荒野。
見るからに荒れ果てた不毛の地とも言うべき場所に、数人の人影があった。
遮るもののない、見渡す限りの荒地に立つその者達は、一種独特な空気を携えていた。
近くには誰もいないが、もしいたとすれば、その異様さに恐れを抱くことだろう。

なぜなら、まるで巨人がそこにいるかのような、そんな強大な圧迫感が、彼らから滲み出ていたからだ。
彼らの周りの空気は、熱いのか冷たいのか、それさえもわからない。
周囲に生物の気配がないのも、彼らに恐れをなしていなくなってしまったせいなのではないか、と思えるほどだ。

照りつける太陽の光の中に浮かび上がる人影の数は、六人。
全員が、焼かれるような強い陽射しの中にあって、漆黒のコートを身に纏っている。
普通ならば、その熱気にやられて、すぐにも倒れてしまいそうなものだが、誰も暑さを感じていないかのように超然としていた。

荒れ果てた地に佇むその六人は、微動だにしない。
ただ鋭い眼差しを、揃って前方に向けるのみだ。
視線の先には、何が見えているのだろうか……少なくとも常人の視力では、何も特別なものなど確認できない。
けれど。





六人のうちの一人……先頭に立っていた人間が、懐から携帯を取り出し、耳元にあてる。

「……到着しましたか?」

纏う空気とは異なり、まるで涼風のような優しい声音で、静かに電話の相手に問いかけた。
周りの五人は、その言葉に微かに反応を見せる。

あるいは、眉がピクリと動く程度に。
あるいは、凄惨とも言える笑みを顔に浮かべるほどに。

それぞれに違った反応を見せる横で、けれど電話に語りかける人物だけは何も変わらない。
淡々と静かに報告を受け、そして命令を下す。





「わかりました。では、予定通りに行動を開始します。彼らにも、そう伝えてください」

それだけを言うと、電話を切った。
そして自分の傍に立つ五人の人間に振り返る。

「では、準備はいいですね?」

穏やかな笑みを浮かべて、最後の確認の言葉をかける。
もちろん、それに否定の返事を返す者などいない。



「……早く行こうぜ」

待ちきれない、と言わんばかりに、五人のうちの一人が声を荒げる。
それは歓喜によるものか……その体は、微かに震えてさえいる。

「リーブラ……」
「あん? いいだろ? もう。これ以上我慢する理由なんてないだろうが」

先走ろうとする者を嗜めるかのような言葉にさえも、その人物は止まらない。
苛立ちさえ滲ませながら、そんな言葉を発する。
それに言葉が返ってくる前に、リーダーと呼ばれた者が口を開く。

「構いませんよ。では皆さん、参りましょうか」

やはり穏やかな表情のまま、穏やかな声音で、その場にいる全員に、開始の言葉を告げる。
傍から見れば、それは物静かな深窓の令嬢を思い浮かべるような所作。
けれど、その内には何者にも揺らがぬ強さがあることを、この場にいる全員が知っていた。

「……殺していいんだよな」
「一人残らず」
「了解だ」

殺伐とした言葉さえもまた、穏やかに。
そして六人は動き出す。
時計の針は、きっかり午前十時を指していた。















神へと至る道



第50話  開戦















「あれが……」

吹きつける風を気にも留めず、切り立った崖から下を見下ろしながら、祐一が静かに呟く。
その近くに並んで、当然他の七人も、同じ場所に目を向けていた。

「はい、あれが、アルテマの拠点です」

少し離れて、同じく見下ろしている保護機関の人間が、祐一の言葉に続く。
強い風に少し目を細めながら、しかし睨みつけるようにして、崖の下に佇む建物に目を向けている。



崖と言っても、何も谷の底に建物があるわけではない。
ただ、荒野に佇む彼らの拠点の近くに、それを見張るのに適した小高い丘があっただけのこと。
何かと都合がいいので、そこから急襲することにしたのだ。

荒れ果てた不毛の地に佇むその建物は、長い間風雨にさらされていたこともあって、やはり外見はかなり寂れて見える。
元々、他人に見せる意図などないわけなので、祐一達の目には、限りなく無骨で、まるで監獄のようにさえ映った。
実際、建物に強度以外は何も求めてなどいないのだろう。
くすんだ色合いを見るに、実にみすぼらしく感じる。
もっとも、攻略する側からすれば、厄介極まりないわけだが。



