「みんな、止まって!」
走っている最中でのみさきの言葉に、階段の途中で他の三人も足を止める。
瞬間訪れる静寂。
みさきは、真剣な表情で、ある方向にその目を向けている。
今まさに、能力を発動しているのだろう。
「……この先に、敵がいるよ」
指で方角を指し示しながら言うみさき。
先頭に立っている舞が、その方向へ鋭い眼差しを向ける。
「タイプは?」
「……M、だね」
端的な問いかけに、みさきもまた端的に返す。
無駄な会話は不必要だからだ。
「舞に頼んでも?」
「問題ない」
祐一の言葉に、舞は躊躇うことなく即答する。
そして、言うが早いか一直線に駆け出す。
その少し後ろを追いかける祐一とみさきと雪見。
「あそこの部屋だよ」
しばらく廊下を駆け続け、みさきが示したのは、一つの部屋の扉。
部屋というよりも、広間とか講堂と表現した方が適切かもしれないが。
みさきの言葉に、黙ったまま頷いて返す舞。
そして、走ってきた勢いを利して、扉を掌底でぶち抜く。
砕け散り、飛び散る元扉の破片。
静かに扉を開ける必要はないとはいえ、どこまでも力技な舞のやり方。
それを見て、少しだけ笑みを零す祐一と、呆れたような表情の雪見と、びっくりしているようなみさき。
しかし、ここで止まる理由などない。
扉をぶち抜いた勢いのまま、部屋の中へ飛び込んだ舞を追いかけて、三人も室内へとなだれ込んだ。
神へと至る道
第55話 禁断の召喚獣
「ようこそ……と言いたいところだけど、もう少し静かに入れないものかしら?」
四人が飛び込んだ大きな部屋にいたのは、長身の女性。
すらりとした手足に、細身の体。
とても、戦闘に耐えられる体格ではない。
だが、細面の顔に似合っている銀縁の眼鏡の奥から覗く青い瞳には、凍るような敵意が宿っている。
見た目で判断するのは危険だろう。
少し赤みがかった肩までの髪を揺らしながら、侵入者たる舞達に対し、小馬鹿にしたような言葉を放つ女。
だが、そんな言葉に反応することなく、舞は静かに刀を構える。
その瞳に宿る意志は、相手に負けていない。
床を蹴る力強い音を残して、舞が一足飛びに斬りかかる。
常人では目にも止められない速度で、刀が女の肩口に吸い込まれてゆく。
反応させる暇も与えずに、舞の刀が肩に届いた。
だが、その瞬間聞こえてきたのは、ガギッという鈍い音。
確実に捉えた、と思っていた舞の目が、大きく見開かれる。
「ふふ……」
舞の目に、愉快そうに笑う相手の顔が映る。
肩からばっさりと斬り裂かれると思われていた……事実、舞の斬撃に全く反応できなかった彼女だったが、その体には傷一つない。
なぜなら。
「くっ!」
一瞬止まっていた舞に、相手の体から飛び出してきた何かが襲いかかった。
避けきれず、その何かの攻撃を肩にくらい、苦悶の声を漏らし、体を傾がせる舞。
だが、素早く距離をとり、体勢を立て直す。
肩から流れる血が、腕を伝い床に落ちる。
浅からぬ傷。
少し顔を顰める舞。
「紹介しておこうかしら……この子は、
禁断の召喚獣
。察しの通り、私の能力よ」
次の瞬間、彼女の体から闇が零れ落ちる。
その闇の膜の向こうに、ぎらついた目を見つけて、四人の表情が変わる。
と、少しずつその闇が大きくなり、それが何かの形をなしてゆく。
闇の塊にしか見えなかったのだが、ここでその全貌を四人の前に晒す。
「なっ!」
「……信じられない」
「そんな……」
後方にいた祐一とみさきと雪見が、思わず息を呑む。
三人の顔に浮かんでいるのは、驚愕。
目の前に現れた存在が、あまりにも異質な姿をしていたからだ。
獅子の体に竜の爪、鷹の翼、そして燃え盛る尻尾。
それだけでも十分驚愕だが、それ以上に衝撃なのは、三つの頭部がそこに存在すること。
真ん中に獅子、その左に鷹、右には竜。
一つの体に三つの頭部があるその姿は、見る者の恐怖をかきたてるには十分だ。
体高は二メートルほどで体長は五メートル近くあるだろうその体には、濃密なエネルギーが感知できる。
凶悪にして醜悪。
その巨体から放たれる威圧感の前では、普通の人間なら正気を保つことさえ難しいだろう。
だが舞はというと、その姿を目の当たりにしても、露ほども表情を変えない。
攻撃を受けた左肩の調子を確かめるように、刀を軽く振る。
そして、問題なしと見るや、再び刀を眼前に構えた。
「……気に入らないわね、この子を見ても表情一つ変えないなんて」
