――十五年前、ルセイム地方、その数日後――



ミシルは、家の整理に追われていた。
住み慣れたその家を出ていくために。

あの後、結局姉との対面が実現することはなかった。
いや、ミシルにとっては、むしろそれで良かったのかもしれない。

けれど、弟と、父と、母とは、ミシルが直接別れを告げた。
簡素とさえ言えない程度の棺を用意し、葬儀とさえ呼べないような別れの儀を経て、共同墓地への埋葬……ミシルにできたのは、それだけだ。
安らかとは程遠いような表情の三人を見ても、ミシルの表情が動くことはなかった。
まるで感情が焼き切れてしまったかのように、彼女は淡々と体を動かし続けた。

ミシルは、たった一人で三人を見送った。
父を、母を、弟を。
一人で、大地へと預けた。
せめて、家族を一緒に。
ろくに動かぬ頭でも、それだけは忘れられなかった。



その後、街の人達の合同の葬儀にも、彼女は参列した。
けれどそれでも、何の感慨も、表情も、浮かばない。
悲しみの表情さえも、作ることはできなかった。

だが、誰もそれを咎めたりはしない。
必要以上に同情することもない。

それも当然だろう。
街の誰もが、彼女と同じ状況であり、状態だったのだから。
みんな、同じ苦しみを、味わったのだから。
そして、味わっているのだから。



たった一夜の出来事。
それを超えて生き残った人の数は、驚くほどに少なかった。

たまたまその日に、街を出ていた者。
教会の隠し部屋で、運良く難を逃れた者。
あるいは、戦場で九死に一生を得た者。

それを幸運と言うことは、しかし誰にもできないだろう。
ともあれ、生存者の数は、あまりにも少なかった。
いなくなった人の方が、今生きている人よりも、ずっと多いくらいに。










葬儀などが全て終わった後、ミシルは自分の家へと戻った。
歩くその足取りは重く、動かぬその表情も生気に乏しく。

半ば無意識のまま、彼女は歩き続け……やがて、家に辿り着いた時に。
誰もいない、その家に入った時に。

ミシルは、泣いた。
葬儀の間さえ、終ぞ流れることのなかった涙。
それが、堰を切ったように溢れ出した。
ただ、その場に崩れ落ちて、泣き叫ばずにはいられなかった。
今の今まで、感情が抜け落ちたかのような、能面のような表情だったのが、まるで嘘だったかのように、彼女は泣き続けた。


懐かしい……なぜか懐かしいそこの匂いが、嗅覚を刺激し。
静かな……本当に静かなそこの空気が、聴覚を刺激し。
誰もいない……自分が独りであることを嫌でも自覚させられるそこの風景が、視覚を刺激し。
変わらない……昨日までと何一つ変わっていない、思い出のつまった家具の一つ一つが、触覚を刺激し。


それまでの、張り詰めた心の壁を、簡単に突き崩してしまった。
それが、そこが、限界だった。





もう、あの優しかったお父さんはいない。
優しく見守ってくれた、大好きなお父さんは、どこにもいない。


もう、あの優しかったお母さんはいない。
温かく包み込んでくれた、大好きなお母さんは、どこにもいない。


もう、あの優しかったお姉ちゃんはいない。
いつも一緒だった、大好きなお姉ちゃんは、どこにもいない


もう、あの優しかった弟はいない。
私に甘えてくれていた、大好きな弟は、どこにもいない。





独りぼっち。
もう、私は独りぼっち。
大好きなのに……大好きだったのに……もう、会えない。



優しく頭を撫でてくれることもない。

温かく抱きしめてくれることもない。

笑顔を見せてくれることもない。

褒めてくれることも、叱ってくれることもない。

一緒に寝てくれることもない。

ドアを開けて、出迎えてくれることもない。

今日の出来事を話すこともできない。

今までの思い出を話すこともできない。

未来の夢を聞いてくれることもない。

温かかった、あの光景を見ることは、もう二度と、ない。



返して……返して……

みんなを、返して。
あの日々を、返して。
幸せを、返して。



どうして?
どうして、こんなことが起きたの?
どうして、こんな目に会わなくちゃならないの?

