アリエスが部屋を辞した後、思い思いに時間を過ごしていた祐一達だったが、日が沈む頃になると、揃って窓の近くに集まっていた。
そうして並んで眺めるのは、沈み行く夕陽。
示し合わせたわけでもないのだが、自然に集まっていたのだ。
「海に沈む夕陽って、きれいなんだな……」
「うん。すごいね、なんか」
感動しているような祐一の発言に、詩子の感嘆の言葉が続く。
その他の面々も、言葉にせずとも、考えていることは同じらしい。
感に堪えないといった風情で、窓の外に目を向けている。
ソファに腰掛けている者も、立っている者も、皆夕陽に照らされ、その横顔を真っ赤に染めていた。
射しこんでくる光は強いくらいで、全員が少し眩しげに目を細めてはいるものの、目を逸らしたりはしない。
その美しい光景を、心に刻もうとするかのように、ただ目を奪われるのみ。
それは、確かに心奪われる光景だった。
空を燃やし、山を焦がし、真っ赤な円が海に溶けてゆく。
水平線に触れた端から、ゆっくりと海に溶けてゆくその様は、とても言葉で表現しきれるものではない。
美しい、の一言などで片付けられるものではない。
この景色を前にしては、千の言葉も意味を成さない。
目に映る全てを赤く染め上げる太陽。
それは、一日の限られた時間にしか見られない光景。
闇に射す赤き光は、一日の始まりを宣言し、闇に消える赤き光が、一日の終わりを宣言する。
今、この場所に夜の訪れを告げているあの太陽は、同時に、世界のどこかに朝の訪れを告げているのだ。
この星の誕生以来、それは連綿と繰り返されてきた伝統。
空の端で輝く太陽は、生物の誕生も、様々な種の栄枯盛衰も、彼ら人類の発展も、常に見守ってきたのだ。
心奪われぬはずがない。
「……展望もこの部屋の売りの一つだって話だったけど、こりゃ確かに納得だな」
広さや、調度品などの豪華さだけでなく、その展望もまた、この部屋の特色。
なるほど、デラックスルームという名前は伊達じゃない。
祐一は、素直な感嘆の言葉を零す。
太陽はもう、ほとんど海の向こうへと消えかけていたが、それでも誰も動かない。
完全に太陽が姿を隠し、闇が広がり始めるまで、誰も視線を逸らすこともなかった。
「それで、夕食も運んでもらえるのですか?」
「あぁ、明日の昼食以外はそうしてもらうことになってる」
それからしばらくして、美汐が、これからのことを祐一に尋ねる。
明日の昼食以外ということは、明日の昼は外で食事をするということだろう。
「観光でもするつもり?」
「うーん……そんな気分でもないけどさ、部屋に閉じ篭ってるのもちょっと抵抗あるだろ」
雪見のちょっと呆れ加減の声に、祐一は苦笑を返す。
明後日には命がけの戦闘に突入するのだ。
のんびり観光する気分になれないのも当然のことだろう。
「それがいいんじゃない? どうせもうやることもないんだし、気分転換だと思えば」
留美の発言。
彼女の言う通り、明日何かしなければならないことがあるわけじゃないのだ。
軽く運動しておく、というのは必要だが、それだけで一日が終わるわけがない。
部屋に閉じ込められてストレスを溜めるのは、むしろマイナスでしかないだろう。
となれば、外に出て気分転換でもしていた方が、いいコンディションで当日を迎えられるはずだ。
『せっかくだから街を見て回りたいの』
「うんうん、それがいいよ」
そして、澪とみさきが、その意見を擁護する。
まぁ、みさきの場合は、日本にいては出会うことの叶わない様々な料理に思いを馳せているのだろうけれど。
とは言え、それに反対意見が出るはずもない。
異国の地でしか味わえぬ未知の味に、興味がないわけがないのだから。
「そうね、確かにそれも一理あるかしら」
「はい。わざわざストレスを溜めることもありませんし」
そんな思惑に押されたわけでもないだろうが、雪見と美汐も同意を示す。
言葉にはしていないが、舞も佐祐理も茜も詩子も、反対する意思など皆無のようだ。
「それじゃ決定だな。明日は街を散策するってことで」
祐一がそう言って話を締める。
予定と言うにはあまりに大雑把ではあるが、細々とスケジュールを考える必要もない。
しばらくすると、待望の夕食が運ばれてきた。
昼食とはまた異なる、実に豪勢な食事。
