「何を考えてるのかしらね?」
「え?」
ポツリと零れた言葉に、祐一が振り返ると、雪見が何やら考え込んでいるのが見えた。
他の面々も反射的にそちらを向いていたようで、代表するかのように舞が口を開く。
「雪見、何を考え込んでるの?」
「ん……アルテマが何を考えてるのかがわからなくってね」
「どういうこと?」
ホテルを出てから、もう大分時間が経っていた。
既に車は街を遠く離れ、車窓から周囲の風景に目をやってみても、ただ荒野が広がるばかり。
人の住んでいない場所にある道だから仕方ないだろうが、やはり路面はひどく荒れていた。
時々車のタイヤが跳ね、それに合わせて体も揺れる。
車に弱い人間がいないからいいものの、もしここに乗り物酔いしやすい人間がいたら、かなり危険なことになっていただろう。
幸い誰も車に酔うようなこともなく、揺れを気にも止めずに、話は展開される。
「彼らは既に、十二使徒が襲撃することを、確かなものとして認識しているはずだわ」
「彼らを監視してた人間が捕まったんだから、それは間違いないと思う」
舞が口にした、“捕まった”という言葉に、車を運転している保護機関の人間の表情が微かに動いた。
あるいは、捕まった人間と面識があるのかもしれない。
もっとも、それは一瞬のことだったため、祐一達は気付くこともなかったが。
「えぇ。それがわかってるのに、どうして彼らは逃げようとしないのかしら? あるいはどこかに移ってもいいでしょうに」
雪見の疑問はもっともである。
自分達の組織を壊滅させ得る存在が、確かな敵意を持って目前に迫っているにも関わらず、彼らは逃げてはいないのだ。
真っ向から戦うことの危険度の高さは、わざわざ論じずとも明らか。
S級に認定されている彼らが、それに気付かぬわけもない。
なのに、なぜ動かないのだろうか?
「名前を気にしているのかもしれない」
舞の言葉……『アルテマ』の名が傷つくことを恐れているという意味の言葉。
なるほど、それは理由となり得る。
S級として名を馳せた彼らであるのだから、いくら十二使徒が襲撃してきたからといって、そこですぐに尻尾を巻いて逃げたりすれば、その名を傷つけることになるだろう。
強者として名を売った者は、必然的にその知名度に縛られ、自由に動きにくくなってしまう。
「それは無意味ね。勝ち目のない戦闘に身を投じることの方が、よほど問題だわ」
けれど雪見は、舞の言葉を即座に否定する。
確かに、犯罪請負組織として、強さをアピールしなければならないのは事実だ。
敵を眼前にして簡単に逃げを打ったりすれば、マイナスイメージは避けられないかもしれない。
だが、彼我の戦力差を計算できないわけもないだろう。
敗北必至の戦闘に身を投じることに意味はない。
また、それは誰もが理解していることでもある。
そもそも、危険度の高い戦いに、後先を考えず身を投じ、結果敗走するようなことになれば、その方がよほど汚点となるだろう。
戦力を冷静に比較することさえできない組織など、高く評価できようはずもないのだから。
これが個人というのならば、また話は変わってくるかもしれないが、相手は組織なのだ。
リスクとリターンを計算していない、というのは考えにくい。
「……それじゃあ、どうしてだと思うんですか?」
何か考えがあるのか、と思い、留美が尋ねるが。
「わからないから考えてるんだけどね」
対する雪見は、首を軽く振りながら、ため息をつく。
「……勝算があるのかもしれませんね」
「え? 十二使徒と私達を相手にして?」
雪見の言葉に対する茜の答えに、詩子が驚きの声を上げる。
「そうです。あり得ない話とは言い切れません」
「でも、その可能性はすごく低いと思うよ」
冷静に話す茜に対し、みさきはやはり否定的な言葉を返す。
可能性はゼロではない……だが、限りなくゼロに近い、と。
「はい。ですから、あくまでも可能性の話です」
当たり前の話だが、言い出した茜もまた、その可能性の低さは自覚していた。
言うなれば、ただ単に考えられる可能性を挙げただけに過ぎない。
「幹部クラスの人間が、既にどこかに逃げている可能性は?」