私達が、何をしたの?
何をしたっていうの?





ミシルは、ただ泣き続けていた。
声の限りに。
想いの限りに。

一度決壊した心の堤防は、容易には戻らない。
溢れ出る涙を止める術など、ミシルにはなかった。
どうして、と、何度も何度も感情のままに繰り返して、ただ涙を流し続けた。



結局、それから一日中、彼女の涙が止まることはなかった。
もし、隣に住んでいたミシル達と親しかった人が、彼女を心配して来てくれなければ、もっと泣き続けていたかもしれない。
自分も辛いはずなのに、それでも心配してくれるその気持ちを受け止めて、ミシルの心も、ようやく動き始めたのだ。










そして今、彼女は荷物をまとめている。
その家で暮らすのは、あまりにも辛いから。
今の彼女には、辛過ぎるから。





たまたま、テレビをつけていた。
本当に、たまたま。
ただ、音がほしくて、それだけの理由で、彼女はテレビをつけていた。

けれど、理由などどうでもいいことだ。
きっとテレビをつけていなかったとしても、彼女は知ることになっただろうから。

とにかく、テレビがその時ついていた。
そして、昼のニュースを流していた。
興味も関心もないようなニュースばかりだったのだが、一つだけ、ミシルを驚愕させるニュースが、そこにはあった。
整理を続けるミシルの手を止めるようなニュースが。



『今日午前十時頃、危険能力者を撃退したアルハース家に男が侵入し、報復行為を働こうとするという事件がありました。戦闘の際、男は激しく抵抗し……』



アナウンサーのその言葉に、思わず反射的に目を向けたミシルの目に飛び込んできたのは、自分の知る人の……姉を愛した人の……姉が愛した人の……顔写真。

画面一杯に映された、クリスの写真。

その下に、『死亡した容疑者』、という説明書きのついた、クリスの写真。





なお続くアナウンサーの事件の概要についての話は、耳を通り抜けていた。
ミシルは、ただ目を見開き、その写真に見入っていた。

それが、襲われかけた二人の男……英雄扱いを受けている、シリックとミランという、二人の男に変わった時に。
二人が、インタビューでも受けているのか、得意げに何かを話している時に。

ミシルは、理解した。










この連中が、自分達から全てを奪ったのだ、と。

父も、母も、姉も、弟も、もうすぐ家族になったはずの人も、親しかった街の人達も、皆……

この連中に殺されたのだ、と。















神へと至る道



第41話  決着へ















「ダメっ!」



響く叫び声。
飛び出す体。
衝撃の瞬間。



響く発射音。
止まる時間。
牙を剥く弾丸。



誰もが、何もできず、何も理解できない、そんな刹那の時間。
一瞬の間に。



「そうだよっ、ダメなんだよっ」

だが、皆の耳に聞こえてきたのは、弾丸が体を抉る音などではなく、小さなソプラノ。
少女らしい無邪気さに満ちた、やはりどこまでも、この殺伐とした場の空気に適さない声。

「え?」
「な……?」

意味を成さない呟きが、その場にいた者達の口から零れる。
信じられない光景が、目の前に広がっていた。
誰もが言葉を失う光景が。



「いたた……やっぱり痛いよ、拳銃って。もう、だからイヤなんだよね」

手を振りながら、けれど何の変調も感じさせずにそんなことを言うのは、まい。
自分を守ろうとしてくれた人を、しかし庇ったのは、当のまい。

前に飛び出した彼女の、そのさらに前方に出て、両手で銃弾を受け止めたのだ。
それはあまりにも不自然で、不可解な光景。
あり得ないはずの光景。

可愛らしく腕を振りながら、少し目に涙を滲ませているその姿には、先程銃弾を受け止めた姿が、どうしても重なってはくれない。
どこから見てもただの女の子。
力強さとは無縁の立ち姿。
銃弾を受け止めたはずのその手からは、血も出ていないし、一つの傷もない。
ただ痛がっていることからしか、先の出来事を想像させない。



「……一体……?」

結果として庇われる形になった彼女の言葉は、当惑に満ちていた。
だが、呆然とするのも無理はない。
自分が身を挺して守ろうとしたはずなのに、逆に守られてしまっていたのだから。