それぞれに堪能し、当然と言おうか、全員が満足そうな表情を見せる。
そうして、一日目の夜は更けていった。
神へと至る道
第48話 決戦前日の風景
翌日、午前八時。
デラックスルームだけに部屋数も多く、全員が思い思いの部屋でゆっくりと休んだことが功を奏したのか、寝坊するような者はいなかった。
もっとも、若干一名は、多少時間がかかったけれど。
目を覚まし、着替えを済ませると、全員が大部屋に集まり、朝食となる。
当然と言うか、洋食スタイルの食事だ。
「……朝は、ご飯と味噌汁であるべきでしょう」
「ムチャ言うわね」
不満げな美汐にかけられる留美の声。
まるで何かに打ちひしがれたような美汐。
手に持った湯呑みが、ちょっとだけ哀愁を誘う。
パンとコーヒーの朝食を許せない日本人も多いというが、彼女もまたそうらしい。
だが、もちろん何を言おうと朝食のメニューは変わらない。
諦めて食べるか、食べるのを諦めるか。
非情の二者択一である……とは言い過ぎだが。
何にせよ、美汐にとっては、結構重要な問題なのだ。
そんな美汐の葛藤を他所に、他の面々はそれぞれのペースで、順調に朝食を口に運んでいた。
隣にブレーキをかけられながら、食べ進めるみさきと舞。
隣にブレーキをかけながら、食べ進める雪見と佐祐理。
コーヒーに、ミルクや砂糖をこれでもかと注ぎ込む茜と、それを見て顔を青くする澪。
コーヒーはブラックだろ、と力説する祐一に、隙あらば砂糖を入れてみようと狙っている詩子。
かなりのハイペースでテーブルから消えていく食事を見て、さすがに心配になったのか、美汐も諦めて食事に取りかかり始める。
苦笑しながら美汐の背中を叩いている留美が、ちょっとだけ印象深い。
今日は特に予定を決めているわけでもないため、時間を気にする者もいない。
それぞれのペースで、ゆったりと時間を過ごしながら、朝食は見事に消えていった。
「で、どこに行きましょうか?」
「そうですね……」
雪見と佐祐理が、フロントでこれからの予定を話し合っている。
行き当たりばったりでいいだろうという意見もあったが、さすがに何も考えず適当に、というわけにもいかない。
不案内な土地であるわけだし、フロントで地図をもらい、また名所などについて聞いて、今日の目的地を決定することにする。
「動物園、行きたい」
「えーと……あ、ダメですね、今日は休みです」
「残念……」
「また次の機会がありますよ」
無類の動物好きである舞の意見だったが、休業日という壁に阻まれ、あえなく却下となる。
それを聞いて残念そうにする舞を、美汐が励ましている。
そんな光景を目の端に収めながら、どうするかについての相談を続ける。
色々と話し合った結果、歩いて三十分ほどの所にある公園に行くことにした。
公園といっても、その占有面積は相当に広く、この街の人々の憩いの場所となっているという話だ。
また、園内を利用しているのは、何も人間だけではない。
様々な動物達もまた、そこを生きる場にしている。
散策するだけでも、それなりに楽しめることだろう。
そして、散策が終わったら食事。
それが終わってからは、のんびりと街を見て回り、買い物でもすればいいだろう、という結論になった。
フロント係に見送られ、ホテルを出ると、地図を持っている雪見を先頭に、ゆっくりと歩き始める。
急ぐ理由もないし、のんびりと街の空気に浸りながら、公園を目指す。
昨日も感じたことだが、街が活気に満ちている。
春になり、それが人の心を多少なりとも浮つかせているのかもしれないが、それを置いても、この街の賑わいは立派なものだ。
店先で様々な品を手にとって、笑顔で店主と相対する人。
カフェでのんびりと本を読みながら、コーヒーを楽しむ人。
仕事のためか、時計を確認しながら早足で歩く人。
のんびりと散歩しているらしき人。
その誰もが、それぞれに日常を謳歌しているように見受けられる。
自覚があるかどうかはわからないけれど、彼らはきっと幸せなのだろう。
そう思わせるだけの空気が、街を満たしていた。
何となく、祐一は微笑ましく思う。
春の風が頬を撫で、暖かな陽射しが目に飛び込んでくる。
ついこの間まで、冬の寒さに身を震わせていたのが嘘のようだ。