『そんなの卑怯なの』
「卑怯って……」
祐一が挙げた可能性に対する澪の言葉に、留美が思わず苦笑を漏らす。
卑怯といえば、彼らの仕事こそがそうだろう……そんなことを彼女は思ったのだ。
「まぁ、でもそれだったらむしろ歓迎でしょ?」
「確かにね」
話が逸れる前に、詩子が話を戻し、雪見もまたそれに乗る。
マリアとの約束は、アルテマの支部の壊滅。
その場にいない者についてまで、自分達が考える必要はないだろう。
となると、いなければそれに越したことはない。
もっとも、安易にそれを期待するわけにもいかないけれど。
『結局、行ってみなきゃわからないと思うの』
少ししてから示された澪の言葉は、思考の放棄ととれなくもないが、事実いくら考えてもこれだ、と思える答えを導き出せないのだから、ある意味最良の選択とも言える。
出たとこ勝負。
どのみち、もう引き返すことなどできないのだ。
ここまできたら、覚悟を決めて臨むべきだろう。
「……そうね」
雪見もまた、そう言って澪に微笑みかけた。
何も無策というわけではないのだ。
勝利を、明日を信じて進むしかない。
そして、車内に再び静寂が戻る。
もっとも、それは決して居心地の悪いものではなく、集中力を高めるには最適の空間。
全員が静かに、すぐ先に迫る戦いに、思いを馳せていた。
神へと至る道
第49話 分岐点
シャディードは、生まれた時から能力者だった。
父も能力者。
母も能力者。
故に、能力者としてこの世に生を受けたのも、至極当然のことと言える。
彼が生まれたのは、まだ能力者への偏見も強く、能力者への迫害や、その報復などの不毛な争いが、世界の其処彼処で起きていた頃。
そんな情勢の中、彼は、少年時代を能力者の隠れ住む街で過ごした。
そうでなくば、あるいは彼は成長することなく殺されていたかもしれない。
もちろん、非能力者の中にも、能力者に理解を示す者はいないわけではなかったし、能力者が非能力者に協力する、あるいはその逆のケースなども、そこまで珍しいことではなかった。
だが同時に、能力者というだけで、子供であろうとも、否、子供のうちに殺してしまおうとする者もまた多くいたことも事実。
それ故に、自分達の身を守るために、非能力者から距離をとる能力者が少なくなかったのは、その当時において、ごく自然なことだった。
もっとも、そんな能力者の隠れ里は、保護機関が正しく機能し始めると、自然に消滅していったのだが。
とにかくその当時、世界のあちこちに存在していた能力者の隠れ里の一つで、シャディードは生まれ育った。
周囲の人達は誰もが能力者だったから、当然迫害などあるわけもなく、普通の少年時代を過ごしたと言ってもいいだろう。
いや、当時の情勢を考えれば、“能力者”という仲間意識の存在もあり、ある意味恵まれた、そしてある意味不遇の少年時代だったと言うべきかもしれない。
強い仲間意識は、周囲との結びつきの強さを促し、結果、誰もが優しくなれるし、誰とも協力し合うことができるようになる。
反面、縄張り意識が強くなり、排他的思考が生まれ、“仲間”か否かで他者を認識してしまうようになることが多い。
また、集団からの追放を恐れるあまり、自己主張しにくくなる。
保守的な考え方が強くなり、事なかれ主義に収まりがちになってしまうのだ。
それが悪いことかどうかはわからない。
だが、井の中の蛙で終わることを余儀なくされる可能性が高いという意味では、あまり歓迎できることではないだろう。
失われる可能性は、決して少なくない。
とは言え、それも時代の趨勢を考えれば、仕方がないと言うこともできる。
どうあれ、生物の根源には、生きるという本能、あるいは執念というものが存在しているのだ。
全ては、生きることを保障されてこそだ。
だからこそ、能力者達は仲間意識を強く持ったし、それ故に生き延びてこられた部分もあるだろう。
ともあれ、シャディードもまた、能力者として生を受け、その街の仲間として迎えられた。
父と母に見守られ、彼は特に問題が生じることもなく成長した。
昼は街中で友人達と暗くなるまで遊び回り、夜は家族に囲まれ過ごす。
