『時間なの』
「回復した?」
『ばっちりなの』
スケッチブックにある言葉を見て、安堵の表情を見せる留美。
澪もまた、どこか安心したような笑みを浮かべていた。
回復という言葉が指すものは、澪の能力だ。
彼女の場合、一度能力を行使すれば、再度それを使えるようになるまでにある程度の時間を置かねばならない。
幸い、敵が接近してくる気配もなかったので、二人はこれまで上階へと移動することなく、この場に止まり続けていた。
その間、二人が警戒を怠ることはなかったが、一度として誰かが接近してくることもなく、場は静寂のまま。
澪にしろ留美にしろ、そこが気にはなっていた。
ここは敵地であり、まだ倒すべき相手は残っている。
けれど、その存在は休憩している二人を完全に無視しているかのように、動く気配すら窺えない。
それが警戒によるものなのか、それとも何か理由があってのことなのか。
現状、二人にそれを判別する術などあるわけもなく、気になりつつも、能力の回復を最優先させた。
「うん、それじゃ行きましょうか」
『頑張るの!』
二人は、上階にいる存在を睨むかのように、その鋭い視線を向けた。
その目が、その意志が、相手に届くわけではないが、それでも強く。
準備は整った。
ここまで全く行動を起こす気配すらない相手の思惑は気になるが、それでも二人は行くしかないのだ。
元より、二人とも相手に合わせて戦うタイプではない。
何が待ち構えていようとも、接近戦に持ち込まなければ二人に勝機は生まれ得ない。
ならば、悩むだけ時間の無駄というもの。
一気呵成に切り込んで、相手を叩く……これが唯一にして最良。
そう考え、留美の心が熱く燃える。
『冷静に、なの』
「……わかってるって」
と、上方を睨み続けていた留美の視界に、上下に揺れるスケッチブックと、そこに書かれている文字が飛び込んできた。
どうやら、知らぬ間にエネルギーを展開していたらしく、それを察知した澪が、彼女を止めるためにそんな言葉を見せたのだろう。
思わず苦笑する留美。
いくら真っ向勝負を望もうとも、戦いの場では冷静な思考を怠ってはならない。
いかに強大な力であろうとも、それを有効に使えなければ意味がないのだから。
『あと少しなの』
留美の苦笑を見て、澪もふっと表情を崩す。
それから一つ頷き合うと、並んで階段を上り始めた。
駆け上るではなく、静かに、確実に。
相手が手強いだろうことを確信しながら、それでも二人には臆する気配など微塵も見られない。
それも、互いが互いの力を信じているからだろう。
確かな足取りで、二人は上へと歩き続けた。
神へと至る道
第58話 命懸けの遊戯 -T
『おかしいの』
「えぇ、気配がはっきりしないわね」
最上階まであとわずかといった所で、二人が立ち止まる。
下の階からずっと感じられていたエネルギーだが、こうして近づいた途端に、正確な発信源がわからなくなったのだ。
絶えず移動しているのか、それとも何か特殊な能力か、あるいは複数の人間がいるのか。
いずれにせよ、この付近に敵がいることは間違いなさそうだが。
二人の表情は、目に見えて険しいものとなっていた。
はっきりとわからない相手の存在が、見えてこない相手の意図が、予想もつかない相手の力が。
二人に少なからぬ緊張を強いる。
二人が足を止めたため、場は一気に無音と化していた。
息苦しささえ覚えるほどの重い静寂。
窓からは暖かな陽が射し込み、廊下に敷き詰められた絨毯の色を鮮やかに彩っている。
だが、そんな空間は、二人の心に不安を呼ぶのみ。
『……嫌な予感がするの』
「えぇ、何だか薄気味悪いくらいに、ね」
静寂に耐えかねたか、二人が始めた意思の疎通……留美の声が、ひどく廊下に響いた。
重い空気は、しかし変わる様子も見せない。
この静けさが、嵐の前触れであることを示唆せんとばかりに。
「二手に別れるってのは……」
『それは良くないと思うの』
「そうね、確かに」
自身の出した案を、しかしあっさりと放棄する留美。
直感とは侮れないものだ。
それが危険を告げているのならば、むやみな行動は慎むべきだろう。
現状、二手に別れるというのは得策ではない。
『二人で行く方がいいと思うの』
「わかったわ。それじゃ、部屋を一つずつ回ってみましょう」
『了解なの』
時間はかかるが、二人はしらみ潰しに部屋を探索することに決める。
避けられる危険は、可能な限り回避するのが賢明。
気配がある以上、どこかの部屋、ないしはどこかの廊下に、敵は存在しているはずだ。
である以上、探索を続ければ、必ず見つかるはずなのだから。