「保護機関の人間も参加するんだったっけ?」
「はい。もちろん下級の戦闘員の相手しかするつもりはありませんが」

独り言のような祐一の言葉だったが、きちんと返事が返ってくる。
それを聞き、祐一が声のした方に振り返る。

「で、どうやってあんた達を見分ければいいんだ?」
「この作戦のために新調した制服がありますから、これで」

問われた保護機関の人間は、そう答えながら自分の服を指差す。
祐一達が、それにつられるように、その服に視線をやる。
黒を基調として、白のラインでもって複雑な紋様を描いているコート。
確かに、アルテマの人間がこれと同じ服を身につけている可能性は、限りなく低いだろう。
見分けることは十分可能だ。

「なるほど、了解」

そう言ってから、改めて眼下の建物に目をやる。
戦いに際し高揚していないわけでもないだろうが、それでも冷静さを保ち、どこか超然とした姿勢を崩さない。
他の七人もまた同様だ。



「それじゃ、そのコートは間違っても脱がないでもらいたいね」

そこで、思いついたかのように、祐一が保護機関の人間の方へ振り向く。
目が合うと、祐一が口の端を微かに持ち上げる。

「言うまでもないだろうけど、もしそれを着てなかったら、標的と見なすからさ」

確かな笑顔で、そんな言葉を口にする。
その言葉が、声をかけられた人間を微かに震わせる。
冷静に、穏やかに、コートを着ていなければ殺す、と言われては、それも仕方ないだろう。

「……わかりました」

故に、返した言葉が微かに震えていたこともまた、仕方がないところだ。
それを見て、笑顔で頷く祐一。
別に嘲っているわけではない。
ただ納得しただけ。
それきり、保護機関の人間に目をやることはなかった。








手筈は、次のように決定している。
最初に、保護機関の人間が正面から襲撃し、戦闘員達を建物から誘い出す。
それから、保護機関の人間とアルテマの人間の抗争に紛れて、祐一達が建物内部に侵入し、戦闘員を片っ端から倒していく。
そんな極めてシンプルな作戦だ。
大雑把ではあるが、それ故やりやすい。
その最初の段階のために、保護機関の人間達がいなくなってから、祐一達は出番を待ちつつ、最後の確認を行っていた。

「確かに三棟ありますね」
「うん」

茜の言葉通り、目の前の建物は、全部で三棟。
おそらくそれぞれに強力な能力者がいるはずだ。
それは事前に知らされていたので、祐一達は、三手に別れて襲撃することに決めていた。

「腕が鳴るわね」
『冷静さを失くしちゃダメなの』
「わかってるって、大丈夫よ」

高揚感を隠そうともしない留美に、一抹の不安を覚える澪。
もっとも、留美はそんな不安など一蹴したわけだが。
熱血タイプの人間は、一度火がつくと止まらない。
ブレーキ役をすることになる澪からすれば、頼もしいやら心配やら、といったところなのだろう。

「……あ、出てきたね」
「あらホント。それじゃ、わたし達の出番ね」

みさきの言葉につられて、揃って目を向ければ、建物の内部から、大勢の人間が飛び出してきているのが確認できた。
それを確認し、全員が身構える。

「じゃあ、手筈通りに」

全員の顔を見回し、祐一が言う。
それに対し、静かに頷く七人。





「では、行きましょうか」
「りょーかい」

茜と詩子が、右の棟へ向かって駆け出す。
静かに、だが迅速に。
建物内部に入り込むまでは、誰にも見つかるわけにはいかない。
暴れるのは、潜入が成功してからだ。



「行くわよっ!」
『了解なの!』

留美の気合のこもった声に対し、既に書き込んであったページを掲げて、同意を示す澪。
既に熱くなっているらしい留美を、少し後ろから澪が追いかけつつ、左の棟へ。
彼女達の表情にも、迷いなどない。



「それじゃ、行こうか」
「了解」
「えぇ」
「うん」

祐一が、手をパンと叩いて気合を入れる。
頷く舞と雪見とみさき。
四人が目指すのは、もちろん残った中央の棟。
揃って駆け出すと、一直線に目的地へ向かう。
驚くほどのスピードで、荒野を駆け抜ける八人。