呟かれる声は、不快の色を帯びていた。
まるで動じていない舞の態度が、不愉快なのだろう。
先程の舞の峻烈な斬撃。
その一撃を防いだのは、他ならぬこのキメラ。
能力者のエネルギーにより創り出されたバイオウェポン。
刀が肩に迫った瞬間、獅子の頭部だけが肩口に現れ、舞の刀を咥えこんだのだ。
いきなり人間の肩から別の生物の顔が生えてきたら、それは驚くだろう。
そして、その舞の一瞬の驚愕の隙をついて、キメラの爪が舞に襲い掛かった。
そして舞はそれを避けきれず、ダメージを受けたわけだ。
だが、驚愕も一瞬のこと。
すぐに冷静さを取り戻し、静に刀を構えている舞。
およそ恐怖している者のとる姿には程遠い。
能力の使い手としては面白くないのだろう。
再び舞が攻めに転ずる。
ダメージを感じさせない動き。
先程と変わらない速度で、舞が相手に迫る。
迎え撃つキメラ。
だが、真っ直ぐ突っ込むと見せかけて、舞は突然進む方向を横に転じ、背後に回りこもうとする。
キメラではなく、それを創り出している能力者から叩く……最も理に適った攻め方。
だが。
「グオオォォッ」
部屋の空気を震わせる唸り声とともに、止まっていたキメラが、舞に匹敵する速度で横に飛ぶ。
回り込もうとした舞を、しかし完全に迎え撃つ体勢。
もはや舞に残された選択肢は、キメラとの衝突しかない。
ほとんど反射的に斬りかかる舞。
「ガァァッ!」
舞の狙いは前脚……だが、まるでそれを予期していたかのように、竜の頭部がその長い首をムチのようにしならせて、舞の刀を横合いから弾き飛ばした。
硬い鱗に覆われているからか、エネルギーのこめられた刃先が当たったにも関わらず、竜の頭部は小さく傷ついただけ。
逆に、刀を弾かれた舞は、バランスを崩してしまう。
その隙を、キメラが見逃すはずもない。
躊躇うことなく、舞へと突進するキメラ。
獅子の頭部を突き出し、舞へと突っ込む。
体勢を立て直す暇もなく、舞はその攻撃をまともにくらってしまう。
一気に吹っ飛ばされ、悲鳴も上げられずに床を転がっていく舞の体。
「舞っ!」
後方の祐一の声が、悲痛の色を帯びる。
みさきも雪見も息を呑む。
「……大丈夫」
だが、時を置かずに、舞の声が返ってくる。
かなり吹っ飛ばされたものの、逆にそれが衝撃を少し殺したのか、すぐに舞は立ち上がった。
右手には刀がしっかりと握られていて、まだまだ戦えることを、何より如実に示している。
転がった際に傷つけたのか、額からも血が流れているのに、それを気に留める様子も見せない。
「あら、ずいぶんタフね。あの体当たりをまともにくらっても、まだ立てるなんて」
主を守るかのように女性の隣に位置するキメラ。
その影から聞こえるのは、どこか皮肉のこめられた賞賛。
自分の能力への絶対の自信の表れ。
「……今度は本気で行く」
一度大きく刀を振ると、舞が再び構えを取る。
鈍く煌く刀の奥にあるその表情から、色が失われてゆく。
雑念を払い、一撃に全てをこめる、その意思表示だ。
「減らず口を……」
吐き捨てるかのような言葉を吐く女。
舞を見据える視線は、どこまでも冷たい。
確かに、現状キメラと舞の力関係は明らかだ。
たとえ舞が能力者本体を叩こうとしても、必ず邪魔をされる。
となれば、まずキメラを倒さないことには、舞にできることはない。
だが、極めて頑健なキメラを、舞の刀で斬り裂くのは至難。
三つの頭部による防御は、単純なスピードでは超えられない。
それを踏まえての余裕だ。
キメラが、ジリッと脚を動かす。
攻めに転じようとしているのだろう。
舞がそう判断した瞬間に、竜の頭部がその首をもたげ、突然火炎を吐いてきた。
周囲の空気を焦がす炎。
それは瞬時に舞の眼前へと迫る。
防御しなければ、無事では済まない。
咄嗟に空中に飛び上がる舞。
だが、それは最悪の選択。
「ガァッ!」
足場のない空中では、人間である舞に防御手段も回避手段もない。
それは翼を持つキメラからすれば、格好の的。
その三つの頭部が、それぞれにニヤリと笑ったように見えた。
背の翼をはためかせ、キメラが空中に飛び上がり、一直線に舞へと迫る。
避けることも防ぐことも不可能な体勢。
宙に浮いているような状態では、刀も満足に振るえない。
勝敗は、既に明らかに見えた。
「行って」