「ダメなんだよ! みんなが来るまで、誰も死なせたりなんてしないんだから!」

ビッと指を前方に突きつけたポーズをとり、そう宣言するまい。
その姿もその声も、やはりどうしたってただの可愛らしい女の子にしか見えない。
それでも、彼女は銃弾を素手で止めて見せたのだ。
その事実がある以上、彼女がただの少女であるはずなどない。





「お、おい、お前ら! 何をしてる! さっさとこのガキをどうにかしろっ!」

シリックの声が響く。
おそらく、混乱から完全に抜け切っていないのだろう。
上ずっているその声からは、先程までの余裕は、欠片ほども見当たらない。

けれどとにかく、そんな命令が発せられたことにより、ボディガードの男達が動き出そうとする。
各々が武器を取り出し、見た目と違い、普通ではない少女、まいを撃退すべく、前へと足を進める。
その目に宿るのは、確かな殺意。



それに表情を変えたのは、まい以外の人間。
こんな小さな少女を、力で排そうとするその考えに、反感を覚えずにはいられないのだろう。
けれど、動くわけにはいかないのが現状。

イレギュラーな存在が、イレギュラーな事態を引き起こしたものの、結局、先とは何も変わっていない。
人質をとられ、また、何も決め手がないままなのだ。
誰も守れず、何もできず。
ただ、最期の時間が先延ばしされただけ。
そう考えていた。










だが。










「そこまで……」

凛とした声が、静かに、だが重く、場に響き渡った。
短い言葉。
だが、同時に力強い言葉。
その言葉に、全員が声の方向を向く。
声の発信源は、後方の小高い場所。



「……女?」

そこにいたのは、長く艶やかな黒髪を、紫色のリボンで纏めている少女。
顔の造りは東洋人のもので、その手には日本刀が握られていた。
そして、無表情に、ただ場を見下ろしている。
どこか不思議で、どこか神秘的な雰囲気を湛える美少女。
表情を隠したようなその相貌は、思わず見とれるほどに美しかった。

だが、それに心を奪われる間もなく、男達の視界から、その少女の姿が消える。
そして、姿が消えたことを認識する間も与えられずに。

「な……?!」

ボディガードの一人が、血飛沫をあげて、地面に倒れ伏す。
斬られた部位を押さえ、呻き声を上げる男。
臨戦態勢に入っていたはずなのに、一瞬のうちに行動不能にされてしまったのだ。
その隣にいた男が漏らした声には、驚愕の色しかなかった。

彼らの目の前に立っていたのは、先程の少女。
手には、日の光に煌く白刃。
少女は、ゆらり、とその刀を、再び胸の高さにまで上げる。
そんな姿にも、言葉を失わせるほどの美しさがあった。
妖しく、冷たく、心を震わせる、美しさが。



「あと、九人」

静かに呟いたその言葉が場に浸透するや否や、ボディガードの男達も、我を取り戻す。
その言葉に込められた意味に気付かないほど、間が抜けているわけがない。

「この女ァッ!」

そして、怒りを隠さず、武器を構え、それぞれがエネルギーを展開した。
それは、確かな強さを持つ者のエネルギー。
数も九人……油断していない今なら、負ける要素はないはずだ、と男達は確信する。

「楽に死ねると思うなよっ!」

瞬間、隣の男が飛びかかる。
手には何も持っていない。
だが、その拳に集中させているエネルギーは、決して小さなものではない。
それでも表情一つ変えない少女。
そして、男の拳が振りぬかれる瞬間に。

流れるように体を右へと逸らし、少女がその拳を回避する。
その動きは、まるでエネルギーの奔流を受け流すかのように。
風に揺られながらも、決して折れることのない柳のように。

男が、自分の攻撃を回避された、と気付くより早く、少女が攻撃の態勢に移る。
突進してきた男に対して、少女は動いていないのだ……結果的に、懐に飛び込んだことにも等しい。
少女の左手は、男の腹部に照準を絞っている。
その直後。