小学校に入る頃には、立派な腕白坊主だったと言ってもいいだろう。
仲の良い友人も多くいたし、学校生活を楽しんでいる様子も窺えた。
年齢が十に達する頃には、能力者として体を鍛え始めてはいたが、それも街のためだろう、と好意的に解釈された。
少なくとも、この時点では、誰一人として、彼の将来を予想することができる者はいなかった。
そう、彼は普通に生まれ、普通に育ち、普通に暮らし、そして普通に果てるはずだった。
父も、母も、兄弟も、親類縁者の誰もが。
友人も、教師も、近所の仲間の誰もが。
自分達と同様に、彼もまた、そういう人生を送るものだと考えていた。
強いて言うなれば、非能力者の危険人物に殺されるかもしれない、という心配だけはあったが。
けれどそれは、考えても詮無い事。
故に、彼の“普通”を疑う者はいなかった。
だが、幸か不幸か、彼は“普通”ではなかった。
周囲の人間が考えるような、そんな普通の人間ではなかったのだ。
と言って、特別な能力を秘めていたわけではない。
仲間の中でかなり強くはあったが、それでも何か特筆すべき能力を持っているわけではなかった。
そもそも、そんな特殊な能力を持っていたりすれば、彼が“普通”であると、誰が思うだろうか。
街の人間だって、当然放っておくわけがない。
そしてまた、特別頭がいいわけでもなかった。
幼少の頃から数学や物理学を嗜んでいたわけでもなかったし、語学の才能を示したわけでもない。
まぁ、成績はそれなりにいい方だったし、思考の柔軟性も持っていて、将来を期待することはできた。
だが、それは特別でも何でもなく、ちょっと賢いという程度のもの。
少なくとも、天才的な何かを持っていたわけではないのだ。
では、何が“普通”ではなかったか。
それは唯一つ……考え方だ。
それが他者に対して示されたのは――と言っても、気付いた者は少なかったが――彼が中学校を卒業した頃のこと。
彼が住んでいた街には高等学校などなく、もし進学しようと思えば、相当遠い街にある学校へ行くしかなかった。
極めて狭い世界の中では、高等教育はそれほど意味を成さない。
それならば、街のためにも早めに仕事に参加し、その仕事を覚えていった方が有益だという考え方が一般的だったのだ。
もちろん、それ以上の高等教育を望む者が皆無だったわけではない。
だが、そもそも街の外に出るという行為自体が、決定的に危険視されていたのだ。
そうなると、どうしても保守的な考え方が捨てられず、二の足を踏むことになる。
それ故に、その街の人間で外の学校に通おうとする者は、それほど多くはなかった。
街の人間は、街の人間と助け合って生きていけばいい。
そういう考え方が根底にあり、危険を冒してまで進学を志すことはない、と考えるのが自然だったのである。
もちろんそれはある種の真実を含んではいたが、同時にひどい偏見を含んでもいる。
能力者だから殺されるということは、そこまで頻繁に起こっていたわけでもないのだ。
能力者が非能力者を恐れるように、非能力者もまた、能力者を恐れていたのだから。
もちろん、見知らぬ能力者が街に現れれば、非能力者は警戒する。
恐怖の目、嫌悪の目を向けるのも、非能力者にとっては普通のこと。
だが、多くの場合は、それだけで終わっていた。
警戒し、恐怖し、嫌悪しても、そこから排除などのための行動に反映させることは、それほど多くはなかったのだ。
それも当然だ……何も自ら危険に突っ込む必要などないのだから。
下手に手を出して、報復攻撃を受けてはたまったものではない。
近づかなければ、何もなくて済む。
危険思想を持つ人間はいたが、一般人にとっては、我関せずの姿勢がオーソドックスなものとなっていた。
能力者と非能力者の争いは、あくまでも限られた人間達がやることであって、自分とは無関係だ、と考えるのが普通だったわけだ。
事実はどうあれ、シャディードは卒業にあたって、一つの決断を迫られていた。
街の人間は、彼がどんな仕事をするのか、という選択肢を用意した。
もちろん、街から出て行くという選択肢など、そこにはなかった。
だが、シャディードは両親に、『高校へ行く』と告げた。