幸いと言おうか、誰にも邪魔されることはなく、八人は建物へと入り込むことができた。
建物の外部では、既に戦闘が激化しており、誰も敵意のない人間に注意を払えなかっただけなのかもしれないが。





「……」

アルテマの拠点を見下ろす崖の、さらに遥か遠く離れた場所で、一人の人間が、静かに目にあてていた双眼鏡を離す。
それから、表情さえも動かすことなく、しばらくその場で立ち止まったまま、何事か考え込んでいた。
その人物は、見ていたモノを思い返すように、目を閉じて、微かに笑みを浮かべる。
しばらくの間、そうやって立ち止まったままでいたが、やがて静かに目を開け、ゆっくりと歩き出す。
もちろん、祐一達が潜入した建物へ向かって。















「邪魔です」

潜入した建物の入り口にいた人間を、反応することさえも許さないまま、瞬間的に出現させた蒼い刃で斬り裂く茜。
茜は、悲鳴さえも上げられずに床に転がったその人間には目もくれず、奥から出てくる戦闘員達に目を向ける。

「援護は?」
「いりません」

相手は五人。
それぞれの手に銃を構えている。
時間を空ければ、すぐにその銃が火を吹くことだろう。
それを防御する必要があるか、という詩子の問いだったが、茜はすぐに断った。
詩子の能力には、茜のそれと違って、制限が存在する。
こんなところで使うわけにはいかないのだ。

「撃……」
「ふっ……」

撃て、と言おうとしたのだろうが、それよりも早く、茜の手が閃く。
相手からすれば、茜が持っていたのが剣だったことから、十メートル以上離れている自分達にそれが襲いかかる前に、銃で迎撃できるという考えがあっただろう。
だが、茜の手にあるそれは剣ではない。

まるで、すぐ眼前に存在する標的を斬るかのように振りぬいた剣が、しかし一気にその長さを伸ばし、明らかに間合いの外にいた五人の人間に襲いかかった。
蒼い輝きが駆け抜けた後、驚きの表情を貼り付けたまま、胸部で上下に両断された五人は、重力に従い床に沈んだ。
噴出した鮮血が、床といわず壁といわず真っ赤に染め上げる。

「行きましょう、詩子」
「うん」

それが戦いの狼煙だと言わんばかりに、茜も詩子も表情を動かすことさえなく、そのまま奥へと駆け出した。
ほどなくして、銃撃の音と、何かを斬り裂くような音が、断続的に聞こえるようになる。
戦いの火蓋は、そうして切って落とされた。















「うりゃあっ!」

空気を引き裂くような轟音とともに、唸りを上げる拳が、恐怖に歪んだ男の胸元を抉る。
そんな攻撃を身に受けた彼は、骨の砕ける音とともに、血反吐を撒き散らしながら、後方の壁に叩きつけられた。
そのまま、力なく床に崩れ落ちる。

「次ぃっ!」

その一撃で相手を殺したことを確信しているのか、そちらに目を向けることなく、次の相手に目をやる留美。
二人が潜入した時に、入り口付近で戦闘員と鉢合わせしてしまったのだ。
だが、驚く暇もあらばこそ、留美は即座にエネルギーを解放。
次の瞬間には、場は戦場と化した。

けれど、それはすぐに、戦闘と呼べるものではなくなる。
余りにも一方的な展開だったからだ。
留美は、相手に銃を構える隙も与えず、爆発的に増強させた脚力を活かし、一瞬で接近戦に持ち込み、持ち前の攻撃力を利して、問答無用で叩き伏せている。
襲われる側からすれば、相手が近すぎ、また動きも速すぎるため、銃で狙うことなどできはしない。
彼女に接近を許してしまった時点で、彼らの敗北は決定していた。