「あー、もう! んっとに、どこにいるのよ!」
『落ち着いてほしいのっ』
部屋に進入し、敵がいないかを探り、しかし見つからずにそこを出る……そんなことを繰り返すこと数度。
とうとう留美が不満を面に出す。
部屋を出た瞬間に、握り締めた拳を横の壁に叩きつけ、思いっきり叫ぶ。
力をセーブするだけの自制心はあったのか、壁が破壊されるようなことはなかったが、その衝撃は少なからず振動へと変わり、大きな音が廊下に響いた。
そんな留美の怒りを抑えようと、眉根を寄せながら澪がスケッチブックを示す。
もっとも、落ち着くように言う澪とて、気配だけ漂わせておきながら、まるで姿を見せない敵に、苛立ちを感じていないわけではない。
だが、それでも彼女は決して直情タイプの人間ではないし、何より、かっとなりやすい留美のブレーキ役にならなければならないという責任感が、彼女に冷静さを維持させていた。
留美の真っ直ぐな心根は、そのまま彼女の爆発力へと結びつく反面、こうして冷静さを失くしやすいという欠点も存在する。
だからこそ、そこを補う役が必要なのだ。
留美の足りない部分は、澪が補えばいい。
きっと澪に足りない部分は、留美が補ってくれるだろうから。
そう考えればこそ、澪は冷静な思考を第一としている。
こんな所で死ぬわけにも死なせるわけにもいかない。
「まったく、腹が立つわね……」
『大丈夫なの、探さなきゃいけない部屋は減ってきてるの。あと少しなの』
「……そうね、あと少しよね」
澪の言う通り、敵が現れないままということは、その可能性のある場所が削られていると考えていいだろう。
もし移動されていたりしたら話は別だが、その可能性は低い。
敵はどこかで静かに待ち構えているはずだ。
おそらく自分に有利な状況で。
「じゃあ次行きましょう、次」
『了解なの』
気を取り直し、改めて廊下を歩き始める二人。
部屋を覗いても、廊下を歩いても、敵が襲ってくる気配は微塵もない。
捜索する範囲は、確実に狭められつつあった。
「……ここね」
『怪しいの』
それから何度も無駄足を繰り返した末に辿り着いたとある部屋の前。
その扉の向こうから、微かに不穏な気配が感じられた。
二人は、扉を睨みつけるようにして、そこで立ち止まる。
これだけ近づかなければ気付かないほど、それは薄く、また不気味なもの。
ようやく敵の尻尾を掴んだ……とも言えるが。
「誘ってる……のかしら?」
『多分そうなの』
微かとはいえ、こうして気配を漂わせているのだから、これは戦意を示していると考えてもいいだろう。
けれど同時に、部屋の中にどんなトラップがあるかわかったものではない、ということでもある。
それだけに、警戒せずにはいられない。
だが、ここで止まっていたところで、状況は全く好転しないのも事実。
生きるためには、戦って勝たねばならない。
勝つためには、進まなければならない。
恐れていても何も掴めないのだ。
覚悟を決めて、留美が扉に手をかける。
と。
『ちょっと待ってほしいの』
「え? どうしたの? 何かあった?」
『そうじゃないの』
ドアノブを回そうとした留美の服が、ふと引っ張られる。
動きを止めて彼女が振り返った先で、澪が制止の言葉を示していた。
止めるからには理由があるのだろう、と考え、続きを促す留美。
「じゃあ、なんで止めたの?」
『やっておきたいことがあるの』
留美が止まったことを確認してから、澪がぱたぱたと駆け出した。
向かったのは、入り組んだ廊下にある物陰。
澪の背中が遮っているため、留美からは彼女が何をしているのか確認ができない。
それ故か、ますます首を傾げる。
そこに何か意味があるのは間違いないだろうけれど、彼女にはその意味がわからなかった。
と、ほとんど時間をおかずに澪が立ち上がり、再び部屋の前まで戻ってくる。
改めて、二人が扉の前に並び立つ形になった。
『お待たせなの』
「それはいいけど、何してたの?」
『保険なの』
「保険?」
笑顔を見せる澪に、なおも首を傾げている留美。
それでも、澪は多くを語らない。
『準備は整ったの。それじゃ行くの』
「……そうね、わかったわ」
澪が扉に向かうのを見て、留美は追及をしないことにした。
何か意味があるのだろうし、それを言わないということは、そこにも意味があるのかもしれない。
何より、彼女が今すべきは、そんなことではない。
今は、自分にできることだけを、きちんとやればいい。
澪もまた、彼女の最善を尽くすだろうから。
そのための策ならば、ただ信じればいい。
留美は、拳を強く握り締めた。
そして、二人並んだまま、扉をゆっくりと開け放つ。