厳しい冬を乗り越えた木々も、春の到来を喜んでいるかのように芽吹いている。
これからの季節は、誰もが活動的になるだろう。
だが、祐一達が春を堪能するのは、もう少し先になる。
全ては、明日という日を乗り越えてこそ。
アルテマとの戦いを乗り越え、生き抜いてこそ。
とりあえず、今日は休息なんだと思い直して、祐一は思考を停止する。
自覚はしていなかったけれど、どうも戦闘を目前に控えて、精神が少し高揚しているらしい。
今から心を乱していたら、明日が大変だ。
軽く首を振り、改めて前を見る。
「……」
そこで、前を歩く雪見の意味ありげな視線にぶつかった。
どうも、考え込んでいるところを見られていたらしい。
祐一が苦笑しながら、大丈夫だ、とばかりに手を振ってみせると、雪見もまた、苦笑混じりに手を振り返す。
そんな一幕があったものの、特に問題も起こることはなく、目的地に到着する。
「何か、森林浴してるみたいだね」
「確かに……でも、いいと思いますよ」
公園内の道を歩きながら、感慨深げに呟く詩子と茜。
鬱蒼と茂る木々の中を通る道を歩いていると、詩子の言葉通り、まるで森林浴でもしているかのように思えてしまう。
公園が広いからか、人とすれ違うことはそれほど多くないため、ゆっくりと散歩を楽しむことができる。
これもまた、この公園が親しまれる所以なのだろう。
「……猫さん」
「あ、ホントですねー」
『かわいいの』
木の根元でまどろんでいるらしき猫の姿に、嬉しそうな顔を見せるのは、舞と佐祐理と澪。
近づいたらきっと逃げられるだろうし、眠っているのを妨げたくない、と思っているらしく、あまり近づこうとしていない。
もっとも、上げられかけている手を見るに、きっと近づいて抱き上げたいと思ってはいるのだろうけれど。
「うーん、いい空気」
「そうね、やっぱりこれだけ緑があると気持ちいいわ」
深呼吸しているみさき。
目は見えなくとも、匂いや音、感触などで自然を味わうことはできる。
微かに薫る木々、遠く聞こえる小鳥のさえずり、少しひんやりとした空気。
自然を堪能し、思わず笑顔が零れる。
雪見もまた、そんなみさきに同意を示す。
都会の中にあって、自然を味わうことができる……それは気分もいいというものだ。
「落ち着いた雰囲気がいいですね」
「静かな公園をゆったりと散策するっていうのも、悪くないものね」
五感でこの空気を味わっているのは美汐。
街中を歩いている時は、人の喧騒や車の騒音などがあったのだが、ここは、木々がそれを吸収しているのかと思うほどに静かだった。
彼女にとっては、こういう空気が一番落ち着くのだろう。
そんな美汐とは対照的に、結構キョロキョロと周囲を見回しているのは留美。
例えば木々を見ていたり、それに止まる小鳥を見ていたり、歩いている猫を見ていたり。
落ち着きがないと言えなくもないが、これは彼女の性格によるものだろう。
元々が行動派なので、そうなってしまうのだ。
まぁ、それでも彼女なりに楽しんでいることは間違いないので、それでいいのだろう。
それから昼食の時間までは、皆がそれぞれ思い思いに行動することにし、一時解散となった。
そして、時間と集合場所を決めると、ある者は散策を続け、ある者は動物とたわむれ、ある者は公園の中心部にある芝生で日向ぼっこをし。
皆がリラックスした時間を過ごした。
そして昼食。
ホテルで紹介された評判のレストランに入る。
さすがと言うべきか、その評判に恥じない至高の品々に、全員が舌鼓を打つ。
有名所であるためか、少し待たされたりしたのだが、そんなことを忘れてしまうくらいの味だった。
もっと食べたい、という意見を抑えこんで店を出ると、不満を解消させるため、近くにあったカフェに入る。
コーヒーを味わう者、デザートを味わう者、サンドイッチを頬張る者。
それぞれに堪能し、時間を過ごす。
そして、カフェを出た後は、歩きながら目に留まった店を覗き込み、ショッピングを楽しむ。
単に店を冷やかすだけ、という所もあったし、素通りする、という所もあった。
とは言え、幾つかの店では、少女達が色々と買っていたりしたが。
公園にいた時とは、また違った喜びの色を表情に出しながら、それでも楽しげに買い物を続けていた。