「これが最後ぉっ!」

結局、十人近くいた男達は、抵抗らしい抵抗もすることができないまま、留美の拳で沈んだ。
その後方で、所在無さげにしているのは澪。

『……やることがなかったの』

手の出しようのない展開に、気合が空回りしたように感じているのかもしれない。
どことなく不満げな表情が、そこにはあった。

「ほら、澪、何やってるの? 行くわよ」
『あ、待ってなの』

だが、そんなことには全く気付かず、留美は先を急ごうとする。
澪もまた、不満の色はどこへやら。
駆け出す留美の後を、少し慌てて追いかける。

戦いは、まだ始まったばかり。
相手は極めて強大なのだ。
焦らなくとも、澪の力が必要になる時は絶対にくる。
もっとも、それがないに越したことはないわけだが。















「くそっ! 撃てっ! 撃てぇっ!」

一転して、激しい銃撃戦が行われている中央の棟。
銃撃戦と言っても、撃っているのは片方だけなのだが。

「……」

幸いと言うべきか、ここの人間は、外部からの侵入に備えていたらしく、祐一達が入るや否や、散らばった状態からの一斉射撃が見舞われたのだ。
だが、それで怯む彼らではなかった。
素早くサイドステップで避ける祐一とみさきと雪見に対し、舞だけは、弾幕をものともせずに内部に突っ込んでいく。

相手を押し返せると思っていた彼らは、さすがに焦った。
普通、これだけの弾幕の中に、何の躊躇いもなく突っ込んでくる人間などいない。
けれど、彼女は迷うことなくそれを実行している。
混乱に導かれる頭。
それでも、銃撃は止めない。
止めれば、間違いなくやられるからだ。
もっとも……

「うぁぁ……っ!」

絶叫と共に、一人の人間の両腕が宙に舞う。
その直後に、少し離れた位置にいた者の腕もまた、宙に舞い上がる。
後方から指示していた人間からは、白銀の煌きが、瞬間的にあちらこちらで起こっているようにしか見えなかった。
舞が、弾幕の中を駆け抜けながら、手にした日本刀を閃かせているのだが、その速度は尋常なものではない。
能力者でもない常人に、それを知覚できるわけもなかった。

「これで最後」

舞のその言葉と同時に、また腕が舞う。
結局、僅か数秒、銃を構える者は、その場からいなくなった。

「さすが舞」

舞の傍まで駆け寄ってくる祐一と、その後に続くみさきと雪見。
気付けば、周囲から呻き声もなくなっていた。
腕を失って苦しんでいた者達は、みな首をあらぬ方向へ曲げている。
駆け寄る道すがら、祐一が止めを差してきていたのだ。

「……行こう」

振り向くこともなく、舞が、祐一達に声をかける。
それに対して、頷いて返す三人。

「もちろん」
「うん」
「えぇ、これからが本番よ」

本来ならば、この者達の相手は、保護機関の人間が務めるはずだったのだ。
これは言ってみれば、行きがけの駄賃といったようなもの。

祐一達の任務は、あくまでも“能力者”の抹殺。
こんなに簡単に勝つことなどできないだろう相手。
改めて気合を入れ直し、奥へと目を向ける三人。
こんなところで止まっていても仕方がないのだ。
能力を発動したみさきの指示を聞きながら、祐一達は前方へと駆け出した。















「……」

遠くから、その建物を眺める者がいた。
無表情のまま、まるで彫像のように微動だにすることなく、ただ建物の様子に注意を払っている。
気配を隠しているため、それに気付く者などいないだろうが。
と、様子を見ていただけだったその人影が、ピクリと動いた。

「……」

けれど、決して集中を乱したりはしない。
気配を消したまま、静かに周囲を窺っている。
そして、しばらく辺りを窺っていたが、何かに気付いたのか、その視線をとある方向に向けた。
その間においても、その人物の気配が漏れることはない。

「……!」

微かにその目が見開かれる。
視界の果てに捉えたのは、建物へと向かう人影が一つ。
少しだけ表情が動く。
それは困惑か、あるいは不安か。

「……」

軽く頭を振る。
僅かに表情が曇っているものの、それでも気を取り直したらしく、改めて建物に目を向ける。
その姿は、まるで何かに祈っているかのようにも見えた。
結局、建物を見ている人物はそこから動くことはなかったし、その人物が見た人影は、静かに建物の方へと姿を消してしまった。





血戦という名の舞台の幕は上がり、役者達はそれぞれ、各々の思惑を持って、自由に踊り始めた。
果てに待ち受ける結末がどのようなものになるのか、誰にも知られることはない。
閉幕を迎えるその時、最後まで舞台に立っているのは誰なのか。
それを知る者もまた、まだいない。
ただ確実なことは、誰一人として、この場で果てるつもりなどない、ということ。
今はただ、その先を信じるのみ……









 続く












後書き



突入、ということで。

戦闘はまだ始まったばかりです。

でも、ここから第二章の終わりまでは、ノンストップで戦闘の連続となります。

お覚悟のほどを(笑)