当然、両親は反対した。
仲間にも連絡し、彼を止めようとした。
しかし彼の決意は動かない。
『外の学校で専門知識を学ぶことは、街にとってもプラスになるはずだ』
彼の主張はこうだった。
外の世界でも生きていけるように、だからこそ今まで体を鍛えていたのだ、とも言った。
事実、既にこの時、シャディードの強さは、大人にはまだ叶わないものの、それでも十分戦力として数えられる次元に達していることを、街の人間に証明して見せていた。
この時点で、街の有識者の中には、彼の特異性に薄々感づいた者もいた。
彼の本質が、薄っすらとでも見え始めている者もいたのだ。
もちろん、彼の言葉の真意がわかったわけではない。
その言葉が真実だったのか、それともただの言い訳か。
それは判別できない。
だが、彼が“疑問”を持っていることだけはわかったのだ。
彼が、この街という集団の中の安寧に身を委ねることに、疑問を持っていることを。
そしてその疑問のために、街を出ようとしていることを。
そしてそれは、真実であった。
彼は、疑問を持っていた。
なぜ、自分達はこの街に閉じ込められているのか。
なぜ、外の世界に行くことが害悪なのか。
体を鍛えていたのも、この疑問のためである。
自分が強くなれば、街を出ることもできるのではないか、と考えたわけだ。
だからこそ、彼は強くなった。
人前で見せはしなかったが、彼が本気を出せば、街の人間の誰も、彼を止めることができないくらいに。
彼が抱き、そして解を求めたのは、単純で、そして尤もな疑問。
だが、“普通”を求めているのならば、決して抱くべきではない疑問。
そして幸か不幸か、彼は普通を求めてはいなかった。
されば、彼がその疑問を抱くのも、ごく当たり前のことだったと言えるだろう。
結論から言えば、その選択は、彼に重大な影響を及ぼした。
身体にも、精神にも、そして、考え方にも。
高校に進学することを、街の人間に呆れ半分に認めさせてから数ヵ月後のこと。
それなりに学校生活に慣れてきた頃だった。
彼は、能力者を敵対視する、とあるグループに襲われた。
シャディードの強さを恐れて、彼を無力化しようとしてきたわけだ。
もちろん彼も応戦したが、相手の方が一枚上手だった。
彼の強さを事前に把握し、各々が重装備した上で、人数を十分に揃えてきていたのだ。
結果、ある程度善戦するも、彼は瀕死の重傷を負った。
死なずに済んだだけ、まだマシだったと言ってもいい。
それほどに痛めつけられた。
不幸中の幸いというか、さして強くもなく、それ故に誰にも警戒されなかった能力者の学生が、たまたま通りかかって、彼を助けてくれた。
もしその人が通りかからなければ、彼は死んでいただろう。
病院に運ぶことも危険だったため、シャディードの住んでいた街に連絡し、街の病院に彼は搬送された。
街の病院には、治癒系統の能力の持ち主もいるため、下手な病院よりも回復の可能性は高いという理由もあったが。
シャディードの負傷を聞き、両親も街の仲間もそれを悲しみ、また怒りを感じ、そして同時に、やはりかという思いも感じていた。
どこまで行っても、能力者と非能力者は平行線だ、と。
やはり、街を出すべきではなかったのだ、と。
ここまでのことを考えれば、彼がどんな思考をするか、容易に想像できると思われるかもしれない。
彼がこの後に得る感情、その後にとる行動、それを予測することは容易いと思われるかもしれない。
確かに、普通に考えれば、彼がこの後に得る感情やとる行動など、想像するに難くないだろう。
一つは、恐怖。
殺されかけた恐怖。
能力者というだけで殺されかける、その理不尽さに対する恐怖。
そしてそれが存在することへの恐怖。
一つは、憎悪。
理不尽な暴挙に対する憎悪。
自分を、自分達を傷つける者達への憎悪。
そんな暴虐がまかり通る社会に対する憎悪。
その結果、やはり街に戻り、仲間達と共に生きる平穏な生活を選ぶこともあるだろう。
あるいは報復を考え、仲間を集め、復讐行為に走ることだってあるかもしれない。
シャディードが目を覚ましたのは、彼が暴行を受けてから、実に五日後のこと。