と、キメラが飛び上がった直後に、舞が左手をキメラに向ける。
何も持っていない左手を。
まだ距離は遠く、どうあがいても舞のその手は届かない。
何のつもりか、といぶかしむ暇もなく。
「任せてっ」
突然、舞の左手から、白い何かが風のように飛び出してきた。
予測していなかった事態に、一瞬気を奪われるキメラ。
それは、十分すぎる隙だ。
「たぁっ!」
飛び上がるキメラに、急降下してきた何かが突き刺さる。
可愛らしい掛け声。
だが、その威力は可愛らしいには程遠い。
凄まじい勢いでキメラを襲った白い何かは、竜の頭部の首を抉るようにして停止した。
口を大きく開き、苦悶の気配を露にする頭部。
一瞬送れて、重力に引かれるように、舞がキメラの元に迫っていた。
「まずは一つ」
落下する勢いのままに、硬直状態の竜の頭部に狙いを定め、舞が刀を閃かせる。
まるで場の空気ごと斬り裂いたかのように、美しい弧を描き、銀の輝きがキメラを襲った。
一瞬の停滞。
後、噴出する鮮血。
「ギャァァァッ!」
ようやく上がる悲鳴。
力無く床に落ちる竜の頭部。
切り落とされたトカゲの尻尾のように見えなくもないが、それとは違い、ピクリとも動かない。
「なっ……!」
自分の創り出したキメラがのたうつ様が信じられないのか、驚愕に目を剥く女。
だが、現実は揺らがない。
すぐに、今の攻撃の決め手となった、白い何かに目を向ける。
そこで、更なる驚愕が彼女を襲う。
目に映るのは、白いワンピース姿の、まだ年端も行かぬ少女。
「そんな子供が、私の能力より強いって言うの?!」
驚愕も一瞬。
すぐに、その少女――まいを指さして、怒りを露にする。
突然現れた以上、それが能力であることは間違いないのだが、どう見てもその姿はただの子供。
落下の勢いを利用したとはいえ、そんな子供の蹴りだけで、キメラがダメージを受けるなど、彼女には信じられないのだろう。
主の怒りを反映したのか、苦痛にうな垂れていた顔を上げ、舞とまいを睨みつけるキメラ。
その目からは、未だ闘志は失われていない。
「やっておしまいっ!」
金切り声が響いた瞬間に、再びキメラが場を飛び立つ。
刀を構える舞と、その隣で同じく迎え撃つ体勢をとっているまい。
「まい、頼んだ」
「わかってるよ」
短い言葉のやりとり。
それだけで全てを把握したのか、二人は迷いなく猛烈な勢いで迫る存在に、その意識を向ける。
間を置かず、獅子の頭部が、牙を剥いて舞に喰らいついてきた。
カッと目を見開いて、両手に握った刀でそれに対峙する舞。
甲高い衝突音が響く。
次いで、舞の口から漏れる苦悶の声。
飛びかかってきた勢いがあったせいか、その一撃を受け止めきれずに、舞の体が後方へと僅かに傾ぐ。
硬直し、身動きをとれない舞に対し、前脚を振り上げるキメラ。
極めて高い殺傷力を秘めたその攻撃を迎え撃つのは、隣のまいしかいない。
「させないよっ!」
横合いから、舞の体を抉ろうとしていた凶悪な脚に飛びついていくまい。
普通なら逆に斬り裂かれてしまうところだが、彼女は決して弱くはない。
エネルギーに満ちた両手を突き出して、キメラの前脚を攻撃する。
その衝突と同時に、骨が折れる音が鈍く響いた。
まいの攻撃力が、キメラの防御力を上回ったのだ。
だが。
それまで沈黙を守っていた鷹の頭部が、突如口を開いて、舞に向けて焼けつくような息を吹きかけてきた。
竜の頭部を斬り落としたため、舞が封じたと考えていただろうブレス攻撃。
しかし、その考えは甘かった。
炎を作り出すのは体内である以上、三つの頭部のいずれからでも、それは襲ってくるのだ。
獅子の頭部を全力で防いでいた舞に、それを避けることなどできない。
そしてまた、防御することも叶わない。
刀を構えた状態のまま、彼女はまともに、その攻撃を浴びた。
「舞っ!」
「舞ちゃんっ!」
「舞!」
祐一とみさきと雪見の叫びは、しかし舞の耳には届かない。
悲鳴さえも焦がし、彼女の体を焦がした炎は終焉を迎える。
全身に大きなダメージを受けた舞が、力を失ったように、静かに後方へと倒れてゆく。
すぐ隣で、呆然とそれを見ているまい。
どさり、と重い物が落ちたような音と共に、舞の体が床に沈んだ。
黒い煙が上がるその身は、動く気配すら見せない。
「ご覧なさい! やっぱり私の方が強いのよ! 私の勝ちよ!」
明らかに戦闘不能になった舞を目にして、勝ち誇った笑みを向ける女。
