達が何もしないと言ったとはいえ、身の安全に関して策をとらないと言ってはいないのだから。
あるいは、祐一も既に何らかの策を講じているのかもしれない。

どうあれ、祐一がレベラインを見殺しにすることはないはずだ。
それに、祐一が言っていたように、彼女自身も自衛の手段を講じているはずである。
ならば、過度の心配は無用。

優先すべきことは、神器の奪取と自身の身の安全の確保。
やらなければならないことがある以上、他の事に気を取られているわけにはいかない。

全員がそう考え、静かに頷いた。





「朝食をお持ちしました」

そんな声と共に、最早馴染んだ感のあるメイドが、朝食を持ってきてくれる。
一言二言会話を交わす程度には、顔馴染みになった、と言える。

戦いの前の一時の休息。
まずは腹ごしらえ。
探索時に体調をベストの状態に持っていかなければならないのだ。
慌てず、ゆっくりと朝食をとる。
和気藹々とはいかないまでも、朝食の場には、静かで穏やかな時間が流れていた。










「準備はよろしいですか?」

朝食後、レベラインが部屋に来て、最後の確認をする。
祐一達も、すでに準備万端整っているため、静かに頷いて返す。

「それでは参りましょう」
「あぁ」

レベラインの合図で歩き始める祐一達。
その表情には、昨日のようなのどかさはなかったが、別段緊張しているわけでもなさそうだ。
自然体……それが彼らの戦いに望む際の姿。
その様子を見るに、存分に力を発揮できるコンディションであることは間違いないだろう。
その道中、祐一は最後の確認をとる。



「で、時間制限とかはないのか?」
「一応、期限は今日一杯ということになっています」
「それを過ぎたらどうなるんだ?」
「改めて後日に仕切り直し、ということになります」
「ふーん……ま、そんなに時間をかける気なんてないけどな」
「期待しています」

不敵に笑う祐一。
少し微笑むレベライン。

そんなやり取りをしながら、レベラインを先頭に庭を歩く。
綺麗な庭園であるが、今日はそれに気を取られることはない。
もちろん、それが目に入らないこともないのだが。

と。

「?」

少女達が、何か違和感を感じたような表情になる。
見つめるのは、祐一の背中。
しかし、それを口に出す前に、祐一が顔だけで振り返り、少女達に視線を送る。

交わされた視線。
交わされた意思。

アイコンタクト、とでも言うべきものか。
それで少女達も祐一も何事もなかったように歩を進める。
一瞬であったため、レベラインさえも何も気付いていなかった。

祐一は涼しい顔で。
少女達は納得した表情で。

歩調も変えず、言葉も出さず。
ただ静かに、目的地へと歩く。

太陽が降り注ぎ、庭園を明るく包み込む。
吹き抜ける風が、庭園の木々を大きく揺らしていた。















庭園を抜け、しばらく歩き、祐一達が辿り着いたのは昨日の場所。
大きく口を開けた、天然洞穴への入り口。
闇の始まる場所。

しかし、昨日と違い、今日はそこに大勢の人間がいた。
シリックとミランが、やはりまず目に付く。
そして、双方の後ろに控えている、それぞれ二十人程度の能力者達。

入り口付近には、結界を制御する能力者だろうか、正装した初老の男性。
その隣に、頭首の妻にして、相続候補達の母であろう、年老いた女性。
それを守るように屈強なボディガードが十人。

五十人以上の人間がいるため、ある種息苦しくさえ感じる空間。
ひしひしと、敵意が向けられているのを、祐一達は感じずにおれない。
それが気にならないわけでもなかったが、ここに立たねば話が始まらないのが現状。
故に無表情のまま、レベラインを先頭にそこに歩み寄る。



空から降り注ぐ太陽も。
頬を撫でる風も。
後ろの木々から漂う香りも。

常と変わらないもののはずなのに、なぜか異質なものに思える。

気に入らない人間達がいるせいか、それとも気に入らないことをしなくてはならないからか。
いずれにせよ、心情のためであることは間違いないところだ。
今はもう、自然を楽しむ時間ではないということだろう。










そして、相続候補たる三者が場に揃い、条件は整った。
徐に、年老いた女性が一歩前に出て、静かに口を開く。

「もう話すこともないでしょう。この『アルハース家』を継ぐのは誰なのか、決めてみせなさい」

その声と共に、初老の男性が何やら呪を紡ぎ始める。
それを冷ややかな目で見据える祐一達。



――言葉を媒介に、特定の場所に結界を張る能力か……――



冷静に分析する祐一。
同時に、厄介だな……と思う。

こういうタイプの能力は、発動の条件も厳しく、効果を発揮するまでに時間も手間もかかるのだが、一度発動されてしまえば、破るのは困難。
解除は、結界を張った本人にしか不可能だからだ。
故に、もし自分達がこの洞穴に入った後、彼が再び結界を張ったならば、脱出はまず不可能だと考えられる。
つまり、彼らがその気になれば、祐一達を閉じ込めてしまうことだってできるのだ。