開いたドアから、暗く重い空気が漏れたような、そんな感覚があった。
「遅かったね、何してたのかな?」
部屋に足を踏み入れた留美と澪に向けて、突然かけられた声。
一歩踏み込んだところで、二人はその動きを制止させる。
部屋の異質な空気に反応した、という要素もあるにはあるが、それ以上に、目の前の存在に意識を奪われたのだ。
そこにいたのは、二人より一回り身長の高い人物。
真っ赤な丸い鼻。
真っ白に塗られた顔。
派手な色合いのだぶだぶな洋服と三角帽子。
若干大きめに見える手袋。
木を削り出して作ったらしきステッキ。
その容貌は、どこから見ても……
「ピエロ?」
『ピエロなの』
驚愕と疑問の入り混じったような複雑な表情を見せる二人。
そう、目の前にいたのは、確かにピエロと呼ぶのが適切な存在。
それが、身振り手振りも大げさに、二人に話しかけてきたのだ。
驚くのも無理はない。
「まぁいいや。それじゃ改めて。僕の舞台にようこそ、二人とも。今日はゆっくり遊んでいってね」
だが、そんな二人の様子を気にするでもなく、ピエロは大仰にお辞儀をする。
そして体をリズムよく揺らしつつ、楽しげに言葉を続けた。
場所が場所なら、子供が喜ぶような言葉だったかもしれない。
だが、ここは戦場なのだ。
その声は、二人には不快にしか響かない。
「ふざけんじゃないわよ。あんたなんかと遊んでる暇なんて、こっちにはないわ」
『そうなの。勝負するの』
さすがに怒りを隠しきれない様子で、二人が戦意も露にピエロを睨みつけた。
少しずつ重心を下げ、いつでも行動を起こせるような体勢へと変える両者。
零れ落ちるエネルギーだけで、部屋の空気が揺らぐ。
まさに一触即発の状況。
だが、そんな状況下にありながら、ピエロは楽しそうに体を揺らし続けている。
「えぇー? 遊ぼうよー。きっと楽しいよ? それこそ、時間も仕事も忘れちゃうくらいに……ね」
その瞬間、ピエロのその真っ赤な唇の端が持ち上がり、笑みが形作られる。
それに二人が反応する前に、言葉が続けられた。
「それに。どのみち、君達にはもう僕と遊ぶ以外の選択肢なんてないんだよ。だからさ、せいぜい楽しませてよ、僕を」
笑顔のままで、軽く体を揺らし続けながら、本当に楽しそうに喋るピエロ。
だが、その内容には明らかに嘲弄の色があった。
その物言いに、視線を鋭いものへと変える留美。
漏れ出すエネルギーは、その濃密さをさらに増してゆく。
抑えきれない感情は、そのままエネルギーの奔流へと繋がる。
今の彼女は、それこそ決壊寸前の防波堤にも等しい。
そんな状態のまま、彼女は静かにその口を開く。
「選択肢ね……他にもあるわよ」
「ないよないよ、なーいーよー」
高まってゆく場の危機感を、やはりまるで気にも留めずに、馬鹿にしたような物言いを続けるピエロ。
それはまるで、わざと留美を怒らせようとしているかのように。
そこに澪が違和感を抱くよりも早く、留美は一歩を踏み出していた。
「あるわよ、ちゃんと」
「何があるって言うのさー」
「それは……これよッ!」
首を突き出すようにしたピエロの言葉に対して、留美は一瞬のうちにエネルギーを解放することで答える。
解き放たれたエネルギーは、さながら爆発のように周囲の空気を振動させた。
高めたエネルギーを推進力に変え、留美は瞬時にその場を飛び立つ。
それはまさに刹那の出来事。
部屋の中を、一陣の風が駆け抜ける。
澱んだ空気を切り裂くように。
高まるエネルギーで空気を焦がすように。
留美が、強く強く拳を握り締める。
相手の手はわからない。
だが、後手に回るのは危険だ。
ペースを握られるわけにはいかない。
相手が何かをする前に、その企みごと叩き潰す。
先手必勝。
留美の常套手段であり、最も力を発揮できる選択。
ゆらゆらと揺れているだけのひ弱な男など、彼女にとっては枯れ木にも等しい。
この一撃で砕いてみせる……そんな意志が具現化したかのように、留美のエネルギーは力強い。
狙うは、ピエロの顔面。
あまりの速度のためか、ピエロは反応することさえできない。
避けるでもなく、迎え撃つでもなく。
一瞬後、留美の拳が、ピエロの顔面に叩き込まれた。
次の瞬間には、骨を砕く感触が、留美の拳にあるはずだった。
だが、それは起こらない。
彼女の拳は、ピエロの顔面に触れた状態のまま止まっている。
何の感触もなく、痛みもなく、ただ止められているだけ。
まるでエネルギーがかき消されてしまったかのように。
拳の向こう側で、ニヤリと笑うピエロ。
それを見て、留美が状況に気付くも、時既に遅し。
「殴ったね? 殴ったね?