一時は危険なところまでいったのだが、懸命の治療の甲斐もあって、どうにか命は繋ぎとめることができたのだ。
ともあれ、それなりに長い時間を経て、彼は目を覚ました。
目覚めたのは深夜。
さすがに見舞いの人間も周りにはいない。
機械の立てる静かな音以外何も聞こえない病室の中で、彼は意識を取り戻した。
そんな静寂の中、シャディードの心に真っ先に浮かんだこと。
まだ痛みも強く、ぼうっとした頭に、真っ先に浮かんだこと。
それは、感謝。
“普通”なら、恐怖や憎悪が先に立つであろうところで、彼は感謝をしたのだ。
今生きていられることへの感謝……もちろんそれもある。
だがそれ以上に、彼は自分が襲われたことに感謝していた。
もちろん、ケガをして嬉しかったわけではない。
負傷して病院にいること自体に、感謝の気持ちなど浮かんだりするわけがない。
彼が感謝したのは唯一つ……『学習できたこと』、それだけだ。
彼は能力者だった。
それなりに腕に覚えもあった。
もちろんそのために狙われたわけだが。
とにかく、彼は十分強かったのだ。
だが、敗れた。
けれど、単純な強さで負けたわけではない。
相手は、非能力者だった。
シャディードの強さを百とするなら、彼らの強さなど、個々で見れば、一程度のものだろう。
だが、彼らは各々銃火器で武装した上で、さらに仲間を集めていた。
一の力を、武装により数倍にし、さらに数を集めて互いに協力し、その数倍、数十倍にする。
その結果生まれた力に、彼は敗れたのだ。
強さに覚えがあったのなら、そこで悔しさを感じるのが普通かもしれない。
だが、彼は悔しさなど感じたりはしなかった。
そんなものには何の意味もない……少なくとも、彼はそう思っていた。
彼にとって大事なのは、そんなことではなかったのだ。
大事なのは、一の力しか持たぬ者さえも、武装して数を集めれば、百の力を持つ者を圧倒できるということ。
そしてそれが、身をもって証明されたということ。
もちろん、感心したわけではない。
感動したわけでもない。
ただ、“学習”しただけだ。
一の力しか持たない者でさえ、武装して数を集めれば、百の力を持つ者を凌駕する。
数は質を圧倒し得るわけだ。
されば、百の力を持つ者が、武装して数を集めれば?
病院の白い天井をぼんやりと眺めていた彼の脳裏に浮かんだのは、そんな考えだった。
それを証明し、気付かせてくれた、自分に対する暴虐に、彼は感謝したのだ。
彼が気付いたこと……それは、言ってみれば当たり前のことだ。
極めて単純で、至極簡単なこと。
だが、それを実現することが限りなく難しいこともまた、簡単にわかる。
それでも、シャディードはこれを理解し、その上で実行に移すことを決意したのだ。
物心ついた頃より、彼はあらゆるものから学習していた。
何かを学ぶことが習慣になっていた、と言ってもいいかもしれない。
いや、正確には彼は、この世の全ての事象から、人は何かしらのものを学習できる、と信じ続けていたと言うべきだろうか。
誰しも、子供の頃に、遊びから様々なことを学習していく。
山を駆け回るだけで、川で水遊びをするだけで、様々な自然現象や友人達との触れ合いに、何かしらのものを得ることができる。
友人との喧嘩からさえも、様々なものを学習できるのだ。
だが、彼はそれだけにはとどまらなかった。
成長していく過程で、普通は自然に擦れていくだろうその思考形態を、彼は維持し続けていたのだ。
それだけ純粋だと言えるかもしれないが、同時に脅威でもある。
何せ、彼にとって、この世界の全ての事象が学習対象なのだ。
あらゆるものに疑問を持ち、そしてあらゆるものから貪欲に様々なものを学び、それを自身の糧としていく。
あるいは、生まれや育ちが違えば、何かの分野で大きな功績を残すような人間になっていたかもしれない。
だが、彼は能力者だった。
能力者故の思考を強く持つ、そんな人間だった。
彼は、幼少の頃より漠然と持っていた疑問に、答えを求めていた。
自分達は、非能力者よりも遥かに強い存在なのだ。
それなのに、なぜ、こんな風に周囲と断絶されなければならないのか。