「っ……!」

鈍い炸裂音と共に、体をくの字に曲げた体勢で、後方へ吹き飛ぶ男。
そのまま砂地に転がり、痙攣する体。
苦痛を噛み殺すような呻き声が、微かに聞こえる。
こちらもまた、当分は身動き一つ取ることさえできないだろう。
相手の勢いに合わせて鳩尾に放った掌打……少女は、ただその一撃だけで、展開されていた防壁を打ち破り、男の体に深いダメージを刻んだのだ。
だが、それに目を奪われるのは、戦場では致命的なミス。

少女は、掌打を決めた勢いのままに、近くに固まっていた男達三人へと、瞬時に肉薄。
接近を許したことに、男達が驚愕するより早く、少女は刀を持つ右手を、後方へとしならせる。
次の瞬間に、その右手を一気に振り払う。
空気を切り裂く鋭い音と同時に、男達の体に刀が叩き込まれる。
骨の折れる鈍い音を残しながら、後方へと吹き飛ぶ男達。
もんどりうつ様に大地に転がり、そのまま動きを止める。
時折痙攣するように震えるその体を見るに、どうやら意識を失ってしまっているらしい。

「……」

白く煌く刀を振りぬいた少女の腕は細く、とても男三人の体を刀で殴り飛ばせるようには見えない。
それはすなわち、彼女の持つエネルギーが、いかに凄まじいかということを表していることになる。
一瞬のうちに五人もの男を行動不能状態に叩き込んだことからも、それは明らか。
頭に血を昇らせていた残りの男達は、そこでようやく、自分達と少女の間にある、絶対的と思えるほどの力の差を感じ取った。



「ぅ……うわあっ!」

そこに思い至った男達は、悲鳴を上げて逃げ出した。
場の全員に背中を見せて、ただ遠くへ向かって駆け出す。
シリックとミランが、それを叱責しようとした瞬間、五人の体に影が落ちる。

「なっ……!」

突然五人の前に現れた、甲冑を身に纏った騎士が、硬く握り締めたその鉄の拳で、男達を殴りつけた。
驚愕するその顔に拳を叩き込まれ、一瞬で意識を飛ばす男達。
弾かれるように後方へと転がり、力なく沈む五人。

こうして、十人もの男達が、あっという間に戦闘不能になった。
そのあまりに現実離れした光景に、一同は言葉を失う。
それは、アルハース家の人間だけでなく、復讐を企んでいた者達も同様。
混沌としていた場は、一瞬のうちに静寂に落とされた。





「もう。来るの遅いよ、舞」
「……できる限り急いだ」

とことこと。
まいが少女――舞に歩み寄って、文句を言う。
それに対し、舞はあくまで静かに返す。
止まった空間において、何の影響も受けずに言葉を交わす二人。
そして。

『お疲れ様なの、まいちゃん』

にこにこと。
スケッチブックを掲げている少女――澪。
気絶した五人の男を、まるで荷物のように担いだ騎士五人を引き連れるその姿は、さしずめどこかの王家の姫といった風情だ。

「うんっ」

澪の労いに、笑顔で返すまい。
その後二人で手を握り合って、再会と無事を喜び合う。
どこか平和な光景。
場違いなほどに平和な空気。





「きっ……貴様ら! 一体何者だ?!」

少し震えながら、シリックが問う。
ボディガードをいきなり全滅させられ、気が動転しているらしい。
状況は、一気に変えられてしまった。
だが。

「ひ、人質は、まだいるんだぞ?!」

そう、まだ彼らには、切り札が残されている。
能力者達の家族。
そして、今遺跡に侵入している人間達。

偽レベラインを助けに来たことから、少女達が遺跡に侵入している人間達の仲間であることは、二人のも容易に理解できた。
そうであるならば、未だに自分達が優勢なのだ、と二人は考える。
場を支配しているのは、自分達なのだ、とも。