同じく勝ち誇ったような表情で、倒れた舞を見下ろすキメラ。
竜の頭部が落とされた時には焦ったが、やはり自分の能力の方が上だったという認識が、彼女に再び余裕を呼び戻した。
あと残りは三人……そう判断したのか、祐一達の方へとその目を向ける。
三人の不安げで悔しそうな表情を目にし、彼女は更に、その表情に浮かべている愉悦の色を深くした。
「……ぇ?」
だが、次いで零れたのは言葉にならぬ声。
不意に体を襲った衝撃に、反射的に女が視線を下に落とす。
そこに見えたのは、自分の体から生えている小さな腕。
血塗られた握り拳。
遅れて生じる激痛。
引き抜かれる小さな腕。
激しく噴出する自身の血液。
崩れ落ちる体。
そこにきて、彼女はようやく自分が攻撃されたことに気付く。
「い……ったい、だけ、じゃ……なかっ、た……の?」
霞みつつある目を後ろに向けると、そこに立っていたのは、先と同じ姿の少女。
舞の傍にもまだいるのだから、まったく同じ姿の少女が、二人いることになる。
「あたし達の勝ちだね」
無表情のまま、淡々と少女――まいが告げる……自分達の勝利を。
そう、舞とまいの勝利を。
キメラを迎え撃った舞とまいは、あくまでも囮。
敵の意識を自分達に向けさせて、その隙に死角からもう一人まいを呼び出す。
そして、キメラの攻撃を二人が真っ向から受け止めている間に、もう一人が後ろに回りこむ、という作戦。
もっとも、ブレス攻撃を受けることまでは、さすがに想定していなかったようだが。
だが、それが逆に功を奏したと言える。
あの炎をまともに浴びた舞は倒れ、相手に勝利を確信させた。
その結果、彼女は勝利に歓喜することとなり、若干の油断が生じたのだ。
あとは、回りこんだ方のまいが、彼女の心臓を貫いて終わり。
まいが一人である、と考えてしまったことが、最大の敗因。
主が死に向かっているためか、キメラの姿が音も無くかき消える。
闇から生まれたあり得ぬ魔物は、また闇へと帰った。
主たる彼女はというと、床に沈んだまま、血に濡れていた。
消え行く意識の中、何を見ていたのか、何を思っていたのか。
それは、間近のまいにもわからなかった。
「舞っ!」
「舞ちゃん、大丈夫?!」
「しっかりして、舞!」
勝利を収めたものの、その余韻に浸る余裕など、祐一達にあるわけはない。
急いで舞に駆け寄り、その負傷の度合いを確認する。
「……痛い」
ゆっくりと目を開け、ぽつりと呟く舞。
どうやら意識ははっきりとしているらしい。
見れば、火傷の度合いも、それほど重度のものではなさそうだ。
もちろん放置しておける程度のものでもないが。
「よかった……」
「心配したよ」
「とにかく、まずは治療しておかないと」
雪見の言葉に頷く祐一。
とそこへ、まいが二人並んで、ゆっくり歩み寄ってくる。
思わず道を譲る三人。
譲られた道を歩く二人。
「舞、ムチャし過ぎ」
「そうだよ、いくら敵を騙すためだって、そこまで危険なことしなくてもいいのに」
無謀にしか見えなかった舞の作戦に対して、一言言わずにいられなかったのだろう。
それに対して当の舞は、冷静なまま。
「……治してもらえるし」
「「そういう問題じゃないよ」」
舞の考えに対し、声を揃えて否定するまい。
その表情は、やはり厳しいままだ。
「……私は怪我人だから、もっといたわってほしいのに」
「「無茶をする舞が悪い」」
機嫌を損ねたような舞の言葉にも、やはり二人はにべもない。
だがそのやり取りは、少なからず余裕があるからこそのもの。
少しばかり大げさに痛みを訴える舞と、それを一言の元に切り捨てるまい。
言ってみれば、三人とも同一人物のようなものなのだが、まるで姉妹のやり取りのようにも見える。
ともあれ、その二人のやり取りは、祐一達が見かねて中断させるまで続いた。
まだ上階に敵は残っているのだから、無駄に時間を使うわけにはいかない。
ここから戦いが激化していくことを、誰もが理解している。
そう、戦いはまだ始まったばかりだ。
続く
後書き
いろいろ制約があると書きにくいなぁ、とぼやいてみる。
話の都合上仕方ない、と言えばそれまでですけどね。
っていうか寒くて手が動かしにくい……キーボード打つのが辛いったら。
もう三月になるというのに、どうしてこうも寒いんだか。
まぁ暖かくなれば書くペースが早くなるわけでもないですが(笑)