なぜ、小さく縮こまっていなければならないのか。
高校へ行くことを決意したのも、結局はそれが理由だった。
進学し、もっと勉強を続ければ、その答えが見つかるかもしれない。
また、当然のことだが、自身の成長にも繋がるだろう。
そう考えたからこそ、彼は進学することを決めたのだ。
そして、その思惑通りと言おうか、自身が襲われて敗れたという事実によって、彼は理解した。
疑問に対する解を見つけたのだ。
自分が百の力を持っているだけでは話にならない。
もちろん、自分の力を高めることを怠っていいわけではない。
だが、それだけではなく、百の力を持つ者を集めなければならないのだ。
質の優位だけでは量の優位に勝てないのならば、質、量とも揃えればいいだけのこと。
かと言って、ただ数を集めればいいというわけではない。
シャディードが敗れた際、彼を襲った者達は、シャディードを無力化するという意志で統一されていた。
さればこそ、彼らはシャディードを打倒し得たと言える。
そう、寄せ集めの集団では意味がないのだ。
必要になるのは、構成する人員の全てに、共通の確固たる意志が存在する組織。
統一された意志を持つ仲間を集め、武装し、組織として名乗りを上げる。
その組織がしっかりと機能した時、非能力者との立場は逆転するだろう。
一の力しか持たないような連中にできたことが、自分にできないはずもない。
世界を探せば、いくらでもいるはずだ……自分の仲間になり得る人間が。
自分達が意のままに振舞うことができるようになれるだけの組織を構成するための仲間が。
シャディードは、こう考えた。
だからこそ、彼は感謝したのだ。
自分を襲った者達に、ではない。
自分が襲われて敗れた、という事実に。
彼は、学習し続ける。
何かしらの事象が起これば、常にそこから何かを学び取ろうとする。
彼の思考を支えるものは、結局この言葉に尽きる。
“学習意欲”。
それが消えない限りは、彼は成長を止めないだろう。
この世の全てから、彼は何かを学び、自身の成長の糧にしようとするのだから。
病院で目を覚ました翌日、周囲の人間へは、愛想笑いと形だけの謝罪を繰り返し、彼は体力の回復に努めた。
そして、十分回復したと見るや、病院から姿を消し、二度とその街に帰ることはなかった。
彼にとって、その街の人間は、仲間にするには足りないからだ。
それから時は流れ、保護機関が設立されて、能力者に対する世の偏見などが少なくなってゆくにつれて、能力者の隠れ里は、歴史から姿を消していった。
もちろんシャディードが生まれ育った街も姿を消し、彼の元仲間達も、普通の生活に身を委ね、それぞれ平穏に暮らすようになった。
誰もが、シャディードのことは忘れていた。
両親だけは記憶にあったものの、親不孝者に対して良い感情を持ち続けられるわけもなく、結局、シャディードのその後を考えるような者はいなかった。
そしてそれは、シャディードも同じ。
彼にとって、街の人間から得るものは既になかったのだから、一々気にかけるわけもない。
彼は、街を出てから数年で、『アルテマ』を設立。
その過程で何があったのかを知る者は少ない。
だが、どうあれ『アルテマ』は、世界にとって脅威となり得る存在にまで上り詰めたのだ。
保護機関が『アルテマ』殲滅を決定し、その脅威が間近に迫る今、シャディードの心にあるのは何なのか……それを知る者もまた、少ない。
続く
後書き
第二章の要であるシャディードの過去についてのお話でした。
結構重要な話ですが、どうにか一話に収められて、書いた当初は一安心してた記憶があります。
オリキャラを出す以上、その背景は書く必要があるけれど、あんまり長々書くわけにもいかない。
難しいものです。
しかしまぁ、個人的にはこういう類の話ってわりと好きなんですが、読者の方々に受け入れられるのかどうかは、ちと不安です。
まぁともあれ、次回からは戦闘開始。
あとはノンストップで最後まで突っ走ることになるかと。
五十三話からは、さすがに一回の投稿で三話、とかはできなくなりますし、速度は激減すると思いますが、気長にお付き合いくださいませ。