「……」

表情を変えずにそちらを見る舞。
きょとんとした表情に変わるのは、まいと澪。

それは、何を言っているのか分からない、という風にも見えるし、余裕の表情にも見える。
だが、少なくとも、人質を取られている人間のする表情ではない。



「わかっているのか?! この結界がある以上、お前らの仲間は閉じ込められたままなんだぞ?!」
「俺達が命令しない限り、解除することなんてないんだよ!」

そう言いながら、傍らに立つ執事を指差すミラン。
さらに続けて。

「言っとくが、こいつを殺せばいいなんて考えるなよ?」
「そうだ。殺せば解除されるわけじゃない。むしろ逆だ。殺してしまえば、永遠に閉じ込められたままになるぞ!」

口に出すことで、改めて状況を理解したのか、シリックとミランは、少しずつ冷静さを取り戻してきたようだ。
声にも、余裕が戻ってきているのがわかる。

そう、彼らがが命令しない限り、結界が解除されることはなく、すなわち遺跡から脱出することは、誰にも不可能なのだ。
ということは、少女達は、二人の命令に、絶対に服従しなければならないことになる。
それが理解できないほど馬鹿でもないだろう、と判断し、彼らはようやく落ち着きを取り戻したようだ。

「わかったか? とりあえず俺達に攻撃することは許さないぜ」
「俺達に逆らった瞬間、人質は助からなくなると思うんだな」

そう言うと、軽い笑みを浮かべる。
勝者の笑み。
勝者の余裕。
だが。



「……?」

何の話? と言わんばかりに首を傾げる舞。
何を言ってるかわかっていないのか、きょとんとしたままの、まいと澪。
まるで先程と変わらぬ、余裕に満ちた態度。
唇を噛み締め、敗北感に浸っているのは、復讐を狙っていた者達だけ。

それが不可解で、それ以上に不愉快なのだろう。
声を荒げ、さらに二人が言葉を続けようとしたその瞬間。















「なるほど、よくわかりました」

涼やかな声音が、静かに場の空気を揺らした。
それは、場の誰とも違う声。
と、新たな乱入者に、場の人間が反応するよりも早く。



――優しき者の遊戯(フォックス・ブレス) ――



微かな光が、シリックとミランの背後に漏れた。
思わず振り返る二人。
そこにいたのは、執事……と、その傍で無表情のまま佇む一人の少女。
少女は、風に揺れる肩口までの長さの薄紅色の髪を片手で押さえ、何事もなかったように、ただ静かに立っている。

彼女がいつの間にその場に現れたのか、ということよりも先に二人が驚愕したこと。
それは、執事の表情。
死人のような目と、覇気を失った相貌。
まるで麻薬を打たれた人間のように、無気力にして無表情。



「では、結界を解除してください」

驚愕する二人に一瞥さえくれずに、少女がそんな命令を下す。
無表情のまま、そして執事の方を見ることさえもなく。
それは、二人からすれば、あり得ない命令。
忠実なるその執事が従うはずのない、命令。
だが。



「……」

ふらふらと。
頼りない、覚束ない足取りで、執事が、結界の張られた洞窟の入り口に向かって歩き始める。
死んだ目で、死んだ表情で。
何の感情も感慨も浮かべずに。
ただ、少女の命令に素直に従って。
それを見て、驚愕より、戦慄より早く、二人が思わず叫ぶ。

「な、何のマネだっ!」
「主の命令が聞けないのか?!」
「少しお静かに」

だが、返ってきたのは、見知らぬ少女の声。
感情を見せない表情で、言葉こそ丁寧なものの、凍るような声音で。
当然、この言葉を黙って受け入れる二人ではない。

「な……!」

激昂しかけた二人のその声は、しかし最後まで発せられることはなかった。
いつの間にか、先程の騎士が二人、自分達の目の前に立っていたから。
そして。



「とりあえず、拘束しておいてください」

少女――美汐の声が響く。
その声に応え、騎士が二人を取り押さえる。
そこには、一切の容赦もない。
掴まれた部分が傷むのか、二人の表情に苦悶の色が表れる。
完全なる拘束。





そして解除される結界。
洞窟内の湿った空気が、ゆっくりと地上に漏れてくる。
それを見て、明らかに表情が変わるシリックとミラン。
味わっている苦痛に加え、そのことに対する驚愕、加えて目の前の人間達への憎悪が、心を支配する。