僕の顔を殴っちゃったね
?」
嬉しそうな声。
大きく歪められるピエロの口。
留美が危険を感じて拳を引っ込めようとする暇もなく、言葉は続く。
「さぁ、お遊戯の時間だよ!」
ピエロの高笑いと共に、留美の体が光に包まれる。
それと同時に、ピエロの目の前に箱庭のような物体が出現する。
それを見る澪の顔には、驚愕が浮かんでいた。
留美の攻撃が無効化されたという時点で、既に驚愕すべき事態だが、状況は更に展開を続ける。
まるで人形劇でも見ているかのような感覚。
そう、ピエロの遊びは、この瞬間から始まるのだ。
「きゃははっ、一丁上がりだね。これで準備は整ったよ」
その言葉にハッと気を取り直した澪の目に飛び込んできたのは、笑顔を深くするピエロだけ。
そこにいたはずの留美の姿が、どこにも見えない。
一瞬硬直する澪。
それを見越したように、ピエロが言葉を続ける。
「心配しないでいいよ、あの子はここにいるから」
やはり笑顔のまま、自身の足元を指差すピエロ。
その先にあったのは、虚空から現れた箱庭のような物体。
いや、それは……
『双六……なの?』
「あったりー」
澪の疑問に対して、明るく返事をするピエロ。
確かに、ピエロの足元にあるのは、双六と言うしかないものだった。
箱庭状になっているが、その中に山や海と思しき物体が並んでいた。
そして、その山や海の合間を縫うように、一本の道がぐねぐねと曲がりながらも伸びている。
その一本の道は少しずつ区切られており、一つの部分ごとに違う色が塗られていて、さらに何か文字が書かれていた。
その道が繋いでいるのは、旗がある大きな場所と、何か人形のようなもののある少し広い場所。
人形は、二つ。
一つは、目の前のピエロを小さくしたようなもの。
そして、もう一つは……
『留美さんなの?!』
小型化しているが、間違いない……それは、確かに留美だ。
きょろきょろと辺りを見回したり、手や足を動かしてみたりしている姿から、混乱している様子が窺える。
だが、澪の驚きの言葉に反応したのか、彼女はその目を澪へと向けた。
交錯する視線。
「ちょっと、どういうことよ?!」
どこか遠くから聞こえるような、そんな小さく、そして少し甲高い声。
それを発しているのは、紛れもなく澪の視線の先にある小さな留美の口。
信じられないが、間違いない……これは本物の留美。
「あははっ。その姿の方がお似合いだよ」
「何ですって?!」
「あ、言うまでもないと思うけど、そこからは逃げられないよ、お人形さん」
「何よ、それッ!」
楽しそうなピエロの声と、怒りも露な留美の声。
小さなその肩を大きく震わせながら、彼女はピエロの方を睨みつけている。
ピエロの言葉から察するに、留美は双六の盤面に閉じ込められてしまっているらしい。
『それで、どうやったら留美さんを助けられるの?』
そんなピエロに対して、澪は冷静にそんな言葉を示す。
揺らがぬ瞳で、しっかりとピエロを見据えながら。
その眼差しに、混乱も焦りも窺えない。
そんな澪の姿を目にして、ピエロがぴたりと動きを止める。
そして、ごそごそとポケットを探ると、そこから二つのさいころを取り出した。
「物分りがいいね、キミ」
『どうするの?』
「言ったでしょ? 僕と遊ぶんだって」
そう言うと、さいころを澪に向かって一つ放り投げるピエロ。
澪は、片手でそれをしっかりと受け止める。
それを確認してから、ピエロは説明を続ける。
「双六で勝負だよ。僕に勝てたら、人形になったあの子は元に戻るよ」
『負けたらどうなるの?』
「死・ぬ・ん・だ・よー」
楽しそうに、わざわざ一言ずつ区切って言うピエロ。
明らかに澪を、そして留美をからかっている。
それでも、澪の表情は揺らがない。
留美は人形にされてしまった。
だが、そこで激昂して事が解決するはずもないのだ。
敵の策に嵌ったことを嘆くよりも、相手を倒す術を考えるのが先決。
それが可能なのは、澪だけ。
だからこそ、彼女はピエロの挑発に反応するようなことはしない。
『時間がもったいないの。さっさと始めるの』
「よーし、それじゃ楽しむよー」
澪が無反応なことを気にするでもなく、やはりピエロは楽しそうに笑い続ける。