――これもまた、連中のトラップの可能性が高いか――



だからこそ、祐一は警戒する。
この初老の男性が誰なのかは分からないが、その物腰や雰囲気から、この家の執事なのだろう、と考えた。
もし二人の相続候補が言葉を発せば、それに完全に従うであろう、そんな存在だと。

ならば、祐一達が地下に消えた後、再び結界を張る可能性はかなり高いと見ていい。
そして、帰ってきた者が祐一達でなければ再び解除するだろうし、祐一達だったなら解除しないかもしれない。

いずれにせよ、洞穴内部から解除することが極めて困難なトラップ。

実際にその男性がそうすると決まったわけではないが、警戒しておかなければならないだろう。
常に最悪の事態を想定し、それに対する対処法を考案、準備しておく。
臆病なくらいに用心深いことは、自身の生存確率を上げるためにも重要だ。
もちろん、対応に速度が要求される時など、例外はあるものだが。



――……ま、むしろ願ったりってとこだけどな――



結界。
これが張られれば、誰もそれ以上出入りはできない。
そしてそこに、例外はない。
そう、閉じ込められるのは祐一達だけではないのだ。

故に。
祐一達がその能力を振るっても。
九龍の恐怖を発現しても。
誰もそれを伝えることはできない。

願ってもない条件。
おあつらえ向きの舞台。
自分達の情報が漏れる危険が少なく、力を振るうことができるのだから。

閉じ込められるのは誰なのか……逃げ場を失うのは誰なのか……それを教えてやればいい。
そんなことを考えて、自分に言い聞かせるように、祐一は小さく頷いた。










と、一際高い澄んだ破裂音が響いた後、淡い光を放っていた結界が解除される。
と、洞穴の中から、湿った空気が零れる。

地の底まで続くかのような真っ暗な闇が、ここにいる人間達を呑み込まんとしているかのように映る。
深く暗い、どこか淀みを感じさせる空気が、鼻につく。
ただならぬ空気、ただならぬ気配。
それはまるで、内奥に隠されている神器を、誰にも渡さないと主張するがごとく。



「……これで準備は整いました、奥様」
「では、始めましょうか」

なぜか薄く笑みさえ浮かべて、母が子供達に宣言する。
あるいは、彼女は、今のこの状況を楽しんでいるのかもしれない。



そして、遺跡探索に赴く人間達が前に出る。
祐一達は、意図的に少し距離をとっていて、前に出たとは言えないのだが。
あくまでも後方から行く、という意思表示。



「期間は今日が終わるまで。それまでに“白銀”を持ってきた者に、家督を一任します」

そんな確認の言葉の後、開始の合図を送る。
瞬間駆け出す雇われ者達。
少し遅れて祐一達。

一瞬レベラインに視線を送る祐一。
どこか硬い表情が目に映る。
だが、言葉を発することもなく、そのまま視線を前に戻した。

そのまま躊躇うことなく、祐一達は闇の中へと身を投じる。
まるで口をあけた大蛇に呑まれる様に、五十人余りの人間が、深い洞穴の奥へと消えていった。










洞穴内部に入ってから、後ろを振り返ることもなく走り続ける祐一達。
曲がりくねった道ではあるが、一本道のため、道に迷うことはない。
しばらく走っているうちに、階段が見えてきた。

「なるほど、遺跡ってのはそういうことか」
「人が住んでたのかな?」

入り口こそ天然洞穴にしか見えなかったが、中に入れば、そこは石造りの、明らかに人の手が入った洞穴。
淡い光を放つ壁は、発光苔か何かだろうか?
とりあえず、さして明るいわけではないが、視界が確保される程度には照らされている。

「どうなんだろうな。まぁ、とりあえず助かるよ、やり易くてな」
「そうですね」

いちいちライトで照らす必要がないのはありがたい。
そして、走ってきた速度を変えることなく階段を駆け下りる祐一達。
決して急いだりはしない。
なぜなら……



「ったく、鬱陶しい連中だ」
「待ち伏せ……ですね」

少し苛立ったような祐一の声に、佐祐理の声が重なる。
そう……階段を下りた先辺りに、複数の人間のエネルギーが止まっていたのだ。
明らかに待ち伏せだろう。
よもや入ってすぐに仕掛けてくるとは、祐一も思っていなかったが、それを言っても仕方がない。
売られた喧嘩は買うのみだ。

「みさき、俺と一緒に残ってくれ。で、佐祐理と茜と詩子と留美は先に行っててくれ。絶対バラけるなよ」
「わかったよ」
「はいっ」
「わかりました」
「りょーかい」
「わかったわ」

祐一が指示を出す。
そして次いで。

「こいつらを消して、すぐに後を追うから」

底冷えのする声音で、しかと宣言する。
戦いが始まったのだ、ということを。









 続く












後書き



終わらないなぁ、しかし。

まだあと二十話もあるんだもんなぁ(遠い目)

新しい話を書くのなら、もうちょっと気合も乗るのに。

それでも、手を加える箇所が減ってきてることもあって、楽にはなってきてるんです……が。

ずっと続けてるだけに、やっぱり疲れます、精神的に。

早いところ終わらせないとなぁ。