そんな風に時間を過ごしていると、やはりあっという間に夕闇が迫ってくる。
何軒目かの店を出たとき、ふと見れば、大分陽が傾いていた。
さすがにこれ以上は止めておこう、ということになり、彼らは揃ってホテルへと戻る。
それでも、全員が満足げな表情をしていた。
「さてと。それじゃ、最後の確認をしとこうか」
ホテルに入り、部屋に戻ると、まず荷物の片付け。
それが終わると、今度は美汐が入れてくれたお茶を飲みながら、祐一が最終確認を促す。
全員がその言葉に頷くと、改めて明日のことを話し合う。
それぞれの役割と手筈。
そして、作戦の確認。
とはいえ、既に何度も話し合われたことだ。
結局のところ、あくまでも念のために行う確認に過ぎないので、それはスムーズに運んだ。
そして夕食をとると、皆早めに寝るために、それぞれの寝室へと入る。
明日に疲れを残すわけにはいかないのだ。
そうして二日目の夜は、一日目と同じく、静かに更けていった。
翌日の午前八時。
「よっし、みんな体調は万全だよな」
朝食を食べながらの祐一の発言に、力強く頷く面々。
ぐっすりと眠って、しっかりと目を覚ました。
そして今、それぞれがきちんと食事をとっている。
「アルテマの拠点までは車で一時間。だから、あと三十分くらいで迎えがくるな」
時計を見ながら祐一が呟く。
決戦が近いからか、その表情にも緊張の色が垣間見える。
「問題はやはり、例の二人がいるか否か、ですね」
「……いないのが一番だけど、いるって思ってた方がいいでしょうね」
美汐の発した“二人”という単語に、全員が表情を変える。
アルテマを束ねる者との戦闘……これは、できれば回避したいところではあった。
だが、いるかいないかわからない場合は、雪見の言う通り、いると思って行動した方がいい。
いくら相手にしたくなくとも、もしそこにいた場合は、相手をせずには済ませられないのだから。
「そうだな。最悪両方ともいるかもしれないんだ。覚悟はしておこう」
祐一が釘を刺す。
アルテマを支える二人の両方を相手にする……想像するだけでも嫌になる。
だが、その可能性がゼロではない以上、心に留めておかなければならない。
その事態に、備えていなければならない。
祐一の言葉に、全員がしっかりと返事をし、改めて覚悟を決める。
「さて、じゃあそろそろ準備にかかろうか」
食事も終わり、あとは迎えが来るのを待つだけ。
となれば、策のために準備をしておいた方がいい。
祐一の言葉に、佐祐理と美汐が頷き、それぞれ準備に取りかかる。
「お待たせしました」
きっかり午前八時半に、迎えの人間が到着したことをフロントから伝えられ、下に降りてきた祐一達は、そんな出迎えの言葉に頷くと、外の車へと向かう。
そこには、保護機関の人間が数人、並んで待っていた。
「……おや? 人数は十人と聞いていたのですが」
そこでかけられる、迎えの人間の不思議そうな声。
まぁ、それも無理はない。
上階から降りてきたのは、八人だったのだから。
「心配いらない。これも作戦さ」
祐一が、代表するかのように答える。
浮かべるのは、どこか楽しそうな笑み。
「わかりました。それでは参りましょうか」
疑問が消えたわけでもないだろうが、何か考えがあるのだろうと解釈したらしく、返した返事は了解のそれ。
それから全員が車に乗り込むと、静かに車が動き出し、目的地へと走り出す。
緊張していないわけでもないだろうが、祐一は目を閉じて楽にしているし、その他の面々もかなりリラックスしている様子だ。
むしろ、緊張しているのは保護機関の人間達だった。
安全とわかってはいても、やはりS級賞金首と同じ車に乗っていることが影響しているのか。
それとも、これから始まるアルテマとの抗争が影響しているのか。
はたまた、その両方だろうか。
いずれにせよ、動き出した車はもう止まらない。
もう後戻りはできない。
犀は投げられたのだ。
勝つか負けるか。
生きるか死ぬか。
全てが終わった時、生き残っているのは、果たしてどちらなのだろうか。
続く
後書き
祐一達の方は、これで準備完了です。
あと次回、もう一度敵さんの方の話が入ってから、いよいよ戦闘開始。
五十話で戦闘開始とは、まぁきりのいいことです(笑
そういうわけで、あと少しお待ちを。