「貴様らッ……俺達にこんなことをして、ただで済むと思っているのか……っ!」
「人質は、まだいるんだぞ……?!」

苦痛の中、それだけ喋ることができるのも、ある意味見上げた根性だと言えるだろう。
だが、それはむしろ、この場ではマイナスに働く。

「……まだ理解できていないんですか? 自分達の置かれた状況が」

冷静にそれを見下す美汐。
その冷厳な目が、恐れよりもまず、怒りを呼び起こす。

自分達が支配者なのに。
自分達に逆らう者など、あってはならないのに。
二人は、そんなことを口にしようとしたのだが。



「……仕方ありませんね。右腕を」

美汐の静かな声が、空気を微かに震わせる。
二人が、その言葉の意味に考えを巡らせる前に、騎士が二人の右腕を掴み、あらぬ方向に勢いよく捻じ曲げた。



「がぁっ……!」
「うぁっ……!」

騎士の動きに、躊躇いはなかった。
美汐の言葉が届くや否や、問答無用で二人の右腕をへし折ったのだ。

まるで、与えられた仕事をこなすかのように。
ただ忠実に。
何も感じずに、何も考えずに。

二人の表情が、大きく歪む。
走る鈍痛。
初めて喚起する、恐怖。



「貴様……人質が、どうなっても、いいのか……?」
「俺達の、命令が、ないと、解放、されない、ぞ……?」

それでも、荒く呼吸をしながら、なおも強気に言葉を発し続けるシリックとミラン。
もはや、それは彼らの最後の意地のようなもの。
しかし。



「……左腕も折った方がよろしいですか?」

やはり淡々とした声で返す美汐。
その声を耳にして、顔を青ざめさせた二人。
こんなことを聞いてしまっては、二人もさすがに黙らざるを得なくなる。
震えながら口を噤んだ二人を見て、美汐も言葉を止めた。

もし、二人がさらに言葉を発していれば、彼女は、容赦なく騎士に腕を折るように命令していただろう。
一切の容赦も、慈悲も、躊躇も、そこにはない。
恐ろしいほどに冷酷。
極寒の冬を思わせるほどに冷厳な眼差しに、シリックもミランも言葉を奪われる。



「「……」」

激痛と恐怖に、喋ることさえできなくなった二人。
いっそ気を失えるなら楽になれるだろうが、死を予感させる空気と、戦慄するほどの恐怖が、それを許してはくれない。

「今、この場を支配しているのは、あなた達ではありません。私達です。誤解しないでください」

やはり変わらず、冷ややかに見下す美汐……その姿に、二人のみならず、背後の能力者達も息を呑む。
口を挟むこともできない。

その冷厳さに。
その強さに。

驚愕せずにはいられない。
恐怖せずにはいられない。





「さて、それでは質問です。あなた方が捕らえているという人質達は、どこにいるのですか?」

冷静さを崩さずに、そう問う美汐。
射抜くような視線。

「お、教えて、ほしいなら……」

二人の口から漏れる言葉。
自分達の最後の砦……最後の切り札。
だからこそ、ここで使おうとするのだが。





「……困りましたね、拷問の類は好きではないのですが」

やはり冷静に。
少し眉根を寄せて。
まるで、食事に嫌いなメニューでも出たかのように。
そんな風に軽く呟く美汐に、改めて恐怖を抱く二人。
そして。

「どうやら勘違いをしているようですね。人質をとる、という作戦は、あくまでも対等以下の相手にしか通用しません。覚えておいた方がいいでしょう」

改めて凍るような目を向ける美汐。
そもそもの格が違う……言外にそんなことを匂わせながら。
押し黙った二人に対し、美汐はさらに言葉を続ける。





「では、こう問えば理解できるでしょうか。大人しく白状するか、大人しく死ぬか、あなた達は、そのどちらがよろしいですか?」









 続く












後書き



美汐さんの能力いいなぁ、と再確認してみたり。

制限の多い能力ではありますが、その分強力なわけですね、はい。

さてと、次回で一応の決着がつきます。

んで、エピローグ、と。

それでようやく第一章も終わり……長かったなぁ。

っても、第二章はもっと話数増えるだろうけど(笑)