そして、笑ったままさいころを振った。
出た目は、三。
「さぁ、キミも振って。まずは順番を決めるから」
黙ったままさいころを振る澪。
出た目は、五。
「あ、キミが先手だね。じゃあもう一回さいころを振って」
ピエロが澪に続きを促す。
留美は、自分にできることはないと悟ったのか、大人しくしている。
その隣のピエロの人形は、ただ黙って突っ立ったままだ。
『留美さん、ここは任せてほしいの』
そんな文字を見せる澪に、小さく頷く留美。
敵の策に嵌ってしまったわけだが、それを悔やむのは後回しだ。
今は、状況が好転するのを待ち、その時に備えて力を蓄えるしかない。
一呼吸置いて、澪がさいころを振った。
くるくると空中で回るそれは、床を転がってゆく。
出た目は、四。
「四、だね。それじゃ駒は四つだけ進んでね」
ピエロの言葉には、やはり留美に対するからかいの響きを持っていた。
それを聞いて、留美が憎憎しげにピエロを見るが、ピエロは涼しい顔のまま。
一瞬奥歯を噛み締めるも、留美は大人しく歩き始める。
鮮やかな色で彩られた道を、ゆっくりと歩く留美。
その道すがら、横の空間に手を伸ばしてみたが、透明な壁でもあるのか、途中で止められてしまう。
どうやら、本当に駒に徹することしかできないらしい。
四つの区画を超えて、留美が立ち止まる。
念のためにと手を前に伸ばしてみたが、やはり透明な壁に止められてしまった。
思わずため息が零れそうになった、その瞬間に。
「ハリヤマジゴク。ダメージ35」
「キャアッ!」
『?!』
「あーあ、残念だね、ダメージ受けちゃった」
それは一瞬の出来事。
驚愕に顔色を変える澪の目の前で、やはりピエロは楽しそうに笑っている。
両者の視線の先には、うずくまる留美の姿。
立ち止まった彼女の足元から、突如多くの突起物が出現して襲いかかったのだ。
展開しているエネルギーのおかげで、それが致命傷になることはなかったが、それでもその傷は浅くはない。
体のあちこちから血が流れている。
痛みを堪える表情の留美を見て、澪はようやく、この能力の真の意味に気付いた。
「さーて、この子は、ゴールするまで体力が残ってるかなー?」
ピエロの声が、すなわちその答えに他ならない。
勝負に勝たなければならないのはもちろんのこと、それ以上に問題なのは、止まった場所だ。
双六である以上、そこに書かれていることは、絶対に実現するだろう。
たとえそれが、命を脅かすようなものであろうとも。
そしてまた、相手を貶めるための能力に、容赦も配慮もあるわけがない。
すなわち、これからゴールまでの長い過程で、留美は幾度も理不尽な攻撃に身を晒されることになるということだ。
今回は耐えられた。
だが、これから先はどうなるかわからない。
どんなトラップがあるかもわからなければ、どんな影響があるかもわからない。
ピエロの言葉通り、果たして最後まで耐え切れるかどうか。
また、たとえ最後まで耐えられたとしても、双六の勝負に負ければ、留美は元に戻らないだろう。
勝負とはそういうものだ……それは覚悟しておかなければならない。
状況は、想像以上に危険な領域にある。
だが、二人にはこのピエロの遊びに付き合う以外の選択肢はない。
ピエロを攻撃すればどうなるかは、既に明らか。
と言って、この部屋から出てしまえば、留美はおそらく殺される。
状況を好転させるのは、現状では厳しいと言わざるを得ない。
唇を噛み締める澪。
だが、怒りに身を任せては、全てが終わってしまう。
どれだけ腹立たしくとも、最後まで諦めるわけにはいかない。
そしてまた、冷静さを失うわけにはいかないのだ。
どうすれば相手を倒せるのかもわからないのだから。
どうすれば能力を無効化してピエロを叩けるのかを、見抜かなければならないのだから。
そして、それができるのは澪だけなのだ。
「さぁ、次は僕だね?」
嬉しそうにさいころを振るピエロ。
腹立たしくとも、それを押し殺して、覚悟を決める澪。
命懸けの遊びは、まだ始まったばかり。
続く
後書き
なかなか自由になる時間がありません。
あったらあったで無駄に使いそうな気もしますが。
世の中儘ならないものです。